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85 レオクスと白姫

 レオクスは武闘大会の優勝に慢心することなく、バルマードのもとで剣を学んでいた。

 青白い壁に覆われた部屋で、レオクスは膝をつき息を切らす。


(私はどんな危機からも、エストさんや大切な人たちを守れるように強くなりたい。だが訓練を重ねるたびに、バルマード様をより遠く、大きな存在へと感じてしまう。せっかく貸していただいた聖剣さえ、私には不相応に感じられてならない)


 彼はその手に握られた聖剣オメガを見つめて、バルマードに向き合った。


「私にはいかにオメガが過ぎたるものかを痛感します。⋯⋯長い時を経て、再び魔族が活性化したと噂される中、この剣こそバルマード様の手にあるのが、ふさわしいと思います」


 バルマードは剣を置き、レオクスに水筒を差し出す。


「私はレオ君がその剣に認められれば、オメガを譲ろうと思ってるよ。魔族のことなど、今は私に任せておきなさい。問題はこの国が、以前のように一枚岩ではないということだね。気負う必要はないけど、私はいずれ君を皇帝陛下と呼ぶつもりでいるから。レオ君が、今の優しくて真っ直ぐな青年のままでいてくれることを願ってるよ」


 レオクスは驚嘆した。


(バルマード様が私を陛下と呼ぶだなんて、なんて畏れ多いことだろう。それにバルマード様の手にこそ聖剣はふさわしい。受け継ぐならば、ウィル君であるべきだ)


 レオクスはもしバルマードが皇帝だったら、どれほど素晴らしいかと思うことさえあった。


(今では実の父のように、バルマード様を慕っている。父上は魔王との戦いの後、まるで呪われたように覇気を失ってしまわれた。そんな私がこうやって生きてこられたのも、全てはバルマード様がお守り下さったからだ。その偉大な背中を思うたびに、私はどんな苦難も乗り越えられた)


 純粋すぎるレオクスは、ローゼを皇妃とすることで、バルマードを義父とすることを無意識に裏切りだと感じていた。

 あれほど自分に尽くしてくれたローゼを、政治の駆け引きに使うなど、絶対に許せないことだった。


 それほどバルマードやローゼの存在は、レオクスにとって特別だった。

 苦しい時期を共に歩んでくれた、同志のような関係と言った方が近いかも知れない。

 レオクスはバルマードに深々と一礼し、その日の訓練を終えた。




 屋敷の裏口から立ち去ろうとすると、初夏の夕陽に照らされた美しい庭園に、驚くべき人物が待っていた。

 そこには、白姫ロゼリアの姿があった。


「この姿で会うのが、今はふさわしいと思いまして」


 白姫が深く被ったフードを下ろすと、雪のように白い髪が風に舞い、その繊維一本一本に金色の光が流れた。


 レオクスはその神々しさに息を呑んだ。


(まるで天使が舞い降りたかのような美しさ。あまりに魅力的とはいえ、ローゼさんに不純な想いを抱いてはいけない。それをエストさんに対する裏切りだと思うのは、自意識過剰なことだろうか)


 ローゼとしての素顔を晒した彼女は、レオクスに微笑んだ。


「この瞬間だけローゼではなく、白姫として接してもらえたら嬉しく思います。ローゼだとできないことでも、この姿では勇気が持てる気がするのです」


 そう告げて、ローゼはつま先立ちでレオクスの頬に軽く口づけをした。

 一瞬、目を逸らすように下を向き、いつもの穏やかな笑みを浮かべたローゼは、ゆっくり後ろへと下がった。


 キスされた頬を手でそっと触れ、放心して立ち尽くすレオクスに彼女は告げた。


「今のは白姫からの勝者へのあいさつです。私を負かした相手は、お父様以外ではレオさんが初めてですから」


 ローゼがにこやかに笑うと、彼女の白い外套が舞い散る花びらのように消え、いつものドレス姿に戻った。


 言葉を失い、呆然としたレオクスが正気を取り戻すまで、ローゼは口元を緩め、薫風を浴びながら待った。


「⋯⋯負かしただなんて。あの時はローゼさんが、いえ白姫が、未熟な私に勝ちを譲ってくれただけですよ」

「うふふ。負けず嫌いの私に負けたと思わせただけでも、レオさんは勝ったんです。レオさんは私がお父様の娘、マクスミルザー公爵家の娘という遠慮がありますよね? 心当たりがないなんて、とぼけさせるつもりはありませんよ」


 ローゼはレオクスの緊張を解くように、少し無邪気に振る舞った。


(ローゼさんは私の葛藤を見抜いて、気にすることではないと伝えてくれたんだ。もし私がエストさんと出会っていなければ、彼女のこんな優しさに心を奪われていたことだろう)


「何もかもお見通しですね。確かにローゼさんに対する遠慮を、簡単に拭い去ることはできそうにもありません。ーー油断していましたが、あの口付けに胸が高鳴ってしまい、頭が真っ白になりました。皇子という立場にありながら、一度も色恋沙汰に縁のない恥ずかしい私ですが」


 少し困った表情を見せたレオクスに、ローゼはクスクス笑った。


「それは私も同じですよ。きっとエストさんが、私とレオさんの関係を変えてくれたんです。彼女がいなければ、私はいまだにお父様への憧れを捨てきれず、レオさんをその後継者として、特別な想いで見つめていたかも知れませんね。それだとまるでお父様の代用品のように思っているようで、私は申し訳ない気持ちを抱えたまま、この先を過ごすことになったことでしょう」


 そのローゼの笑みに、レオクスはいつもの調子を取り戻した。


「確かにバルマード様と比べられては、私など目には入らないでしょう。あの方は最強ですから」

「うふふ、たしかに最強ですね。だからレオさん、いつかお父様を超えてくださいね!」

「私に超えられるハズもありませんよ」

「良いんです、そういう気持ちを持ってくださいという意味です。お父様への遠慮も、私への配慮もいつか忘れられるように頑張ってください。私たちは、レオさんと本当の家族のようになりたいんです」


 ローゼがそう答えた瞬間、レオクスは美しき妻、ローゼとの未来をおもわず思い浮かべてしまった。


 頬に残る心地よさを意識すると、彼女をそんな目で見てはいけないと、頭を振って雑念を払った。


「そうですね。私もノアもこの家の家族のようになれたら、どんなにいいでしょう」


 オレンジ色に染まる空を見つめたレオクスに、ローゼは寄り添うように微笑んだ。


「もしよろしければ、エストさんと湖に行ったように、私と馬車に乗ってくれませんか?」


 背の高いレオクスを見上げるように告げたローゼに、レオクスは「はい」とうなずき、二人は公爵家の馬車に乗った。

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