第二十八話、『夜の月』
『日常』編 【5/6】
子ども達が寝静まるため、天空神殿の夜は静かだ。
夜空には月が孤高に佇んでいる。
僕は物思いに耽りながら、侘しげに夜の街を歩いた。
僕は多分、ルナのことが好きだ。
いや、多分なんて言葉を使うのは男らしくないか。
僕はルナが好きだ。
でも僕は臆病で、踏み込むのが怖い。
ずっと変わらない関係をずるずると引きずっている。
それは、心の奥底に『ソフィアが苦しんでいるのに』という考えがあるからだ。
僕が恋や愛だので現を抜かすわけにはいかない。
幸せを感じると自分が許せなくなる。
だからなるべく勤勉に、そして禁欲的に毎日を過ごしてきた。
「でも、ずっとこのままじゃダメだよな」
僕は覚悟を決める。
ルナはすぐに見つかった。
夜限定でオープンするバーで、一人哀愁を漂わせてお酒を飲んでいた。
どうでもいいけど絵になるな。
「……はあ。なんで私ってこうなんだろ」
ルナが寂しげに呟く。その背中は沈んでいる。
もしかしたらやけ酒でもしていたのかもしれない。
「ルナ。ちょっといいか?」
「きゃっ! ……ル、ルノア」
ルナが肩を跳ねさせる。
先程、本音を盗み聞きすると言う最低最悪のことをしでかしたせいで、気まずい……。
「マスター。一番弱いお酒ください」
こういうときはちょっと酔った方がいい。
この気まずさを忘れよう。あとは勢いだ。
マスターは何かを感じ取ったのか、もう閉店だからと「ごゆっくり」と言い残してどこかへ行ってしまった。
それから暫く無言が続く。
もう店に人はおらず静寂に包まれている。
「……あのさ、ルナ。えっと……いい夜だね?」
「ぷっ。何それ」
下手な話題提起に思わずルナが吹き出す。
その笑顔を見て緊張なんて吹き飛んだ。
そうだ、何を恐れる事があるのだろうか。
「僕はさ、こんなこと言えば怒られるかもしれないけど、非力で臆病で、矮小な存在なんだ。自分に自信なんて全く持てなくて、いつもネガティブな考えしかできない」
だから僕は、誰かの心に踏み込めない。
交わることも離れることもない、そんな平行線のような関係を望んでしまっている。
「君がチキンなことはあの夜から知ってるよ」
「……いや、あれはルナも怖がってただろ」
「だって初めてだったから。ほら、私って龍神の一人娘だったから、誰も手を出してこなかったんだよね」
「……そ、そうなんだ」
「あ。ちょっと嬉しそう。――もお。ルノアはえっちだなぁ」
「べ、別に嬉しそうになんてしてねえよ」
ルナが悪戯っ子のように微笑む。
ダメだ。完全に向こうのペースに呑まれている。
というか、酔ってるのか……。
頬が僅かだが赤らんでいる。
これは照れゆえのものか、酔いゆえのものか。
「でも私は、そんな君も好きだよ」
「……やっぱ、酔ってるんだよな?」
「知らなーい」
ルナは頬杖をついてうっとりとした表情で見つめてくる。
なんだ。本当に今日のルナはどうしてしまったんだ!?
めちゃくちゃ可愛い。いやいつも可愛いけど! 今日は特にだ!
「あー。何か、暑くなってきちゃったなぁ」
「そうか? 別にそんなこと......ッ!?」
ルナがわざとらしく上着を脱いだ。
どこかぎこちない動きで、白い肌が露出する。
お酒の席だということもあるが、その色気に恍惚としてしまう。
ダメだ! このままだと理性がもたない!
