第九十二話、『パンドラの王』
約1500年前。
アレスが封印が解け、再びこの世界に産み落とされた。
憎むべき父親も妹も、アルカディア王も存在しない、あまりにも退屈な世界に。
アレスは処理の終わらない膨大な情報を脳に抱えていた。
思考することも、五感で周囲の情報を取得することもままならず、彼は一人孤独に眠ることしかできなかった。
それから300年ほど、数分目覚めては数十年眠り着くことを繰り返し、やがてアレスは思考能力を取り戻していった。
そして莫大な魔法知識から、自らの分身体であるホムンクルスを生み出すことに成功した。
感情を持たず、アレスの思考をトレースしたその個体を、アレスはオメガと名付けた。
アレスの目的はたった一つ。
自分をこんな身体にした気味の悪い笑顔を浮かべるあの女――この世界の支配者たる『神』を殺すこと。
そのために、アレスはオメガに聖域に辿り着く方法を探せと命じた。
オメガは与えられた魔法知識を駆使して、その願いを叶えるために必要な『戦略用』ホムンクルスを生み出した。
そしてオメガはアレスの思考を受け継ぎ、六種族が共存する世界を嫌った。
その結果、1000年前に天魔大戦は勃発した。
しかし、オメガの研究は行き詰まった。
次元の扉は発見されたが、王家の紋章で封印が施され、肝心の『鍵』が見つからなかったからだ。
アルカディアの末裔である東和民は、常に監視するために悪名を広めて東大陸の極東へと追いやった。
聖域の扉を開くには、アルカディアの血が必要であるため滅ぼそうとはしなかった。
その中で、オメガにはある思想が芽生えていった。
その後、『戦闘用』ホムンクルスが生み出される。
更にベータによって『汎用』ホムンクルスが作られた。
そしてここに、パンドラが結成された。
〜〜〜
天空神殿、内部。
青き月が淡くその戦場を照らしている。
ディアとアイシャに、無数の影が伸びた。
刃物ように強靭で、ムチのようにしなやかな影。
オメガの陰魔法は、それらを触手のように操っている。
「流石は十二騎士の端くれですね。英霊となった身体でも、ここまで動けるとは正直想定外でした」
戦闘が始まって数分程度。
二人はオメガの攻撃を避け続けていた。
しかし、無傷なのは双方ともだ。
「気に食わないね。攻撃に全力を注いだらどうだ?」
「私の目的は時間稼ぎにすぎませんから」
オメガはアルファ同様、負けない戦法をとった。
水晶さえ破壊されなければ良いのだ。
あとは黒き太陽がすべてを飲み込んでくれる。
「分からないな。この世界すべてを無に帰す存在、それがあの黒き太陽だ。キミも、キミの主も例外なく死ぬ。何故、そこまでキミはあれに執着するんだよ? 死にたいなら勝手に死ねばいいじゃないか」
「いえ。私たちは誰も死にません。私たちはひとつになり、そして本来あるべき場所へと帰るのです。――寧ろ、私にはあなた方の方が異常に思えますがね。何故『救済』を拒むのです?」
「きゅ、救済? あ、あれに呑まれるのが救済って……そ、そう言ってるの?」
アイシャが戸惑いを隠せず聞き返した。
「この世界は長く続きすぎてしまっています。淀み、穢れ、狂い、美しき大地は傲慢な民によって荒らされてしまいました。3000年前のラグナロクは、この異常な世界を一度リセットして正しい方向に導こうという『神』の救済だったのです」
「……なるほど。キミがアレスに逆らった理由が分かったよ。ボク達は勘違いしていたんだ。パンドラはある強固な『意志』によって統一されていた。――キミがパンドラの王だったんだね」
「ええ」
パンドラの目的は、ラグナロクを再び起こすこと。
それはアレスの目的とは異なっていた。
ホムンクルスは皆、自分がアレスによって作られたと教わり、父親のために自らの義務を全うしようとしていた。
だが、パンドラを操っていたのは、この女の私情に過ぎない。
「私はある日気づいてしまったのです。マスターは『神』の慈悲を理解できず、あろうことか反逆しようとしている愚かな罪人だと。――あの日から私は、次元の扉を探しながら、どうすればラグナロクを起こせるかばかり考えていました」
ラグナロクを起こすこと。『神』を殺すこと。
オメガとアレスの目的は違えど、そのおおよその過程は一致していた。
「一番の弊害はマスターでしたが、あなた方がマスターを疲弊させてくださったおかげで、全ては上手くいきました」
時の繭。
オメガが下賜された魔法知識から生み出した時空魔法。
世界から切り取った空間の内部で、異なる時間を進ませることができる。
