25話 日本の初心者は、随分勇敢だ
ブラックジャックで勝った翌朝も、僕は同じ時間の電車でモナコへ向かった。
昨日の利益は二百七十五ユーロ。
日本から持ち込んだ十万円と合わせ、カジノへ使える金は千百ユーロ余りまで増えている。
『今日はポーカーをやる予定だね』
『開始予定時刻は午後四時です』
『でもその前にルーレットを見てみようか』
駅を出て、カジノへ向かう。
二日目になると、道順を調べる必要もなかった。
広場には今日も高級車が並び、カジノの前で写真を撮る観光客がいる。
パスポートを提示して中へ入る。
ルーレットのテーブルでは、すでに何人かの客が遊んでいた。
赤と黒の数字が交互に並ぶホイール。
賭ける場所が印刷された緑色の台。
客は一つの数字へ賭ける者もいれば、赤か黒、奇数か偶数といった広い範囲へ賭ける者もいる。
僕は少し離れた位置に立ち、最初の一回を眺めた。
客がチップを置き終えるより先に、ディーラーがホイールを回す。続いて、反対方向へ玉を投げ入れた。
白い玉が外周を走る。
『見えてる?』
『はい』
『予測できそう?』
『現在、玉とホイールの角速度、減速率、外周の傾斜を測定しています』
玉が何周かしたところで、ディーラーが賭けの終了を告げた。
客の手が台から離れる。
『間に合った?』
『現時点の観測では、ホイール上で隣接する十四の番号へ入る確率が、約六十一パーセントです』
『十四個か』
『このテーブルを観測したのは、今回が初めてです。玉が障害物へ衝突した後の分布を追加すれば、範囲を狭められる可能性があります』
ジンが挙げた番号を覚える。
玉の速度が落ち、外周から離れた。
金属の障害物へ当たって高く跳ね、いくつかの仕切りを越えて一つのポケットへ収まる。
予測された十四の中だった。
『当たったね』
『最終的な番号を予測したわけではありません』
『少なくとも、予測に意味はありそうだね』
二回目も賭けずに観察した。
今度はディーラーが玉を投げる位置、手を離すまでの動き、最初の一周にかかった時間まで意識して見る。
『今回は?』
『隣接する十の番号へ入る確率を六十三パーセントと推定します』
『さっきより狭い』
『直前の一回から、このホイールにおける衝突後の分布を更新しました』
指定された十の番号へ視線を移す。
玉が落ちる。
一度目より大きく跳ねたが、収まった場所は予測範囲の端から二番目だった。
二回続けている。
偶然でも起こり得る。
ただ、ジンの予測が何の意味も持たないとは考えていない。
『次は賭けたい。十箇所……いや、八箇所に賭けてみよう。十ユーロずつ』
『観測回数は二回です。推定には大きな不確実性が残っています』
『外れても八十ユーロ。遊ぶために分けた金の範囲だ』
『現在の為替では、約九千五百円です』
『なら予定どおりだ』
『最終的な判断は和希が行ってください』
両替を済ませ、テーブルへ近づいた。
ホイール上で隣り合う数字は、賭け台の上では離れた位置に並んでいる。
番号の順番は覚えてきた。
どの場所へチップを置けばいいのかも分かる。
僕は十ユーロのチップを八枚、手元へ用意した。
次のゲームが始まる。
ディーラーがホイールを回し、玉を投げた。
『まだ?』
『計測中です』
周囲の客は思い思いの場所へチップを置いていく。
赤へ重ねる者。
一つの数字へ何枚も置く者。
直前まで出ていた番号を避け、別の場所へ散らす者。
『範囲を提示します。三十、八、二十三、十、五、二十四、十六、三十三。現在の推定確率は六十二パーセントです』
ホイール上では連続している八つの番号。
賭け台では離れている。
僕は左端から順番に置かず、近い場所からチップを配置した。
三十。
八。
二十三。
十。
残りも迷わず置いていく。
最後の一枚から手を離した直後、ディーラーが賭けの終了を告げた。
間に合った。
あとは見るしかない。
白い玉が外周を回っている。
速度が落ち、軌道が僅かに内側へ傾く。
『落ちる』
『はい』
玉が外周から離れた。
最初の障害物へ当たり、右へ跳ねる。
ホイールの仕切りへ触れ、一度浮き、別のポケットへ弾かれた。
僕が賭けた数字の上を通り過ぎる。
隣へ跳ねる。
二十三。
玉が小さく揺れ、ポケットの中で止まった。
ディーラーが当選した番号を告げる。
