第三章 河岸の隣組・・・④
翌朝、河岸の隣組の行列が、里山の墓地を目指していた。
順平を先頭に、骨箱を持った勇元がそのあとに続く。
皆、押し並べて足取りも重く、伏し目がちに歩いていた。
長引く戦争の煽りで、冠婚葬祭の簡素化は必須の時代である。
本来なら手厚く葬儀を行いたいところだが、それも叶わず埋葬のみの弔いとなった。
それが不憫でならなかったのだ。
関口家の敷地を見下ろす墓に遺骨を納める。
いくら戦争の最中さなかとは言え、よりによって何故ここだったのか、何故和正だったのか——溢れる憤りを胸に、皆両手を合わせ、和正の早すぎる死を悼んだ。
墓石も間に合わず、木製の仮墓標がことさら哀れを誘っていた。
納骨を終えると三々五々解散となった。
あとには若者たちが残り、名残惜しそうに墓前に佇んでいる。
「まったくよう、ご先祖様が帰って来る時だっていうのに、葬式かよ」
恭平の吐き捨てた言葉は、皆の胸の奥深くで燻った。
「ホントよねえ……」
梢が墓標を見つめ、ぽつりとつぶやく。
「なんで和さんなんだろう」
思わず凉花が息を呑んだ。
心が揺れているのが分かる。
『気丈に振舞ってるけど、さっきまで泣いてたの』という言葉を思い出した。
長い吐息とともに力なく俯く涼花を、友也はそっと窺い見る。
だが、その横顔からは、心中を察することは出来なかった。
そんな空気を知ってか知らずか、亮太が能天気な声を上げる。
「ご先祖様が和兄を連れてっちゃったのかな?」
「ばーか、ご先祖様が、敵の戦闘機を和正んちに落とすかよ」
「もう、すぐ馬鹿っていうし」
丸顔をさらに膨らませて亮太が抗議する。
それを恭平は一笑に付して話題を変えた。
「そう言えば友さんさ、この上に行ったことないよな」
「ああ」
「見晴らしがいいんだ。行ってみよう」
一行はつづら折りの山道を登り、墓地の真上の高台に向かった。
遅れがちになる友也を気づかいながら、ゆっくりと歩を進める。
高台に着くと、辺りを見渡した。
眼下には広い川や青々とした夏の畑が広がり、思いの外ほかのどかな田園風景が眺望できた。
「本当だ、いい眺めだ」
「だろ? ここが見晴らしの丘だ」
「あそこに見える一角が、私の勤めてる電機会社の工場よ」
「へえ、近いんだ」
「ここから見るとね。実際はぐるっと回って橋を渡るから、結構歩くのよね」
と、不満げに口をとがらせる。
「でも歩いていけるんだから、いいじゃない。文句言わないの」
「そりゃそうね」
涼花の言葉にあっけらかんと答える様子は、いかにも梢らしかった。
夏の朝の吹き抜ける風が、木々の青葉を揺らしている。
その涼風が、友也のいた世界とまるで違うことに気が付いた。
夏と言えども、さほど暑くないのだ。
友也のいた時代なら間違いなく熱風が吹いているはずだ。
「友さんの足ってさ、空襲でやられたんだって?」
恭平が唐突に問いかける。
「親もやられちまったって聞いたけど」
「あ、まあ……」
言い淀む友也を見かねて、涼花が遮った。
「恭さん、それってあんまり口外しちゃいけないのよ。分かってる?」
「そうだった、すまん」
「それより友也さんって、お幾つなの?」
「二十二歳だよ。この春に大学を卒業したばかり」
涼花の質問に何気なく答えたつもりだったが、皆の反応は凄まじかった。
「ええ、友さん、大卒かよ!」
「凄え——っ!」
恭平と亮太が目を丸くしている。
それもそのはずで、この時期の大学進学率は実に五パーセント程度なのだ。
「本当に凄い! ちなみに何学部なんですか?」
梢も驚きを隠せず、その声も上ずっている。
「文学部、執筆の仕事に就きたいと思ったんだけどね」
「執筆って新聞社? それとも作家かしら?」
なおも食らいつく梢に、戸惑いながら答えた。
「いや、大学を出ただけで、執筆の仕事なんて無理だったよ。みんなの方が凄い。しっかりと働いてる。凉花さんだって目標を持って頑張ってるし」
「あら、そんな……でも看護婦は小さい頃からの夢だったの」
