18-25「炎」
18-25「炎」
僕は、戦争が嫌いだった。
僕は、少なくとも自分はそうだと思っている。
自分が怪我をすることも、誰かを傷つけることも、やりたくない。
いつもそう思ってきた。
その、はずだ。
だが、その時は、少しもそんなことは考えなかった。
目の前で、僕が何もできないまま友軍機が次々と犠牲となっていく光景を目にして、平常な精神状態では無くなっていたのかもしれない。
207Aのパイロットたちは、その身と引き換えにしてでも魚雷を放った。
彼らが示した覚悟の前では、僕の個人的な感情やこだわりなど、些細なことでしかない。
僕は、ただ、彼らの覚悟が届く様に、そう願わずにいられない。
ヴィクトル大尉は、攻撃に入る直前、僕たちに戦果の確認を頼むと、そう言っていた。
それは、より多くの目で戦果を確認し、敵への攻撃の成果をより正確に把握するためだろうと僕は思っていた。
後になって情報を精査できるような写真や映像は、わずかしか残らないことがほとんどで、後になって戦果を確認し直すことは困難だからだ。
その場で実際に戦った将兵の目や耳で見たり聞いたりしたことが頼りで、より正確な戦果を確認するためには、できるだけ多くの人手があった方が良い。
だが、そういうことではなかったのだろう。
僕は後になって知ったことだったが、雷撃を行う際の生還率は他の攻撃方法に比べて、極端に低いのだそうだ。
それは、魚雷を確実に命中させるためには逃げ場のない低空で針路を維持し続けなければならず、敵の対空砲火が大きな効果を発揮しやすいからだ。
ヴィクトル大尉は、それをよく理解していたはずだ。
自分たちが生還できないかもしれないことを知っていたから、僕たちに戦果の確認をと頼んだのだ。
僕とライカはその場に留まり、大尉に頼まれた通り、207Aの攻撃の結果を見届けた。
それが、自分たちにできる、精一杯のことだった。
207Aが放った3本の魚雷は、白い航跡を残しながら、真っ直ぐに敵の空母へと突き進んでいく。
魚雷は、空母の進路上に偏差を取って放たれ、その右舷側から向かっていった。
空母は雷跡を発見すると直ちに取り舵をいっぱいに取り、スクリューを逆回転させて減速を開始する。
だが、ヴィクトル大尉たちが危険を冒し、全滅と引き換えにしながら十分に接近し、放った魚雷から逃れることはできなかった。
ヴィクトル大尉が炎に包まれながらも放った魚雷がまず、命中した。
大尉の魚雷は空母の右舷側、ちょうど艦の中央部分に命中し、信管を作動させて炸裂して、何十メートルもの高さがある巨大な水柱を作り上げた。
そこへ、2本目の魚雷が続けて命中した。
今度は、空母の右舷側、やや艦首よりの位置だ。
さらに、3本目の魚雷も命中する。
命中した個所は、1本目の魚雷が当たったのとほとんど同じ、艦中央部の辺りだった。
全弾、命中だ。
立ち上った巨大な水柱がおさまっていった時、帝国の空母は、すでに右舷側へと傾斜をし始めている様だった。
魚雷は、艦の水中にある部分を直接攻撃して破壊するための兵器だ。
通常の爆弾による攻撃だと、爆発力は周囲に分散して散ってしまい、その威力の全てが敵艦に被害を与えるわけでは無いのだが、魚雷は違う。
魚雷が爆発したことによる威力は、周囲の水による水圧で押し返され、分散することなく敵艦へと向かい、破壊する。
何本か命中させることができれば、もっとも堅牢な防御力を持った戦艦でさえ、撃沈することができる威力を持っている。
それが、3本。
ヴィクトル大尉たちが全滅するのと引き換えに放った攻撃は、帝国軍の大型空母の1隻に致命傷を与えた様だった。
帝国の空母は、ゆっくりと、確実に、その傾斜を強めていく。
魚雷が3本命中したというだけではなく、その内の2本がほとんど同じ個所に命中したということが、その艦の運命を決定した様だ。
魚雷は艦艇にとって危険な兵器だったが、その危険な兵器に対抗するために、艦艇の方でも防御する方法に工夫がされている。
魚雷を防御する上で重要になるものがバルジと呼ばれるもので、船体の外側に魚雷を受け止めるための外郭を設ける構造物だ。
バルジの中は空洞ではなく、海水で満たされているなど、魚雷の爆発による破壊力を船体へ伝えない様にする工夫が施されている。
