ex.7 もう一人の王子(1)
サフィーナ・オーロヴィアの軍勢五千が奇襲を受けて退却したすぐ後。
森に挟まれた間道で追撃をすることなくその場に留まっている軍勢の中に、一人ずつの少年と男がいた。
少年の方はミルクティーブラウンの髪に薄茶色の瞳、歳相応にまだ幼いと表現しても過言ではない容姿であり、しかしあどけないとか可愛いといった感想を見る者に抱かせる顔立ちは同世代の少女が皆嬌声を上げるだろう程に整っている。
身長もまた同年代の少年と変わらないくらいに小さい彼は、しかし自らの体躯の倍近くの体高のある馬の背に乗ることによって周囲の兵達より高い視点で周囲を見渡していた。
一方、彼の隣で同じように騎乗している男はすらりと背が高く、しかし首から下の全身を鎧に覆い隠していた。
全身を覆う鎧を纏うにはそれ相応の筋力が必要であり、まるで女性のように細身でありながらも全身鎧を纏って平然としている彼の均整の取れた身体つきは、外見に反して何らかの武術によって鍛え上げられていることを見る者に示唆する。
その遠くからでも煌いて見えるだろう透き通るような銀色をしている腰まで伸ばされた美しい長髪と澄んだ水色の瞳、そして中性的に整った容貌は街中を歩けばその場に居合わせた女性からの視線を独占せずにはおかないだろう。
そんな二人は、交わされる会話が聞こえない範囲にまで広がった兵に囲まれつつ、サフィーナが駆け込んで撤退した森の方向を見つめていた。
彼らの視線の先では森を構成する樹木達の枝葉が騎馬隊が駆ける際に残した風で揺れ、静かに音を立てる。
少し前までサフィーナが指揮する部隊が存在していた場所を挟んだ先には彼らから見て友軍に当たる四万が依然としており、二人を囲むようにして布陣している三万の軍勢と合わせ、この場には総勢で七万にも上る兵が存在している計算だ。
にもかかわらず晴れ渡った青空の下では木の枝に留まった鳥達が可憐な鳴き声を発しており、森のざわめきと合わせてそれらは場違いであるとも言える長閑さを醸し出していた。
「ふうん、あれがサフィーナ・オーロヴィアか。ここで待ち伏せてれば誰かは来るだろうと思ってたけど、本人を見れるとは思わなかったな」
馬の背に軽い体重を預けながら、どこか面白げな笑みを浮かべた少年が口を開く。
その声に籠められた感情もまた、愉悦の色がとても強かった。
彼は先程、自らの命令で集められた兵によって急襲されたものの、軍を乱すことなく咄嗟に纏め上げて挟撃から逃れてみせた少女の姿を思い出しているのだ。
人混みに紛れたとしてもはっきりと輝いて目立つだろう彩やかな金髪の少女は、駿馬と呼ばれる馬の数倍の体格はあるような巨大な馬を容易に乗りこなしつつ、彼の目の前で森へと逃れてみせていた。
その素早い判断と優れた乗馬技術を目にして、少年はいささかサフィーナに興味を惹かれたような言葉を零す。
「そういえば、リート卿はサフィーナに何回か会ったことがあるはずだよね。卿の評価を聞かせてくれない? 余も会ったことはあるんだけど、まだ小さな頃だったからあまり覚えてないんだ」
「私見ですが、オーロヴィア嬢は年少ながら非常に聡明な少女であったかと存じております。もし彼女がおられなければ、学園に預けられた生徒が一人命を落とすことになっていたでしょう」
少年よりリート卿と呼称された人物は、それに頷くと彼からの問いにそう回答を返す。
男はクラスティリオン伯爵家の次男にして、ベルフェリート王国の第三騎士団長の地位にあるベリード・クラスティリオンであった。
王都の治安維持を担当している第三騎士団の統括者である彼は、サフィーナが同級生であるセリーヌを助けた際の事件にも当然関わっており、その時に金髪の少女と何度か顔を合わせていたのだ。
そんな彼は少年に彼女への評価を尋ねられると、会話を交わした中で感じた率直な考えを口にする。
