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3. 高軒寵過

 自己紹介が最後まで終わると、講師である伯爵が学園側からの連絡事項の説明に移る。

 とは言っても、語られる量はそれほど多くなかった。

 時間割について伝達されたのと、後は今夜こことはまた別の建物にあるらしい大広間で入学を祝うパーティーを開催することくらいか。

 どうやら学者肌らしく、貴族にしてはかなり簡潔に淡々と話していく伯爵の言葉を頭に入れていく。

 もう表面上は静まってはいるが、右隣の小さな少年の登場による動揺は依然として教室の雰囲気の奥底に漂っているように感じる。

 伯爵の話をまともに聞いている生徒は少ないのではないだろうか。

 もっとも、予定を書き留めるのは従者の役目であり、軽く見回したところどこの従者もきちんと職務を果たしているようなので大した支障は出ないだろうが。

 話し終えると彼は解散、と一言告げ、華美な装飾が施された貴族用の長靴で石の床を叩きながら私から見て教室の右前方にある入り口の扉へと向かう。

 そして扉を開くとそのまま廊下へと退出し、姿を消した。

 途端に緩む空気。

 室内の大半の女子の心を掴んだユーフェルと国内屈指の大貴族の子息であるファルトルウに対してか、生徒達の多くがちらちらとこちらを窺っているのが分かる。

 時たま私に視線を向けてくる生徒もいるが、きっとこの二人に挟まれて座っている状態になっているからだろう。

 この位置にいては注目されてしまうのも仕方がない。

 何人かの生徒が自らの従者を従えて教室を後にしていくのを横目に、いつ脱出しようかと私が考えていると、不意に残っていた生徒達がざわめいた。

 それも、右隣の少年の時よりも大きく。

 今度は何かと思い視線を上げると、開け放たれたままだった前方の扉から長身の青年が入ってきていた。

 燃え盛るように赤い髪に、精悍で整った顔立ち。

 どこか獰猛な雰囲気を纏わせた身体は大きく、遠目に見ても百八十センチ台後半はあるだろう。

 近くにいる男子生徒と見比べると、頭二つ分ほども身長に差がある。

 見紛おうはずもない、六年前にお忍びで実家の屋敷を訪れていたこの国の第一王子その人に間違いなかった。

 学園側からは学内では王族の姿を見ても跪いたりしなくてもよいと言われているので、残っている生徒達もそわそわと緊張した様子は見せながらもその場に留まっている。

 王族がどこかに移動する度にその先々で皆が跪いていてはまともに学園が機能しないので、まあ妥当な措置だろう。

 彼は束の間教室を見回すと、私の方に視線を固定してこちらへと歩き進んでくる。

 目標が私か右隣の少年のどちらかであることは明らかなので、座ったままなのは礼を失するだろうと思い私はとりあえずその場に立ち上がった。

 そして目の前で立ち止まった彼。

 その背丈はかなり大きく、歳相応に小柄な私では視線を見上げなければ表情を見ることが出来ないほどだ。


()()()()()()()()()()()、殿下。殿下のお噂は、遠く辺境にまで轟いておりましたわ」


 とりあえず私は、そう口上を述べてスカートの裾を掴む。

 無論六年前に一度会っているのだが、あれはあくまでもお忍びであり公式には私と彼はこれが初対面であることになる。

 結局何を目的に身を潜めていたのかは知らないが、初対面のふりをしておくべきだろう。

 そう考えて言葉を紡ぐ。


「レオン・レストリージュだ。お前の噂も都にまで届いている。一度会いたかったのだ」

「聡明さで名高い殿下にそうまで仰っていただけるとは、身に余る光栄ですわ」


 やはり彼も初対面のふりをするらしい。

 そんな言葉が私へと返ってきた。

 ふと視線を向けると、傍らの少年は相変わらず何を考えているのかよく分からない様子で座ったままだった。

 我関せずといった感じで、王子に視線一つ向けはしない。

