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4. 一虚一実

 あのまま自室に戻り、彼らやその従者が追い掛けてこないうちに手早く外出の準備を済ませた私達は、そのまま門から街中へと出ていた。

 今日はとても天気が良く空には晴れやかな晴天が青々と広がっているためか、視界の先には見渡す限りに建物が立ち並び、多くの人が通りを埋め尽くしている。

 前世で設計図を見たことがある(もちろん極秘の資料だ)私でさえスケールを上手く想像出来ないほどに広大なこの都だが、ただ無造作に街並みが続いている訳ではない。

 元々が王城が中心となるように建造された計画都市なので、中央に近い区域には貴族の邸宅や貴族向けの高級商店が立ち並び、平民が住む地区は外周に配置されているのだ。

 当然ながら、貴族や騎士階級の子供が通うことを前提に設立された学園の敷地も中央部に立地している。

 そのため人の数が多いながらもそれほど雑然とはしておらず、また治安もいいのである程度安心して歩くことが出来た。

 今も、隣を歩く少年が貴族らしく悦に入った見事な作法で手を取り私をエスコートしてくれている。

 異性を口説くために身に付けたのか、とても私と同い年の子供とは思えないほどに洗練された身のこなしだ。

 とはいえ、だからといって護衛もなしに無防備に行動出来る訳はない。

 男であるユーフェルはともかく、女である私なら尚更だ。

 私と傍らの少年が並んで歩くその少し後ろには、護衛としてカルロがついてきていた。

 幼少期から厳しい訓練を重ねてきた彼は、今や並みの成人男性数人が相手ならば一人で勝ててしまうほどの腕利きに成長している。

 その強さは成長を見守ってきた私が誰よりよく知っているので、護衛が彼一人だけでも不安は無かった。

 何より、貴族ばかりが集まっているこの区画で騒ぎが起きればすぐに治安維持の役を担う騎士が飛んでくるので、腕利きのカルロ一人で十分だというのもある。

 アネットは部屋に留守居させているので、私は左隣を歩くユーフェル、数歩後ろを歩くカルロと共に街中を進んでいく。


 中心部だということもあってそれほど騒がしくはなく、ある程度整然としている街並みではあるが、しかしそれでも絶対的に人の数が多いので賑わいは溢れていた。

 当然ながら、学園に入学するために最近王都に来たばかりの私達はどこにどのような店があるのかなど知っていようはずもない。

 正確には私は訪れたことがあるがそれは二百年前の記憶であり、軽く見回してみたが建物や店舗の配置は言うまでもなく当時とは異なっていて役には立たなかった。

 貴族向けの高級商店が立ち並ぶこの辺りの地区には外縁部とは異なり呼び込みをするような店は無いので、私とユーフェルは目当ての店を見逃さないよう辺りを見回しながら歩いていく。

 季節はまだ春先であり気温が高くないので、上空から暖かな日差しが降り注いでいても暑さを感じたりすることはなかった。

 平民はともかく貴族ならばまず文字が読めない者などいないため、この地区の店の入り口には店名などが書かれた看板が置かれており、それを目印に目的の店を探していく私達。

 ひとまず、今目指しているのは食器屋だ。

 衣服と本は大量に持ってきているが、日用品は持ってきていないし部屋にあらかじめ用意されていたりもしないので自分で買い求めなければならない。

 特にスプーンやティーカップなどが無ければ来客をもてなすことが出来ないので、まずそれを見に行くことにしたのだ。

 本来ならば後でアネットを遣わせようと思っていたのだが、成り行きとはいえユーフェルとこうして買い物をすることになったのでついでに自分で商品を見て回ることにしたのだった。