「あはは、リート卿がそこまで言うなんて珍しいね。兄上もサフィーナのことをかなり気に入ってるみたいだし、せっかくだから余も一度話してみたいなあ」
「殿下、それは」
「大丈夫だって。わざわざ無茶はしなくても、いずれ機会はあるだろうし。そういえば、そう考えたらサフィーナには借りがあるってことになるのかな。もしも学園で生徒に何かあったら、王家の面目は丸潰れになってたところだしね。でも、その前に一度彼女のことは確かめさせてはもらうけど」
相手より返された答えを耳にすると、軽く笑い声を上げる少年。
若年ながら第三騎士団長という公爵に相当する役職にある男が、まるで主君に対するが如く恭しく従う相手など限られている。
そんな対象である少年こそは、ベルフェリート王国の第二王子であるアルフェリオ・レストリージュであった。
髪の色こそ少し違えども兄である第一王子レオーネ・レストリージュと同じ色の瞳が、確かに二人が兄弟であることを示している。
幼さを色濃く残したあどけない顔立ちをしつつも、その瞳の奥には確かな知性の光を宿し、至尊の座に手が届きかけているもう一人の存在である彼は未来を想像して愉悦に声を震わせた。
「それじゃ、とりあえず中立だった諸侯の動員は済ませられたし帰ろうか。サフィーナが退却した以上、向こうは引き分けの体裁を取って撤退していくだろうし」
「畏まりました。そのように手配致します」
それぞれの地位からすれば明らかであるが、二人を取り囲むようにして軍勢が布陣しているということは、つまり彼らのうちのどちらかが軍勢の指揮官であるということを意味していた。
笑みを消した第二王子が撤退を宣言すると、それを受けた騎士団長が自らの従者を呼び、全軍に指示を伝えるように命令する。
これが第三騎士団であれば僅かな時間で撤退の準備を終えるであろうが、しかし様々な諸侯の兵を掻き集めたものであるこの軍勢は連携が十分に取れておらず、それ程簡単には準備が進まなかった。
そのことに実質的に指揮を執っている彼は少し眉を顰めつつも、しかし第三騎士団が同じことをした場合の数倍の時間を掛けてようやく出立の準備が終わり、七万の軍勢は北へと向かって進軍していく。
「それにしても、ヴィアドラ卿も目が曇ってるよねー。こんなに簡単に兵を集めさせてくれるなんて。余が大人しく傀儡になるとでも思ったのかな、あはは」
軍勢が動き出すと、そのあどけなく幼い容姿には似合わぬ悪意を顔立ちの上に浮かばせ、唇を歪ませるアルフェリオ。
彼が口にしたヴィアドラという人名は、ベルフェリート王国の現宰相でありベルファンシア公爵家の当主であるヴィアドラ・ベルファンシアのことを指し示している。
ラーゼリア王国との交戦によって一転して苦境に追い込まれた流れを変えるために、自らを利用し国王に擁立しようとしている男のことを、彼は冷たく嘲笑う。
隣で馬を並べて進めている騎士団長へと届くように、しかし特に答えを求めることなく発せられた言葉。
それは、二人以外の誰にも届かないまま虚空に消えていく。
七万の軍勢が移動するのにはそれなりの時間と手間を要することとなるが、それが急造の連合軍であればなおさらである。
何かと手間取りつつも非常に緩やかな速度で歩みを続けた軍勢は道中で自らの領地の近くへと差し掛かった諸侯が離脱していく度に数を減らしていき、そして第二王子が王都へと戻った頃には初めに出立した際と同じかなり少数の騎士のみが残っていた。
騎士達は無論第三騎士団の所属であり、少数であるとは言っても千人はいるのだが、しかし七万というサフィーナの前に姿を見せた際の総数からすればあまりに少ない数字である。
彼らは自分達を束ねる団長である男の指揮に従って第二王子を王宮にまで送り届けると、そのまま騎士団の営舎へと帰っていく。
普段生活を送っている王宮へと帰ってきた少年は、少し嫌そうな表情を浮かべた後、王家ではなく事実上ベルファンシア公爵の支配下にあるそこへと足を踏み入れた。