 ちなみに、ユーフェルは王子が歩いてきている間にさりげなく私達から離れている。

 まあ、迂闊にぼろを出さないためには正しい選択だろう。

 辺境伯家の子息であるファルトルウとは違い、私やユーフェルは王族の前でのちょっとした失言が命取りとなりかねないのだ。

 中身が老婆の私とは違い、歳相応にまだ十二歳の精神でしかない彼が恐れをなすのは仕方がない。

 もっとも、建前上ではこの学園で貴族は礼節や教養を学ぶことになっている以上、さすがにまだ入学したての十二歳の子の小さな失言くらいでは大事には至らないと思うが。

 どう返事をしようか一瞬迷ったが、とりあえず無難な形で返しておくことにする。


「早速だが、お前に用があって来た。ついてこい」


 予想通り彼はそれを聞き流すと、一言だけこちらに告げて背を翻す。

 従者を使者として遣わせてきたくらいならともかく、王族がわざわざ自ら赴いてきたからには断る訳にもいかない。

 同行を促された私は、王子の大きな背中に続くべく机の間の通路に出ようとする。


「失礼致しますわ、ヴェルトリージュ様」


 前を通ることになるので、一言少年に声を掛けてから通ろうとする私。

 しかし、身体が通路に出た辺りで不意にドレスの布がくい、と後ろから引かれる。

 振り返ってみると、少年の染み一つ無い小さな手が豪奢な布地を掴んでいた。


「ど、どう致しましたか?」

「……」


 さすがに戸惑いつつも少年に尋ねてみるが、やはり彼は無言のままだった。

 どうしようか、本当に対応に困る。


「どうした?」

「あ、あの……」


 こちらを振り返った王子が、私がついてきていないのを見て怪訝げに尋ねてくる。

 それは私が聞きたいくらいだ。

 数秒もすると彼にも状況が飲み込めたらしい。

 再びこちらへと歩み寄ってくる。


「何の真似だ?」


 どこか迫力のある王子の言葉。

 しかしそれにも、やはり何も言葉を返さない少年。

 彼の手には依然としてしっかりとドレスの布が握られたままだ。

 気まずくなったのか、二人の貴人の注意が逸れている間に多くの生徒達が教室から密かに出て行くのが見える。

 はっきり言って、私も逃げ出したい。

 そのためにも、とりあえずこの小柄な少年にどうにか手を離させなくては。


「ヴェルトリージュ様、どうかお離しくださいませ」


 直球で伝えてみたが、彼は無言のままふるふると首を横に振るとそのままドレスを掴んだ手を更にぎゅっと握るのみ。

 どうやら、離してくれる気は無いようだ。


「ファルトルウ、離せ」


 顔見知りなのだろうか、王子も彼にそう命じるがやはり手は離されない。

 これが例えばユーフェルであれば不敬で罪に処されても仕方が無いところだが、この灰髪の少年は大貴族であるヴェルトリージュ辺境伯の息子である。

 彼がここにいるのは言わば人質と同義であり、辺境伯の王家への忠誠の証と言っていい。

 であるからには、いかな王家であろうとそんな彼をたかがこの程度のことで罰したりするのは不可能なのだ。

 逆に言えば、それこそ辺境伯が反乱でも起こさない限りは身柄の安全が絶対的に保証されることになる。

 そのことをよく理解しているのだろう、彼は引き下がらなかった。


「……行かない方がいいのですか?」


 試しにそう尋ねてみると、彼は眠そうな無表情でこちらをじっと見ながらこくりと頷いた。

 何だこの可愛い生き物は……じゃなかった。


「申し訳ございません、殿下のご命令ですので……」


 続いてそう告げるも、ふい、と顔を逸らされてしまう。

 やっぱり可愛いが、問題はそこではない。

 しびれを切らせた様子の王子が、私の左腕の手首を掴んで彼を睨みつける。

 そして私の身体を引っ張ったが、少年はどうにか私の服を掴んだまま踏み留まった。

 彼は王子を正面から見上げ、その迫力のある目つきを無表情のまま受け止める。

 しばし、睨み合うような形になった。

 どちらも一歩も退く気配が無いが、困るのは私だ。

