第八十六話、『信念』
約一ヶ月前、ゾルマの元にゼクスが現れた。
ルノアの力になりたいのなら私を信じろ、と。
最初は「あいつはもう戦友ではない」と一蹴したゾルマに、ゼクスは日付と時間と場所だけ教えた。
結婚式にも行かず、別れの挨拶もしなかったゾルマは、妹のティアラに毎日のように諭されていた。それでも、
「あいつは俺に、足でまといだと言った」
「でもそれは、お兄ちゃんを戦いに巻き込みたくなかったからで」
「そんなことは分かっている。分かっているからこそ許せないんだ」
「もう、お兄ちゃんの頑固者! もう知らない! 明日から口聞いてあげないから!」
そんな会話をほぼ毎日繰り返していた。
ゾルマにとって、戦友というのは苦楽を共にするものであり、背中を預け合える存在だ。
一緒に戦って欲しい、ゾルマはルノアにそう言って欲しかった。
ティアラが諦めずに諭し続けたのは、ゾルマがルノアと決別してアトランティスに戻ってきてからも鍛錬に励んでいたからだ。
〜〜~
「お前さんは確か……神殿騎士団の」
「今の俺は、ただのゾルマだ。アトランティス戦士団の団長として、この世界の終焉は阻止せねばならない」
「そうか。この際、そのような事などうでもいい。協力してくれるんじゃろ」
「ああ」
短く返答する。
何故、海底都市の海上に出現した蒼玉の塔ではなく、遠く離れた翠玉の塔を伝えられたのか、ゾルマはガンマを見て理解した。
「再生するホムンクルスか。いくら四聖神でも、一撃で沈めることはできないだろ」
「そうじゃ、彼奴の心臓付近にある翌玉を破壊すれば倒せるやもしれんが、彼奴の表皮が硬すぎて話にならん」
「突破力が必要か。なら、俺に任せろ」
ゾルマはガンマと対峙して、槍を握りしめる。
そして心臓付近に埋め込まれている翠玉に狙いを定める。
「誰ダ、お前! 我輩を楽しませてくれるのなら大歓迎ダゾ! そうダ! 二人でかかってこい!」
「悪いがもう勝負はついた。――魚人水槍術・奥義『凱貫穿』!」
体躯を大きく畝らせて投擲された海神槍は、虚空に直線を描きながら突き進み――防御しなかったガンマの心臓を容易く貫いた。
ガンマは膝を折り、地面に手を着いた。
しかし、穴はすぐに塞がった。
勝利したと一瞬でも勘違いすることも無く、二人はまだ戦いが続いていることを悟った。
「狙いがズレたのか」
「いや、的中しとったよ。じゃが、壊せんかった」
翠玉はガンマの皮膚とは比べ物にならないほど硬い。
加えて球体であるため、力が上手く伝わらなかったのだ。
「翠玉を破壊して勝つ? つまらないこと考えるデない! 我輩ガ望むのは、肉と肉、力と力、魂と魂のぶつかり合い! 血で血を洗う、醜い殺し合い! 美しさも、技量も、ルールも何も無い! 縛られることはない! 思う存分! 殴り合おうゾ!!」
ガンマが巨体を畝らせ二人に肉薄する。
ディエナは持ち前の反射速度で回避するが、ゾルマはガンマの拳を正面から受けた。
「魚人の御方!」
ゾルマは後方に吹き飛ばされるが、倒れることは無かった。
魚人種は龍族に並ぶパワーを誇る。
ディエナのような速度も反射神経もないゾルマは、正真正銘、小細工無しの近接戦に応じるしかない。
「我輩の一撃を受けて倒れんとは! 貴様なら……貴様となら、デきるやもしれん! 全力の! 殺し合いを!」
「やってみろ、木偶の坊。戦友に裏切られた鬱憤、お前で晴らされてもらう!」
鎬を削る肉弾戦が始まった。
