第八十五話、『乱戦』
蒼玉の塔。
突如海上に現れた孤島に向かって航進する統括軍は、甲板に登ってくる無数の闇人形を相手に苦戦を強いられていた。
先に上陸した数隊は既に半壊し、海に落ちた50人あまりは無抵抗に海に引きずり込まれ、大勢の死者を出していた。
そして海を進む闇人形を止める手段は存在しない。
大砲や銃器では無数の小さい的には当たらず、港町へと防衛線はジワジワと後退させられていた。
「まずい! このままでは!」
兵士の悲痛な嘆きがどこからともなく聞こえてくる。
そんな時だった、海に落ちた兵士を海の中から現れた何かが甲板へと引き上げた。
「ありがとう、助かっ――」
訳もわからずとりあえず謝辞を述べた兵士は、潮しぶきを浴びて銀の鱗を輝かせる槍を携えた男を見て腰を抜かせた。
「海族!?」
「はあ。助けてやったんだから、もうちょっと友好的な視線を向けてくれよ」
海族は今まで多くの船を沈め、大勢の人を殺してきた。
人族の間では海族は海の悪魔として認識されている。
兵士は海を渡ることに対して、闇人形よりも海族の出現を危惧していた。
「まあでも、俺らの先祖がやってきたことは変わらないしな。それにルノアさんの頼みだ。この戦いを、六種族が共存する世界を実現するための礎とするんだ」
神殿騎士団三番隊副隊長アルベルトは、ルノアの理想の実現のため、向けられる畏怖の視線を無視する。
そして、次々と海中から影が飛び出して、闇人形を淘汰していった。
海の覇者――海族の持つ《海上歩行》と《水流操作》の前では、形勢は簡単に逆転した。
地を這う蟻を踏み潰すが如く、闇人形は彼らに対して手も足も出なかった。
「どうして魚人が俺たちを助けてくれるんだ……?」
「助けるつもりなんてねえよ。空に黒い異物が浮いてたから掃除しに来ただけだ。お前ら陸の人間はさっさと上陸するか、引き返して港町の防御でも固めてろ。――海は俺らの故郷、海上は俺ら魚人の戦場だ」
人族にとって、海の上では海族は脅威以外の何物でもなかった。
「しかし、味方になるとこうも頼もしいものなのか。――感謝する、魚人の戦士たち」
頭を深深と下げて感謝する兵士を前に、アルベルトは大空を仰いだ。
「どうしたんですか、副隊長?」
「いや、感謝されるのも悪くは無いなっていう、ただ当たり前のことを思っただけだ」
どうしようもなく嬉しかった。
相手が誰であろうと、救った者に感謝されるのは。
だから迷いなんて微塵もなかった。
「陰どもは全部狩り尽くす! 絶対に誰も犠牲者を出させるな!」
いつも相手にしている海洋生物や、駆動要塞で相手にしていたゴーレムに比べればずっと楽だ。
魚人の戦士たちはサーフィンを楽しむように、波を乗りこなし戦場を縦横無尽に駆け回った。
彼らは間違いなく、誰よりも自由だった。
しかし、不穏な空気が立ち込める。
「な、なんだ!?」
そこに巨大な触手が現れ、帆船にしがみついた。
誰もが目を疑った。
それは、クラーケンのような触手を持った人間だった。
『煩い。煩い。煩い。騒ぐな、喚くな、物言わず死ね。オメガ様、命令、お前らを殲滅する』
帆船にヒビが入り、海水が侵入する。
化け物が出たと兵士たちが大慌てする中、しかし、アルベルトだけは状況をすぐに理解していた。
話に聞いていた『汎用』ホムンクルスだと。
「お前が、『白夜』の一人か」
「いかにも、我、アレス様に使える忠実なる下僕、白夜、第八席、ラムダ」
「八か……ちょうど俺一人でいけそうなのが来たな」
アルベルトは覚悟を決め、槍を構える。
ホムンクルスの脅威はヴァニアルとの一戦で身に染みて分かっていた。
あの時、指一本触れるどころか、近づくことすら適わずに淘汰された。
「副隊長!」
「俺一人で大丈夫だ! お前らは引き続き陰どもの殲滅に努めろ!」
三番隊にそう指示すると、再びラムダと対峙する。
「煩い、吠えるな。お前一人とは、舐められたものだ。捻り潰す」
「やってみろ、半人イカ野郎。ゾルマさんの背中を預かるものとして、お前ごときに負けてはいられないんだよ」
各地で『汎用』ホムンクルスが現れる。
怪物退治が始まったのた。
〜〜〜
紅玉の塔、周辺。
かつて地下帝国があったその場所で、闇人形と統括軍の掃討戦が勃発していた。
ヴァニアルとルノアが塔の中に入って10分足らず、思わぬ援軍が統括軍の味方をした。
奴隷解放団体『牙』。
そして神殿騎士団の一番隊。
獣族で構成された戦闘部隊である。
副団長アップが指揮をとり、兵士の救援と闇人形の掃討が行われている。
「助太刀感謝します! 『牙』の皆さん!」
