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いつもお読みいただきありがとうございます!
これで完結です。
期待するな、自分。これは単なる挨拶でしょ。
「お元気でしたか」
かろうじてそう絞り出した。
公爵は私の手を離してくれないし、右手も握られたままだ。
女性の中では背が高いのだが、公爵はもっと高い。ペネロペの視線は彼の喉元くらいだ。視線を向けなくとも金に近い色の目がペネロペを見ているのを感じる。
「最初はメロディまで亡くなったからかと思っていた」
公爵はペネロペの問いに答えずに淡々と続けた。
メロディの名前が出たせいで、うっかり公爵の顔を見上げてしまった。
記憶と寸分も違わない金色に近い色の目と目が合う。
なんとはなしに彼は大変だっただろうなという同情めいた気持ちが湧き上がってきた。もう公爵だから爵位を巡っての争いはないだろうが、私が身代わりをしていた時でさえ令嬢たちに囲まれていたのだ。メロディが亡くなった後は婚約者になりたい令嬢たちが殺到したことだろう。
さっさと結婚すればいいのに。
「それは……メロディ様が亡くなったからでしょう」
「それもあるが、それについてはもうずっと覚悟はしていた。お前がいなくなってからだ。こんなにすべてが味気なくなったのは」
「きっと、メロディ様を亡くされた傷が深いのでしょう」
期待するな、期待するな。
私は隣国の女学校に入れてもらって環境をがらりと変えたから、公爵の様にはならなかっただけだ。公爵の場合は、同じ生活を繰り返していたらそこかしこにメロディの思い出がある。
あちこち見るたびに思い出しただろう。
あの屋敷から出た私だって思い出すのだ。ダンスを踊る時、よく似た造りのバルコニーを見た時、ふわふわの栗色の髪の全然違う令嬢を見た時。
大切な人が亡くなったら、こんな感覚になるのだ。
いるのにいない。いないのにいる。
今まで全然知らなかった。こんなに誰かが亡くなると悲しいだなんて、胸に虚無の穴があくなんてしならなかった。
そうして以前の私に戻れなくなった。
以前の私だったら何の迷いもなく、明日死ぬならどうするだろうかなんて考えずにレオン・ランズローと婚約していたはずだから。お金に困らないし、常識的な幸せだ。
私の常識はすべて塗り替えられてしまった。
「なぜ、あのランズロー子爵令息を選ばなかったのか……レックス王太子が首をかしげていた」
公爵に唐突にそう言われて、私の頭の中でものぞいたのかと疑いたくなった。
そしてやはり、レックス王太子は留学と婚約者をセットで考えていたのだ。
頭では分かっている。レオン・ランズローほどいい条件の相手は自分にもう現れないだろうなんていうことくらい。
でも、以前の自分にはもう戻れないのだ。
条件だけ見たら、レオン・ランズローほどいい人はいなかった。その点をレックス王太子はよく分かっていた。
でも、レックス王太子は分かっていない。あるいは彼は自分の心を押し殺すことに慣れ過ぎたのだろう。
大切な人の死を目の前にしてしまったら、もう自分に嘘はつけない。つきたくない。
「ランズロー子爵令息は良い方でした。彼にはもっと良い人が現れるでしょう」
公爵が私の手を引っ張ってまた踊り始めようとした。今度は彼が男性パートのようである。
「ずっと止まって話していると怪しまれるぞ」
「……大体、婚約者がいらっしゃるのになぜこんなことを」
怪しまれるようなことをしているのは公爵だ。
それでも、彼に引きずられるようにまた踊り出す。今度はきちんと女性側としてだ。
公爵が私の手を離さないのではないか。
マナーは目の前の公爵から叩き込まれたのだ。
暗い人気のない庭で、婚約者でもない男女が手をつないで親密そうに語らっていればどう見られるかくらいのことは知っているし、こんなことするつもりもなかった。
公爵が私の手を離してくれないのがいけない。
それなのに──。
公爵の手を振り払えなかった。足も踏めなかった。やめてくれとも言えなかった。
頭の中ではこんなことをしていてはいけないと重々分かっているはずなのに。目の前の人から叩き込まれたのに。
「今日、お前がこの夜会に来なかったらすっぱり諦めるつもりだった」
これ以上は聞いてはいけない。だって、私にあまりにも都合が良すぎるから。
期待させないで。
それなのに、まだ公爵の手を振り払えなかった。
「言うことを聞かずにバルコニーにジャンプして勝手にメロディに会うその自由さも、夜会で危険な目に遭いながらメロディの名誉を気にする高潔さも。病弱なメロディに対して、一度でも早く死んでしまえばいいのにと思ったことのある俺には眩しかった。同時に痛かった」
意外だった、シスコンに見える小姑公爵がそんなことを思っていたとは。
でも、ずっと病弱な家族が家にいたのなら。一瞬だけ思ってしまうのは仕方がないのかもしれない。それを罪悪と感じたからこそ、公爵はメロディをあれほど大切にしていたのか。
あのシスコンぷりは罪悪感の裏返しか。
私をメロディに会わせなかったのも、そういう複雑な感情を抱かせないためもあったのだ。
公爵はとても人間らしい。
「それでも、そう思ってしまったとしても、公爵様がメロディを愛していたことは変わらないはずです」
「そう言ってくれるのは、お前くらいだ」
「屋敷で暮らしていて見ていたからでしょう。婚約者の方だってそう言ってくれるはずです」
「もし明日死ぬなら、お前といたい」
流されるように踊っていたが、その足を思わず止めた。