そうだ。僕も酒を飲んで対抗しよう。
酔わない程度にグビっといってしまおう。
言わなきゃ、僕も。ルナばかりに言わせるのではなく。
「ルナ……僕は……僕は!」
あれ? なんか視界が歪んで――。
~~~
目の前でルノアが眠っている。
少し強めのお酒を一気飲みして酔いつぶれたのだ。
「はあ……何、やってんだろ。私」
私――ルナは、ルノアのことが好きだ。
いつその気持ちに気がついた……は、実の所分からない。
でも、そのキッカケは覚えている。
炎龍を討伐した後、ルノアには記憶がなかったみたいだけど、実際はまだ続きがある。
ルノアは朦朧とする意識の中、天井の崩落から守ろうと私に覆いかぶさってきた。
実際そんなことで落石を防げるはずもないが、冷静に考えられる思考などなかったのだろう。
私に比べれば、ルノアはずっとひ弱で幼いこどもだ。
そんな男の子が私を命をかけて守ろうとしてくれた。
誰かに守られるなんて感覚は久しぶりだった。
そしてあの日、私は暴走していた。
覚えているのは『憎悪』ではなく『愉悦』だ。
ただ殺すことに執着し、破壊の限りを尽すことしか頭になかった。
たまに夢を見る。
私が大勢の人をこの手で殺す夢。
その覚えのない記憶が、喉に小骨が突き刺さっているような些細な不快感となって、ずっと私の精神を蝕んでいた。
でもあの時だけは――炎龍と全力で戦っていた時だけは重い枷から解放され、満たされていた。
私が私で無くなるようだった。
暗闇に呑み込まれ、必死にもがいていた。
そんな私をルノアは暗闇から救い出してくれた。
何度も私に殴られ、肋骨は折れ、命だって危なかった。
それなのにルノアは私を離そうとはしなかった。
そして抱きしめ、頭を撫で、生きてくれて良かったと、本気でそう思ってくれた。
あの日からだ。
あの時から私はおかしくなった。
今まで何ともなかったのに、ルノアと目を見て話すのが難しくなった。
ルノアと身体を重ねそうとしたあの夜ですら無感情でいられたのに、今は手が触れるだけで恥ずかしくなってしまう。
本音をルノアに聞かれた夜、私はバーで一人お酒を飲みながら、バーテンダーのミンミさんに愚痴を聞いてもらっていた。
「では、お酒を飲ませてみてはどうですか? ルノア様は責任感の強い御方なので、既成事実さえ作ってしまえばこっちのもんですよ」
「き、既成事実ってそんなはしたないこと……!」
「恋に卑怯もはしたないもありませんよ。ちなみに私は縄で逃げられないようにしてから無理やりに夫のハジメテを奪いましたね」
「ミンミさんは見た目によらず大胆ですね」
「獣人には発情期があるので基本的には強引になりますね」
ミンミさんが逞しく微笑む。
既成事実……無理だ! 恥ずかしい!
「あの時は何ともなかったのに……」
「ふふ。ルナ様はうぶで可愛らしいですね」
「うぅ……それ、嬉しくないんですけど」
ミンミさんの愛おしそうな笑顔に口を尖らせる。
仕方ないじゃん……誰も手を出してこなかったんだから。
「大丈夫ですよ。ルノア様もまっさらでしょうし」
「まっさら? あ。い、いやそういうことじゃなくて!」
「ですが、オトすのであれば早くなさった方がいいですよ。ひそかにルノア様を狙っている女性は多いですから」
「げっ……そうなんですか」
知らなかった……ルノアって人気だったんだ。
それもそっか。この天空神殿の実質的なトップで、天族と獣族を救ったのは他ならぬルノアだ。
「では、私から一つ助言を。男女の仲を発展させるのにお酒は効果的ですよ。殿方は酔った女性を見ると狼に変貌しますので」
「る、ルノアはそんな……」
「いえいえ。ルノア様も意外と肉食系かもしれませんよ。普段から抑えていらっしゃる分、夜は覚悟していた方がいいかもしれませんね」
ミンミさんが楽しそうに笑う。
本当にこの人はそういう話が好きだなぁ。
でも残念なことに、私は酔えない。
身体が勝手にアルコールを飛ばしてしまうのだ。
「でもそんな色仕掛けみたいこと出来ないですよ」
「大丈夫ですよ。ルナ様なら、酔ったフリをして『暑くなってきちゃった』と言いつつ服を一枚脱げばイチコロですって!」