体格も速度もパワーも格上の相手に、ゾルマは磨き抜かれた『技』で渡り合った。
否、ゾルマが劣勢に立たされているのは火を見るより明らかだ。
「助太刀致すぞ、魚人の御方!」
それでもゾルマが渡り合えたのは、ディエナのサポートがあったからだ。
身体能力と筋力を極限まで高める『鬼鎧』は、そう長くは続かず、命をすり減らし続ける。
初め、ディエナはアレスの最終決戦に備えて力を温存するつもりだった。
しかし、手加減が通じる相手ではないと判断し、この戦いに全てをぶつけることを選んだ。
だが、もはやガンマは気にも留めていない。
ガンマは攻撃を避けない。防御もしない。
全て肉体ひとつで受けている。
それがガンマの戦闘スタイルだった。
「殴打! 殴打! 殴打! いいゾ、魚人! 何度殴っても倒れぬ戦士は初めてダ! これこそ、我輩が待ち望んだもの! もっと――我輩を、楽しませろ!!」
「――――ッ!」
ガンマは更に加速する。
止むことなく続く打撃の嵐。
ゾルマは技量でそれらを捌こうとするが、攻撃に移れずサンドバッグ状態になっている。
魚人は熱と乾燥に弱い。
地上に長時間いれば、肌が乾いて身体能力が徐々に落ちていく。
加えて体温の上昇が、体力の消耗を早める。
防戦一方。壁際へとじりじりと後退させられていく。
「暴力! 暴行! 暴威! 暴挙! 暴虐!! 脳ガ沸騰する! 身体ガ燃え上ガる! 魂ガ滾る! これガ我輩の……生まれた意味!! 我輩は戦うために生まれてきたのダ!」
ガンマは誰よりも輝いていた。
誰よりも楽しそうだった。
ついに見つけたのだ。生まれてきた意味を。
「感謝する魚人の戦士! 感謝する爺さん! 今、我輩は義務を果たし、完成するのダ!!」
ガンマが動く度に衝撃波が荒れ狂った。
もはや誰にもガンマは止められない。
ディエナとゾルマは共に吹き飛ばされ、壁に激突して仰向けに倒れた。
「快ッ感……ッ!!」
ガンマは恍惚とした笑みを浮かべた。
理性なんて吹き飛び、涎を滴らせ、この瞬間が人生の絶頂だと言わんばかりの顔をしていた。
勝敗は決した。その場には静寂だけが取り残された。
その時、ガンマの背中に勢いよく水球がぶつけられた。
そこには、頭から血を流したスクルドが立っていた。
〜〜~
何をしているのだろうか、私は。
目の前でディエナ爺と魚人の戦士が戦っている。
私は意識を取り戻すと、瓦礫の山に埋もれていた。
そうだ。私は敵が頭上から迫ってきたことに気づけず、間抜けにも天井の崩落に巻き込まれたのだ。
全く、なんだ私は。
四聖神ではない魚人が勇敢に戦っていると言うのに、私はアレスの前で恐怖で膝を折り、戦うことを放棄した。
それでも誰も私を責めたりはしなかった。
それどころか、今もこうして庇われている。
何のために私はここにいる?
足を引っ張るためか?
ディエナ爺に迷惑をかけるためか?
何で私は四聖神になったんだろう。
故郷を飛び出したところを、ゼクス様に拾われた。
でも正直、命を賭すほどの恩義は感じていない。
ディエナ爺みたく、名を馳せていたわけでもない。
ヴァニアルさんみたく、圧倒的な強さもない。
シャリティアさんみたく、高潔な理想もない。
空っぽだ。
『青龍』の地位に恥じない存在になろうと心がけてきた。
四聖神として世界のために頑張ろうとしてきた。
だから私は調子に乗っていたのだ。
自分よりも弱い相手に勝利して、自分が強くなったと勘違いしていた。
何故、この地位にしがみつく?
何のために私は命を張っている?
