前編
この作品は二部作の2作品目です。
1作目の隣の令嬢は幸せそうに見える〜アリアの場合を先にお読み頂きますと、より一層分かり易いと思います。
勿論、ローズの場合のみでも問題ありません。
宜しくお願い致します。
「ローズ、野薔薇で花冠を作ったよ」
野薔薇の棘で傷だらけの手に小さな花冠が
握られています。
「ザック、手が傷だらけ」
そっとザックの手を握ると、ザックも握り返してくれました。
まだ幼い頃、体の弱かった私は、母の友人のモーガン子爵夫人に預けられました。
母が懐妊中と言う事もありましたが、
モーガン子爵領は温暖な大穀倉地帯で、転地療養には最適だったからです。
アイザック、ザックは子爵家の嫡男で私の3歳年上の明るくて優しいお兄さまのような方でした。
小さい頃はお勉強の時間が終わると、晴れた日は花畑に、曇りの日は厩舎、雨の日には部屋で遊びました。
「お前が退屈しないように遊んでやる」
照れ臭そうに笑うザックの笑顔は私の宝物でした。
モーガンのおじ様、おば様も三人の息子には恵まれたものの、娘はいなかったため、私を実の娘のように可愛がってくださいました。
ザックの年子の双子の弟たちジョセフとエドも私を可愛がってくださいましたが、いつも一緒に居るのはザックでした。
私は年々元気になり、10歳を迎える頃には
すっかり健康体になりました。
預けられて7年の間に、両親が訪ねて来たのは数える程でした。
私がモーガン子爵家に預けられてから生まれた弟と三人ですっかり家族の枠組みが出来てしまったようでした。
そんな事もあり、私は出来るならずっとこのお邸で暮らしたいと思っていました。
ザックの側に。
しかし、やはりそうはいきませんでした。
私が10歳を過ぎた頃、父から使いが来て王都に戻るよう言われたのです。
正直、今更呼び戻される事が不満でした。
勿論、モーガン子爵夫人に躾けられた貴婦人の心得として、おくびにも出しませんでしたが。
私もベネット侯爵家に生まれた者として、年頃になれば政略結婚の話もあるだろうとは、思っていました。
しかし、一緒に暮らしてもいない家族の為に犠牲になりたいとは思えなかったのです。
モーガンのおば様はその思いにお気付きになられたのか、私に悟されました。
「ベネット侯爵夫妻もずっと貴女と暮らしたかったのよ。でも貴女のためを思って温暖な我が邸にお預けになったの」
私は仕方なく王都の邸に戻る事となりました。
実を言えば、私は少し期待していました。
ザックが私に何か将来の約束をしてくれるのではないかと。
しかし、ザックからは何の言葉も約束も無いまま、別れの朝が来ました。
モーガンのおじ様、おば様、ジョセフとエドに涙ながらのお別れをします。
最後はザックです。
「ザック」
私は少しの間、待ちました。
ザックが何か言ってくれる事を。
「ローズ、幸せを祈っているよ。
元気で」
それだけでした。
私がまだ10歳だからなのか、本当に妹のような存在でしか無かったのかはわかりません。
私は力無く頷き、馬車に乗り込みました。
涙が止めどなく流れました。
王都のベネット侯爵邸に着くと、ベネット侯爵夫人である母と弟のヘンリーが待っていました。
母は私をそっと抱きしめて
「戻って来てくれて嬉しいわ」
と涙を流されました。
ヘンリーはそんな私たちを胡乱な目付きで見ていました。
何か嫌な予感がしましたが、胸に仕舞いました。
挨拶をしてお茶を頂いているうちに、父も公務から戻りました。
父は王国の財務を預かっていますので、多忙なのは分かっています。
「ローズ、良く戻った」
笑顔で仰る父の顔を見ると、長年のしこりが無くなっていくような気がしました。
私も大概お人好しなのかもしれません。
やはり親子なのでしょう。
見る見るこれまでの7年間が埋まっていくようでした。
しかし、嫌な予感は当たっていました。
両親が両手を挙げて喜んでいるのが、気に入らなかったのでしょう。
