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揺れる眸  作者: 佐倉硯
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初めての喧嘩

人前で抱きかかえられたことも、女性が自分に言ったことすら忘れてしまうほど衝撃的で、呆然としたままの蝶子を助手席に乗せると、十五は何も言わないまま車を走らせる。

なぜ楽しいはずのデートがこんなことになってしまったのかわからず、ただ色々な思考が複雑すぎて混乱していた蝶子は、放心状態のまま運転する十五を盗み見る。


間違いなく怒っている。


それが自分に対してなのか、はたまたはあの女性達に対してなのか分からないまま沈黙を守っていると、十五は近くにあったコンビニの駐車場に車を停車させ、エンジンをとめた。

コンビニに用があるのだろうかと思っていたが、十五が車から降りる気配もなく、ただ単純に車を停める場所を探していたのだと理解する。


静かで恐ろしいほどの沈黙。


何を言えばいいのかすら分からない。


一層、嘘でも何でもいいから十五の胸の内に秘められた思いを、叫んで欲しいと思った。


「すみません……」


ふと十五が沈黙を破った。

ようやく口を開いた十五に、蝶子は驚いて顔を上げる。

ハンドルに両手をついたまま、前を睨み続ける十五に蝶子は恐る恐る尋ねた。


「……なぜ、十五さんが謝る必要が……」


「……何を言われたかは分かりませんが、僕が過去の女性関係をちゃんと清算していなかったのが原因です。清算していたつもりが、こんなところで綻びがでるなんて……」


そう言うと十五は静かに体を起こし、運転席へ深く座り込む。

が、次の瞬間、何を思ったのか勢いよくハンドルの上部を強く殴りつけ、蝶子はビクッと体を震わせた。


「くそっ……」


何がそんなに悔しいのかがわからなかった。

悔しいのはこっちの方だと叫びたい。

何も言わないで一人で悶々と考えこむだなんて卑怯すぎる。

蝶子は十五の態度に唇をかみ締めていると、十五は目を細めてようやく蝶子に振り返った。


「あなたを……傷つけないと約束したのに……」


酷く切なげな表情を見せる十五の言葉に、蝶子はようやく理解をする。


この人は蝶子や女性達に対して怒っているのではない。


自分自身に腹を立てているのだ……と。


慰めや労わる気持ちを今の十五に投げかけることはできなかった。

それが当然の報いだと思ったからだ。

自分をこれほどまで好きにさせておいて、この人は他に好きな人が居る。

あの女性だって自分が十五の一番でないことくらいわかっていただろう。


だからこそ悔しいのだ。


彼が本当に何を思って、誰を想っているのか。

それが分からないままずっと付き合っていかなければいけないのだと思うと胸が締め付けられる。


どうして……。


こんなにも好きなのに。


この人は私を好きになってくれないのだろう……。


この人の眸に私は映っているのだろうか?


分からない……。


何もかもが分からなくなってきてしまった……。


一層、この関係を清算すべきなのではないかとまで考えてしまう。

そう考えてしまう自分にすら腹が立つ。

本当は誰よりもこの人の傍に居たいと願うのに、どうして……。


答えの見つからない自問自答を心の中で繰り返していれば、十五は蝶子の二の腕を両手で抱きしめるように、けれど距離を置いて掴むと、静かに頭をたれ下げて蝶子の胸に静かに飛び込んできた。


「……ねがい……お願いだから……嫌わないで……」


いつもとは違う、敬語すら失われた十五の弱々しい言葉に、蝶子はドクッと胸が鳴った。


駄目……


受け止めきれない……


あふれ出しそうな涙をこらえるため、必死に唇をかみ締め、蝶子は十五の後頭部を見下ろす。

何も言わないくせに嫌わないでだなんて自分勝手すぎる。

出会いも自分を好きになってくれた理由も曖昧なまま傍に居て欲しいだなんて卑怯だ。

この人の、この腕の中に抱かれていたのは自分だけじゃない。

あの女の人でさえ抱いていた。

そう思った瞬間、今まで居心地がいいとしか感じたことのなかった十五の腕が、酷く汚れているような感覚にとらわれる。

蝶子は静かに十五の肩に触れ、自分から引き離すように優しく押し返せば、十五はゆっくりと顔を上げて蝶子の態度に酷く怯えた。


「ちょう……こ……さん……?」


「……いやです……」


「……え?」


「いやですっ!私!もう十五さんが信じられませんっ!」


「ちょう……」


「私は私なりに貴方に恋をしました!とてもとても素敵な、今までに感じたことのないくらい素敵な恋を教えてくださいました!けれど十五さんは違う!どこかで別の人を想って!私にその人の面影を重ねてっ!!それなのに傍に居て欲しいだなんて卑怯です!私を身代わりにしないでください!」