そんなこと、考えたこともなかった。
今まで何も考えずにゼクス様の指示に従っていれば良かった。
でも、やっぱりそうなんだ。
きっとそれが答えなんだ。
私は『四聖神』として活動するのが好きだ。
各地を巡り、助けた人に感謝され、色々な人と出会い、別れ、祖父のように慕ってくれる人ができて、妹のように可愛がってくれる人ができて――好きだったんだ、この居場所が。
戦うのは好きじゃない。
できることなら、命なんて張りたくない。
なのにここに来たのは、怖かったからだ。
この居場所が失われるかもしれないと思った。
目の前でディエナ爺が吹き飛ばされるのを見て、血の気が引いた。
このまま何も出来ず、指をくわえて、息を殺して、しっぽを巻いて、自分の無力さに打ちひしがれながら、死んでいくのか、と。
――嫌だ。
だから私は立ち上がった。
自然と身体は震えなかった。
頭を打って、麻痺しているのかもしれない。
「なんダ、小娘。我輩が恍惚としているところに水を指すなド」
怖い。怖い。怖い。
死にたくない。
でもそれ以上に――仲間が殺されるのを黙って見ていたくない。
「うわあああああ!!」
私は叫んだ。
もっとも単純な魔法――水球を乱れ打った。
恐怖と怒りがぐちゃぐちゃになっていた。
「鬱陶しい!! 脆弱な魔法使いは嫌いダ!!」
ガンマの巨体が肉薄してくる。
そして私は早口で詠唱を始める。
「勇猛なる炎の精霊よ。我が身に大いなる業火を齎したまえ――炎」
炎の魔術。海族の私には適正もなく、心もとない火の粉がガンマに向かって飛んでいく。
それでも、十分だ。
「ファーハハハッ! そんなもので我輩を――ッ!?」
ガンマの全身が炎上する。
火の粉が引火したのだ。
「油ダと!?」
違う、ただの燃える水だ。
私は水魔法しか使えない。
しかしそれを氷にすることはできた。
もっと自由に、解釈を広げろ。
凝り固まった価値観は捨てろ。
自分を卑下して限界を定めるのはやめろ。
逃げるのも、隠れるのも、もううんざりだ。
命絶えるまで、みっともなく足掻いてやろう。
「小娘ガァァァァ!!」
火達磨が迫ってくる。
焦らず、私は床を埋め尽くすほどの水を撒く。
氷じゃダメだ。どうせ止められやしない。
だったら――
「ぬおぉっ!?」
ガンマが足を滑らせ背中から倒れた。
起き上がろうと藻掻いているが、立ち上がれそうにない。
いける。
でも、魔力切れが近い。
長期戦になれば勝ち目はなくなる。
「ダから――鬱陶しい!!!」
ガンマが魚のように跳ねた。
その直後、床が崩壊して落下していった。
「鬱陶しい……故! 破壊! 崩壊! 瓦解! 全部全部全部! ぶっ壊す!!」
空いた穴から水が排出されていく。
そしてすぐにそいつは這い上がってきた。
見るも恐ろしい化け物の姿だった。
「脆弱な魔法使いガ……ッ! 貴様の小細工なド無駄ダ! 無謀ダ! 無茶ダ! ここデ、無惨に死ぬガいい!」
「うわあああああああ!!」
私はガンマに氷の刃を乱れ打った。
しかし、もはやダメージなど通らない。
魔力ももうからきしで、動けない。
暴走するそれは止められない。
――でも、最後に一矢報いてやった。そして私は、未来ある青年に……そして仲間に託したのだ。
目の前に巨大が拳が見えたのを最後に、私の意識は途絶えた。
〜〜~
重かった身体が軽くなった気がした。
俺の身体を水が包み込んでいた。
ただの水じゃない。海水だ。
何故こんなところに――そう疑問に思った直後、遠くでガンマの拳に小さな女が潰された。
俺がもっと強ければ、救えたはずの命だった。
俺は自らが戦場にいたことを思い出し、立ち上がった。