今までひとりっ子同然に注目されていたヘンリーは、私に嫌がらせや悪戯を仕掛けるようになりました。
寝台に虫を忍ばせたり。
(草原を駆け回っていた私には効きません。)
わざとお茶を掛けてドレスを台無しにしたり。
(水浸しなんて日常茶飯事)
などなど。
何をやっても動じない私をヘンリーも認めてくれたようです。
ヘンリーもまだ7歳でまだまだ甘えたい年頃ですからね。
それ以降は私べったりになりました。
王都での暮らしは順調でしたが、私はザックに会いたくて仕方ありませんでした。
モーガンのおばさまとは、しょっちゅうお手紙のやり取りをしていましたので、ザックの事もいろいろ聞いてはいました。
ザックはモーガン子爵家の事業を手伝うようになり、商談であちこちに行き見聞を広めているそうです。
王都にも来る事があるらしいので、その時は是非お会いしたい、とお願いしました。
私もザックに望まれる女性になりたいと思い、財務や政治、物流など令嬢らしからぬ勉強に励みました。いつか役に立つと信じて。
ザックは何度も王都を訪れていたようですが、結局再会は叶わず5年の月日が流れました。
もうザックは私を忘れてしまったのかしら。
枯れ果てた野薔薇の花冠を眺めながら、
毎日毎日、ザックとの日々を思い返しては
お会いしたいと手紙を書く事を逡巡します。
ある日、モーガンのおば様からのお手紙で、ザックが王都での事業を任された事を知りました。
間も無く王都のモーガン子爵邸に住まわれるとの事です。
ザックが王都に来る!
私は指折り数えてその日を待ちました。
社交界デビューも近いので、パートナーをお願いしようと思ったのです。
ザックが王都に来る日、私はヘンリーを連れ、モーガン子爵邸にお邪魔しました。
邸の執事は顔見知りですので、あっさり客間に通されます。
「そのザックって、ただの幼馴染なんでしょ。姉様、そんなに会いたいの?」
私大好きのヘンリーは少しやきもちモードです。
流石に社交界デビュー間近の侯爵令嬢が、幼馴染とはいえ、独り住まいの独身男性宅へひとりで伺うわけにはいきませんでした。
「ちゃんと僕が見極めてあげるから」
ヘンリーが一端な事を言うので笑ってしまいます。
そこへザックが入って来ました。
懐かしいザック、大好きなザック。
ザックは日焼けしてそして逞しくなっていました。
優しい笑顔もそのままです。
「ザック」
立ち上がり思わず声を掛けます。
「ローズ、元気にしていましたか」
一瞬まじまじと私を眺めてからザックは優しく尋ねます。
「はい、ザックはお元気でしたか。
ずっとお会いしたかったです」
私の言葉にヘンリーが目を丸くしています。
はしたなかったでしょうか。
「私もです。わざわざおいで頂き、返って申し訳ないです」
何だか他人行儀です。
「ザック、何だか水臭いです。
昔はもっとざっくばらんにお話していたのに」
「子どもの時はそれで構いませんでしたが、
貴女も社交界デビューなさる年頃です。
ローズと呼び捨てもいけませんね。
ローズ嬢とお呼びしないと」
私は悲しくなりました。
何年も思い続けたザックとの間に高い壁を感じます。
気を取り直しお願いしてみます。
「ザック、今日はお願いがあって参りましたの。今度の舞踏会は私の社交界デビューになります。そのパートナーを是非ザックにお願いしたいのです」
ザックは一瞬固まり、それから柔らかく仰いました。
「ローズ嬢には、もっと相応しい方がいらっしゃると思いますよ。
私は当分事業が立て込んでおりますし」
体よくお断りされました。
二つ返事で了承してくれると信じていた私には打撃でした。
私の狼狽に気付いたヘンリーが、
「そろそろ失礼します」と言って、我が邸まで連れ帰ってくれましたので、醜態を見せる事なくすみました。
「姉様、あいつは駄目だ。
最初から土俵に上がっていない」
ヘンリーの言葉に涙が溢れます。
「ごめん、姉様。
泣かすつもりは無かったんだ。