「っ!身代わりになんてしていません!」


「口ではどうにでも言えます!」


「何度言ったらわかるんですかっ!?僕の好きな人は貴方だけです!」


「回数の問題じゃありません!!だったら最初から私に似た人の話をしないでください!私は知らないほうが幸せだった!」


「それは貴方に僕のすべてを受け止めて欲しいから……」


「だったらっ!!……だったら教えてください……。十五さん……本当は誰が好きなんですか?」


いつの間にかとめどなく溢れ出ていた涙を拭うことも出来ず、精一杯十五を睨みながら蝶子が言えば、十五は口を閉ざして蝶子を見つめる。



その瞬間が、すべてだった。



蝶子は十五から視線を外し、涙をぬぐいながら足元においていた自分のカバンを手に取ると、助手席のドアを開けて外に出る。

それから後部座席にまわってドアを開き、そこにあった大きなカバンを手にとって準備を済ませると、蝶子の行動にただ唖然とした視線を向けている十五に苦し紛れの笑みを浮かべて言った。


「……嘘でもいいから、私が好きだって即答して欲しかったです……。すみませんが今日はこれで失礼します。……帰りはタクシーを拾うのでお一人でお帰りください……」


蝶子はそう言ってドアを静かに閉めると、居たたまれずにコンビニへと足を運んでいく。

泣きながら駆け込んできた蝶子の姿に、店員はギョッとしていたのはわかったけれど、それすら見ることも出来ずに蝶子は荷物を持ったままトイレへと掛け込んだ。


背中で鍵を閉め、タイルの床にずるずると座り込むのには時間がかかった。


あまりこの場所にも長くは居られない。

せめて十五が立ち去るまでは非難させて欲しい。

そう自分の考えに甘えながら、止まらない涙がタイルの床を濡らし出す。

汚いだとか、そういったことはもう考えられなかった。

声を押し殺して泣き続けることしか出来ない自分が心底情けない。

子供過ぎる自分の行動も今となっては馬鹿みたいに思えてくる。

けれどこれ以外に自分を守る方法がわからなかったのだ。


自分の考えを全て伝えてしまった後悔と十五への想いが、蝶子に重たくのしかかってきた。



 ―*―



そこに居たのはたぶん、5分程度の短い時間だっただろう。

ようやくおさまりの目処がついてきた涙に、蝶子はスンッと鼻を鳴らしながら涙をぬぐう。

立ち上がり、トイレットペーパーで涙に濡れた顔を拭き、それからもう一巻きで汚してしまった床を拭く。

洋式のトイレにそれを投げ込み、水を流せば簡単に流れていく。

自分のこの気持ちも簡単に流してしまえればどんなに楽だろうか。

脇にあった洗面台の鏡に自分の顔を映し、少しだけ赤くなった眸を見つめて苦笑する。


とにかく今はここから離れなければ……。


外に……まだあの人は存在するだろうか?

