北極星
暗くなり、星が顔を見せ始める。
汗だくになりながら、走っていると、ようやく彼女の家が見えた来た。
「いた!」
ゆっくりと大きな門が開けられ、黒い高級車が動き出すのが見え、焦りと安堵が同時に心に浮かぶ。
「間に合え!!」
ここまで来て諦めるわけにはいかない。
僕は、さらに全力で前へと進むと、車を止めるため自転車ごと体を前に滑り込ませた。
キッと言う、大きなブレーキ音。
だが、轢かれることはなく、怒りの顔と共に運転手がドアを開いたのが見えた。
「危ないだろうが!?何考えてるんだ!」
大柄の男性が、それに見合うような迫力を持って、こちらを怒鳴りつける。
だけど、僕は、そんなことを気にしている余裕は無く、ただ、驚いたような顔をする彼女の目をじっと見つめ続けた。
「おい!?聞いてるのか?」
胸倉を掴まれる。不思議と恐怖は無かった。
それに、いつもなら、すぐ謝っているのに。
「待ってください。私の…………知り合いです」
無視され顔を真っ赤にさせた運転手が、力をさらに加えて締め上げようとした瞬間、凛とした兎沢さんの声が世界を支配する。
「……それは、失礼しました。申し訳ありません」
「いえ、こちらこそごめんなさい」
釈然としないような顔ながらも、彼が謝罪の言葉を出しながら胸元から手をどけたことで、苦しさから解放される。
「っ。はぁはぁ」
「大丈夫ですか?」
心配げな彼女の声色、だけど、そんなことは正直どうでもいい。
「話がある」
息切れし、呼吸を求める体の合間を縫って掠れた声でそう伝えると、しばらく彼女は無言だったが、やがて諦めたような顔で頷く。
「…………………………わかりました。あちらへ行きましょう」
時間をかけるつもりは無いという意思表示なのか、彼女は運転手が渡そうとする上着を断ると、案内を始めた。
「それで、話とはなんでしょう?」
季節ではないはずのバラが咲き誇る生垣の前へ着くと、彼女はいつになく冷たい表情と声色でこちらへそう問いかけてくる。
恐らく、いつもの僕なら、それに気圧されて当たり障りの無いことを言ってそれで終わりだっただろう。
「なんで、そんな顔をしているのか教えて欲しいんです」
でも、今は自分でも驚くほどに強い声が出る。
それに、いつもならすぐに逸らしてしまう目線も今は、外すことができなかった。
「っ!」
こちらの様子に彼女が動揺したのがわかる。
怯えるような、弱気な彼女が顔を出し始め、仮面が外れていく。
「ただ、理由を教えて欲しい。なんで、悲しそうなのか、辛そうなのか」
「………………そんな、顔をした覚えはありませんが」
「本当に?僕の目を見てそれを言えますか?」
「………………」
俯いた彼女のその目がどうしようもないほどに、それが嘘だと伝えてくる。
気のせいであって欲しかった。だけど、やっぱり彼女は悲しんでいる。
「どうか、教えてください。僕は、どうしてもそれが知りたいんです」
「…………………………私は、貴方の期待に応えられませんでした」
長い沈黙の後、薄っすらと赤くなるほどに手を握りしめた彼女が口を開く。
「それは、どういう意味ですか?」
「……あの日。結局私は、お父様にお会いできませんでした」
「何か、あったんですか?」
「はい」
そして、彼女は悔いるようにゆっくりと事情を説明していった。
「家の前までは、来ていたんです。でも、急遽仕事でトラブルが起きてしまったらしく、プレゼントだけ置いてとんぼ返りしてしまいました」
「それは……残念でしたね」
学生の僕には、彼女のお父さんの仕事がどれほど大変なのかわからずに、そんなことしか言えない。
「仕方が無いとは思います。とても、忙しい方なので。だけど、今回は頑張っていた分、立ち直れないくらい悲しくて。それに、東堂さんにここまでして頂いたのに、こんな結果になって、到底顔向ができませんでした。本当に申し訳ありません」
疲れたような笑みに、やるせない怒りを覚えてしまう。
子供の勝手なのはわかっていても、腹が立ってしまう。
「そんなこと、言わないでください。兎沢さんは、全く悪くないんですから」
「ありがとう、ございます」
また、頑張ろうなんてとても言える雰囲気ではない。
お互いが気まずそうな自嘲を顔に浮かべる中、彼女の表情が徐々に崩れ出し、涙が頬を伝わっていく。
「やっぱり、私は、愛されていないと思います。いいえ、むしろ、誰にも愛されないのかもしれませんね」
「そんな!そんなことはありません。兎沢さんは、とても素敵で」
「なら!!どうして、お父様はっ…………すいません。ほんと、ダメですね、私」
いつも穏やかな表情を見せていた彼女が、擦り切れそうな悲しい顔をしていることに息ができないくらいに胸が苦しくなる。
「たぶん、全部無駄だったんです。本当に、ありがとうございました。もう、大人しくしていることにします」
「それで、いいんですか?」
「いいんです」
有無を言わせないというような鋭い言葉に、何も言えなくなる。
「冬は苦手でしたよね。もう、寒いので、お互い家に戻りましょう。帰りは、送らせますから…………さようなら」
踵を返し、涙を流したまま去ろうとする彼女に何と言うべきかわからない。
これほど頑張った彼女に、もっと頑張れなんてとても言えないし、言いたくない。
それに、慰めも意味は無いだろう。自分が余計に惨めになるだけだ。
だけど、何かを言わなければいけない。そんな気持ちが支配する。
「………………なんですか?」
無意識に掴んでしまった手に、彼女がこちらを向かないまま抑揚の無い声で問いかける。
何を言えばいいのか、全く分からない。
「離して、ください」