 話を聞いてみたところどうやらこの少年もまだ日用品を購入していないそうなので、ちょうどよかったというのもある。


「あ、あのお店ではないかしら」

「そうみたいだね。それじゃ、早速入ってみようか」


 視界の左側、道の少し先に食器屋らしい大きな店舗が映った。

 傍らの少年にその旨を伝えると、彼は私の手を握ったまま店の方へと足を向ける。

 彼にエスコートされて、私もそれに続いていく。

 通り過ぎた入り口付近にある看板に刻まれていたこの店の屋号は、私のかつての記憶にも残っているものだ。

 二百年の時間が過ぎても、当時の大店は依然としてその組織を保ち今も繁栄を続けているらしい。

 ある意味で歴史に取り残された孤独な存在である私だが、当時と今が繋がった同じ世界であることを改めて実感出来たことが少し嬉しかった。

 そんなことを考えつつも、私は手を引かれつつ高級な絨毯が床に敷かれている店内へと足を踏み入れる。

 さすがは貴族向けの商店というべきか、広い店内には所狭しと棚が並べられ、その上に多種多様な食器やスプーン、ティーカップなどがぎっしりと並べられていた。

 当然ながらその価値も品によって様々であり、貧乏な下級貴族が日常で使うような比較的安価なものから、それこそ公爵家や侯爵家などの高位貴族にしか手が出せないような美しい意匠の最高級のものまでが商品として売られている。

