包み込む愛情
この状況をどう切り抜ければいいか十五は悩んでいた。
いささか足も痺れ始めたし、かといって目の前で自分に背を向けて腹を立てている恋人の意志を裏切ることもできない。
フローリングの床に正座させられてかれこれ30分はたったが、蝶子の機嫌は未だに直らない。
いや、怒って当たり前のことをしてしまった自分に非があることは大いに認めよう。
認めているからこそ蝶子が下した処罰に答えているのだが。
ベッドの上に座り込みながら枕を抱え込む恋人の後ろ姿に、十五は恐る恐る声をかけた。
「あ……あの……蝶子さん……そろそろ」
「まだ駄目です!許しません!そこで正座しててください!」
怒らせたら何をしでかすか分からないと、昨日知ったばかりなのに、学習能力がまったくついていない自分の愚かさに、十五は蝶子に悟られぬようため息を吐いた。
緒凛が帰った後、自分の欲望に負けてまた蝶子を抱いてしまった。
それほど強いものではなかったが、蝶子は明らかにそれを拒んでいたのに、抑えることができなかった。
抱かれること自体を拒んでいたのではないと分かっているが、さすがにここまで叱られるとは思ってもみなかった。
いい年して自分よりも若い少女に、立場上で言えば生徒という相手に、正座を強要されるとは……。
絶対兄弟には見せられないな、と内心でそう思いながら蝶子の丸まった背中を見つめれば、蝶子がいきなり振り返ったものだから驚いた。
「……ちゃんと反省してるんですか?」
「してますしてます」
「……まだしてませんね」
「僕の言葉を信じて下さらないのですか?」
「人が同じ言動を二回繰り返す時は大抵理解していないのだと母が言っていました」
……墓穴。
十五はしまったと言わんばかりの表情を浮かべれば、蝶子は低く唸りながら十五を睨んだ。
「あれだけ嫌だと言ったのに、十五さんは私の意志お構いなしに……た……り……するからっ!明日学校なんですよ!体中が痛くて歩けません!」
「……その……本当に申し訳ないと……」
「それに明日は体育の授業があるんです!こ……こんなに沢山……あ……跡をつ……られて……き……着替えれません!」
「……そちらについても僕が全面的に悪いと思って……」
「悪いと思ったなら私が抵抗した時に止めて下さればよかったんです!」
無理を言うなよ……。
あんな姿を見せられて、欲情しないわけがないだろう。
たぶん、自分にも非があることは分かっていないのだろうなと十五が内心そう思っていると、蝶子は枕をその場に置いて立ち上がり、たぶん体中が痛いのだろう、たどたどしい足取りで正座をしている十五の横を素通りし寝室のドアノブに手をかけた。
「あ、蝶子さん……どこへ……」
蝶子の行動の意図を尋ねようと、十五が腰を浮かせれば、蝶子はドアノブを手に取ったまま顔だけを振り向かせてギッと十五を睨む。
「お手洗いです!十五さんはそのままで居て下さい!」
ほ……放置?
さすがにそれはないだろうと十五が困った顔をすれば、今度は体ごとこちらへ向けて腰に手を当てながら言った。
「私が帰ってきた時に正座してないと……」
「……どうなるの?」
突然寝室のドアが開いたかと思うと、第三者の声が蝶子の耳元に飛び込んできた。
「っきゃああぁっ!」
あまりにも突然のことに、蝶子は叫びながら自分の後方に立っている人物も見ずに、いきなり技をを食らわせた。
背後から抱きついてきた相手にたいし、後方に丸く捌きながらいなす。
回転に対し内側の手を自分の体の前に納め、反対側の手を大きく伸ばし相手の体をつり、腰で跳ね上げて投げたのだ。
ドスンッ!と勢いよく技を掛けられた人物は、正座している十五の真横に仰向けになって呆然としている。
が、すぐに隣に十五の姿を見つけると、倒された状態のままその人物は手のひらを軽く十五に向けて挨拶をした。
「よっ、十五兄」
「夢兎!?」
突然の登場に、十五があわてて立ち上がろうとすれば、足が痺れていたらしくすぐにその場にへたり込む。
「きゃあぁぁっ!ごめんなさいごめんなさい!つい癖でっ!」