この一年で獣族の差別意識は薄れていた。
もともと獣族を奴隷とする文化は廃れつつあり、一部の貴族や国家を除いて、奴隷制度に反対する者は大勢いた。
特に奴隷解放団体『牙』の名は轟いており、活動を通して資金援助や後ろ盾となってくれる組織も出てきた。
だからこそ、『牙』が味方をしてくれたことに兵士たちはただただ心強いと感じた。
しかし、ただ一人の獣人は憎みを込めて兵士たちを睨んだ。
『牙』の副団長補佐、ドッグ種のロウ。
かつて地下帝国に奴隷として収容されていて、救い出された獣人の一人である。
「なんで、俺がこいつらのこと……」
獣人の中でも一段と人族に対して強い憎しみを抱く彼が、副隊長補佐まで上り詰めたのは純粋に強かったからである。
鋭い爪は人体を簡単に切り裂く。
『牙』が奴隷市場を襲撃した時、ロウは奴隷として囚われていた人族も含め、50人あまりを虐殺した。
最初はアップやラーファにも噛みつき、『牙』のやり方は手緩いと反抗していた。
彼は誰にも縛られず、誰にも止められなかった。
しかしラーファに大敗を喫してからは、ラーファとラーファが最も信頼を置いていたアップには従うようになった。
「そう言うものではないですよ、ロウ」
「……分かってるっすよ。人族を恨むなって言いたいんすよね。でも、ここは昔、俺らが人族によって囚われてた所なんすよ。ここにいると、思い出すんすよ。ガキの泣き声と呻き声が、それを黙らせる穢れた大人の怒号が」
かつて地下帝国があった陥没地を見下ろし、ロウは殺意を研ぎ澄ませる。
そんな彼を見て、アップは優しく諭した。
「別に、無理に人族を憎むなとは言いませんよ。ただ、絶対的な価値観は持たない方がいいってだけです。『人族は皆敵』なんて考えていたら、信じたい人が現れた時に心が避けてしまいますから。価値観は柔軟に変化させるものです」
そう言われて頭に浮かんだのはルノアだった。
自分を救い出してくれた恩人。
しかし、完全に信用することはできなかった。
自分の中の価値観が信用することを許さなかった。
ロウは今度は先程助けた兵士に視線を向けた。
「俺たち人族は君たちを奴隷として扱ってきた。それなのに助けてくれるのか?」と、涙ぐみ真っ直ぐな目で感謝したあの兵士を。
獣族の中に人族を恨む者もいるように、人族の中には獣族に対して引け目を感じる者もいる。
それがロウにだって分かっていたのに、憎むことをやめられなかった。
「私たちが本当に望んでいる世界に、この憎しみは残すべきではありませんから」
「……うす」
ロウは小さく頷く。
「ところで、団長はどこにいるんすか?」
「ラーファさんは、ラーファさんがいるべき場所にいます。彼曰く、適材適所らしいですよ」
「…………そうすか」
ちょっと残念そうなロウに、アップは内心焦った。
強いものに惹かれるのは獣族の性なのかもしれない。
と。闇人形掃除に余裕が出てきた頃、二人はほぼ同時に『それ』の気配を察知した。
『兄さん。あいつらじゃない? 一番強い奴』
『そうだな。だが我らの敵ではない。弟よ』
空から襲撃したそれは、腕を四本、首を二本持つ、黒と白で左右異なる翼を持つホムンクルス。
「こいつらが例の……」
「気を抜かないでくださいよ」
「うす。副団長こそ、怖いなら俺一人で大丈夫っすよ」
「悪いですけど、『牙』のナンバー2はまだ譲る気はありませんから」
見るからに異形という姿に、ロウとアップは警戒心を強める。
「どうやって殺そうか? 兄さん」
「うむ。慈悲深くなるべく楽に殺してやろうぞ。弟よ」
「誰だよテメェら!」
ロウが牙を剥いて吠える。
その質問に、二本首は顔をつき合せる。
「「我らは『白夜』第四席。シータ兄弟。オメガ様の命により、お前たちを狩りに来た」」
狩る。その単語に、ロウとアップは小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「「――狩りは獣の特権だ(です)」」
〜〜〜
翠玉の塔。
スクルドが天井の崩落に巻き込まれ、ディエナと『暴虐』のガンマとの戦闘が始まって2分程度。
そこに立ち会えば、百人中百人が口を揃えて勝敗をこう予想しただろう――ディエナが勝つと。
「オルァァァァァ!!」
技量も美しさもない、ただ純粋な暴力を振り回すガンマを、ディエナは軽くあしらっていた。
拳を躱すと、その間に三太刀は入った。
ガイアがただの人間であれば、すでに100回は殺せている。
そう思うがゆえに、ディエナは焦りを感じていた。
圧倒的に突破力が足りない、と。
切傷は浅く、瞬時に治癒している。
