18-7「春の嵐」
18-7「春の嵐」
連邦側が作成したレポートには、興味深いことがいくつも書かれていた。
カミーユ少佐はそのコピーをハットン中佐に渡してくれたということだったから、この貴重な情報は、これからの僕たちの戦いに、いろいろと役立てられていくことになるだろう。
僕たちがレポートを読み終わり、カミーユ少佐へと返却すると、少佐はそれを、元の様に鞄にしまい込み、しっかりと封をした。
「さて。そろそろ、僕は行かないといけない時間だ」
そう言いながらカミーユ少佐が立ち上がると、僕らも少佐を見送るために立ち上がった。
「カミーユ兄さま、もう行かないといけないの? 」
「ああ。これから、王立軍の司令部まで行かないといけないんだ。日が暮れる前にはつかないといけなくってね。迎えの車も来ているはずだから」
僕らの方に「それじゃぁ、元気で」と言って、手を振りながら歩き出すカミーユ少佐に、ライカが少し寂しそうな顔をしながら手を振り返している。
こうして見ていると、本当に、兄妹の様にしか見えない。
「あ、そうだった」
数歩進んだところで、カミーユ少佐は突然、何かを思い出した様に僕らの方を振り返った。
「2人とも、嵐が近づいているから、今日は早めに休むといい。休める時に休んで、体調は万全にね。……それと、ミーレス。ライカのことを、よろしく。頼んだよ」
「あ、はい。了解しました」
僕は思わず姿勢を正し、カミーユ少佐に敬礼をしてしまった。
カミーユ少佐はさっきまでと同じ様に笑顔のままだったが、その視線は、真剣そのものだったからだ。
少佐は僕の敬礼に軽く答礼すると、また、元の様な穏やかな様子に戻り、今度こそ本当に去って行った。
小さくなっていく少佐の背中を見送りながら、僕とライカは、怪訝そうにお互いの顔を見合わせる。
ライカのことを頼む、というのは、恐らくはこれまで通り、2番機としてライカを守ってくれということだろう。
それは、いい。元より僕だってそのつもりだ。
だが、「嵐が迫っているから、よく休んでおくように」というのが、分からない。
僕たちはパイロットという立場上、天候に大きく影響される。だから、頻繁に天気予報を確認するクセがついている。
今日の天気はもちろん、明日の天気も、明後日の天気も、その先の天気も、気象班が予想を立てている期間については、全て目を通している。
どの予報にも、「嵐」の情報など無かった。
多少、天候が崩れるような日も予想はされていたが、嵐というほど崩れるようなことはなく、基本的に安定した天気が続くことになっている。
僕らが知らない間に、新しい予報に変わったのだろうか?
だが、カミーユ少佐を見送った後で、最新の天気予報を確認してみたものの、やはり、嵐の予報など、どこにも出てはいなかった。
ジャックやアビゲイル、通りがかったカルロス軍曹にも聞いてみたが、そんな予報は知らないという答えだ。
こうなって来ると、少し、複雑に考えてしまう。
カミーユ少佐は、諜報部の人間だ。
だから、少佐が言う「嵐」というのは、何か、別の言葉の暗喩になっていたのではないか。そう思えて来てしまうのだ。
それを確かめるすべは、残念ながらない。
カミーユ少佐に直接確認することなどできるはずも無かったし、僕が頭の中でどんなに考えていようと、答えなど浮かんでこない。
いつしか、僕はこの疑問を考えるのをやめていた。
新しく配備された機体を試験飛行し、その飛行時の感覚をつかむことや、パイロットコースを途中で切り上げたために未了となっていた様々な訓練を、レイチェル中尉とカルロス軍曹の指導の下、なんとかモノにしなければならず、忙しかったからだ。
季節は移り替わり、温暖な王国の南部では、すでに春と呼べる季節になろうとしている。
王国がフィエリテ市の奪還作戦を開始するとしたら、王国北部の雪解け、つまり、春を迎えてからのことになるだろう。
王国北部の春は、南部よりも遅れてやって来るのだが、その、王国にとって重要な季節が迫って来ている。
いざ、作戦が発令されれば、僕たちはこれまでの様に、休む暇もなく出撃を繰り返すことになり、訓練など、とてもやっていられないだろう。
僕たちはその時が来るまでに、できるだけ力を蓄えておかなければならなかった。
フィエリテ市の奪還作戦の準備は、着々と進みつつある様だった。
僕たち第1航空師団は、王国南部へと後退してきたその当初の目的通り、部隊の再建を終え、戦力として整いつつある。
