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「君には私の妹のフリをして欲しい。金は出す」
そのセリフから私の人生は一変した。私はその後、天使に会ったのだから。
刺繍した小物の納品の帰り道、怪しげな馬車が私を追い抜いて止まった。
中から出てきたのは、モノクルを装着したロマンスグレーの初老男性である。
今歩いている道にはちょうど私しかいない。一人になるのを見計らったかのようなタイミングで、馬車は止まった。
残念ながら、私はおとぎ話にウキウキするタイプの可愛い女の子ではなかった。貧乏なので現実を見過ぎたというべきか。
おとぎ話を読んで、身分差結婚したって絶対に苦労するし王妃にいびられるに決まっている、なんて平気で口にしてしまうタイプである。
その王子、あなたの顔と靴のサイズしか見てないよ。あなたの健気な性格や逆境にも負けない努力を王子は全く見ずに恋に落ちるのだ。絶対に信用できる男ではない。
そのため、どう見ても高貴な人に仕えている男性が馬車から現れても「私にお迎えがきたわ!」なんてならない。不審者を見る目で見ていたはずだ。
一番可能性が高いのは人攫い。でも馬車を走らせながら引き込めば良かっただけの話なので、単に道が聞きたいだけかもしれない。
「ペネロペ・ドーソン子爵令嬢。旦那様があなたとお話したいとおっしゃっておられます。手短にすませますので、馬車に乗っていただけますか?」
どちらも外れだった。
モノクルの初老男性はちらりと紋章を見せた。よく分からないが、どこかの貴族家のものだったはず。それも私が知っているほど高貴なお家の。
「ドーソン子爵家にとっても悪い話ではないはずです」
今のペネロペを見れば、大抵の人が平民だと思うだろう。
着古したワンピース姿なのに、ペネロペをドーソン子爵令嬢だと調べ上げているこの初老男性。ここで逃げても、きっと逃げ切ることはできない。何ならすぐに家まで来そうだ。両親に心配をかけることまで考えてから、ペネロペはゆっくり頷いた。
「分かりました」
「ご協力ありがとうございます」
人目につきたくないのだろう、すっと手を差し出されて馬車の中に引っ張り込まれた。
ただしとても丁重に。
引き込まれた馬車の中には高貴だが予想よりも若い人物が待っていた。
仕立てのいい服、黒い髪に金に近い色の目。私よりも年上の男性。
「ジルベール・オルグレンだ」
田舎の子爵令嬢の私でも知っている。
彼はオルグレン公爵だ。もちろん、顔は知らなかったが名前だけは知っている。先代オルグレン公爵が急病で亡くなり、若くして公爵位を継いだことで有名な人だ。
彼は私をまじまじと、失礼だと言いたくなるほど観察して頷いた。
「髪は染めればいけるな。骨格がよく似ている。化粧もすればより似るだろう」
「おっしゃる通りでございます。いやはや、まさかこんな奇跡が」
彼と初老男性は二人にしか分からない会話をしている。
黙っていると、若き公爵たちはやっと意味の分からない会話をやめた。
「君には私の妹のフリをして欲しい。金は出す」
「妹さん、ですか」
「正確には父の後妻の娘だから私にとっては義理の妹だ。レックス第二王子の婚約者で名前はメロディ・オルグレン」
なんて可愛い名前だ。メロディ・オルグレン。もう名前からして私はすでに負けている。
でも、なぜ私が突然公爵令嬢のフリを? いくら似ていても田舎の貧乏子爵令嬢に頼る意味は?