僕が置いた十ユーロのチップへ、三百五十ユーロ分が支払われた。元の十ユーロと合わせ、戻ってきたのは三百六十ユーロ。
ほかの七つへ置いた七十ユーロを差し引いても、二百八十ユーロの利益になる。
日本円なら三万円を超えている。
『本当に入ったよ』
『予測範囲の中央に近い番号です』
『もう一回いける?』
『観測を継続すれば、現在より精度が上昇する可能性があります』
『勝てる可能性も上がる?』
『はい。ただし、賭けの締め切り直前に、ホイール上で隣接する番号へ繰り返し賭ければ、意図を推測される可能性も上昇します』
手元のチップを見る。
もう一度だけなら、まだ偶然に見えるかもしれない。
だが三回、四回と勝つたびに、偶然では済まされなくなる。
今の一回は、運のいい観光客だ。
ディーラーも、周囲の客も、僕へ特別な注意を向けていない。
「換金します」
英語で伝え、チップをまとめた。
『やめるのですか?』
『ジンが目立つって言ったんだろ』
『危険性を提示しました。継続を禁止してはいません』
『面白がってない?』
『私は感情によって危険性の評価を変更しません』
『なら、僕が面白いうちにやめるよ』
二百八十ユーロを増やし、ルーレットのテーブルを離れた。
ブラックジャックのように、何時間も確率を積み重ねたわけではない。
玉が一度落ちただけ。
その一回で、昨日のブラックジャックとほぼ同じだけの金が増えた。
ポーカーの開始時刻までは、まだ時間がある。
カジノの建物内にある、ル・サロン・ローズという名前のレストランに入った。
名前のとおり、店内には淡い桃色が使われていた。
壁際には小さな空間へ区切られた席が並び、白いクロスの掛かったテーブルには、銀色のカトラリーが整然と置かれている。
ゲームの音はほとんど届かない。
同じ建物の中にいるはずなのに、扉を一つ越えただけで空気が変わっていた。
窓の向こうには陽射しを受けた地中海が見える。
昨日歩いた広場や港の賑やかさとは違い、店内では客も声を抑えて話していた。
席へ案内され、メニューを開く。
料理名はフランス語と英語で書かれている。意味は分かるが、どの程度の量が出てくるのかまでは想像しにくい。
『おすすめは?』
『本日の料理では、白身魚のグリルが和希の好みに合う可能性が高いと判断します』
『理由は?』
『これまで共有された食事の中で、和希は肉料理より魚料理に柑橘系の酸味を合わせた場合の評価が高い傾向にあります』
『そんなところまで記録してるんだ』
『食事も感覚共有の対象です』
前菜と白身魚のグリルを頼む。
飲み物を尋ねられ、炭酸水を選んだ。
隣のテーブルでは、昼間から白ワインのボトルが開いている。
日本にいればまだ酒は飲めないが、ここでは十八歳になった時点で問題ない。今は飲む気がないが。
運ばれてきた前菜は、トマトと柔らかいチーズを合わせたものだった。
ナイフを入れると、中からチーズがとろりと溢れ出す。
トマトは思ったより酸味が強かったが、チーズと一緒に食べると、その酸っぱさがちょうどよくなる。仕上げに掛けられたオリーブオイルも香りが濃く、普段口にしているものとは、同じ名前でも別物に思えた。
『これは何ていうチーズ?』
『ブッラータです。外側はモッツァレラに近く、内部にはクリームと細かく裂かれたチーズが入っています』
『日本でも食べられるかな』
『はい。現在地周辺だけでなく、日本国内にも提供する店舗があります』
『帰ったらその店を探して』
『価格と移動距離の上限は?』
『上限は後で決める。今は忘れないようにしておいて』
『承知しました』
続いて、白身魚のグリルが運ばれてきた。
皮には均一な焼き色がつき、表面だけが薄く香ばしい。ナイフを入れると、中の身は水分を残したままほどけた。
ソースにはレモンの酸味がある。
口に入れた瞬間は酸味が強く感じられたが、噛んでいるうちに魚の脂とオリーブオイルが馴染み、後味は意外なほどまろやかだった。
付け合わせの野菜も、すべて同じように火を通しているわけではない。
ズッキーニには歯応えが残り、トマトは形を保ったまま中だけが熱い。小さなジャガイモには、魚より強い焼き色がついていた。
『美味しい』
『はい』
『ジンにも分かる?』
『味覚情報は共有されています』
『食べられないのに味だけ分かるって、どういう感じ?』
『情報として認識しています。空腹や満腹はありません』
『少し可哀想だな』