「……十五兄、変わった彼女だね。癖で人を投げ飛ばすなんて」
「……と……とりあえず起きたらどうです?」
「……正座していた十五兄の足を突っつく許可を頂ければ」
「永眠しろ……」
痺れる足を押さえながら体を震わす十五に、蝶子は慌てて駆け寄った。
「うわっ!どうしたの?十五兄さんと夢兎兄さんが死んでる」
「よく見ろよ。まだ生存してる」
「ちっ……じゃなかった。無事でよかったよ兄さん達」
「ちぃ兄、最初に漏らした舌打ちは聞こえないようにやれよ」
十五と夢兎に駆け寄ったものの、どうすればいいか分からずオロオロとしていた蝶子は、新しく増えた声に思わず顔を向ける。
寝室の入り口に立っていたのは茅と見知らぬ少年の二人で、蝶子と視線がかち合った途端、茅はニッコリと微笑んで蝶子に軽く会釈した。
「やぁ蝶子ちゃん」
「た、高本先輩?!」
「チョウ?!」
足を押さえながら十五がそう叫べば、蝶子は自分が呼ばれたのかと振り返る。
十五はそうじゃない、と蝶子を見て、それからもう一度入り口に立っている茅と少年を見ると、茅が驚いた顔をして蝶子を凝視していた。
「蝶子ちゃん……髪どうしたの?」
「あ、これは……」
自分の外面的変化を指摘され、蝶子は戸惑いながら自分の髪に触れる。
十五はその話題に触れてほしくないように、よろよろと立ち上がり突然の訪問者達を見て声を上げた。
「お前達何でここに……第一鍵を閉めたはず……」
十五が次々にわき起こる質問をぶつければ、ようやく夢兎がムクリと起き上がり、隣に不自然な格好で立つ十五に無表情で答えた。
「十五兄、家の玄関は鍵で開けるって常識知ってる?」
「……鍵を渡した覚えはありませんが?」
「……ごめん失言」
「ちょっと待て……」
勝手に作ったのかと十五が尋ねようとすれば、茅と少年の後ろに、昼過ぎに現れた緒凛が、私服になって再登場した。
「よぉ十五。ことは済んだか?」
「……弟達を連れてきたのは貴方ですね兄さん」
怒りを含んだ十五の言葉に、蝶子は驚いて緒凛を見つめる。
緒凛は何食わぬ顔をしたままふんっと鼻を鳴らして十五を見た。
「すまん十五。口が滑った。そりゃもうこんにゃくを箸で掴もうとするくらいツルッと」
「口が軽いの間違いでしょう。鍵は貴方が持ち出しましたね」
「いやいや、そんな人聞きの悪い。いつの間にかポケットに紛れ込んでいたんだ」
「それ窃盗です」
「器物破損してるお前に言われたくないな」
ふふんっと自慢げに鼻を鳴らしてニヤニヤと笑む緒凛に、十五は肩を落として深いため息を吐く。
あなどれないと言うより、監視しておかなければ何をしでかすか分からない実兄に呆れてているのだ。
未だ現状についていけない蝶子が十五に歩み寄ると、とりあえず誤魔化すように頭を撫でる。
それでも困惑の色が取れない蝶子の浮かない表情に、夢兎が静かに歩み寄り蝶子をじーっと見つめた。
「蝶子ちゃん?」
「は、はい?」
「蝶子ちゃんが俺にかけた技って、癖って言ってたけど、何か習い事してたの?」
「はい……合気道を」
「合気道?」
蝶子の返答にオウム返しに尋ねたのは十五だった。
初耳だといわんばかりに眉間に皺を寄せている十五に、蝶子は振り返りおずおずと答える。
「あの……母の仕事の都合上、私は一人で過ごすことが多いので、自分の身は自分で守れるようにと習わせてくれたんです。小学1年生から始めて、受験を機に中学3年生で辞めてしまいましたけど……」
「確か県大会で優勝したんだよね?」
蝶子の丁寧な回答に、付け加えるように茅が言えば、十五は「えっ」と声を上げて茅と蝶子を交互に見た。
「はい。技術を身につける為だけで習っていたので本当は大会に出たくなくて……。大会当日に出場予定だった一人の方が出られなくなってしまったので代わりに……。昇段試験を受けていなかったので白帯のまま出場しました」
そう淡々と答える蝶子の言葉に、茅以外のそこにいた誰もが驚きの表情を見せている。
お淑やかで内気だと思っていた蝶子に、こんな隠された功績があっただなんて誰が予想できただろう。
