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頭がしばらく驚きに支配されていて、現状を理解するのを拒否していた。
だって、ちゃんと指定された赤毛の侍女に声をかけたはずだ。
もしかして嵌められた? 第一王子じゃなくて第二王子に裏切られた?
この体勢では明らかに、第一王子がメロディのフリをした私を襲おうとしている。
「病気が治った婚約者を連れ回していると聞いたからどんなのかと思ったら、レックスはこういうのが趣味だったのか」
肩を押さえつけられて、服の上から触られて吐き気がする。
第一王子にも第二王子にも吐き気がした。
第二王子は第一王子がこうすることを分かっていて、私を一人でここに来させたのかもしれない。第二王子の婚約者メロディ・オルグレンにこんなことをしたと分かれば、さすがに第一王子も謹慎くらいはさせられるんじゃないだろうか。
これが力のない下位貴族の令嬢だったら泣き寝入りだろう。
赤毛の侍女はどこにいったの? 私が頭痛を起こしたのは偶然だけど彼女もグルだったの?
そこまで考えてやっと怒りと吐き気で頭が回り始めた。
「あいつがこのことを知ったらどんなツラをするんだろうな」
ドレスの上から足を触られて気持ち悪さが這い上がってくる。
第二王子は私を裏切ったのだろうか。裏切ると言えるほど信頼関係はあったのか。あるいは、小姑公爵はこれを許可したのだろうか。
本物のメロディならこんな目には絶対遭わせないだろう。
つまり、私がペネロペ・ドーソンだからこんなことをされていいのだろうか。いや……それとも、メロディはいつまで生きられるか分からないから、こういうことをしてもいいと思ったのだろうか。
だって、私がこんな目に遭ったところで今はメロディのフリをしている。つまり第一王子を糾弾するには、メロディを被害者としていなければいけない。そうすると……メロディの名誉だって汚されるのだ。
あぁ、こんなことを公爵が許可したとは信じがたい。じゃあ、第二王子だけの計画?
恐怖も驚きもあるのに、こんなことを考えられるほど頭の中のある部分は酷く冷静だった。
そしてメロディも私も裏切られたかもしれないという判断に至った瞬間に、頭の奥で何かが切れた音がした。
なんで、女に生まれたからってこんな目に遭わされなくちゃいけないの。
私は、いや私もメロディもこんなことをされていい人間じゃない。
王位争いだか何だか知らないけど、男たちで勝手に争ってろ。
何で、力でも何でも弱い私たちが巻き込まれなきゃいけないの。
第一王子は第二王子とだけ争ってなさいよ。
ドレスの上を這いまわっていた手がいよいよドレスの中に入って来そうになったところで、それまで抵抗らしい抵抗をしていなかった私は足を勢いよく振り上げた。何かに確実に当たった感触。
間髪入れずにもう一度、今度は狙って繰り返す。
ヒールで股間を蹴られたら大層痛いだろう。同情なんてしないが。
悲鳴さえも上げられず「う……ぐ……」と私の上で低く呻く第一王子を思い切り突き飛ばし、靴を素早く脱いでから周囲を見回す。
ここは二階だから窓から出たら危険だ。
すぐそこの木から下りたらいいが、ドレスが傷つくから明らかに「何かありました!」と全身で訴えているようなものだ。
顔を伏せて足早に王族休憩室を出る。足元はドレスで隠れるし、メロディの栗色の髪は珍しい髪色ではない。なんとか早くここから離れなければ。靴を脇に隠しながら足早に進む。
足元を見るついでに服装の乱れを確認したところで、男性の靴が見えた。
顔を伏せたまま何とか通り過ぎてやり過ごそうとしたところで、腕を取られる。
「メロディ。どこに行っていた。第二王子といないから心配して」
一瞬、振り払おうとしたがしなかった。
小姑公爵が焦ったような様子で私の腕を掴んでいたからだ。
なぜだろう。いつもは小姑公爵に会っても嬉しくも何ともないのに、今は涙が出そうだ。取られた腕だって震え始めた。
「第一王子が……休憩室に」
つっかえながらそう告げると、公爵は察したようで顔色を変えてすぐに手近な他の部屋に入った。
ソファに座らされて、小脇に抱えた靴を取り上げられる。
「何をされた」
「股間を蹴って逃げたので大丈夫、です。ドレスの上から触られただけで……」
今更ながらに全身に震えが襲ってくる。
がたがたと震え始めた私に小姑公爵は自分の上着を脱いでかけてくれた。