あいつは悪い奴じゃないだろうけど、どうも見込みが無さそうだし」
ヘンリーの言葉が身に染みました。
5年の月日が私たちを隔てたのかもしれません。
父はデービス侯爵の次男のルーカス様を私の社交界デビューのパートナーに決めました。
当日は薄いピンクのシフォンドレスと代々侯爵家に伝わるピンクの金剛石のネックレスを身につけました。
この国で金剛石は採掘されないため、遥か遠い国より買い付けた物です。
髪は脇から少しだけ後ろに髪留めで留めて、あとは垂らしたままです。
迎えに来てくださったルーカス様は、私を見て固まってしまったようです。
暫くしてから、顔を真っ赤にして、
「あ、貴女のような美しい方をエスコート出来て、し、幸せです」
と、噛みながら仰いました。
美しいのかしら、と思いながら舞踏会に参加すると、出席された方々から称賛の嵐です。
「何て美しい方だ」
「次のダンスは私とお願いします」
私は引く手数多でした。
誘われた方と次々踊ります。
ちょっと良い気になっていたのかもしれません。
「次は私だ」
半ば強引に次のパートナーに名乗り出てしまった方がいました。
ダンスもやたら抱きしめるだけで、上手でも思いやりがあるわけでもありません。
挙句、
「俺は陛下の甥だ。
ヒル公爵の嫡男でもある。
俺には誰も逆らえない。
お前も、俺の物になるんだ」
今、お会いした方が何を仰っているのかわかりませんが、体を無理矢理離して、言いました。
「私には心に決めた方がおりますので、ご容赦ください」
そして逃げるようにルーカス様の元へ駆け寄り、そのまま帰路につきました。
馬車の中でルーカス様が仰った事には、
「貴女のような美しい方には最初にご指摘しておくべきでした。先ほどのロナルド・ヒル卿は陛下の甥にあたられる方ではありますが、評判の良くない方なのです。
特に綺麗な女性には危険な男です。
何をしてくるかわかりませんので気をつけてください」
ルーカス様は私の美貌に当てられ、注意するのを忘れたらしいです。
帰宅してから、私はすぐに家族に相談しました。
「あの蛇蝎のように嫌われているろくでなしがローズを!何としても守らなくては」
母が叫びます。
ヘンリーは暫く私の側で護ると言ってくれます。
「あの男はタチが悪い。今まで何人もの女性が被害に遭って来た。中には無理矢理手籠にされた者もいる。どうにかしないと。
そうだ。王宮騎士団の副団長に頼んでみよう」
そう言って父は早速知り合いの副団長に頼みに行ったのです。
副団長は快諾してくださり、早速明日から護衛がつくこととなりました。
次の日から邸には沢山のお誘いやお手紙、求婚者も列を成しました。
その内に私は「王国の薔薇」などと言う大層な二つ名で呼ばれるようになり、求婚狂想曲に拍車が掛かってしまったのです。
私は邸から外へは出ずに、ひっそりと暮らしておりました。
そんなある日、事件が起きました。
社交界デビューのエスコートをしてくださったルーカス様が我が邸にいらっしゃったのです。
客間に通されたルーカス様にご挨拶するため、私はヘンリーを連れて行きました。
客間に入ると、そこに踏ん反り返って座っていたのはヒル卿でした。
「何故ヒル卿がここに」
ヒル卿は鼻をふんと鳴らし、言いました。
「俺だと言ったら邸に入れないだろうが」
これでは盗賊、強盗の類と一緒です。
ヘンリーは勇敢にも私を庇って前に出てくれました。
でもまだ12歳です。
身長は私より高いですが、まだヒョロヒョロしています。
ヒル卿はゆっくり立ち上がり近づいて来ます。
ヘンリーが危ない!
その瞬間にバタバタと護衛の騎士たちが部屋に入って来ました。
3人の騎士たちがヘンリーの前へ出て構えています。
でもおひとりは、ザック!
「他人の名を語り邸に侵入するなど、貴族の風上にも置けぬ。一緒に来て貰おう」
騎士の方たちがヒル卿を両脇から腕を押さえて連行して行きます。
「俺が誰かわかっているのか!