 私達の後ろに従っている従者であるカルロは言うに及ばず、隣を歩いているユーフェルも緊張しているようだ。

 握られた手に伝わる力が、少し強くなったのを感じた。

 まあ、緊張を覚えるのも無理はないだろう。

 下位貴族向けの安価なものならばともかく、高位貴族向けの高級食器ともなればそれ一つで私やユーフェルの実家の財布など吹き飛んでしまうような価格が付けられている。

 前世の私は侯爵家の生まれだったので特にそんな恐れは無かったのだが、今は万が一にも誤って割ったりしてしまえばそれだけで実家が破産しかねないのだ。

 私自身も、思わず少し息が詰まってしまうのを感じていた。

 とはいえ、高級なものほど店の奥の方に陳列されているので、そちらの方に近付かなければ特に危険は無いだろう。

 言うまでもなく私達には高いものなど買えるはずもないので、入り口に近い下位貴族向けの商品が並べられた区画を物色していく。

 周囲を見てみると、どうやら同じ目的で来ているらしい人々の姿がちらほらと垣間見えた。

 多くは主に遣わされてきたらしい使用人達だが、稀に護衛を伴った貴族と思わしき同年代の少年や少女の姿もある。

 食器は客人のもてなしに単に用いるだけでなく、自分が息抜きに茶を飲んだり菓子を食べたりする際にも使用するものだ。

 日常的に手にすることになる使用頻度が高いものなので、好みに合わせて自らの目で選びたい人間も多いのだろう。

 こういった店内で商品と無関係に話し込むのは貴族としての礼法に反するので、擦れ違い様に軽く会釈をする程度で特に互いに言葉を交わしたりすることはなかったが。

 まあ、本格的に学園生活が始まればいずれ会話を交わす機会もあるはずだ。


「いろいろ並んでるけど、どれも素敵だね」

「そうですわね」


 この店で売っているものは皿からティーカップやティースプーンに至るまで多岐に及ぶが、しかし決して各々が別々に陳列されている訳ではない。

 それらは通常一揃えの組として職人により作られ、同じ意匠が描かれたそれらは販売時においてもセットで売られている。

 いずれにせよ使用時には食器類の組み合わせを同じ柄で揃える必要があるのだから当然だろう。

 私と並んで様々なセットを見て回りながら、感嘆の言葉を口にするユーフェル。

 たとえ日常的に使用する食器であっても、貴族用のそれは単なる日用品ではない。

 上級貴族向けの高級品であろうと下級貴族向けの安物であろうと、その一つ一つが一種の芸術品として作られているのだ。

 単に本来の機能に留まらず繊細な装飾や柄で使用者の目をも楽しませてくれるそれは、どれもがとても美しかった。

 彼が感嘆するのも不思議はない。


「でも、一番素敵なのはサフィーナちゃんだけどね」


 しかしユーフェルはこちらに顔を向けると、続けてそんな言葉を口にする。

 やはり口説き文句を考えるのは得意らしい。

 このような、相手が美形と見るや身分や爵位を問わず声を掛けまくる貴族は、私がかつて生きていた二百年前にもたまにいたのをふと思い出す。

 少年が私に目を付けたのはどうせ王子が私のおかしな二つ名を広めたからに過ぎないだろうことは想像に難くないので、適当にあしらっておくことにした。


「もう、ユーフェル様は世辞がお上手ですのね」


 私がそう返すと、彼は少し残念そうな表情を整った容貌に浮かべさせる。

 恐らく、このようにあしらわれた経験など彼には今まで無かったのだろう。

 とはいえ、生憎と私はこの少年の口説き文句に乗ってやるつもりなど無いし、また彼自身にとってもいい経験になるはずだ。

 このことを糧に優秀な人間に成長してくれたらいいなと思いつつ、私はそのことに関する思考を打ち切って商品を眺める作業に戻る。

 ユーフェルは自らのアプローチが失敗したのを悟ったのか、それ以降特に口説き文句のような言葉を発することは無かった。

 彼もまた、とりあえず自らの必要な品を選ぶ作業に戻ったらしい。

 三人で適当に足を動かしつつ辺りを見回していると、私はある一揃いのセットに目を止める。

 苺をメインモチーフにしたシックな柄が赤い色彩で描かれたそれは上品さと可愛さを両立させていて、眺めていると不思議とどこか惹きつけられる。

 ちらりと目線を動かして確認してみると、下級貴族向けの商品の棚に置かれているものなので当然ではあるが価格はそれほど高くなく、十分に私費で購入が可能な金額だった。

 一目惚れというものだろうか、それを見て即座に心を決めた私は、傍らを歩く少年に声を掛ける。


「私は、あれに致しますわ」


 言うまでもないことだが、貴族の女は言葉で指し示す対象を指差したり腕で指したりといった行為はしない。

 私より幾許か背が高い少年にもはっきりと対象が分かるように視線を固定しつつ言葉を発する。


「あの苺柄の?」

「ええ。とても素敵だと思いましたの」

「そうだね。僕もサフィーナちゃんにとても似合ってると思うよ。―――そこの君、こちらに来てくれ」


 彼は一言私に告げると、そのまま明後日の方向を振り向き少し離れた位置を歩いていた店員に声を掛けた。

 貴族やその使いは、あまり金銭を外に持ち出さないし買い物をしても平民のようにその場で支払いを済ませて商品を受け取ったりすることは無い。

 店員に家名と欲しい商品を伝えておくと数日中には家までそれが届けられるので、そこで代金を支払って現物を受け取るのだ。