「本当にそんな簡単なことで……いや、簡単じゃないですよ!」
よく良く考えると全然簡単じゃない。
私は多分、歳は200を超えている。
龍族の一生は500~800年くらいだが、生涯たった一人と契りを結び、その半生を番とともに過ごす。
友達はみんなとっくに番を見つけて子を産んでいた。
でも私だけはずっと一人ぼっちで戦い続けてきた。
だから恋愛経験など皆無だ。
本当は年上の私が、余裕のある立ち振る舞いをすべきなのに。
「はあ……なんで私ってこうなんだろ」
自分の女々しさに嫌気が指す。
そう項垂れていると、ルノアが私を見つけてくれた。
そこから言われた通りに誘惑(?)をしてみると、案外分かりやすく狼狽えてくれた。
その姿が可愛くて、ついからかってしまった。
自分が酔ってると思うと、少し大胆にもなれた。
その矢先、ルノアが突然ジョッキを一気に飲み干し――そして、気絶するように眠ってしまった。
「はあ……男の子が潰れちゃったときのこと、聞いとけば良かったな」
私は一人寂しげに呟き、お酒に酔えない自らの体質を恨んだ。
~~~
その後、ルノアを抱えてベッドに横たわらせた。
可愛い寝顔だ。本当に子どもにしか見えない。
でもその小さな背中には、辛く重い運命を背負わされている。
……どうして、こんなにも胸が苦しいのだろう。
決まっている。君のせいだ。
君がソフィアちゃんのことばかり話すから嫉妬したんだ。
私に「好き」だって言ったくせに、何もしてこないからもどかしくなったんだ。
私を夢中にさせた君が悪い。
だから君が責任を取れ。
そっと唇に指で触れ、ベッドから離れる。
その時――、
「うわっ! え!?」
ルノアは私の腕を引っ張ってベッドに引き込んだ。
寝ぼけて……じゃない。
明らかに私を押し倒し、腕を押さえつけ馬乗りになっていた。
「……あの時と逆だな」
状況的には立場が逆転しただけ。
でも全然違う。こんな景色知らない。
それにあの時は羞恥心なんてなかった。
ルノアのことを異性として意識してすらいなかった。
でも今は……ルノアの顔、見れないや。
「ルナは可愛いな」
「な、何よ急に!?」
「別に。今、思ったことを口に出しただけ」
「……酔ってる?」
これもさっきと立場が逆だ。
私は余裕あるお姉さんぶってからかっていたが、ルノアはどうなんだろう。
部屋は薄暗く表情が窺えないが、満月が赤らんだ頬を照らしいる。
本当は恥ずかしいくせに……私も大概だけど、ルノアも意地っ張りなところがある。
「ああ、多分酔ってるんだ」
「頬が赤いのも?」
「全部お酒のせいだ」
嘘つき。その目にはしっかりと現実が映っている。
「逃げてもいいよ。ルナなら逃げられるでしょ」
「……ずるいよ。そんな言い方」
もちろん逃げられる。
力強く押さえつけられていても、ルノアと私には圧倒的な力の差があるからだ。
私が拒絶しても、ルノアは怒ったりしない。
逃げたとしても、追ってきたりはしない。
迷っていると、ルノアの表情が僅かに歪んだ。
もしかすると本当に、酔いが覚めてきたのかもしれない。
「…………ごめん。やっぱり忘れてくれ」
そう言ってルノアは馬乗り状態を解除しようとする。
臆病者。ここまでしといて、何もせずに帰す気なんだ。
そう揶揄するより先に、あることが頭に浮かんだ。
「……ソフィアちゃんのこと考えてる?」
あの時と同じ質問。
ルノアからの返答はない。
この期に及んで、まだ自分が許せないのだろう。
私は逃げようとするルノアの首に手を回す。
「嫌だよ。今は私だけを見て。私に集中して。私のことだけを考えて。私だけを愛して」
言った。言ってしまった。
卑怯な女だ。
獲物に噛み付いて逃がさない、女豹のようだ。
そして最低だ。
ソフィアちゃんが見つからなければいいって、そう思ってしまった。
そうすればずっとルノアを独り占めできると。
私って……嫌な子だ。
「こんな形で言うのはずるいかもしれないけど……ルナ。好きだ」
「うん。私も好きだよ。――この夜のこと忘れたら許さないから」
あの夜の仮契約を本契約に。
その後のことは……うん。語りたくはない。




