第一章 時空を超えて・・・⑤
今から80年ほど前、太平洋戦争の終戦直前に、友也の曽祖父にあたる和正が亡くなった。
爺っちゃんの父親である。
これは紛れもない歴史上の事実だ。
だが、異変が起きた。
なんと曽祖父の和正が、予期せず死んでしまったのである。
1943年——実際の死亡日より2年も前に!
時空管理局から連絡を受け、優翔は大いに驚いた。
同時に歴史の変転を危惧した。
そして自らタイムリープし、事態の収拾を図ろうと決意した。
もちろんこの手の事件は、担当である時空管理局が動く。
だが自分の血族の一大事なのである。
人任せには出来なかった。
そこで時空管理局に掛け合って、幽体のみをリープさせることで承認を得たのだった。
『せやからな、こないしてタイムリープして来てん』
「ちょっと待って! ごめん、質問していいかな」
『なに?』
「この事件って、歴史が変わるやつ?」
『そう、やな』
「どう変わるの? ひょっとして、子孫の俺たちがいなくなっちゃうとか……」
『よう分かれへんし』
「へ?」
『そもそも何故死んだんか、原因が分かってへん。せやからどう変わるのかも分かれへん。歴史自体が意図したもんなら僕たちは抹消されるやろうし、突発事故なら何らかの修復をしてくると思うわ』
「……って、どういうこと?」
『事故自体を無かったことにするか、その後の歴史を塗り変えてまうか——それが分かれへんから行くんやん』
友也は頭をフル回転させて理解に努めた。
この子は、いやこの博士はいったい何を言おうとしているのか、何をやろうとしているのか——だが悲しいかな、友也の思考の範疇を遥かに超えることだった。
「正直、よく理解出来てないんだけど、さ……でも一番の疑問は、なんで君がここに来たのかってこと。事件の起きた時代じゃなくて、なんでこの時代に?」
『ええとこ突いてきたなぁ。なんでこの時代に来たんか——それは友也に会うためやで!』
「へ?」
『一緒に来て欲しいねん』
「どこへ?」
『決まっとるやん、昭和18年や。1943年、僕たちの祖先が死んでもうた時代にや』
「どうして?」
『幽体の僕一人やと行動に制限があるからやん。実際にその世界で動ける人が欲しいんや』
「そんなの現地調達すればいいじゃん。チャトみたいに」
『出来たらそうしたいんやけどな、僕が思念波で支配出来るんは、せいぜい小動物くらいやもん』
「いや、だからといって俺が……」
『お願いや! 君しかおらんへんねん!』
「だから、どうして?」
『血族やから。ほんでなにより、友也が天涯孤独の身やからや。せやから突然いなくなっても誰も騒げへん』
「そんなことまで調べてるの?」
『2003年3月16日生まれの22歳。一人っ子でうお座のB型。19歳の時に交通事故で両親が死亡、自身も右ひざに後遺症を残す。以後、祖父の友作と同居するも、友作はこの2月に死去——ってところや。だから少しくらいならこの時代からいなくなっても、だーれも心配するもんはおらへん』
「そりゃそうだけどさ……」
『ほな、行ってくれる?』
「無理!」
『お願いや!』
「無理、無理、無理!」
沈黙の中、みるみるチャトが項垂れていくのが分かった。
同時に優翔のホロスコープも薄れていった。
『そうか、分かったわ。自分でなんとかするしかないな』
「……」
『ごめんな、無理言うて』
声が終わるとともに、タイムマシンはゆっくりと消えていった。
あとに残された友也は、一抹の後悔を覚えた。
(ちょっと、無下にしすぎたかな?)