それに加え、開戦を迎えてから新たに新設された王立陸軍の各師団や、前線から僕たちと同じ様に再建のために後退してきた各師団も、人員、装備を整え、訓練も終えて、北部へと輸送されるためにタシチェルヌ市へと集結しつつある。
カミーユ少佐の「嵐」の意味が分かったのは、王立軍がフィエリテ市の奪還作戦の準備を完了しつつあった、そんな時だった。
その時、僕たちは新しい機体での飛行訓練を終え、基地へと戻って来たところだった。
機体の調子は上々で、今日も、僕たちは十分に訓練を行うことができていた。
訓練の内容は、レイチェル中尉とナタリアを相手にした模擬空戦で、ジャック、アビゲイル、ライカ、僕の4機がかりで攻撃し、カルロス軍曹が審判を務めるというものだった。
その模擬空戦の結果、信じられないことに、僕たちは初めて、レイチェル中尉を「撃墜」することができた。
ナタリアについては、僕たちがあまりやらない低速飛行でのらりくらりと逃げ回るので、制限時間いっぱいまで撃墜することができず逃げ切りを許してしまったのだが、それでも、僕たちにとって、今日は記念すべき日になるはずだった。
「撃墜」されてしまったレイチェル中尉も、やたらと機嫌がよかった。僕たちの成長を認めて、喜んでくれていたのだろう。
警報が辺りに鳴り響いたのは、基地に着陸し、機体を駐機場まで移動させ、整備班に機体の引継ぎを済ませようとしていた時だ。
僕たちは最初、数秒だけ呆然とし、それから、大慌てで出撃の準備を開始した。
基地に鳴り響いた警報は、敵機の襲来を告げるもので、僕たち戦闘機部隊は当然、迎撃のために出撃しなければならない。
だが、僕たちは出撃するのに手間取ることになった。
すでに訓練のための飛行を行ってきたばかりで、燃料や潤滑油、それに水メタノールを補給しなければならなかったし、そもそも、訓練用のペイント弾しか装填しておらず、戦闘準備を整えるのに時間が必要だったからだ。
本当はもっといろいろと細かな点検項目があるのだが、緊急事態だからと、僕らはそれらを省略し、必要最低限の準備だけをとにかく急いだ。
早く飛ばなければ、僕たちの頭上に敵機が姿を現すかもしれない。
戦闘機乗りにとっては、飛ぶこともできずに地上で撃破されることが、何よりも悔しいことだ。
僕たちが慌ただしく準備を整えている間に、待機状態にあった別の戦闘機部隊が、増槽を吊り下げた状態で出撃していった。
その直後、格納庫にハットン中佐が駆けつけて来て、僕たちに状況の説明をしてくれる。
攻撃を受けているのは、僕らがいるこのクレール第2飛行場でも、王国南部のどこでもなかった。
それは、王国の東側。
これまでは攻撃を受けることが少なく、王国の中でも比較的、平穏を保ち、戦火を受けることなく済んでいた、小さな漁村などが点在するだけの、海に面した地域だ。
そこに、双頭の黒い竜の紋章を描いた、多数の帝国軍機が襲来している。
どうやら、王国が気づかない内に、帝国軍の大規模な機動部隊が、王国の東側から接近してきていたらしい。
襲来したのは帝国軍の艦上機で、数は100や200を優に超え、王国の東側の海岸沿いに点在していた王立軍の拠点や施設を、手当たり次第に攻撃しているということだった。
帝国軍機による攻撃を知らせる第一報を発してきた通信施設はすでに音信が途絶しており、その他の施設も攻撃を受けている。
正確な状況は不明なままだったが、帝国軍による大規模な攻撃が実行され、現在も進行中であることは間違いない。
ハットン中佐の説明を聞き、僕は、大きな衝撃を受けた。
僕たちが戦っている相手は、連邦だけではない。帝国も、僕らにとっては敵だ。
だから、帝国から攻撃を受けるということは、予想の内だった。
だが、僕は、帝国軍が王国に攻めて来るにしても、フィエリテ市周辺の連邦軍との戦いに決着をつけてからのことだろうと思っていたのだ。
マグナテラ大陸の南部戦線における連邦と帝国との戦いは、相変わらず帝国の側が優勢なままで、フィエリテ市周辺で連邦軍は帝国軍による包囲を受けている。
連邦軍はそこで意外な粘りを見せ、今も降伏していない。
フィエリテ市の連邦軍を降伏させない内は、帝国も王国に手をつけることは不可能だろうと、そう思っていた。
しかし、現実は違った。
王国の東側の沿岸部に数百機の帝国軍機が襲来し、今も攻撃が続けられている。
帝国軍が、王国の行動を牽制するために攻撃をしかけて来たという風に考えることもできたが、それにしては、規模があまりにも大き過ぎる。
これは、帝国軍による、大規模な攻勢の始まりに違いなかった。