アレスは眠りにつく直前、オメガに時の繭を使うことを命じた。
時間の流れを最大まで早めれば、数時間で数ヶ月程度に及ぶ睡眠を得ることができるからだ。
だが、オメガは反対に時間を遅めた。
現実世界での数時間が、時の繭内部では数秒になるように。
この戦いにおいて、アレスが目覚めることはない。
「皆がひとつとなり、聖域へと帰る。なんて素晴らしいことでしょう」
「理解、できません……ッ! そんなことで、3000年前の災厄を蘇らそうだなんて……」
「別に理解されようだなんて思いません。ですが、私がいなければ待つのはマスターの望む破壊と暴力の世界ですよ」
「そんなのはボクの英雄が必ず阻止する!」
「無理ですよ。マスターには誰も敵いませんから」
誰よりもアレスの力を知るオメガは、そのことを一切疑ってはいなかった。
寝込みを襲ったところで、アレスの命に終焉をもたらすことはできなかっただろう。
「どちらにせよあいつは眠っててくれるからね。あとはキミを殺せばすべて上手くいく!」
「埋め合わせで十二騎士に入っただけの、翼も角も持たない竜人種ごときが、あまり調子に乗らない方がよろしいかと」
「確かにボクは十二騎士じゃ最弱だよ。でも、この地位を誰かに譲るつもりなんてないし、ボクにだってプライドがある!」
龍神の紋章が光り輝く。
黒い霧が立ち込め、瞬く間にディアの姿を覆い隠す。
「悪いけど、陰魔法はボクの専売特許だ」
「なら、より深い影で呑み込むまでです」
影がぶつかり合う。
実力は互角、しかし、魔力量には天地の差がある。
負けない戦いをするオメガの優勢は崩せない。
「わたしを忘れないでください!」
あくまで正々堂々と。
騙し討ちを好まないアイシャが接近戦を仕掛ける。
「…………っ」
オメガの涼し気な表情が崩れる。
3000年も神器の中で眠っていたかつての栄光に縋る古き者など、恐れるに足らないと考えていた。
しかし、二人は見蕩れるほどの連携が取れていた。
ディアとアイシャ、二人はかつて相棒だった。
十二騎士の中で実力が劣る二人は、アルカディア王の命令でよく行動を共にしていた。
その事を不満に思っていたが、やがて一緒に行動することが当たり前になった頃には、弱い二人が組まされたなんて思うやつはいなくなっていた。
そんな二人だからこそ、3000年後の今も連携が取れた。
言葉などなくとも、互いの姿が見えずとも、考えていることが手に取るように分かるのだ。
「懐かしいね、こうやって一緒に戦うの」
「そうだね。気持ち悪いけど、キミとなら負ける気がしないんだよね!」
龍虎の如き猛りに、オメガは徐々に劣勢に立たされていく。
「別に、私は使徒様を傷つけるつもりなどありませんよ」
「使徒様?」
「あなた方が守っている月龍帝ルナのことですよ。私にとっては彼女こそが神の代理人、この穢れた世界を救うため使わされた使徒様です」
憎らしいほど涼しげにいけ言うオメガ。
それは二人にとって許し難い発言だった。
「……ふざけるなよ。ルナ様が――」
「ルナちゃんがどんな気持ちで生きてると思ってるの!? ずっと自分のせいだって……夜な夜な泣いてたんだよ!」
ディアの怒りをアイシャの憤慨が遮った。
もうそこには、か弱く及び腰のアイシャはいない。
鬼の形相を浮かべ、怒りで髪が逆だっている。
「……頼むから我だけは忘れないでくれよ」
ディアがそんなアイシャを見て距離をとった。
緑の髪は白く発光し、眼光は不気味に煌めいている。
解き放たれる。本来のアイシャの姿が。
「許さない……ッ! 絶対に……ッ!」
「古代獣族、幻狼種……ですか。なるほど……貴方が『猛獣王』と呼ばれていた理由が分かりました」
「その願いだけは叶えてはいけない!」
アリストリアにおいても特に希少とされていた種族。
太古の時代に絶滅し、獣族数千万人に一人の確率でしか生まれることはない変異種である。
感情が高ぶると周囲の魔力が集まり、可視化できるほどの闘気を全身に纏う。
「ガアアアアア!!」
「――――ッ!」
アイシャの拳に、影の刃がいとも容易く破壊される。
理性は残っているが、圧倒的に冷静さを欠いている。
攻撃のみに全身全霊を注ぐノーガード戦法。
しかし、その猛攻が、オメガを追い詰めていく。
「――仕方ありませんね。一時的に『時の繭』を解くことになりますが、致し方ありません」
時空魔法で切り取れる空間の体積には制限がある。
しかし、オメガはそれなしで二人に勝つことは不可能だと判断した。
猛攻を続けるアイシャを、時の繭が囲う。
その瞬間、アイシャの動きが止まった。
否、時間の流れが千分の一程度になったのだ。