淡い期待が胸にこみ上げてきたが、すぐにそんなことはないと自分に言い聞かせるように首を横に振る。

気合いを入れるようにふぅっと息を吐くと、床に投げ出していたカバン二つを手に持ってトイレを出た。

ふと店員がこちらに視線を向け、すぐにそらしてくれたことに感謝しながら、蝶子は雑誌の並ぶガラス張りから外をうかがう。


……居る。


さきほど十五が車を停めていた位置に、変わらずに同じ車が存在している。

しかも十五の姿は車の外に存在し、運転席に背をもたれ、タバコを吸っているようだった。


……タバコ吸うんだ。


初めて知ったことに思わず素直な考えが浮かび、それからやはり五分程度の時間では短すぎたかと蝶子は戸惑う。

待っているのか、それともタバコを吸っているだけなのか……どちらにしろ蝶子に都合が悪いことには変わりない。

生憎、十五はまだ蝶子がトイレから出てきたのには気づいていない。

それだけが救いだと思いながら、蝶子はどうしようかと考えを駆けめぐらせる。


ふと、棚に陳列されていた“ソレ”が目に入った。

何気なく“ソレ”を手に取り、考える間もなくそのままレジへと向かう。

店員は蝶子の姿を見て少し戸惑いの色を見せたが、それ以上は何も言わずに会計をすませる。


「……あの、袋……。紙袋にしてもらえませんか?」


蝶子のお願いに、店員は「えっ?」と声を上げるも、蝶子の意志に従うように素直に茶色い紙袋を取り出して“ソレ”を中に入れてくれる。

蝶子はソレを受け取り、小さく礼を述べるとまたトイレへと駆け込んだ。




再びトイレから出てきた蝶子を、店員はギョッとした顔で見つめた。

今度は視線をそらすことができなかったらしい。

店内を移動する蝶子を、ただ唖然としながら視線で追っていたが、レジに別の客が来てしまったことで、視線での鬼ごっこは終了した。

蝶子はその視線に気づきながらも、まだ十五がそこにいる外へと飛び出す。

十五は蝶子が出てきたことに気づいたが、そのあまりの変貌ぶりに唖然として。

思わず手に持っていたタバコをその場に落とした。


「……何で……」


呆然と呟く十五の顔を見ないように、蝶子は静かに歩み寄る。

それから戸惑いながらも視線をそらしたまま十五に尋ねた。


「これは貴方への復讐です……」


「何言って……」


「これあげます。傷ついてください。私と同じくらい」


蝶子はそう言って、先ほど買い物をした時よりも重みの増した紙袋を差し出す。

十五はおそるおそるそれを受け取ると、中身を確認した途端、目の前にいた蝶子を抱きしめた。


「……もう……十分です」


泣きそうな声で強く自分を抱きしめる十五に、蝶子は何の抵抗もせずに遠くを見つめる。


罪悪感なんてこれっぽっちもない。


これくらいしなければ、彼と向き合うことができなかった。

自分に対する戒めと、もう二度と他の誰かを重ねてみて欲しくないという願い。


そうすることでようやく十五の卑怯さを許せた。


自分も卑怯な手を使ったから……。


十五は蝶子を抱きしめたまま顔をゆっくりと上げ、蝶子の髪を優しく撫でた。


先ほどよりも遙かに短くなってしまった蝶子の黒髪。

腰の位置まであった髪は、肩の位置でその先を失っている。

毛先の長さはバラバラで、誰がどう見ても素人が無理矢理切ったような……。

まるで不器用な二人を表しているかのような、そんな蝶子の髪を、十五は何度も撫でながら……。


「と……十五さん……?」


「す……すみません……」


そう言いながらめがねを外し、笑顔でポロポロと流れ出す涙を拭う十五に、蝶子はやりすぎてしまったと酷く後悔した。


「ははっ……さすがにこれはキツすぎますよ蝶子さん……」


「……で、でも先に私を泣かせたのは十五さんです……」


やりすぎたけれど自分は間違ってなんかいない。

蝶子は自分自身にそう言い聞かせていた。


自分をこんな行動に駆り立てたのは他ならぬ十五だ。


コンビニで文房具のハサミを見た途端、衝動的になってしまったのもあるが。

もともと髪を伸ばしていたのには何の意味もない。

だから戸惑いや迷いなんて起こらなかったし、むしろ髪を切りたいと願っていたが、いつも先送りしてしまっていたためにずっと伸ばしっぱなしだったのだ。


けれど十五にしてみれはよほど衝撃的だったらしい。


それもそうかもしれない。

蝶子だって自分の性格くらい分かっているつもりだ。

出来るだけ目立たぬように生きてきたと思う。

おとなしく、自分の意見もはっきりと言わない人間だと自分で自負している。


けれどこれだけはどうしても譲れなかった。


自分の意見を、自分の気持ちを押し殺したままこの人の傍に居るだなんて無理な話だ。

だからこそこういう大胆な行動に出てしまったわけだが、このことでちゃんとわかってもらいたかったのだ。


十五が思っている以上に、自分は彼を好きでいるということを。


泣かせるつもりはなかった。

けれど結果的にはそうなってしまった。


ああ、そうか。


きっとこの人もそういう気持ちだったのかもしれない。

蝶子を泣かせるつもりなんて、傷つけるつもりなんてひとつもなかったのに、結果的にそうしてしまった。

今の立場になってようやく理解できた。

人を傷つけることがどんなに辛いことかを。


十五は悔しそうに、笑みを浮かべながら、無意識にあふれ出した涙をぬぐい、それから蝶子の頬に優しく触れて静かに告げた。


「僕が卑怯でした……。貴方が何も聞かないことをいいことに、何も言わなかった……。当然の報いかもしれませんね」


「私も……貴方が傷つくのを恐れて何も聞けなかった……。きっと、お互い様だったんです……」


急に恥ずかしさにとらわれて、蝶子が顔を背けようとするも、十五はそれを許さずに、蝶子の腰を自分のもとへ引き寄せながら、クッと顎を持ち上げて自分と顔を向かい合わせるように蝶子の顔を固定した。


「……仲直り……してくださいますか?」


「貴方さえ……それでいいなら」


仲直りだなんて照れくさかった。

こんな風に十五と喧嘩をするだなんて思ってもみなかったからだ。

蝶子がしどろもどろになっていることに気づいた十五は、ようやくいつもの余裕のある笑みを浮かべながら蝶子を開放し、静かに蝶子から荷物を受け取って、再び後部座席へとそれを入れながら答えた。


「お話させていただきます……すべてを教えることは……まだ出来ないかもしれませんが……。貴方が望むなら……。ちゃんとお話させていただきますから」


「はい」


「その前に、その髪を揃えなければいけませんね」


「もう少しこのままで……」


「……僕の反応楽しんでるでしょう?」


「少し……」


蝶子が悪戯っぽくそう言うと、十五はドアに手を掛けたまま深くため息を吐いて蝶子を睨んだ。


「今夜、覚悟しておいてくださいね」


「……はい?」



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