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Still Green  作者: 匡成 深夜
ミライのために
2/11

ミライのために

「卒業式が終わったら何とか抜ける、部活棟の桜の木がある辺りで会えないか」

朝、正午からメールがあった。最後のリボンを結ぶ鏡の向こうの私は眠っている間に泣いたらしく目を腫らしていた。気付かれないように施した化粧で上手く隠せているか睨みつけるように確認していた。背の低い小物入れの上に置かれたフェルト製の白いクマが穏やかな笑みで私にエールを送っている。私は親に返事する時のようにただ、「了解」とだけ淡泊に返した。終わる恋に絵文字も顔文字も似合わないと思った。

 

 最後なんだ。自然に消えていくよりはこの方が良い。特別、最後の日に何かしようとは決めていない。不意にでも会ってしまえば同じことになったと思うけれど正午が早めにメールをくれたことで少なくとも卒業式の間に覚悟を決められる。いやそうしておかなければいけない。会うと決まった以上、見苦しく別れたくない。


 友達の誰かに見つかったってもう2人でいる所を目撃されることはない。もしそうなったとしても1ヵ月後には正午は遠くにいる。正午に累が及ぶことはないはずだった。私の瞳に正午のすべてを焼き付けておけるなら冷やかしの1つや2つ喜んで受けようじゃないか。

「行って来るね、さいちゃん」

 私の恋の一部始終を欠かさず見守ってくれたクマに声をかけた。


「車に気をつけるのよ」 

 母の少し間延びした口調が後ろから聞こえた。は~い、と答えるけれど、どうしても投げやりになってしまう。けだるく玄関を開けながら気のない返事を返す。家族だからじゃなく、私はきっと今日が訪れてしまったことが憂鬱ゆううつなのだ。


 母は去年の秋からおばあちゃんの世話をしに、実家である名古屋へ一時引っ越していた。半分単身赴任みたいな形で母1人だけが移り住んだのだ。高校を卒業した年の瀬には亡くなったけれど、この時は玄関の上がり框に足首を引っかけて転んで以来寝付いて、風邪もひきやすくなっていた。そういう時は入退院を繰り返した。


「1日でも置いてくれるだけまだ良い方なのよ」


そう言う母が横浜の父の、嫁ぎ先の家に思い切って帰って来られるのはそういう時しかなくなっていた。気を抜ける一方で、自分の母親が老衰し、死へと着実に向かっているということを否応なく痛感させられるのだと、母は思わずため込んだ息を深く吐いた。私は「何もしてない貴女がよく言えるわね」と言われそうで、「大変だね」とも「少し休んだら?」とも言えなかった。


 外に出れば、田の字がエビ反りしたような住宅街が映る。「あっ、ミカちゃん。おはよ~」と、家の前で箒をかける近所のおばさんの笑顔が眩しい。訳もなく、このおばさんが今日起こる私の不幸を楽しんでいるような黒い想像が湧いて首を振ってそれを打ち消した。


 学校に行けば、友達の小宮芙美子に会える。細田未来ミクルに会える。何より正午に会える。そう思えばこのキツい上り坂もなんてことなかったのに今日は足にくる。何せ正午はここを卒業し、来月には高知へと旅立っていくのだ。

 まだ2年だ。でも将来に悩んでる時間もそんなにはない。


 芙美子は桐蔭大学の法学部に決めたらしい。正午が最初行くはずだった大学だ。そのままそこに進学してくれれば、私たちは別れることはなかったのに。どんなに嘆いても後の祭り。


 未来は「花嫁さんに笑顔になってもらえる仕事がしたい」とブライダルの世界に憧れていた。1年の頃から言っていた気がする。「岡本君」と出会ってこの仕事を目指すようになったそうだ。プランナーとブライダル専門のメイクアップアーティストで悩んでいたけれど、プランナーに落ち着いた。


 高校の頃は岡本君を知らなかったけれど、未来が結婚してから初めて会った彼は、少し真面目さが出過ぎているような気もしたけれど、笑うと柔らかな雰囲気のある人だった。「なかなかできなくてね」なんて、相手の男性さえいない私に未来が振ってくる赤ちゃんの話も今は穏やかに聞けるようになった。


私は、今は歯科助手で怠慢な生活を送っているけれど、私はその頃、おばあちゃんが倒れた時病院で甲斐甲斐しく世話してくれた看護師さんを見てナースの世界に憧れはじめていた。大きく道を外したわけじゃないけれど、時々これで良かったのかな、と不安になる。


正午と別れることになって、ヘタレだった私自身頼られる人になりたいと思ったのは嘘じゃないけれど、医療の世界を知れば知るほど、どこもかしこも火の車で儲け主義に走るクセがある医療や福祉の世界で、あの看護師さんは稀有な存在なんだと後で気が付いた。

 そうなれば見事に「フ・ミ・カ三姉妹」は別々の道を行くこととなる。まだ学校生活は1年以上あるといっても、それを思うと何となく寂しい。芙美子は社会福祉部だったし、未来はボウリング部。私は帰宅部で、社会福祉部は地域委員会と一緒に地域の中へ出かけることが多くて見学できないから、上大岡までのバス代とボウリング場の使用料を払ってでも未来が練習している通称「アカフ」ボウリング場へ覗きに行くか、正午か凜乃のどちらかに会うかだった。


