第7話 未来へ
「私もあなたも、もう二度と魔法は使えません」
知っていた。
さきほど二人から剥がれ落ちた白と黒、あれは身につけた魔法の体系そのものだ。それも含めて、エリザベートは魔法陣から正確に読み取っていた。
それでも、幼い頃から修行してきた魔法だ。エリザベートの胸がちくりと痛んだ。
「ですが、これで調和は保たれる。魔王様には申し訳ないですが……世界自体がなくなってしまっては、復活も意味がありませんから。ご協力に深く感謝いたします」
デンケはそう言い残すと、エリザベートの返事も待たず、どこへともなく立ち去った。
それが別れの言葉であることを、エリザベートは理解していた。
生きている。それを確かめるように呼吸をする。
どれくらいの時間、そうしていただろうか。
戦いの熱で忘れていた痛みが、エリザベートのもとに戻ってくる。
……痛い。ものすごく痛い。
斬られ焼いた脚も、齧られた頬も。全身にできた火傷や擦り傷や切り傷も。
誰か助けてくれないかなぁ、と思いつつ、這いずって薬草を集め、応急処置をする。
煙を見た近隣住民が駆け付けたときには、エリザベートは疲れ果てて眠っていた。
白い天井。薬草の臭い。
「……ぁ……」
エリザベートが目覚めたとき、そこは病室だった。
何日も眠っていたのだろう。喉がからからで声がかすれる。
遅れて、自分の身に起きたことを思い出す。
夢だったのではないかと期待して、おそるおそる布団をめくってみる。
が、やはり失った脚は戻っていなかった。
現実だ。
戦いの勝利も現実なら、失った多くのものも現実。
死んでいった仲間たちに思いを馳せ、エリザベートの瞳が涙に——
「お、目覚めたかよ」
聞きなれた太い声が聞こえた。
包帯だらけで隻腕の大男が、椅子に座って、切り分けられたリンゴをフォークで突いている。
「ルーカス……?」
「なんだよ、幽霊でも見たみたいな顔して」
笑う男の顔に、枕が飛ぶ。
「おいおい!こっちだって怪我人なんだぜ」
「うるさいバカ!生きてるならもっと早くそう言え!」
「仕方ないだろ?!崖から落ちたうえにあいつにやられて気絶してたんだよ」
「大事なときに気絶なんてするなバカ!」
「そんなこと言われても!」
しばらくそんな言い合いが続いたあと、ルーカスがぽつりと言う。
「……すまなかったな。一番大変なときに、そばにいてやれなくて。もしも俺が、あそこで踏ん張れてりゃ——」
エリザベートは言葉を紡ごうとするが、声が出ない。
ルーカスは一瞬だけエリザベートの足元に目を落として、続ける。
「お前が、やり遂げてくれたんだな。ありがとうな」
—―違う。あなたが逃がしてくれたから。あの時間があったから。それでなければ、二人ともあそこで死んでいた。
喉が引きつり、声にならない。
言葉の代わりに、嗚咽だけが漏れた。
それから数日。
ルーカスとエリザベートは、葬儀に参列していた。
エドと、クライド。
勇者一行の2名の棺が今、祭壇へ運ばれていく。
ボニーは兄の顔を見ることさえできていない。
持ち去られたまま、戻ってきていないのだ。
車椅子に乗るエリザベートの隣で、ボニーの奥歯がぎゅっと音を立てた。
エリザベートはボニーの手を、そっと握った。
司教が祭詞を淡々と紡ぐ。誰も声を上げて泣く者はいない。
失われたものの重みだけが、参列者たちの肩を落としていた。
それでも、式は滞りなく進んでいく。
式が終わり、ボニーとクライドを載せた馬車が故郷の村へ向かう。
英雄を王都に祀りたいという国王の申出を、ボニーは丁寧に固辞した。
ルーカスとエリザベートは、再び病院へ。
二人が治療を受けたのとは別の棟。見知った顔が、二人を出迎える。
「おお、元気だったか、お前ら」
車椅子に乗った、痩せぎすの男。
彼があの英雄・戦士アルバートだとは、事情を知らない者は信じられないだろう。
「ごきげんよう、アルバート」
「おう。そっちは……まあ、見てのとおりだな」
軽く肩をすくめるアルバート。
大きく頼もしかった肩が、今や骨ばって、小さく見える。
「なんだよその顔。ちゃんと生きてるっての」
「はは。その台詞は、こっちが言うことじゃない?」
エリザベートが苦笑する。
「はは。……確かにな。たしかに」
アルバートが急に神妙そうな顔をするので、ルーカスが噴き出す。
それを受けてまた、二人が笑う。
いつものような、あっけらかんとした会話。
「……で、そっちはどうなった」
「……封印した。エリザベートがな。俺は役に立てなかった」
「そんなこと」
アルバートが目を閉じ、ゆっくりと頷く。
それ以上詳しくは聞こうとしない。
「上出来だ。二人とも。あれ相手に生き残ったんだからな」
「上から目線だな、おい」
「先輩だからな」
軽口と笑い声。
いつもの、仲間の会話だ。
しかし誰も、クライドの名を出さなかった。
「あの、面会時間が、そろそろ」
看護師が声をかける。
「じゃあ、また見舞いに来るよ」
「おう。今度は花じゃなくて、美味いフルーツでも持ってきてくれよ。病院食はまずくてな、こんなに痩せちまったよ」
「……フルーツね。わかった」
病室を出る。
ふと、遠くからエリザベートの耳に、看護師たちの話が聞こえた。
「あの患者さん、今日は元気そうね」
「ほんとにね。いつも夜になると、すごい悲鳴を上げてるのに——」
一瞬、エリザベートの足が止まる。
「どうした?」
ルーカスの問いかけに、エリザベートは首を振って、また歩き出した。
アルバートはフルーツよりも、肉が好きなはずだった。
それから何年の月日が経っただろうか。
王都大聖堂の地下に、一体の像があった。
薄灰色の水晶でできた、人型の像。
歯を剥き出し、獰猛な笑みを浮かべた、片足のピエロ。
今では数日に一度、封印を固める聖水を僧侶が振りかけるほか、訪れる者もなかった。
今日も、大きな樽を二人がかりで抱えた僧侶たちが、地下へ降りてくる。
「しかし、やっぱり気味が悪いですね、この像」
「当たり前だ。なんといっても、勇者を殺した殺人鬼を封印したものらしいぜ」
「ひええ、おっかないな……もし動き出したら、先輩が食べられてる間に逃げていいですか」
「なんでだよ、こういうときは後輩が先だろ」
「ひっでー」
軽口を叩きながらも粛々と聖水の準備をする。
二人は像の前に跪き、静かに祈りを捧げ始める。
――そのとき。
その様子を見つめる水晶の瞳だけが、ぎょろり、と動いた……気がした。