時の繭は外からの干渉を受けると途切れる。
与えられる攻撃は一度だけ。
しかし、その一撃は内部のものからすれば不自然な挙動で襲ってくる。
「アイシャ!」
影の刃がアイシャの喉元へ吸い込まれる。
目の前の光景が一瞬で変化した。
その一撃を、上半身を逸らすことで回避するアイシャ。
「あ、危なかった……」
「驚きました。まさか時が遅められたとも知らずに、並外れた反射神経だけで躱されるとは。しかし、いつまで避け続けられ――」
「と、というか今、ディアちゃんがわたしの名前読んだ気がするんだけど!」
「……キミってやつは、気が弱いんだか強いんだか」
頼もしさを感じてディアが笑う。
緩和した空気が生まれる。
それを壊すように、影の刃が荒れ狂った。
「無視されて怒るなんて、人間らしいところもあるじゃないか」
「あなた方をここで殺せば、もう誰もこの天空神殿には入ってこれません」
転移無効化結界のせいで、転移魔法陣は起動していない。
そして天空神殿には外からの侵入者を拒むシステムが現在でも生きている。
それを掻い潜れるにはアレスほどの実力が必要だ。
時の繭が解禁されてから、オメガは劣勢を跳ね除けた。
ディアとアイシャが攻めあぐねる。
二転三転と、優勢劣勢が逆転する。
それほど拮抗した戦況。
だが、オメガにはそれを打破する確信があった。
「ほら、簡単に綻びました」
「ディアちゃん――!」
綻び。影の刃がディアの右足をはね飛ばした。
一瞬の集中の乱れが致命傷となる。
人間だからこそ集中力を常に保持することはできない。
そこから一気に連携は瓦解する。
攻撃一辺倒だったアイシャが、負傷したディアを庇った。
「馬鹿か――」
「そうですよね。あなた方は仲間を見捨てられない。たとえ英霊の姿で死ぬことなどなくても、十二騎士時代の経験が身体を突き動かす」
影の刃が、アイシャの切り裂いた。
英霊は神器を破壊されない限りは死なない。
しかし、消滅すれば再び身体を再構築するには時間が必要だ。
「…………」
ディアは悔しさに歯ぎしりする。
そして淡々と歩いてくるオメガを睨みつけた。
「後はあなたを消せば全て終わりです。たとえアルファが敗北しようとも、私の水晶は誰にも破壊されない。そしてマスターは覚めぬ眠りにつかれた。黒き太陽が世界を飲み込み、皆で聖域へと還るのです」
『――誰が、覚めぬ眠りについたって?』
全神経が震え上がり、身の毛がよだった。
その深い憎悪がまとわりつくような声に、一瞬でその場が支配された。
「――え?」
オメガの心臓から人の腕が生えた。
否、背中から貫かれたのだ。
そしてその腕に握られていた黒曜玉が、粉々に砕け散った。
オメガが血の塊を吐き出した。
悪魔を見たかのような怯えた眼でゆっくりと振り返る。
「……どう、して……まだ数分しか経っていない、はず……」
「勘違いすんなよ。お前は俺が作ったんだ。お前にできることが俺にできないわけねぇだろうが」
「まさか……時間の進みを、早めた?」
「ああ。流石に時の繭が発動している状態じゃ俺も目覚めれなかったがな。お前が時の繭を解除してからの数分で、よく眠れたぜ」
オメガは仰向けに倒れた。
胸に空いた穴が再生されていない。
「お前を作ったのは失敗だったな。やっぱ俺にはパンドラなんていう組織は必要なかったんだ。俺は一人で何だってできる。生まれた時からずっと、俺は一人だったんだからな」
アレスはオメガの頭蓋を踏み潰した。
「……アレス。すべての元凶」
「よお、ディア。久しぶりだな。会えて嬉しいぜ」
「ボクは二度と顔なんて見たくなかったよ」
「そうか。俺はお前をこの手でぶち殺せるんで最高の気分だ」
薄く微笑みながら、アレスはディアの首を掴み持ち上げた。
「安心しろ。後でちゃんと神器は壊してやるよ。んで、言い残すことはあるか?」
「ボクから言えるのは一つだけだ。――くたばれ。いい加減に死んで、さっさと神話の存在になれ。そして、覚えておけ、ボクのご主人様が必ずキミに終焉を齎す!」
「無理だな。誰も俺を止められない。俺を止められる奴は、もうこの世界にはいない。――地獄で待ってろ、すぐにルナを送ってやる」
首が握りつぶされ、ディアの頭が飛んだ。
そして光の粒となって霧散し、神器へと帰っていく。
「黒き太陽……皆で聖域へ還る? くだらねぇ。この世界は俺のもんだ。この世界をぶっ壊していいのは俺だけなんだよ。――そして俺が神を殺し、この世界の支配者になってやる」
アレスが目覚め、動き出す。
黒き太陽が世界を呑み込むまで、あと2時間。