部屋を出て最初に出会ったのが彼で本当に良かった。
第二王子だったら、彼のこともうっかり突き飛ばしていたかもしれない。
第一王子を突き飛ばしたけれど、どこかに頭を打ちつけて死んでいないだろうか。それなら自業自得だ。
いろいろ考えているのに、体の震えはなかなか止まらなかった。
「息をゆっくりしろ。吐いて、吸って」
お小言も呆れたような視線もなく、顔をしかめた公爵は私の前に跪いてそう指示した。そんなに酷い顔をしているのだろうか。公爵の方がどこかを刺されたような顔をしているのに。
しばらく呼吸を続けていると、震えがおさまってくる。
「絶対に、あいつを、王位に就けないでください」
公爵は返事をせず、私の足をまるで繊細なガラス細工のように扱いながら靴を履かせる。しかも、自分の手にハンカチまで巻いて肌同士が触れないように配慮してくれながら。
彼の手は私の震えが伝染したのか、少し震えていた。
こんなに丁重に扱われると、自分が高貴な人間どころかお姫様になったような錯覚に襲われる。
「こんな目に遭ってまでここにいる必要はない。辛いだろうがもう動けるか。早く帰ろう」
相変わらず、どこか刺されたかのように痛そうな表情をしながら公爵は立ち上がった。
彼の握りしめた手が震えているのが見えて、やっと安心できた。この人はこんなことが起きるのを容認していなかったのだと、本当に理解したから。
もしかすると、あの赤毛の侍女だけが裏切ったのかもしれない。
「抱き上げてもいいが……そうなるとメロディがまた体調を崩したなどと言われるだろう。本当にすまないが、少しの距離を歩けるか?」
小姑公爵の嫌味がない。本気で心配してくれている声音だ。
こんな彼を初めて見た。そりゃあ、目の前にいるのがニセモノでなりかわりでも、メロディによく似た女の子が震えていたらこういう対応になるか。彼にもちゃんと人の心はあったのだ。
「会場に、一度戻ります」
「は……?」
私の言葉に公爵は本当に呆けた顔をした。
でも彼の苦しそうな痛そうな表情が緩んだので、少し安心した。
「第一王子は……今の状態は知りませんが……もし第一王子が会場に戻って嘘を言ったら……このまま帰ってしまったメロディは何と言われますか?」
第一王子が股間を蹴られてどのくらいで回復するのか知らないが、会場に戻ってメロディを襲ったと騒いだら? メロディが自分を誘惑したなんて信じられない嘘を吐いたら? メロディの名誉はどうなる? 想像しただけで息が詰まりそうだ。
このまま逃げるように帰ってはダメだ。何もなかったように少し会場に留まって、誰かに自分たちの姿を目撃させないといけない。メロディ・オルグレンには何もなかったのだ。そう見せておかねばならない。
これまでの夜会で煌びやかな高位貴族たちの汚らしい面を大いに見てきた。私の姿を見せなければ、きっと好き勝手言われる。どうして、好き勝手言われて貶められなければいけないのか。
「今帰ってしまえば、メロディの評判が落ちるかもしれません。万が一、第一王子が責任を取るとか言って新しい婚約者にされるのも嫌です。ですから、一度会場に戻らなくてはいけません。数十分滞在して、それで……帰りましょう。いいでしょうか?」
公爵はしばらく目を見開いて私を見ていた。
そしてゆっくり言葉をかみ砕いて理解したのか、奥歯を噛みしめたようだった。
「お前はそれでいいのか」
公爵の「お前」という呼び方で、彼がメロディだけでなくペネロペ・ドーソンを心配してくれているということも伝わってきた。
良かった。第二王子はどうだか分からないけれど、このジルベール・オルグレン公爵は人でなしではない。家のためであっても、女性を駒や道具のように扱うことにちゃんと震えるほど抵抗を持ってくれている。
「はい。そして、あの第一王子を絶対に王位には就けないと、約束してください。あんな男をトップにしないでください」
公爵は一瞬目を瞑り、息を吐いて頷いた。
「あぁ、約束する」
こんなことを言うのは震えた。下位貴族で、王子に会うなんてありえなかった身分の私がなんて偉そうなことを要求しているのか。でも、これは心からの要求だ。メロディを遊び半分で汚そうとしてきた奴なんて許さない。
公爵の手は小刻みに震えていた。
あぁ、この人も怖いのか。身代わりなんていう大胆なことをさせるから怖いものなんてないのかと思っていたのに。公爵の本心が震えから見えて、私はやっと安堵した。