後で泣きを見るのはお前たちだ。
権力って言うのはそういうもんだ。
わかっているのか!」
どこの酔っ払いでしょうか。
捨て台詞を吐きヒル卿は連行されて行きました。
「ザック、どうしてこちらへ?」
心配そうに私を見ていたザックに尋ねます。
「ローズ、大丈夫か?
何もされなかったか」
いつもより早口です。
「ヘンリーが庇ってくれましたし、すぐ騎士の方たちも来てくださったので大丈夫です。
ザックこそ、どうしてこの邸へいらしていたのですか?」
ザックは困った顔をしていましたが、おもむろに話してくれました。
「たまたま、あのヒル卿が邸へ入るのを見ておかしいと思ったので門前の護衛の騎士に聞いたんだ。そうしたら、ルーカス様だと言うから、あれはヒル卿だと教えて、後は客間へまっしぐらだよ」
「どさくさに紛れて入って来たんだ」
ヘンリーがしれっと言うと、
「いや、執事もいたから入れてくれたんだよ」
聞くと、ザックは何度かモーガン子爵領の穀物を持って来てくれていたそうで、執事とは顔見知りだそうです。
「どうして私に会っていかれないのですか?
あんまりです」
少し怒って尋ねます。
何度もこの邸に来ていたなんて悔しすぎます。
「折角、良い縁談が山積みなのに、余計な男が周りをうろちょろしていたら差し障るだろう」
ちょっと怒ったら、敬語では無くなりました。良い傾向です。
「兎に角、奴はおそらくお咎めなしになるだろうし、諦めないだろうから、気をつけるんだ。わかったね」
やはり優しいザックです。
私を心配してくれるザックです。
何も変わっていませんでした。
声を掛けようとすると
ザックは踵を返し帰ってしまいました。
がっくりと脱力していると、ヘンリーが言いました。
「ザック、見込みはあるね。
相変わらず土俵には上がっていないけど」
ヘンリーは少しだけザックを認めてくれた様です。
「ヘンリー、さっきは庇ってくれてありがとう。嬉しかった」
ヘンリーはちょっと照れ臭そうに笑い、
「大切な姉様に何かあったら大変だからね。
でも、ザックも言っていたけど、あのヒル卿はどうにかしないとまずいね。完全におかしい」
夜に私とヘンリーはこの事件を両親に話しますと、父は夜だと言うのに、また副団長のところへ相談に行ってしまいました。
帰って来ると、いい案が出た、と仰るのです。
「お前にそれなりの決まった相手がいれば、
あの蛇蝎のようなヒル公爵の息子も手を出せないだろうと言う事になってな」
私に結婚、若しくは婚約しろと仰るのでしょうか。
「騎士団にジョシュア・エドワーズ卿と言う男が居るんだが、知っているか」
「いいえ」
ヘンリーが横から口を出しました。
「エドワーズ侯爵家の嫡男で物凄い美形で
性格も温厚、知性も豊かな上に騎士としても最高、とか言う社交界一の優良物件でしょ」
母がヘンリーに、物件なんて失礼でしょ、とか言っています。
「そんな方がいらっしゃるのですね」
まさか、その方と私を?
「副団長が言うにはエドワーズ卿とローズが並んで出掛ければ、お似合い過ぎて誰もちょっかいを出さなくなるだろうと。
エドワーズ侯爵家なら強大な力もあるから、あの蛇蝎野郎も迂闊には手を出せない」
父は怒りに任せて野郎なんて言葉をお使いです。
「まぁ、それでエドワーズ卿とローズが想い合うならそれも良し、という事でな」
私の顔は思い切り引き攣りました。
「お父様、私には心に決めた方がおります」
父は頷き、
「知っている。アイザック・モーガン卿だろう。でも、あの男は求婚どころか、お前にも会っていないだろう」
「今日、危ないところで助けに来てくれましたわ」
「お前の気持ちはわかったが、モーガン卿では抑止にはならん。エドワーズ卿に協力頂こう」