誰もが受け入れがたい事実に頭を悩ませていると、茅の隣に立っていた少年が「あっ!」と何かを思い出したようにつぶやくと、蝶子に歩み寄り嬉しそうに言った。
「思い出した!それってアンタが中学2年の時の話じゃない?!俺もその大会、男子の部で出場したもん!」
「え?は、はい、確かに中学2年の時です」
「やっぱり!女子の部で今までまったくノーマークで無名だった白帯の女の子が、いきなり優勝しちゃったってのですっごい騒ぎになってたもん!俺もその時男子部で優勝したんだよ!表彰は別々だったけど話したことあるの覚えてる?」
「えっと確か……黒澤…………黒澤蝶……って」
「そう!それ俺!」
思い出してくれたことがよほど嬉しかったのか、アゲハは蝶子の手を握りしめてぶんぶんと握手する。
蝶子はそんなアゲハの喜びを一緒に噛みしめるように優しく微笑んだ。
「そうかぁ……アゲハ君だったんだ?」
「あ、俺のことチョウって呼んで♪名前被るけど……ああ、そうそう名前で思い出したけど、その時、俺とアンタの名前が被ってるのに気づいた地元メディアがなんて呼んだか知ってる?」
アゲハの唐突な質問に、蝶子はふるふると首を横に振れば、アゲハはクスクスと笑って言った。
「『畳の上を華麗に舞う蝶』だって。ありきたりだけど笑っちゃった」
ケラケラと笑いながらそう言ったアゲハの笑みにつられて、蝶子もなるほど、とクスクス笑う。
途端、蝶子の手を握りしめたままだったアゲハの手を、十五が無理矢理引き離した。
「……とりあえず、お茶を出しますからリビングへどうぞ」
ムスッとした十五の態度に、今度はそこにいた誰もが声をそろえて爆笑した。
ようやく蝶子が自分の家に帰ったのは夜10時を回っていた。
何だか体力的にも精神的にも疲れ果ててしまい、明日は無事に学校へ行けるだろうかという不安が残る。
お泊りセットは明日片付けることに決め、自分の部屋のベッドに外着のままボスンッと寝そべった蝶子は、自分の元に抱き枕を寄せて天井を睨んだ。
突然の黒澤兄弟の出現に、最初こそは戸惑ったものの、御曹司とはかけ離れ、普通の仲のいい兄弟の話を楽しんでいた。
どうやら頭から足先まで御曹司なのは十五だけで、十五とスーパーへ行った話しをしたときなんか、他の兄弟達は笑いを必死に堪えていた。
十五は十五でそんなことを話さなくてもいいと機嫌が悪くなったけれど、それでも周りの兄弟達はお構いなしに十五をからかい楽しんでいる。
相変わらず無表情で敬語を話す十五だったけれど、以前よりふとした瞬間に笑顔を見せる。
そのたびに兄弟達は喜んで十五に抱きつき、十五はうっとおしそうに眉を潜めたが、彼らを突き放すことはなかった。
意外な一面、と言えばいいのだろうか。
十五は珍しいほどよくしゃべった。
蝶子と居る時でさえこんなに弾む会話をしたことがあっただろうかと疑問に感じるも、その違和感が何であるのかすぐに悟る。
十五が弟達に優しいのだ。
それも分け隔てなく、口の悪さでさえ平等に。
緒凛からは弄られ三昧ではあるが、それは緒凛の弟としての顔、あとは兄としての顔なのだと蝶子は勝手に解釈した。
兄弟の居ない蝶子にとってはその雰囲気がとてつもなく羨ましい気持ちになった。
身近に甘えられる存在、甘やかしてくれる存在があるというのはいいものだ。
今まで家族とも距離を置いていた十五だから、他の兄弟達はそれほど彼の変化が嬉しかったらしい。
家族の絆が深く垣間見えた。
決して蝶子を仲間はずれにはしない雰囲気ではあったが、この間には入ってはいけないような気持ちになる。
恋人とは言え、所詮は他人だ。
お客様はむしろ自分の方で、何だかここに居るのが申し訳なく思えてしまうほどだ。
それでも十五は気を利かせて優しい言葉をかけてくれ、それを見た兄弟達は冷やかすように笑って困らせてくる。
無意識であれ、きっと十五はこんな素敵な愛情に包まれて育ってきたのだと思うと、彼の語った過去でさえ清算できるような気がした。
「家族……かぁ……」
蝶子はおぼろげな思考でそう呟くと、ひとつ大きな欠伸をして。
いつの間にかそのまま眠りについてしまったのだった。