『私は不利益を感じていません』
『そう言うと思った』
パンで皿に残ったソースまで綺麗にし、最後に小さなデザートを頼んだ。
レモンを使ったタルト。
甘さより酸味が先に来る。
その後から、生地に使われたバターの香りが残った。
『さっきの利益で、何回ここへ来られる?』
『本日の会計額を基準にすれば、五回以上です』
『一回玉が落ちただけで?』
『正確には、八つの番号へ合計八十ユーロを賭け、そのうち一つが的中した結果です』
『食事中くらい、細かい訂正はやめようよ』
『質問へ正確に回答しました』
会計は、カジノ資金ではなく旅行中の食費から払った。
金を分けた意味がなくなるので、勝った直後でもそこは変えない。
店を出る。
昼食に一時間以上使ったが、急ぐ必要はない。
ポーカーは、客が集まらなければ始まらない。
ジンが公開されている予定と現地の状況を確認した結果、僕の資金で参加できる対人戦は、別のカジノで開かれる予定だった。
カジノ・ド・モンテカルロを出て、歩いて移動する。
次に入った建物は、先ほどまでいた場所より新しく、内装も現代的だった。
装飾の豪華さでは劣るが、遊ぶための場所としてはこちらのほうが分かりやすい。
受付でパスポートを提示し、ポーカーのテーブルについて尋ねる。
最低持ち込み額は五百ユーロ。
ブラインドは五ユーロと十ユーロ。
すでに参加者が集まり始めていた。
『千ユーロで入る』
『全体の資金に対して大きな割合です』
『残りは使わない。千ユーロを失ったら、今日は終わり』
『承知しました』
千ユーロをチップへ替えた。
昨日のブラックジャックより大きな金額だ。
だが、今度は相手がディーラーではない。
同じテーブルに座る客から金を取る。
反対に、僕の千ユーロを狙う人間もいる。
僕を含め、最初に席へ着いたのは六人だった。
向かいには、四十代ほどの男が座っている。
よく日に焼けた肌に、白いシャツ。腕には、僕でも名前を知っているような高級時計が見えた。
隣に座る若い男は、室内でも薄い色のサングラスを掛けている。
ほかには、白髪の女性、髭を整えた細身の男、口数の少ない中年男性。
会話は英語だ。
「若いね。観光客?」
正面の男が僕へ尋ねた。
「日本から来ました」
「ポーカーは?」
「実際のカジノでやるのは初めてです」
「それなら歓迎するよ。私はマルコだ」
「和希です」
マルコは笑い、僕の前に置かれたチップを見た。
「最初から千ユーロとは勇気がある」
「最低額だと、すぐになくなりそうだったので」
「正しい判断だ。長く遊んだほうが楽しいからね」
僕が長く遊べるかどうかを、本当に心配している顔ではなかった。
『もしかして狙われてる?』
『初心者だという発言の後、マルコは和希のチップを二度確認しています』
『僕でも分かったよ』
『では、質問の必要はありませんでした』
『確認したかったんだ』
最初のカードが配られる。
ブラックジャックと違い、僕に見えるのは自分の二枚と、場へ開かれるカードだけだ。
相手の手札は分からない。ジンにも見えない。
僕は弱い手札を捨てた。そしてその次も。
三回目には参加したが、途中で相手の賭け金が上がり、降りた。
開始から三十分で、僕のチップは九百二十ユーロまで減っていた。
大きく負けたわけではない。
勝てる可能性が低い場面で、小さく払った金が積み重なっただけだ。
マルコは多くのゲームへ参加していた。
弱い手札でも最初から賭け、相手が降りれば小さな金を集める。最後まで残った場合も、大きな金額を置いて相手へ判断を迫る。
『マルコの傾向は?』
『これまで二十二回中、十六回で最初の賭けへ参加しています。一般的な参加範囲より広いと考えられます』
『強い手札を待ってない』
『はい。また、最後まで手札を公開した四回のうち、二回は完成していない組み合わせで賭け金を増やしています』
『ブラフが多い?』
『現時点の標本だけでは断定できません。ただし、その可能性はあります』
マルコは僕が降りるたび、満足そうにチップを集めた。
「慎重だね」
「早々に減らしたくなくて」
「良いカードを待ちすぎると、賭け金だけで減っていくよ」
「気をつけます」
助言に素直に頷く。
マルコの目には、実戦慣れしていない慎重な客として映っているはずだ。
一時間ほど経った頃、僕の手元へスペードのエースとクイーンが来た。