船体の側でも、船体を構成する主部材のさらに内側に、魚雷の直撃によって浸水が生じても艦の深部へと被害を拡大させないための防壁など、備えがある。
当たり所が良ければ、大型であるだけに、帝国の空母は3本の魚雷にも耐えたかもしれなかった。
だが、同じ場所に2本の魚雷が続けて命中したことで、帝国の空母にはその深部へも急速な浸水が生じた様だ。
1本目でバルジが破壊され、その穴の部分に2本目が命中したことで、船体そのものに大きな穴が開き、その威力は内部の防壁をも貫いて艦の深部を破壊した。
開いた傷口から船内へ、海水が猛烈な勢いで浸入を始めている。
空母はさらに傾斜をきつくしていったが、唐突に、格納庫の辺りで爆発が生じた。
艦が傾いたことで航空機に搭載するための爆弾や魚雷が動き、何かにぶつかって誘爆してしまったらしい。
爆発は、連鎖的に広がっていった。
爆風と火焔が空母の隙間という隙間から次々と吹き出してきて、艦の全体が火災に包まれる。
艦上機を移動させるためのエレベーターが吹き飛ばされ、その上に乗っていた機体ごと、天高く舞い上がった。
まるで、木の葉が風で飛ばされる様な飛び方だ。
敵艦は、炎に包まれた。
まだ火が燃え移っていない飛行甲板の上では帝国軍の将兵が駆け回り、消火ホースを持って火災の鎮火に当たったり、まだ甲板上に残っている艦上機などの可燃物を海へと押し出して投棄したりする作業が行われているが、とても間に合わない。
やがて、必死にダメージコントロールを行おうとしている帝国軍の将兵の姿は、火災によって生じた激しい黒煙の中に消えていった。
もし、地獄と呼ばれる場所が存在するのなら、間違いなくあの場所は地獄だった。
たくさんの、数えきれない人たちが、炎に追われ、煙にまかれている。
次々と、死んでいく。
僕は、207Aが放った魚雷が、帝国の空母に命中することを願った。
僕はあの瞬間、確かに、それだけを祈っていた。
そして、僕の願いは叶った。
207Aが、ヴィクトル大尉が命がけで放った魚雷は、確かに命中した。
僕は、今の自分の気持ちを、うまく言い表すことができなかった。
僕は間違いなく207Aの放った魚雷に命中して欲しいと思っていたし、命中した瞬間は、思わず歓声をあげたくなったほどだった。
だが、その後に作り出された凄惨な光景を前にすると、一時の興奮はすでに無く、何も言うことができない。
これは、王国を守るために必要なことだ。
ヴィクトル大尉たちはただそのために、命がけで敵艦へと向かっていった。
文字通り、決死の覚悟で、彼らはやり遂げた。
そして、その思いは、確かに届いた。
その先にあったのは、破壊と、死だ。
どう取り繕っても、どんな言葉を使おうと、大勢の人々の命が失われていく、その事実は変えることができない。
誰も、望んでそんなことをやっているわけでは無い。
それでも、そんなことをしなければならないのが、戦争なのだ。
そう。これは、戦争だ。
やらなければ、やられる。
そんな、単純ではっきりとしたルールに支配された時代なのだ。
だが、僕はそう思いながらも割り切ることができずに、炎に包まれながら海の中へと消えていく敵艦から目を逸らした。
全身を火に包まれた人影が、煙に包まれた飛行甲板から次々と躍り出て来て、海へと飛び込んでいく姿が見えてしまったからだ。
あの空母は、沈む。
沈んでいく。
乗っていた、何千人もの命を乗せて、海の底へと沈んでいく。
僕たちは作戦の目的を果たした。
207Aは、全滅しながらも、その任務を達成した。
これで、王国はもう一度、希望をつなぐことができたかもしれない。
だが、その希望と引き換えに、207Aの、あの素晴らしい腕を持ったパイロットたちは失われてしまった。
そして、数千名もの帝国軍の将兵も。
もし、戦争さえ無かったら。
あの素晴らしいパイロットたちや、あの炎に包まれている空母に乗っていた人々は、どんな人生を送っていたのだろう?
任務を成しとげたこと、王国の命脈をつなぐことができたこと、それは僕にとって喜ぶべきことだったが、目の前に突きつけられた光景に、そんな気持ちはどこかに消えてしまった。
ただ、疑問だけが残る。
僕たちは、いったい、いつまでこんなことを続けなければならないのだろう?