 正午と付き合うようになった決定打は1年の時に正午の所属していたバスケット部の見学に行った時。きっとその時点で何か予感するものがあったんだと思う。フミカ三姉妹は未来が名付け親だけど、ミカとフミは本当の名前に近いのに、「私の字はミしか入ってない」と後になって文句を言った。


未来は少し背が大きい。今年の17才女子の平均身長より高い167センチだ。芙美子が158センチ、私が161センチと3人の中では一番大きい。10年後の今も変わらない。未来は「大きいは大きいで大変なこともあるんだよ」と鼻白むけれど、そのたび「小さい方が肩身が狭い」といつも芙美子にツッコみを受けている。

そんな大きな未来にも関わらず、ボールを投げるフォームは滑らかで、それでいて力強くレーンを滑って行くのが未来の選手としてのストロングポイントだった。高校生だけのボウリング選手権で優勝こそできなかったけど団体の決勝に残ったほどだ。他の部員2人も上手だけれど、未来はストライクかスペアが当たり前で、ほとんど取りこぼしがない。常に笑みを欠かさず両方の口角をあげている。

8・2のななめ分けの前髪が可愛い。丸みをつけている所がいかにも女の子らしくて私は好きだ。未来曰く「AKBカット」だったそうだ。多分それっぽくなるという意味だと思う。

いつも2回は必ず小刻みに頷くからそのたび前髪がおどるし、右耳が髪の間から覗いていて何かに集中すると耳にかかる髪を避ける癖もある。そして口元をムニッと噤んでまたペンを走らせる姿なんか男子ウケしてたんだろうなと思う。それが昔流行った「へとへとぱんだ」の落書きであることを私は知っていたからキュンとなる事はなかったけれど。


芙美子は、フミコ三姉妹の長女みたいな感じ。私たちの進路や恋の相談役をすることが多い。

もちろん私も正午とぶつかった時、何度か話を聞いてもらったことがある。

ある時、同じ相手に恋するライバルから相談されたことがあった。芙美子その時いたずら心が働いて優しい笑みで「アイツ、リラックス・べアが好きなんだって。可愛いとこあるよね」と嘘を教えてやった、なんてちょっとブラックな部分もある。

「駆け引きと言って欲しいわね」と平気で言う芙美子は胸の前で腕を組む。芙美子の癖だ。

「フミちゃん、私たちに偽情報とか教えてないよね。てか、私たちのハッピーメイク、誰かにリークしてないよね」

ハッピーメイクというのは未来が時々使う、プライベートや秘密を意味する言葉だ。未来が使っている日記帳に由来しているらしかった。今でも使っているかは知らないけれど、最近では、意図しない所で岡本君の話になると、時々ぽろっと出るくらいだ。


未来が不安そうに祈りのポーズをした。ちょこんと覗く耳が可愛くて甘噛みしてみたくなる。

私は未来の耳に触れるのが好きだった。もちろん正午に対する愛情とは違う種類のものだけど、その耳だけは愛したくて仕方がなかった。式の後に控える正午との別れに対して、モヤモヤする胸の内のぎこちなさを和らげたかったのかもしれない。

芙美子は何がハッピーメイクだ、と毒吐いた後、

「あんた達にはガセは流してないし、個人情報もリークしてないから安心して」と言った。ということは少なからず誰かにガセネタを振っているわけでどこまで信じていいのか時々不安になる。3人の中で一番背が低いことについては「私の栄養は、妹たちに行ってるのよ」と2人の妹をダシに正当化し、座っていれば視線が低くてもおかしくないと、教室内では自分の席じゃなくても誰かしらの席にふんぞり返っていた。


3月のこの辺りは晴れれば、オレンジがかった黄色に感じられる。下り坂の途中の木が青々と揺らめいている。その柔らかな動きに心和むのを感じながらフミカ三姉妹と正午の将来を占った。在校生である私たちは早めに体育館に向かう。

式が始まると、後方の席から真ん中の通路を歩く卒業生を見守る。正午のしっかりした背中を湿っぽくならずに見ていられるかな。今日恋人ではなくなる彼がこちらに目配せしてきたらどうしようか。飾り気のない紺色の制服の胸がつぶれそうになった。

格闘家を思わせるイカリ肩をした大塚という男の先生が登壇して、名前を呼んでいく。人数が多くて全員には手渡しできないから、各コースで代表の卒業生に授与する。うちの学校は科じゃなくてコースと呼ぶ。4コース4人が登壇する。

「情報処理コース 代表 村田 正午」

と呼ばれた時、心臓を鷲掴みにされたかのように胸が詰まった。まだ涙は大丈夫そうだ。それなのに前を直視したままの芙美子に「泣くな」と言われると、何だか目頭が熱くなっているような気がした。やっぱり私はまだ正午が好きだった。 


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