デカい図体に見合った速度の単調な攻撃は、あと何千発繰り出そうとディエナには掠めもしない。
これでは負けないが、勝てない。
少なからず、夜明けまでには到底この戦いを終わらせられない。
いや、その前にこっちの体力が失せる。
ディエナは老いには勝てなかった己を嘲笑した。
「グアアアアアア!! 鬱陶しい!! 腹立たしい!! チマチマチマチマチマチマチマチマ!! 我輩! 我慢! 限界!! 男なら、棒切れなんて振り回さズ、己の肉体のみデかかってくるがいい!」
激しく憤っているのを音で感じ取る。
盲目だからこそ、見えないものまでディエナは見通せる。
ガンマの厚く固い皮膚を貫き、内部の水晶を破壊することはできないことが分かるのだ。
「老体に無茶させるんじゃない、全く。……人生の最後にとんでもない使命を背負わされたもんじゃ」
スクルドが埋もれた瓦礫の山を一瞥し、ディエナは死期を悟る。
「もう怒った! 怒り狂った! 故! 殲滅!!」
次の瞬間、ガンマの動きが変わった。
目では追えなかっただろう。
ディエナは全身で危険を予知して、事前に回避行動をとっていた。
ガイアの姿はもはや人間の片鱗もなかった。
筋肉が収縮したのか、体格が一回り小さい。
しかし比べ物にならないほど早く、一撃が重い。
「ファーハッハッハッハー!! ドうしたドうしたドうした!! 遅い! 遅いゾ! そして、つまらん! もっと、我輩を楽しませるがいい!!」
「――クッ!」
ガンマの拳がディエナの小柄な身体にヒットする。
ディエナの『虎神流』の受け流しは、本来打撃を完全に無効化できるほどの精度を誇っていたが、それでも打撃は骨身に響いた。
壁に叩きつけられ、ディエナうつ伏せに倒れた。
「ハッハッハッハー! 軟弱! 脆弱! 虚弱! 弱い、弱いゾ爺さん!!」
高笑いするガンマは、突然に黙り込んだ。
辺りが静寂に包まれた。戦いが決着したのだ。
そしてガンマは退屈に嘆いた。
「ウオオォオォォォオ!! つまらん! つまらんゾ! 我輩が望んダのは、このような蠅叩きなドデはない!!」
「誰が蠅じゃ……」
「ウオオォ! 生きておったか、爺さん! もっと、我輩と戦おうぞ!」
ディエナの全身は悲鳴を上げていた。
もはや刀を杖代わりに立ち上がるのがやっとだった。
それでも立ち上がらなければならなかった。
「よもや一発もらおうとは、儂も歳をとったものじゃ。あと30……いや、20歳若ければ……なんてのぉ、考え方まで年寄りになっとる時点で、終わりじゃな」
精神までボロボロになった自分を笑い飛ばし、ディエナは再び覚悟を決める。
「あやつが儂を送り込んだのなら、それは勝算があったからじゃろう。あやつは負け戦はせん」
刀を構えるが、負荷に耐えられず膝から崩れる。
その様子にガンマはまたため息を着く。
「それはないゾ、爺さん。ここまデ我輩を興奮させておいて、冷めん。冷めんゾ、この興奮!!」
ガンマが巨大な拳で地面を叩いた。
その衝撃で、スクルドを覆う瓦礫が崩れた。
「ん……うぅ……」
意識はあるようだ。
しかし頭から血を流し、動ける様子でもない。
「なんダ! もう一匹いるデはないか!! 爺さんよりも活きの良さそうな小娘が!」
ガンマは振り返り、スクルドの元に歩き出す。
その時、凄まじい悪寒が走った。
次の瞬間、背中が一文字が深く刻まれた。
「お前さんの相手は儂じゃ! 儂の孫娘には指一本触れさせんぞ!!」
もちろん血の繋がりなどないが、ディエナはスクルドのことを実の孫娘のように猫可愛がりしていた。
「これをやると寿命が縮むんで封印しとったが、やむを得ん。残り少ない寿命なぞくれてやる。――刺し違えても、お前さんはここで儂が殺す!!」
ディエナの肌が赤く染まり、血管が浮かび上がる。
まさにその姿は『鬼』である。
呼吸法により運動能力を最大限に引き上げ、筋肉硬化によって肌を鎧のように硬くさせる。
心臓に強い負担がかかる為、寿命を減らすと言われている。
それどころか、心臓が破裂する可能性だって十分に考えられる。
『鬼神流』力の呼吸法――その極地『鬼鎧』。
「いいゾ、爺さん! 気に入った! もっと! もっと我輩を楽しませるがいい!!」
雄叫びを上げて、ガンマは走り出す。
「――――ッ!!??」
しかし、すぐにその動きは止まった。
ガンマの鳩尾に三又の槍がくい込んでいたからだ。
「海神槍は折れん。貴様の体重を乗せようとな。しかし、これでも貫通はさせられんとは。やはり一筋縄ではいかんか」
ガンマとディエナに割って入るようにして、一人の魚人が現れた。
「しかしこれで確信した。お前を貫けるとな」