 私はしがない下級貴族の娘に過ぎないので、出来ることは何も無い。

 こうなってしまえば、もう二人の間で決着がつくのを待たなければならないのだ。

 かといってこのまま引っ張り合いで勝負されては、万が一にもドレスが破れてしまうかもしれない。

 まあどちらも裕福だろうから今着ているものよりずっと高級なものを詫びに買ってくれるかもしれないが、それでも初日からそんな恥を晒したくはなかった。

 困り果てる私。

 そんな私に救い船を出してくれたのは、意外な人物だった。


「あ、あの」

「何だ?」


 その大柄な身体から覇気のようなものを発している王子に恐る恐るといった感じで声を掛けたのは、少し離れた場所に退避していたユーフェルだった。

 彼に対し、不機嫌そうに言葉を返す王子。


「サフィーナ嬢は私とこの後買い物に行く予定が」


 やや身を竦ませながらも、少し軽薄そうな印象を受ける少年は王子にそう告げた。

 もちろんそんな予定は無いし約束など一切していないのだが、それが困っていた私への助け船であることは理解できる。

 事態を打開するにはこの機しかない。

 私は掴まれていた左手を王子の大きな手の中から離すと、逆に二人の手首を掴み返す。

 そして、少年の手をドレスから引き剥がし、二人の手を強引に繋がせた。


「この国の将来を担うお二方が喧嘩などなされてはいけませんわ。私のことなど後回しで構いませんので、どうか仲直りなさってください」

「しかし」

「なりません、殿下」


 無言のまま反対側の手で私のドレスを掴もうとしているファルトルウの手を避けながら、抗弁しかけた王子の言葉を封じる。

 こうして名目さえきちんと付けておけば、後から文句を言われることは無いだろう。

 とはいえ、仲良くしてもらわなくては困るのは本音だ。

 私の思惑のためには、この二人の仲が悪いようでは都合がよくない。


「それでは参りましょうか、ユーフェル様」

「う、うん」


 そしてきっかけを作ってくれた少年に声を掛け、私は前方の入り口へと進み教室を後にする。

 あの手で乗り切ること自体は思いついていたが、二人を握手させた後に教室を出る名目が思いつかなかったのだ。

 彼の助け船が無ければ恐らく二人の仲直りに付き合わされることになったと思うので、実にありがたかった。

 何の因果か、今朝教室に赴いた際と同じ五人で教室を後にする。

 軽く振り返り誰も追い駆けてきていないのを確認すると、数本ほど廊下の角を曲がった地点で私達は立ち止まった。


「助け船を出していただき、感謝致します」


 そして隣の彼の方を向き、スカートを掴んで軽く膝を折る。


「大丈夫だよ、サフィーナちゃんのためにやっただけだから。今日はもう部屋に戻って休む? 疲れたでしょ」

「いえ、このまま買い物に参りましょう」

「え、いいの? あれは出任せだったんだけど」


 どうやら心配してくれているらしく、私にそう尋ねてくる少年。

 しかし私が買い物に行くと告げると、彼は驚いた表情を見せた。


「殿下の前でああ言ったのに当の私が部屋で休んでいては、ユーフェル様が怪しまれてしまいますわ。せっかく助け船を出してくださったユーフェル様に迷惑を掛けたくありませんの」

「サフィーナちゃん……!」

「では、このまま参りましょう」


 いずれにせよ、まだ部屋には実家から持参した衣服と書物以外にはほぼ何も無い状態だったのだ。

 アネットと学園にいる従者に言って買ってきてもらおうと思っていたが、まあせっかくの機会なのだし自分で赴くのも一興だろう。

 私個人としても、二百年ぶりの王都を歩き回るのはとても楽しみだ。

 まだ昼下がりなので、日が暮れるまで時間はいくらでもある。

 そんなこんなで、私はユーフェルと一緒に街中で買い物をすることになったのだった。

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