 少し離れたところで話しているのでやり取りの内容は聞き取れないが、きっとその手続きを済ませているのだろう。

 このような大店ともなれば、そういったシステムがきちんと構築されていることがほとんどだった。

 恐らくは、明日にはあのセットは学園まで届けられるはずだ。

 そして、会話を終えたユーフェルがこちらに戻ってくる。


「注文しておいたよ。明日には届くってさ」

「ありがとうございます。ですが、ユーフェル様の分はよろしかったのですか?」

「ああ、自分の分もちゃんと注文しておいたから大丈夫だよ。気にしてくれるなんて、サフィーナちゃんは優しいね」


 彼自身の分の買い物はどうしたのかと疑問に思ったので尋ねてみたが、どうやら彼は先に物色を終えていたらしい。

 それでも何も言わずに私の見繕いに最後まで付き合ってくれた辺り、チャラい……女の扱いに長けているだけはあるようだった。

 少しだけ、私の中でのユーフェルの評価を上げておくことにする。


「さて、それじゃ次に参りましょう、お嬢様」


 そんな私に、彼がどこか芝居がかった美しく流麗な仕草で腰を折ると手をこちらへ差し出した。

 その手を取り、私達三人は食器屋を後にしたのだった。


 食器屋の店舗より外に出て、かなり広く作られている通りの中央付近を歩いていく私達。

 前世の記憶と経験を持っている私は貴族としての作法を既に身につけ終えているし、ユーフェルはその気性故かやたらと女性の扱いが上手い。

 まあ所々動きが拙いところもあるのだが、それでも雰囲気と細やかな仕草で上手くフォローして見せている。

 結果として私達は、見かけ上の年齢とは似つかないまるで壮年の夫婦のような様子で街中を歩くことになった。

 王都の中心に近いこの地区を歩いているのは貴族や騎士階級に属する人々と、そしてそれに仕える従者達だ。

 当然彼らは作法の良し悪しをある程度判別することが出来るので、必然的に私とユーフェルは周囲の人々からの注目を集めてしまうことになる。

 近くをすれ違う高級そうな衣服を身に着けた貴族と思わしき人々の多くはこちらに興味を向けている様子であるし、通りの端近くを進む従者であろう人々も私達に視線を向けているのが分かった。


 雲一つ無い昼下がりの青空はまだ澄んだように鮮やかな色をしており、しかし春先であるために豪奢なドレスを纏っていてなお暑さは微塵も感じずに心地よさを覚える。

 私は少年に握られているのとは反対の手で懐から機械式時計を取り出し、時刻を確認する。

 まだそれほど時間は過ぎておらず、夜に催されるらしい入学祝いのパーティーまでは十分に余裕があった。

 これならば、もうしばらく様々な店を見て回る時間があるだろう。

 衣服に関しては実家から持参した分だけで当面は困らないが、来客があった際にきちんと迎えるためにも茶葉と茶菓子の材料は部屋に揃えておかなければならない。

 せっかくの機会なので、それらも自らの手で選んでしまおうか。

 そう考えながら歩いていると、ふと耳に小さく悲鳴のようなものが届いた気がした。


「……?」

「どうかしたの? サフィーナちゃん」

「いえ、誰かの悲鳴のようなものが聞こえたような気がしたのですが……」


 どこかから聞こえたまだ若い少女のものと思わしき悲鳴を耳にし、私はその場に足を止める。

 怪訝そうに尋ねてきたユーフェルに対し、適当に言葉を返す。

 周囲を歩いている他の通行人を見回してみるが、特に誰も反応を示している様子はなかった。

 だが、聞き間違えだとは思わない。

 然程大きなものではなかったので雑踏にかき消されて聞こえなかったか、あるいは聞こえはしたもののこの周囲で起きていることだとは思っていないのだろう。

 普通の貴族は騎士団の巡回があり厳密に治安が守られている表通りしか歩かず、巡回が行き届かずそれなりに事件なども起こっている裏通りになど入らないので、王都の中心部であるこの地区では犯罪など起きないと常識のように思っている者がほとんどである。

 つまり先程の悲鳴も、もっと外、平民達が住む地区から届いたものだと思った者が大半だったのだと想像出来た。

 同じ貴族階級の人間が相手ならともかく、平民が事件に巻き込まれているのを積極的に助けようとするような貴族は多くはない。

 良くも悪くも、それが貴族というものだ。

 聞こえ方からしてここからそう遠いとは思えなかったので、恐らく場所は裏通りだろう。

 少女、裏通り、そして悲鳴。

 私とて女だ、これらの要素から起きていることは容易に想像出来る。

 私は前世の期間も含めればそれなりに長くこの国で貴族をやっているものの、元はといえば日本で平民をやっていた身であるし、何より思い出したくはないがそういったことには少し思うところがあるので無視して通り過ぎることは出来そうにはなかった。

 助けに行こう。

 傍らのユーフェルと後ろのカルロを置き去りに、そう決めた私は右手にあった裏路地へと飛び込んでそのまま走り出す。


「サフィーナちゃん!」

「お嬢様!?」


 背後から二人の声が聞こえたが、私は立ち止まらない。

 もう十三歳になっておりそれなりの運動能力はあるため、まだ体力がそれほど無いながらも表通りとは全く雰囲気の違う入り組んだ裏路地をひた走る。

 ユーフェルはどうか知らないが、カルロは今のような強さを得てからも厳しい訓練を積み重ねているため、自室でたまにこっそりと身体を鍛えている程度の私などよりもずっと身体能力は高い。