マルコが三十五ユーロへ上げる。
ほかの参加者は降り、僕だけが同じ額を出した。
場へ開かれた三枚は、クラブのクイーン、クラブの八、ダイヤの四。
僕にはクイーンの組がある。
マルコが六十ユーロ。
『相手の範囲は?』
『クイーンを含む手札、クラブ二枚、上位のポケットペア、または組み合わせが完成していない手札が考えられます』
僕は払った。
四枚目は、ハートの六。
マルコは百五十ユーロを置く。
迷っているようには見えない。
カードが開かれてから、自分の順番が来るまで、賭け金をすでに決めていた。
『続ける?』
『和希が勝っている可能性は、支払う金額に対して高いと判断します』
百五十ユーロを出した。
最後の一枚は、スペードの二。
クラブは増えない。
僕の手札も、クイーンの組から変わらなかった。
マルコが四百ユーロを前へ出す。
場にある金額に近い。
ここで払えば、最初に用意した千ユーロの大部分を一回の勝負へ使うことになる。
「難しい顔をしているね」
マルコが僕を見ている。
「クイーンを持ってる?」
「それを答えたら、僕だけ不利になりませんか?」
「初心者へ質問しただけだよ」
「なら、初心者らしく考えます」
マルコは視線を逸らさない。
先ほどまで手札が強かった場面では、相手を急かすようなことをしなかった。
チップを置いた後は、飲み物へ手を伸ばすか、別の客と話している。
完成していない手札で大きく賭けた二回だけ、相手の顔を見ていた。
『必要な勝率は?』
『現在のポットと支払額を基準にすれば、約三十一パーセントです』
『僕が勝っている確率は?』
『これまでの行動を含め、四十七パーセントから五十六パーセントと推定します』
払う。
四百ユーロのチップを前へ出した。
マルコは僅かに眉を上げ、手札を開く。
クラブのエースとジャック。
クラブがもう一枚出ればフラッシュになっていたが、最後まで完成していない。
僕も手札を見せる。
「クイーンだけか」
「初心者なので」
テーブルの中央に集まっていたチップが、僕の前へ運ばれてくる。
千三百ユーロを超えるポット。
先ほどまで九百ユーロを下回っていた僕のチップは、一気に千五百ユーロを超えた。
マルコは僕の手札をもう一度見た後、笑った。
「日本の初心者は、随分勇敢だ」
「運がよかったです」
「そういうことにしておこう」
次のカードが配られる。
僕は再び、弱い手札を捨てた。
大きく勝った直後だからといって、参加する範囲を広げる必要はない。
マルコは変わらず、多くのゲームへ参加している。
ただ、僕が参加したときの賭け金は、先ほどより大きくなった。
『取り返そうとしてる?』
『その可能性があります。和希に対する賭け金は、ほかの参加者に対する平均より二十三パーセント高くなっています』
『嫌われたかな』
『感情までは判断できません』
『まあ、自分から金を奪った相手を好きにはならないだろうね』
小さな勝ちと負けを繰り返し、二時間ほどが過ぎた。
僕のチップは、千六百ユーロ前後で増減している。
そのとき、ダイヤとスペードの九が配られた。
マルコが四十ユーロへ上げる。
僕だけが残った。
場へ出た三枚は、クラブのキング、ハートの七、スペードの三。
僕には九の組がある。だが、マルコがキングを持っていれば負けている。
マルコが六十五ユーロ。
『降りる?』
『マルコの開始時点における参加範囲を考慮すれば、キングを含まない手札も多く残っています』
払う。
四枚目は、スペードの四。
マルコが百七十ユーロを置いた。
僕の手札は強くなっていない。
一方で、マルコが何も完成させていない可能性も残っている。
『今は?』
『マルコがキングを含む手札を持つ確率は上昇しています。ただし、スペード二枚、八と六、六と二など、未完成の組み合わせも考えられます』
もう一度払った。
最後の一枚。
ダイヤのエース。
僕の九の組は変わらない。マルコがキングかエースを一枚でも持っていれば、僕の負けだ。
マルコが少しだけ時間を使った。
自分のチップを見てから、七百ユーロをまとめて前へ出す。
テーブルにあった金額より大きい。
「今度は、さっきより難しそうだ」
マルコが口を開く。
「エースが出たからね。君が持っていれば、私の負けだ」
言葉だけを聞けば、自分がキングを持っているように聞こえる。
僕がエースを持っているか確かめ、なければ払わせたい。