「涼花さんのお母さんもそうだもんね」
「はい……あの、友也さん、涼花って呼んでくださる? さん付けだと何だかくすぐったくて」
「私も!」
すぐさま梢が続いた。
「私も! それと、お勉強見てくれると嬉しいな」
「もう杏美ったら、ずうずうしいわよ」
「君は学校に通ってるの?」
「そう、女学校の三年生よ」
「私たちの後輩なのよ。一番上が涼ちゃんで、私がそのひとつ下。杏美は私の二つ下なの」
「へえ、そうなんだ。いいよ、俺でよければいつでも」
「やったあ!」
何ということはないやり取りだが、友也には新鮮だった。
ひとりっ子の上、爺っちゃんが死んでからは、他愛無い会話というものから遠ざかっていたのだ。
ふと爺っちゃんと過ごした日々を思い出した。
それは二度と戻らない、掛け替えのない時間だった。
爺っちゃんは死んだ。
だが不思議なことに、今自分がいるのは、爺っちゃんが生まれる前の世界だ。
それがまだ、実感として捉えられない友也だった。
丘の斜面に腰を下ろすと、それぞれが思いに耽り、眼下に広がる景色を眺めている。
ツクツクホウシの鳴き声が、秋の訪れを伝えているようだ。
時折、首すじを通り抜けていく風が清々しい。
友也はポケットからハーモニカを取り出すと、おもむろに吹き始めた。
『埴生の宿』の旋律が風に舞う。
「あ、この曲……」
「懐かしい……」
美しく、そして物悲しい音色が、ゆっくりと心のひだに染み込んでいく。
そして奥底に積もるやるせなさを、無性に掻き立てる。
だがその反面、とめどなく溢れ出る優しさが、心に巣くう悲しみを徐々に包み込んでくれた。
凉花が、梢が、恭平が、皆が流れる雲を見るともなく見上げている。
その向こうには、今はもういない和正の面影が、寂しそうに笑っていた。
『もっと生きていたかった』とでも言いたげに。
その面影も、流れゆく白い雲も、いつしか涙に滲んで輪郭がぼやけていく。
最後の一節が終わり、ハーモニカの残響が丘に揺蕩う。
絶え間ない波紋が、皆の心を震わせている。
誰もがしばらくは、言葉を発することも出来なかった。
見れば涼花の頬に、うっすらと涙の跡が滲んでいる。
だがそれは、昨日までの涙とは違っていると、友也は思った。
恭平が唐突に立ち上がり、「俺さ、この歌、まだ歌えるかも!」と、振り向き様に叫んだ。
「私も」
「私も歌える!」
皆がそれぞれに口を揃える。
「なんて歌だっけ? は、は、はんにゃの宿?」
「あはは、亮ちゃん、それ違うし」
涼花が噴き出した。
「ばっかだな、般若って鬼の面だろ」
「ばーか」
「ばーか」
「あ、なんだよ! 梢ちゃんやあずちゃんまで! 馬鹿って言っちゃいけないんだぞ!」
「あはは、埴生の宿っていうの。学校で習ったでしょう?」
涼花の笑いはまだ収まらない。
「涼花ちゃん、笑い過ぎ!」
「あははは、だって亮ちゃんったら、可笑しいんだもん」
つられて皆も笑いだした。
「ホントに愉快な馬鹿だよな」
「また言った!」
皆の笑い声は風に乗って、絡み合いながら山間に響き渡る。
それは、にわかに悲しみを断ち切る、心を救う笑い声である。
その無垢で弾ける皆の笑顔が、友也には眩く映った。
そして何より、涼花が満面の笑みを浮かべているのが、この上なく嬉しく思えた。
「でもさ、埴生の宿って、どういう意味なんだろう」
ふと梢が疑問を口にする。
「あ、考えたこともなかったな」
恭平も首をかしげた。
「床も畳もない、土壁がむき出しの家のことを言うんだよ。そんな貧しい家でも、我が家が一番いい——っていう歌だね」
「おお、さすが大卒!」
「さすが文学部! ぜんぜん知らなかったわ」
皆の感心をよそに、友也は爺っちゃんと暮らした家を思い出していた。
自分は、あの家に戻ることが出来るんだろうか?
爺っちゃんは、もうこの世にはいない。
元いた時代に対する執着もない。
それなのに、爺っちゃんと過ごしたあの家だけは、無性に懐かしく感じるのだった。