 にもかかわらず、彼らはすぐには私に追いついてくる気配は無かった。

 裏通りの構造は整備された表通りとは異なり複雑であり、かつ私の従者として始めて王都に来たばかりのカルロが道を知っているはずもない。

 私は前世の記憶で裏路地の構造も頭の中に入っているので、きっとそのせいだろう。

 走りながら数えるのは面倒なので特に数えてはいないが、何本もの角を曲がり声がした方向へとしばらく走ると、路地の突き当たりへと出た。

 その奥には突き当たりの壁を背にした黒を基調にした絢爛なドレスを纏ったひどく怯えた様子の少女と、そして平民らしい身なりをしてこちらに背を向けた二人の男。

 これがどのような状況なのかは、およそ考えるまでもないだろう。

 さあ、どうやって助けようか。


「た、助け……!」


 だがその時、私の姿に気付いたらしい少女が恐怖に震えた声で少しかすれた叫び声をこちらへと口にした。

 それに反応してこちらを振り返った男達が、私の姿をはっきりと視認する。

 つまり、これから取る行動を少しでも間違えれば、私までひどい目に遭うことになるかもしれない。

 まだ距離は離れているので、自分の身の安全を考えるならばこのまま全力で走ってこの場から離れてしまえばまず追いつかれないので本来はそれが最善手なのだろうが、この光景を目にして助けまで求められては見捨てられそうにもない。

