妹と弟
カレーのグツグツとした音を聞きながら程なくして、今度は炊飯器から軽快な音楽が鳴る。
ご飯が炊けた合図だ。
カレーのみではどうしても味気ないと思ったので、カレーが煮立つまでの十数分でサラダと味噌汁も作っておいた。もちろん花宮も手伝ってくれた。
一度危なかったのは、味噌汁に味噌を入れる場面だ。俺が味噌を入れるよう頼んだはいいものの、少し目を離した隙に、花宮が取った味噌の量は驚くほど大雑把だった。危うく塩分過多の味噌汁を完成させるところで、慌てて止めなければぶっ倒れる羽目になっていたかもしれない。
そんなハプニングはあったものの、美味しそうな夕飯が完成した。
俺は棚から二人分の皿を取り出し、カレーを盛り付けるため花宮へ手渡す。
カレーはよそいたいと花宮本人が言い出したので、そこは任せることにした。
なら俺は、サラダを取り分けて、味噌汁をよそうことにしようか。
テーブルに並べ、ようやく晩御飯が完成だ。
「それじゃあ、いただきましょうか」
「うん、お疲れ様だよ~」
いつも通り、二人揃って手を合わせる。
「「いただきます」」
早速、俺たちはカレーに手を付ける。
スプーンで掬うと、ほどよくとろみがあり、丁度いい具合に仕上がっている。
花宮はどうやら猫舌のようで、スプーンに乗せたカレーへ何度も息を吹き掛けて冷ましていた。
「うん、美味し!」
「辛い……」
俺と花宮の感想は、見事に正反対だった。
もちろん美味しくはあるのだが、俺にとっては中辛といえど十分辛い。
「辛いの苦手なの?」
「あー、まあ、そうですね」
「じゃあ、なんで甘口にしなかったの?」
恥ずかしいから――そう答える方が、よほど恥ずかしいことは明白だ。
しょうもない見栄を張った結果がこれか……情けない。
「へ~、辛いの苦手なんだ? 見栄でも張っちゃった?」
表情に出したつもりはなかったのに、あっさり見抜かれてしまった。
そのニマニマとした、からかうような笑みは勘弁してほしい。
「君……可愛いとこあるんだね」
二口目を口へ運んだところで飛んできた爆弾発言。
あまりにも突然だったせいで、思わずカレーを喉に詰まらせかける。
「わ、大丈夫? これ、お水」
心配そうに覗き込まれても、原因は花宮の発言にあるのだが。
水は素直にありがたいから受け取るけど……。
「ふぅ……」
なんとか水で辛さを流しきり、ようやく一息つく。
「次カレー作るときは甘口にしようね~」
「それ、俺のこと子供扱いしてるでしょう?」
「さあ? どうだろうねぇ」
ふふふっ、と笑う花宮に、このまましてやったりという顔をさせておくのは、俺のプライドが許さない。
「……それならそっちこそ、語尾忘れてませんか?」
「なっ……」
スーパーでは人前だったことに加え、トラブルもあったため遠慮していたが、もういいだろう。
罰ゲームを提案したのは花宮の方なのだ。今度はそちらが羞恥に悶える番である。
「ぐぬぬ、君って結構ドSだよね? ……にゃ」
そんなことはない。
俺はいたってノーマルだ。叩いて喜ぶ趣味はなければ、罵って喜ぶ趣味もない。
「まあいいにゃ。今日のところはいいようにされとくよ、にゃ」
さっきまでとは打って変わって、今度は恨みがましげに唸っている。
ちょっと遊び過ぎたな。
「今日はもう語尾戻してもいいと思いますよ。十分罰ゲームにはなったはずですし」
「そ、そう? そっか。ありがと」
自分で始めたことなのに、感謝を述べている。
ホントに面白い人だな。
そんなことを考えているうちに、沈黙が流れる。
しかし、その沈黙は苦ではなく、むしろ心地よいとさえ感じるのが不思議だ。
「もうすぐ一年が終わるね」
「そうですね」
十二月二十六日の今日。文字通り、もういくつ寝るとお正月だ。
十二月に入ってから何度も思ったことだが、一年はとても早く過ぎ去ったように感じる。
またしても訪れる沈黙に――沈黙が長いので、何とはなしに花宮へ視線を向ける。
目が合った。
彼女は今、何を考えているのだろう。
不思議と吸い込まれそうになる彼女の瞳から、俺は目を逸らせなかった。
「花宮さんって、俺のことどう思ってます?」
――なんて。
口にした後になって、自分が何を言ったのか気付くくらいには頭がおかしかった。
これではまるで、「あなたに好意があります」と伝えているようなもので、どう考えても失言だ。
「あ……」
俺が弁明する前に、彼女がふいに身じろぎしたものだから、出かけていた言葉は喉元でつかえ、そのまま呑み込まれる。
スッと伸ばされた花宮の右手が、俺の頭を撫でた。
前回のように腕で表情は隠れていない。
そこに浮かんでいたのは、柔和な笑み。
優しく湛えられたその表情から、またしても俺は目を離せなくなる。
なんだか無性にドキドキする。
頬が熱を帯びていくのが分かった。
髪を優しく梳くように触れる手が心地いい。
花宮って、人の髪を触るのが好きなのか?