あるいは、エースもキングも持たず、この一枚を利用して降ろそうとしている。
『マルコが強い手札を持っている確率は?』
『行動だけを基準にすれば、和希より強い手札を持つ可能性が高いと判断します』
『高いって、どのくらい?』
『五十六パーセントから六十二パーセントです』
払えば勝てる確率は、四割前後。
七百ユーロを出して、勝てば二千ユーロ近い金を取れる。
数字だけでも、捨てると決めるほど悪くはない。
マルコを見ると、こちらを観察している。
最初の大きな勝負と同じだ。
手札が強かった場面では、相手の判断中に話しかけていない。
自分の手札を見せたくないのではなく、僕が降りる瞬間を待っているように見えた。
もう一つ。
四枚目のスペードの四。
マルコが持っていそうな手札の中には、スペード二枚や、八と六、六と二が含まれている。
最後のエースでスペードは増えず、八と六や六と二のストレートも完成していない。
だが、僕を降ろすためには使いやすい。
『僕は払いたい』
『期待値は僅かに正です。ただし、推定の誤差は大きく、七百ユーロを失う可能性があります』
『分かってる』
七百ユーロを数え、線の内側へ押し出した。
「コール」
マルコの表情から、笑みが消えた。
数秒後、手札を開く。
スペードの八と六。
四枚目で、ストレートとフラッシュの両方を狙える形になっていた。
最後のエースでは、何も完成していない。
僕の九の組が残る。
ディーラーが勝者を示した。
中央のチップが、僕の前へ押し出される。
マルコは椅子へ深く座り、僕を見た。
「本当にポーカーは初めてか?」
「カジノでやるのは、今日が初めてです」
「日本では?」
「友人と少し。お金は賭けたことはないです」
嘘ではない。
ジンを友人と呼ぶのが正確かどうかは、今は脇へ置いた。
「なぜブラフだと思った?」
「キングかエースを持っている人が、僕を降ろすために話し続ける必要はないと思いました」
マルコは一度黙り、その後、声を上げて笑った。
「なるほど。次からは黙ることにするよ」
「言わなければ良かったかな」
僕の前にあるチップは、二千五百ユーロを超えていた。
最初に持ち込んだ千ユーロの二倍以上。
マルコが僕を狙うことはなくなった。
参加する回数が減り、僕が残っているときには早めに降りる。ほかの参加者も、最初のように初心者としては扱っていなかった。
『続ける価値は?』
『先ほどまでと比べ、和希が有利な状況は減少しています。また、マルコは残りのチップを一度確認しました。席を離れる可能性があります』
『やめどき?』
『利益を確定するのであれば、適切です』
あと数回だけ参加し、小さなポットを一つ取った。
僕のチップは、二千五百八十ユーロ。
席を立つ。
「もう帰るのか?」
マルコが尋ねた。
「はい。勝っているうちに」
「慎重なのか勇敢なのか、分からないな」
「僕もまだ決めてません」
「次に会ったら、もっと長く遊ぼう」
「そのときも僕が勝っていたらそうします」
マルコと軽く握手を交わし、テーブルを離れた。
チップを現金へ戻す。
ポーカーだけで、千五百八十ユーロの利益。
昨日のブラックジャックが二百七十五ユーロ。
今日のルーレットが二百八十ユーロ。
合計二千百三十五ユーロ。
日本から持ってきた十万円は、二日間で三十五万円を超えていた。
『計算、合ってる?』
『現在の為替で換算すれば、約三十五万一千円です。両替時の手数料によって、実際に受け取る日本円は減少します』
『三十五万円まで増えたと思っておくよ』
『概算であれば、その認識で問題ありません』
財布へ収まりきらないユーロ紙幣を、内側のポケットへ分けて入れる。
カジノを出た時点でも、外はまだ明るかった。
建物の前には何台もの高級車が停まっている。買えるようになったわけではない。
ただ、資金を四十万円台まで増やすのに一か月かかった僕が、二日で二十五万円を増やした。
『明日もやれば、もっと増える?』
『可能性はあります』
『もちろん負ける可能性もあるけど』
『はい』
『……今日はここまでにしよう』
『合理的な判断です』
モナコには、まだ二日いられる。
カジノには行くが、観光だってしたい。
勝った金で何を買うか。どこへ行き、何を食べるか。
所持金に余裕があるというだけで、選択肢はいくらでもあるのだ。