 仕方がない、今の私がこの場で出来る最善手を尽くそう。


「お嬢ちゃんも貴族か? 二人もモノに出来るとは、今日はついてるな」

「だな。ほら、こっちにおいで。怖くないですよー……なんてな。ははは」


 互いに品の無い会話を交わしつつ、片方の男が妙な猫撫で声を発しながらこちらに近付いてくる。

 私を捕まえる役は一人で十分なので、もう一方の少女がその間に逃げ出さないように見張っておこうというのだろう。

 男は刃物を身体のどこかに所持してはいるようだが、手にはしていない。

 大方、ポケットか懐にでも入れてあるのだろう。

 とはいえ、刃物を手にしていなくとも大人の男を相手にただの令嬢である私が出来ることはほとんど無い。

 せいぜいが、出来る限り注意を引いて少女がひどい目に遭わないようにするくらいだ。

 出来ればそのまま逃がしてあげたいところだが、余程の恐怖を覚えているのか少女はその場で身体を震わせていてとても走り出してくれそうにもない。


「お嬢様!」


 後退し続けるしか方法が無いが、あまり少女から離れすぎては陽動が意味を成さなくなってしまう。

 どうしたものかと私が苦心していると、ようやくカルロとユーフェルが追いついてきた。

 私の近くで足を止めた二人の様子は対照的だ。

 常日頃から厳しい訓練を積んでいるカルロは息一つ乱していないが、その背中を追い駆けたらしいユーフェルは息も絶え絶えといった様子で大きく肩を上下させている。

 身のこなしなどと合わせて観察するに、どうやら身体は大して鍛えられていないらしい。

 大丈夫かと聞きたくなるくらいに荒い呼吸が聞こえてきていて歩くのさえ辛そうだが、悪いが今は彼の体力を心配してはいられない。

 この場には敵が二人もいるのだ。


「カルロ、あの子を助けて」

「お嬢様の御心のままに!」


 私がカルロにそう伝えると、彼は腰に佩いた鞘から剣を引き抜きながら石畳を蹴って地面を疾駆する。

 そしてその勢いのままに斬り掛かると、軽快な動きですれ違いざまに右腕を一閃して男の身体を両断した。

 しかしなおも彼の足は止まらず、数十メートルほどの距離を一瞬で縮めると残っているもう一人の男に攻撃を仕掛ける。

 素手だった男は慌てて懐から刃物を取り出すが、時既に遅し。

 専門的な訓練を受けていない者が、今のカルロに敵うはずがない。

 男は一撃目こそぎりぎりでどうにかかわしたものの、体勢が崩れたところに追撃を受けてあっさりと血の海に沈んだ。

 一方的な結果で戦闘を終えたカルロは赤く濡れた刀身を鞘に納めると、そのままこちらへと身を翻す。

 そして、私の目前まで来るとその場に跪いた。


「ご無事であられますか?」


 別に貴族と侍従は王族と臣下のような関係ではないので、主人の方を見るのに特に許可は必要無い。

 カルロはすっかり凛々しくなった顔つきに心配げな表情を浮かべさせ、こちらを上目遣いで見上げてくる。


「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」


 笑顔を浮かべて私は彼に言葉を返す。

 目の前の少年を安心させるためというのもあるが、この場には襲われかけて怯えている少女がいる。

 唯一の同性である私が笑顔でいなくては、彼女の気が休まらないだろう。

 別に女の子を慰めることに関してはユーフェルも適任なのだろうが、彼に任せると途中から口説き始めるのは目に見えているので任せるのはやめておく。

 私はカルロをその場に残したまま歩を進め、少女の元へと近付く。


「お怪我はありませんか?」


 そして、顔を近付けて声を掛ける。

 だが答える余裕も無いらしく、少女は顔色を真っ青にさせて、今なおがたがたと小刻みに身体を震わせている。

 無理もない、まだ年端もいかぬ貴族の令嬢がこのような目に遭えば。

 目の前の小さな身体を、私はそっと抱き締めた。

 それによって、彼女の震えが私の身体にも伝わってくる。

 そのまま背中を撫で、私は彼女が落ち着くまで少しの間そのままの体勢でいた。

 しばらくして震えが止まった頃合いを見計らって、そっと身体を離す。


「……あ、あの」


 すると少女が弱々しげながらも口を開き、言葉を発した。


「セリーヌ・モンテルランと申します。此度はお助けいただき、感謝の言葉も見つかりません……」

「申し遅れました。私はオーロヴィア子爵家が長女、サフィーナ・オーロヴィアと申します。セリーヌ様がご無事で何よりですわ」


 互いに自己紹介を交わす。

 モンテルラン……確か、西の方にある子爵家だっただろうか。

 きっと、私と同じく学園に入るために王都に来たのだろう。

 貴族の令嬢であるこの子が、侍従も伴わず一人でこのような場所にいることなど常識的に考えてまずあり得ない。

 つまり、この出来事は高い確率で何者かの仕組んだ陰謀だということだ。

 もしかしたらこの子付きの侍従が裏切っている可能性さえある。

 まあ侍従が相手ならば私も力になってあげられるが、もしかして両親が黒幕だったりしたなら私一人ではどうしようもない。

 爵位が同格であるだけに実家の力でもどうしようもないので、その時はそれこそ王子かファルトルウにでも泣きつくしかないだろうな。

 現在のモンテルラン子爵家の内情を知らないので断言は出来ないにせよ、その可能性は極めて少ないとは思うが。

 とはいえ、その辺りの詮索については後回しにしよう。

 いくらカルロがいてくれているとはいえいつまでも裏通りにいるのは無用心なので、早くこの場を離れて事件の心配の無い表通りに向かうべきだ。

 話は、自室で茶を飲み交わしながらでも聞けばいい。


「もう歩けますか? セリーヌ様」

「はい……ご心配ありがとうございます」

「では、表通りに参りましょう。ここにいては危険ですわ」


 どうやらもう大丈夫なようなので、私は少女を促す。

 少女が私の陰に半ば隠れるようにしながらも足を進め始めると、私達もそれと共に移動を開始する。

 そうして四人は、カルロに守られながら薄暗い路地裏を後にしたのだった。

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