レオン・ランズロー子爵令息との婚約を露骨に期待されていた時に私が思ったことと同じだった。
この人と一瞬でも同じことを考えていた。メロディが亡くなった時は同じ痛みを間違いなく共有した。
それだけで嬉しかったが、それだけで十分としなければいけない。
なぜなら、彼はジルベール・オルグレン公爵だからだ。
子爵令嬢なんて愛人か妾にしかならない。
おとぎ話はおとぎ話だから面白いのだ。
二人は結婚しましたで終わって、その先を見せないから美しいのだ。
「反抗的なお前の態度も、必死に勉強に食らいつくさまも、傷つきながらメロディを守っている姿も全部覚えている」
期待してはいけない。
ここで私は笑顔で綺麗に思い出にしなければいけない。
「許されません。公爵様には婚約者がいらっしゃいます」
公爵は笑って私の肩に顎を乗せた。
驚いて彼の体を押したが、びくともしない。
「あの令嬢には他に想い合う相手がいる。元々解消する契約だった。あちらにもこちらにも婚約者が必要だったからな」
「また、誰かに身代わりをさせたんですか」
「俺も同時に身代わりだったな。誰かを身代わりにして、されるとよく分かる。ずっと一緒にいたい相手はお前だ」
ダンスなんてとっくにしていない。今はどこから見ても公爵と抱き合っているように見えるはず。
「お前はどうだ。レオン・ランズロー子爵令息を断って、誰か思う人がいるのか」
「私が一生独身で生きていくとは思わないんですか」
「それなら、お前はここでされるがままになっていないでどこぞに蹴りでも入れているはずだ」
私は公爵邸に住んで、公爵のことを少しは理解してしまっていた。そして、それは相手も同じだったらしい。
「このままでいるなら、都合の良いように解釈するが」
「……私は高位貴族も王族も嫌です」
メロディの身代わりをしていた時に受けた視線を思い出す。
嫉妬・羨望・憧れ・何か一つでも粗を探す好奇の視線。
私は無理だ。久しぶりに会って彼を見て、そう思ってしまった。
心は公爵を求めている。でも、現実にはあまりにも高い身分という壁があった。
「……そうか」
沈黙が落ちたと思ったら、すぐに公爵の体が離れる。
温かさがなくなって急に寒さを感じた。
「おかしなことを言って困らせて申し訳なかった」
公爵はあれほど手を握ったり、抱きしめたりしていたのにあっさりと背を向ける。
都合の良い告白紛いのことが夢で、嘘だったかのようだ。
でも、仕方がない。だって他でもない私が嫌だと言ったのだから。
公爵はちゃんと伝えてくれたのに拒絶したのは私だ。
なぜか分からないが、公爵の後ろ姿がぼんやりと滲んだ。
ねぇ、メロディ。
もし、明日死んでしまうなら。彼と一緒にいたいはずだった。
でも、頭の片隅でエゴがうるさく囁くのだ。自分に高位貴族の妻が務まるわけがない。結婚生活はうまくいかない。メロディの振りをしていた時よりも何倍も嫌味を言われるし、揚げ足だって取られるだろう。
「ジルベール・オルグレン公爵」
それでも。
彼の後ろ姿を呼び止めてしまった。
これは許されるのだろうか。誰が許すのだろうか。
公爵はフルネームが意外だったからか、立ち止まって振り返る。
メロディとの思い出が、天使との思い出に背中を押されてしまった。
明日がまた当たり前のように訪れるわけではない。
もし明日死んでしまうなら、彼と一緒にいるだけでは足りなかった。一緒にいられて満足なら、今の時点でもう満足していなければおかしいから。
涙が目に浮かぶのはおかしいのだ。
震える足を自覚しながら、一歩ずつ公爵に近付く。公爵も少しずつこちらに近付いてきた。
「もし、明日死ぬなら」
彼の金色に近い目を見上げる。
一生に一度でいいから、メロディのように素直になってみないといけない。善悪も、できるできないも、身分に合う合わないも常識も全部振り払って。
「私は、あなたの婚約者として死にたいです」
「……高位貴族は嫌なんじゃなかったのか」
「それは嫌ですよ……でも」
愛に常識もエゴも関係なかった。
「それでも、あなたと一緒にいたいです」
公爵の手が私の頬に触れた。そのまま長い指が下がってペネロペの顎にかかる。
「誰かに見られたら……困りますよ」
「別にいい。どうせ今の婚約者との婚約はそろそろ破棄にする予定だった。あちらは思い人とその後婚約するが……俺も同じだ」
公爵の顔が近付いてきた。金色に近い色をこんなに間近で見たことはない。
「逃げられなくなるがいいのか? 明日も明後日も、生きている限り」
「あなたといられれば、それでいいです」
「必ず守ると言いたいところだが、身代わりだった時もそれほど守れていないから嘘は言えない」
「あなたは私のことをちゃんと扱ってくれていましたよ。ペネロペ・ドーソンとして」
「それは……当たり前だ。お前がメロディに見えたことはない」
「わぁ失礼ですね、私はあんなに頑張ったのに」
至近距離で、今言わなくてもいいことを囁き合う。
公爵の鼻が私の鼻をかすめる。
「お前をメロディとして見ていたらこんなことはできない」
「でも、最初は確実に身代わりでしたよね?」
喋っていると、唇同士が触れ合いそうなほど近い。
「あの夜会で、お前に靴を履かせた時からもう好きだった。いなくなってからやっと分かった」
距離をなくすように、公爵の首の後ろに手を回した。
公爵の片手も私の腰に回った。
想いを口に出した途端に心の雨は止んだ気がした。
もう、私の一日は味気なくなどないだろう。
退屈でもないし、心に雨も降っていなかった。