力無いながらも拒絶するような声色に、余計に焦り、頭の中が真っ白になる。
だけど、今この手を離せば、何かを失ってしまうようなそんな気がした。
「離して!」
彼女らしくない鋭い声が体を貫き、振りほどくような力がかかり始める。
離しては、ダメだ。それだけは、絶対にダメだ。
「………………僕は、貴方が好きです」
「え?」
何を話していいか分からないままに開いた口は、言うつもりの無かったことを、話し始める。
しかし、時間稼ぎくらいにはなるようだ。
虚を突かれたような彼女は、泣いたまま驚いたようにこちらを振り返った。
「僕は、兎沢さんのことが、どうしようもないほど、好きです。宇宙を思わせる紫がかった黒髪も、天王星のような透き通った水色の瞳も、月よりも淡く優しく光る白い肌も、全部」
「え、いや、あの」
頬を染め、目を彷徨わせる彼女が余計に可愛く思えて、堰を切ったように想いが言葉になって出て行く。
「優しくて、穏やかで、努力家で。見ているだけで勇気を貰えるようなそんな、貴方が何よりも好きです。最近では、星を見ていても、貴方のことを考えてしまうくらいには」
「…………ぅっ」
湯気すら出そうなほど真っ赤になった彼女のことを本当に愛しいと思う。
迷惑な行為かもしれないけど、そう思うのが止められないほどには、僕は彼女に恋してしまっている。
「本当は、困らせたくないから言うつもりはありませんでした。だけど、そんな、悲しい顔をしている兎沢さんを見ていられませんでした」
「…………さい」
微かな、蚊の鳴くような声で彼女が何かを言っているようだが、それでも、動く口が止められずに、想いが溢れていってしまう。
「少なくとも、誰にも愛されないなんてことはありません。貴方を愛して、焦がれて、毎日頑張ってしまうようなそんなやつがここにいるんですから」
「もう、やめて…………」
涙目で上目遣いに睨みつけるような彼女の姿に、逆に気持ちが高ぶっていってしまう僕は、本当にどうしようもないやつだ。
「本当に、好きです。どうしようもないくらい」
「もう、わかりましたから!十分、わかりましたから!!」
鼓膜が破れそうなほどの大声に、頭が急速に冷えていき、熱に浮かされていた自分に恥ずかしさが沸き上がってくる。
「すいません…………」
お互い、無言のまま時が過ぎているはずなのに、鼓動の音のせいで、煩いくらいに感じられる。
「本当に、すいません。忘れてください」
「ふふっ、無理ですね。とても、素敵な言葉だったので」
以前、同じようなことを話した。だけど、今は揶揄うような彼女の顔がそこにはあった。
「迷惑じゃありませんでしたか?」
「そう見えるんですか?」
楽しそうな笑顔がそれは違うと教えてくれる。
だけど、どうにも信じられない。
「ちょっと、自分に都合が良すぎて。夢じゃないですよね?」
「あははっ。夢じゃありませんよ」
「本当ですか?」
「…………じゃあ、頬を私が摘まむので、少しだけ目を瞑って貰えますか?」
「え?あ、はい」
自分でやればいいのにという疑問を抱きながらも、素直に目を瞑ると、とても柔らかい何かが頬にそっと啄むように触れた。
「へ?今のって、もしかして」
「なんでしょう?」
背伸びした後のような姿勢だった彼女は、既に離れており、何でもないような顔をしている。
一瞬、口づけをされたかと思うも、そうは言いだせず、勘違いだったのかと疑問に思う。
「つねったんですよね?」
「ふふっ。そうですよ?」
「手でですよね?」
「さあ、どうでしょうね?」
楽しそうな彼女に、問いただす気持ちが失せていく。
彼女が幸せなら、真実がどうであれ、どうでもいいのだと思ったから。
「一度、お父様と話してみようと思います。今までは、失うのが怖くて、できませんでしたけど」
「…………平気ですか?」
ずっと、それを避けてきた彼女がそれをするということに不安な気持ちはある。
もしかしたら、捨て鉢になっていないかと思ってしまったから。
「ふふっ。心配ですか?」
「え、ええ。それは、もちろん」
「大丈夫ですよ。だって、弦月さんは、私を愛してくれているんでしょう?」
突然、名前を呼ばれて焦る。だけど、答えを待つような彼女の瞳に、不安げに揺れ始めそうなその瞳に、今言うべきことを思い出す。
「愛しています。この気持ちだけは、誰にも負けないくらい」
ずっと、自信は無かった。いや、今も、自信は無い。
だけど、人生のほとんどを、同年代の誰よりも、時間を賭けてきたと言い切れる趣味よりも好きだと思えるのだ。
だったら、それは誰にも負けない。
自分の底の底、こびりついたものまで全て捧げられるような、この想いだけは、絶対に。
「だったら、大丈夫ですよ。私は、貴方を信じています。そして、それがブレないなら、私ももうブレません。貴方が教えてくれた、北極星のように」
はにかむような笑顔に、見惚れてしまう。
それに、彼女の中で、確かに僕たちの積み重ねが息づいていることがわかって嬉しかった。
「これからも、よろしくお願いしますね?」
「……はい。よろしくお願いします」
自分を自分で信じることさえできないけれど。自分を世界で誰よりも信じてくれる人がいる。
なら、僕たちはそれでいい。
星座を作るには、二つでは足りない。だけど、愛を作るにはそれで十分すぎるだろうから。
また、父との話だけ後で追加する予定ですが、一応これで完結です。
絵に見合うお洒落さを表現しようとしたんですが、あまりにも自分と乖離し過ぎて知恵熱が出てきました(笑)
この作品も勢い重視なので、また、もう一度後で読み返して修正する予定です。
もしお読みくださった方がいれば、ありがとうございました。