「……髪、サラサラふわふわで、わんちゃんみたい」
……。
俺の頬は、羞恥でさらに赤くなった。
目を閉じて耐えるのだ。
深呼吸をし、目を開ける。
そうすれば羞恥心はどこかへ消え、いつも通り花宮と向き合うことができる。
何を考えてるんだ? 本当に。……俺も、花宮も。
「冗談はさておき、君のことをどう思ってるか~……なに? 告白とかしてくれるの?」
「こっ……!」
「冗談だって~」
面白そうに笑う花宮は、俺の羞恥心なんて気にも留めていないのだろう。
それが無性に腹立たしい。
他人をいじるのが好きな彼女らしいが、いちいちドキドキしてしまう俺が情けなくてならない。
「ん~……多分、一番身近な異性だからな~……弟?」
…………。
そうか、弟か。
残念なようで、一番身近な異性と言われたことを嬉しく思う自分もいる。
止めよう。
何かに期待する自分を強引に押し込み、心の奥へ封じ込めるのだ。
「姉……」
ついて出た言葉に、花宮は訝しむ。
「ん? どうしたの?」
「いや、別に」
「えー、気になるでしょ」
「なんでもありませんって!」
「本当は……?」
「はあ……姉がいるって、どんな感じなんだろうなって思っただけですよ」
「キミ、きょうだいとかいないの?」
「一人っ子ですよ」
「へえ、私はお姉ちゃんいるよ! 今住んでるところも、お姉ちゃんから引き継いだところだからね!」
知らなかったな。
いや、でも確かに。
「言われてみると、妹っぽい」
「あ! やっぱりバカにしてるでしょ。私はキミのお姉ちゃんになるからいいもん!」
……?
何を言ってるんだ?
同級生に対してする発言ではない。
鼻息を荒くしながら腰に手を当て、ふんぞり返るような姿勢を取る人を姉だとは思いたくないが。
「そうだ! 今度の罰ゲームは、負けた方が下ね! 『お姉ちゃん』って言わせるぞっ!」
一人で盛り上がっているところ悪いが、何を言ってるんだ?
なんだか収拾がつかなくなってきた。
そんな気がするのは、気のせいではないはずだ。
まあ、楽しそうにしているのだから、変に落ち込ませるようなことを言う必要もない。
「よし! ゲームしよっ! 人生ゲームじゃ負けちゃったけど、モモテツはわからないよ!」
話がトントン拍子に進んでいく。
そもそも俺はモモテツなんて持ってないし……。
まさか買ったのか!?
すっくと立ちあがった花宮は、自慢げにショルダーバッグからモモテツのパッケージを取り出してきた。
不敵な笑みを浮かべている。
勝負という名がつく以上、負けるつもりは毛頭ない。
だが、俺の家にモモテツがないということは、つまりやったことがないということだ。
完全初見プレイである。
それでも、そのくらいのハンデを背負ってなお勝つ方が、一番気持ちいいのではなかろうか!
本日の最終戦が幕を上げた。