「メロディは病弱だ。第二王子の婚約者として社交を満足にこなせない」
「なるほど。それならば婚約解消になるのが普通かと思いますが……認識が間違っているでしょうか」
「普通であれば、な。第二王子は無能で通っていた。しかし、ここにきて第一王子の横暴さは目に余るほどだ。だから、第二王子殿下は王太子の座を狙うことにした。そう決心されたのがつい最近だ。そうなると、婚約者と共にある程度の社交は要る」
落ち着いた声で淡々と説明しているが、かなり重大な内容だ。
「これ以上聞くと、私はかなりマズいと思うのですが」
「すでにマズいだろうな」
「とりあえず、お金をどのくらいいただけるのか先に教えていただけますか。そうでないと私は正しく後悔できません」
若きオルグレン公爵は私の薄い覚悟を見て笑った。
「いい判断だ。カーティス」
公爵は初老男性に視線を送る。
「礼としてこのくらいは」
カーティスという初老男性に見せられたのは、目玉が飛び出るような額だった。
眉のあたりをマッサージしてからもう一度嘘ではないかと金額を凝視していると、公爵が口を開く。
「髪を染めて化粧をすれば、君はメロディに仕上がるだろう。君の後ろ姿は驚くほど妹によく似ている。公爵家に住み込んでマナーや教養を徹底的に学び、第二王子の婚約者として公の場で振舞ってくれればこの金額を出す。期間は最低半年から、長ければ二・三年。最悪三年以内で結果を出す予定だ。長引くなら金額は上乗せする」
「これだけの金額を出す価値があるということですか」
「ここから先はマズい内容なんだが、聞くのか」
「これだけあればうちの借金をほとんど返せるので聞きます」
「よろしい。第二王子は以前まで無能のフリをしていたわけだ。王位に興味はありませんと示すために。ただ、ここにきて王位を狙うのなら後ろ盾のしっかりした家の婚約者は要る。メロディは後ろ盾だけはしっかりしているが、いかんせん病弱だ」
第一王子の横暴さについては学園に通っている弟から聞いていた。
我が家には借金はあるけれど、弟は跡継ぎなので学園に通っているのだ。まだ学園内のことだからと今は済んでいるがあれは……。思わず眉を顰めてしまう。
身分の低い者を平気で虐げ、婚約者をないがしろにして他の女性を侍らせ、課題は他の生徒にやらせているらしい。会ったこともないが、あんな王子が王太子どころか国王になってもらっては困る。学園の中だけの若気の至りでそんなに酷いなら、権力を持たせてしまったらどうなるのか。
「メロディではない婚約者を据えればいいかもしれないが、それでは王太子の座を狙っていると大っぴらにしているのも同然だ。第一王子には自業自得で失脚してもらう。王位争いは国を乱す上に、愚かな第一王子を推す貴族たちも多いから正面から争うのは得策ではない」
「私が公爵令嬢のフリをするにあたって、危険はどのくらいありますか」
「君は夜会や茶会に顔を出していないし、学園にも通っていないからまず君だとバレる可能性はほぼないだろう。だが、第二王子殿下が本格的に無能のフリをやめることによって、婚約者のフリをする君も命から貞操まで狙われることもあるだろう」
普通、そこは逆の言い方をするのではないだろうか。貞操から命までって。
「だからこそ、あの金額なんですね」
「あぁ」
危険もそれなりにあるということだ。金額を思い出し、思わず唾をゴクリと飲みこむ。
「オルグレン公爵家にとってメリットはあるんですか? 令嬢が病弱のままであれば、私が身代わりをやめれば問題が起きるのではないですか」
期間は先ほど言われたけれど、どんどん延長されたらたまらない。それに身代わりが終わって殺されるかもしれない。子爵家が公爵家に盾突けるわけがない。
「第二王子が王太子になったら、メロディとの婚約は解消する予定だ。第二王子は王位に興味がないということを示すためにわざわざ病弱なメロディと婚約していたんだ。メロディでは王太子妃、将来の王妃は無理だ」
公爵は言い切った。
なるほど、臣籍降下すると思わせていたわけだ。でも、公爵家に婿入りじゃないから新しく公爵位でももらうつもりだったのか。それかオルグレン公爵家の持っている爵位をもらうのか。どちらにしろ、貧乏子爵家の私に高位貴族のあれこれは関係のない話だった。
「公爵家としては第二王子が王太子になれば、婚約を解消していても大きな恩が売れる。便宜も図ってもらえるんだ。大体、あの調子の第一王子が王太子になったら困るからな。どんな言いがかりをつけられるか分からない」
一通り質問して、納得した。
何よりも借金を返すことができそうなのが大きかった。借金のせいで持参金も出せないから、私には婚約者どころか結婚できるかも怪しい。結婚しなくても図太く稼いで生きていくつもりではあったけれども。
「契約書を作っていただけますか。両親には説明しておかないといけません。可能性はとても低いですが、夜会で会うこともあるかもしれません。そして学園に通っている弟にも」
「魔術契約書を作る」
そんなお高い契約書を。
魔術契約書は特殊加工された紙で作られており、サインした契約者全員の血判で契約が完了する。契約者たちは契約内容を口外できなくなるという代物だ。この公爵は私を本気で身代わりに仕立て上げるつもりなのだ。
「関わる公爵家の使用人たちも全員この契約書にサインをする」
本気の本気だ。魔術契約書の紙がどれだけ高いと思う? それも公爵家にとってはした金なのか。
そこまでして第一王子ではなく、第二王子を王太子にしたいのか。こんな貧乏令嬢に身代わりまで頼んで?
こんなうまい話があっていいのだろうか。
頭に疑念が過ぎるが、それを振り払って頷いた。
祖父が投資に失敗して作った借金を綺麗にする最大のチャンスだったから。
もう私は貧しく侘しい生活に疲れていたのだ。