いや、そんなことはない。
突然タイムマシンに乗って現れた子孫に、過去——それも戦争真っ只中の時代に、一緒に行ってくれと言われたのだ。
「はいそうですか」と二つ返事で行ける訳がない。
他に選択肢はなかったんだ——友也は、そう自分に言い聞かせた。
だが、後味のいいものではなかった。
居間の柱時計が、唐突に午後10時の時報を告げた。
チャトが、ふわっとあくびをして近づいて来る。
どうやら優翔の思念は抜け出しているようだ。
そのあどけない眼差しをみて、ちょっと心が軽くなった。
と、その時——部屋全体が捻じれるような違和感を覚えた。
同時に耳鳴りがして、こめかみの奥がキーンと痛み始める。
目がかすみ、めまいのような不快感が、全身に襲いかかってくる。
明らかに、異常事態だ。
「シャ——ッ!!」
チャトの声に、はっと我に返った。
見れば、その身を低く身構え、玄関先に向かって威嚇している。
全身を総毛立たせ、じわじわと後ずさり始めた。
「チャト……?」
次の瞬間、玄関とは反対に駆け出し、中庭に向かって狂ったように咆哮し始めた。
「ヴワ~オッ!!」
チャトは再び身を翻した。
友也の足にかじりつき、戻っては中庭に向かって叫ぶ——という行動を何度も何度も繰り返す。
その殺気立った異様な行動に、友也はたじろいだ。
「どうした、出たいのか?」
半信半疑でサッシを開けると、チャトは勢いよく中庭に飛び出した。
そして友也に向き直り、なおも狂ったように鳴き叫んでいる。
友也は、思わずあとを追った。
途端に全身を覆う不快感に襲われ、悪心が喉元をせり上がる。
空間がさらに捻じれているようだ。
足が萎え、脂汗が噴き出し、その場にしゃがみ込んだ。
どのくらい経ったのだろう。
地面にしがみつき、そのままじっと耐えていると、次第に空間の圧が和らいでいった。
朦朧とした意識が徐々に戻ってくる。
(いったい、なんだったんだ……)
友也はよろよろと立ち上がると、辺りを見回した。
すると今度は、耳慣れない音が背後から迫ってきた。
今いた母屋の向こうの、川の方から聞こえてくる。
それはまるで、洞窟の奥で不気味に反響する、昆虫の羽音のようだった。
だが音がするだけで、その実体はどこにも見当たらない。
蜂が唸るような音だけが、次第に大きさを増してくるのである。
友也はハーモニカをポケットに突っ込み、ジタバタするチャトを抱え上げると、母屋の脇の小道に出てみる。
音がさらに大きくなった。
空を見上げたが、天空には少し欠け始めた月が煌々と輝いているだけで、やはり何も見えない。
不気味な音と、不穏な空気が漂うだけである。
刹那——何の前触れもなく中空に歪みが生じた。
色のないオーロラが揺らめくような、その一角だけ、光の軌道が捻じ曲がっているのだ。
昆虫の羽音のような咆哮も、渦に巻き込まれたように不自然に反響している。
固唾を呑み、一心に見つめる——と、歪んだ空間から唐突に光る物体が飛び出した。
(あれは?)
目を疑った。
間違いない、飛行機——いや、なんとそれは、月光に銀翼を輝かせた戦闘機だった。
プロペラの回転音が、怒ったように夜空に轟いている。
いったいどこから現れたのだろうか。
その機体は上空高く、まるで意志がないかのようにふらふらと漂っている。
しばらく西に向かって飛んでいたが、やがてくるりと反転しその腹を月光にさらした。
そしてそのまま左に大きく旋回したかと思うと、2回、3回と回転し、急激に高度を落としていく。
友也の思考が止まった。
咆哮しながら迫りくる機体は、まさに得物を捉えんとする翼竜のようだ。
恐怖が瞬く間に膨れ上がる。
その時、
「危ない、逃げろ! こっちだぁ————っ!!」
という叫び声が背後から聞こえた。
刹那、何者かが友也の腕を引っ手繰る。
(えっ、何、何が起きてる?)
引っ張られるまま、畑の方に、足を引きずりながら走り始めた。
腕を掴み、友也の前を走っているのは、見知らぬ初老の男だ。
いったい、誰だ?
背後の轟音が、逃げるより早く襲ってくる。
全身が総毛立った。耳の奥で鼓動が騒ぎ立てる。
命が「逃げろ!」と警鐘を打ち鳴らしている。
目の前に洞が見えた。
もう少し、もう少し——
洞に入った——ちょうどその時、激しい熱風が爆発音とともに二人を襲った。
蹴飛ばされたかのような衝撃が背中に走る。
身体がふわっと浮き上がり、チャトが腕の中から放り出され、次の瞬間、地面にこっぴどく叩きつけられた。
(チャト、チャト……)
襲い来る痛みとともに、徐々に、徐々に、意識が遠のいていった。




