60 最高の調味料
グランハルトもミルフィーユを皿に取ると口へと運んだ。
「!? 言葉にならないとはまさにこのことだ。こんなに美味しいものは初めて食べる」
レオクスもまたマカロンを手に取って口にした。
その瞬間、あまりの美味しさに彼は言葉を失った。
これまで彼は、その立場ゆえに数々の美食に触れる機会はあったが、これほど心を揺さぶられたのは初めてだった。
「これは絶品です、ローゼさん! 他にもいろいろいただいてみます」
エストもローゼのお菓子に舌鼓を打つ、幸せそうな様子を眺め、満足げにケーキを自分の皿に載せた。
「手が止まらなくなりますね!」
「まあ、みなさんにそのように褒めてもらえるなんて、これは出し惜しみをしている場合ではありませんね。良かったら、飲み物の方もぜひ」
ローゼは香り高いコーヒーを丁寧に淹れながら、優しい眼差しで賑やかな食卓を見つめていた。
ーーその時、彼女の胸に浮かんだのは、母レイラを失った後も笑顔を絶やさず、辛い顔一つ見せなかった父、バルマードの姿だった。
幼き日のローゼは父を元気づけようと、パティシエからお菓子作りを学び、毎日のように父の食卓へと運んだ。
どんなに下手でも、バルマードは喜んで食べてくれた。
「ハハハッ、ローゼは将来、お菓子屋さんにでもなるのかい? 美味しいから、いくらでも運んできなさい」
「お父様、ほんとうにおいしい? 私が味見したときは、しっぱいしたって思ったのに」
「私がローゼに嘘を言ったことなんてないだろう? ローゼが笑顔でいてくれれば、それが何よりの調味料さ」
自分で食べても美味しくないとわかっていたローゼは、父を幸せにできる料理を作りたいとひたむきに願った。
「神さま。だれもがおいしいって、たべてくれるお料理をつくれるようになりたいです」
すると奇跡が訪れた。
ローゼはスキルに目覚めたのだ。
幼い彼女が手に入れたその力は【最高の調味料】。
心を込めれば込めるほど、どんな料理も比類なき完成度に仕上がる。
その力で作ったお菓子は、父から最高の笑顔を引き出した。
「これは、なんて美味いんだ! ローゼは世界一のお菓子屋さんになれるんじゃないかな。作っているローゼの姿を思い浮かべると、なんだか心があったかくなるね」
そんな父をさらに喜ばせたいと、彼女は料理長に料理を教わり、覚えた技術を完璧に再現した。
心を込めて作った料理をバルマードに食べさせると、その美味しさに感動した父は最高の笑顔で褒めてくれた。
「これほどの美味を味わったのは、人生で初めてじゃないかな。いやぁ、こんな料理を作ってくれるローゼをお嫁さんにできる幸せものが、私には羨ましいね」
だが、そこで一つ問題が生じた。
料理長はバルマードの食卓に必ず付き添い、その様子を見守っていた。
バルマードが「最高」と褒めた味に、料理長は「ぜひとも、一口私にもいただけますか?」と尋ねた。
心の広いバルマードは、愛娘の料理を「ぜひ君も食べるべきだ」と勧める。
料理長が一口味わった瞬間、これまでで最高の感動が彼を襲い、「こんな旨いものがこの世にあったのか」と大絶賛した。
⋯⋯問題はその後の行動だった。
「未熟な私はもう一度、修行をし直して参ります」と、バルマードに職を辞すと告げたのだ。
驚いたローゼは「やめないで!」と彼の袖を掴む。
彼女の料理の味はスキルによるもので、料理長がどれだけ修行しても到達できない領域だった。
当然、バルマードも彼を引き止めた。
「君の料理がもう食べられなんて、そんな悲しい事を言わないでくれ」と。
ローゼはその日以降、お菓子以外の料理を作るのをやめた。
料理は人を幸せにするものであり、料理長にも幸せでいてほしいと願ったからだ。
そして、絶対にパティシエには自分のお菓子を食べさせないと固く誓った。
しかし彼女のそのスキルは、心を込めるだけで、口に入るもの全てを絶品に変える力だった。
だからこそ、ローゼが心を込めて淹れるコーヒーもまた格別の味わいだった。
レオクスが驚きの声を上げる。
「こんなに美味しいコーヒーは飲んだことがありません! これはローゼさんがブレンドした特別なものなんですか?」
「そんな、お父様のコーヒーに真心がこもっているだけですよ」
初めてコーヒーを口にするアンリエットも目を輝かせる。
「この琥珀色の飲み物って、とっても美味しいですね」
グランハルトは無言でコーヒーの旨さをじっくりと味わっていた。
この中で唯一、その味を知るエストだけは平然とした顔でこう答えた。
「ローゼさんが振る舞ってくれるものは、紅茶やコーヒー、お菓子も全てが絶品なんです! 皇都でコーヒーのお店をやっていますので、ローゼさんの味には届きませんが、飲みたい時はいつでも言って下さいね」
「エストさん、それは褒めすぎです。お父様が情熱を込めてブレンドしたコーヒーは、いつでもみなさんに味わって欲しいです」
エストはローゼをちらりと見て、ぽつりと呟いた。
「ローゼさんはすごくいいお嫁さんになりそうですね!」
「あら、それはエストさんだってアンリエットさんだって同じことですよ」
レオクスとグランハルトがわずかに身を固くする。
この場に居合わせた誰もが、ローゼが一枚上手だと感じざるを得なかった。
◇◇◇
それは、私とレオさんが二人きりになった時のことだった。
「実はエストさんに聞いて欲しいことがあるんです」
「あ、はい」
「私には解決しなければいけない問題があります」
「どんなことですか? もし私で役に立つことがあれば、なんでも言ってください」
「いえ、これは私自身の問題ですので。詳しく話すこともできないのが申し訳ないのですが、エストさんにそれまで待っていてほしいというのが私の願いです」
「早く解決するといいですね。それで、なにを待てばいいんですか?」
「その前に一つだけ聞かせてください」
「はい、なんでも」
するとレオさんが、息を整えるようにしてこう聞いてきた。
「エストさんにはその、どなたか思っている男性はいますか?」
「えっ!?」
突然のことに頭が真っ白になった。
なんて答えればいいのか焦って、言葉が出ない。
「もしかして、まだ決まった相手はいらっしゃいませんか?」
「あ、はい!」
「⋯⋯良かった。でしたら、エストさんに誰か思う人が現れるその日まで、私のことを待っていてほしいんです」
「その、待つだけでいいんですか?」
レオさんが晴れやかな表情で「はい」とうなずいた。
ーーーーーーー第2章終わりーーーーーーー
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