どうやら気絶していたようだ。
しかし、何故か身体の傷は癒えている。
魚人にとって海水は生命線だ。
肌が乾くと、体温が上昇し、熱に浮かされて最悪命にかかわる。
だが今は、とても気分が良い。
海中以外でここまでコンディションが良いと気持ちが悪いくらいだ。
ガンマはこちらに背を向けている。
しかし海神槍は今、手元にはない。
視線を巡らせ、壁に突き刺さった海神槍を発見する。
俺はそこに向かって走ろうとした。その時、
「しブとい奴は嫌いデはないゾ! 魚人!!」
ガンマの巨体が進行方向を塞ぐように肉薄した。
まだ……加速するというのか。
ガンマは両手を組み、槌のように振り下ろした。
「止まるでない! 魚人の御方!」
ガンマの丸太のような両腕が同時に切断される。
まるで目で追えなかったが、あの老人が斬ったのだ。
動きが段違いに軽快になっている。
「若返ったようじゃ。傷も治っておる。……儂の孫娘が、託してくれたんじゃ。……守れなんだ」
その老人の顔は酷く怒っていた。
あの女の子の祖父だったのだろうか。
いや、関係など知らずとも、深い仲だったのは確かだ。
「何度と言わせるデない、爺さん!! いい加減――」
「いい加減に死ぬのはお前さんのほうじゃ! これ以上、儂の前で好き勝手にはさせん!」
ガンマの両腕が一瞬で再生する。
前、ホムンクルスが何度も再生するのを目の当たりにした。
なら、こいつはそれ以上の再生力を秘めていると考える方がいい。
しかし、今回は明確な『心臓』が存在している。
「孫娘一人守れんような老いぼれの身体なんぞ、いくらでもくれてやる!! お前さんを地獄に送った後でのお!!」
老人の肌が赤く染まっている。
今にも全身が出血しそうだ。
鎬を削り、命をすり減らし、全身全霊で戦っている。
この戦いが終わった後、死んでもおかしくない。
「ゆけ! 魚人の御方! お前さんなら、彼奴の心の臓を破壊できるはずじゃ!」
「承知した! 持ちこたえてくれ!」
「ドけえええええええええええ!!」
ガンマが暴れている。
恐れている。俺の『凱貫穿』を。
――あと、少し。
しかし、海神槍に手を伸ばした直後――床が崩壊して海神槍が落ちていった。
なのに、それは戻ってきた。
空を飛ぶように、俺の手元にすっぽりと収まった。
海神槍は意志を持つ。
使用者を選定し、投擲後、使用者の元に自動で戻ってくる。
しかしそれは……その『意思』は……いや、今はいい。
『ありがとう。お兄ちゃん』
俺は海神槍を握りしめ、投擲の構えをとる。
直後、老人がガンマの拳を受けて吹き飛んだ。
受身を取っているようには見えなかった。
「無駄無駄無駄無駄無駄!! 貴様の槍如きデは、我輩の鋼鉄の心臓を貫くことなドできん!!」
ガンマが初めて防御の構えをとった。
すべての攻撃をノーガードで受けていたガンマが、だ。
――しかし、来ないなら好都合だ。
俺は《水流操作》で周囲の水を掻き集める。
それらは槍の先端で渦をまく。
これこそが魚人が得意とする投擲技の本来の姿。
海上や海中と違い、圧倒的に水量が足りない。
しかし、やるしかない。
そう思った直後、大量の水が集まり勢いよく渦を巻き始めた。
「……私の、魔力……全……捧げ…………おね、がい……」
遠くの方で青髪の少女が杖を掲げていた。
きっと、彼女が俺のために海水を生み出してくれたのだろう。
なら、俺はそれに全力で答えよう。
「海神槍ティアラ――貴様を貫く、槍の名だ」
放たれた海神槍は一直線にガンマの心臓へと向かった、
そして、翠玉が砕け散った。
最期にガンマは、とても恍惚とした笑みを浮かべた。




