16-35「約束」
16-35「約束」
僕は、この戦争が嫌いだ。
この戦争は、連邦と帝国の身勝手な都合によって始まった。
王国にとっては失うばかりで、何も得ることのない戦争だ。
何か得るものがあるのなら戦争をしてもいいのかといえば、そうではないと思うが、とにかく、この戦争は僕らにとっては本来、やらなくてもいいはずのものだった。
もし、戦争が無ければ。
僕はのんきに空の散歩を楽しむことができただろうし、僕の家族も故郷を離れて、生きるために必死にならなくて済んだだろう。
母さんも怪我をしなかっただろうし、妹だって、泣かずに済んだはずだ。
誰かを憎んだり、何かを悪者にして恨んだりすることができれば、僕はこの戦争にも何か意義を見出すことができたのかもしれない。
だが、僕にはそれはできなかった。
この戦争を始めたのは連邦と帝国だったが、結局、それで命をかけたり、辛い思いをしたりしなければならないのは、僕と少しも変わらない人間だからだ。
僕がトリガーを引けば、その、僕と少しも変わらない誰かが命を失うかもしれない。
だが、トリガーを引かなければ、僕自身が命を失うことになるだろうし、それは僕の仲間であったり、見ず知らずの人であったりするのかもしれない。
あるいは、僕の母さんであったり、妹であったりするのかもしれない。
僕がどう考えようと、どんな風に行動しようと、全てを失わずに守りきることなど、できはしない。
だから、僕はこの戦争が嫌いだ。
いつか、僕らは、元の日々に戻ることができるのだろうか?
敵機の姿を気にせず、自由に空を飛び、刻々(こくこく)と変わっていく空の表情を目にし、風をつかみ、仲間たちと秘密の周波数を使って、レイチェル中尉から隠れながらおしゃべりをする。
僕の家族たちは、牧場で力を合わせて暮らしている。父さんは今度こそ牧場での暮らしを豊かにしようとチーズ作りに熱心に取り組み、母さんはその豪胆さで牧場の仕事を切り盛りし、僕の妹や弟たちは牧場の仕事を手伝いながら、学校に馬に乗って通っている。
アリシアは、戦争のせいで通うことができなくなった学校へと通い、そこで新しい友達を作って、毎日楽しく、勉強しながら過ごす。
戦争さえ無ければ、きっと、実現していたはずの日々だ。
今は全て、僕の夢に過ぎない。
だが、ほんの少しでも、近づけることはできるだろう。
僕は、アリシアに約束した。
彼女がこれ以上、不安におびえなくて済む様に、夜、安心してぐっすりと眠ることができる様に、この状況を何とかすると。
背負うものが、段々と増えている。
僕はかつて、多くの人々に生かされた。
僕の命はすでに僕だけのものではなく、理由があったとは言え、僕を生かすために命をかけ、そして失った人々のために、やらなければならない役割が、きっとある。
僕にできること、僕がこの戦争において果たすべき役割とは、何なのだろうか。
この得るものの無い戦争を終わらせ、僕を生かしてくれた人々や、僕の仲間たち、そして家族が、もう一度ありふれた平穏な日々を取り戻すために、僕は何をすればいい?
僕は、途方に暮れるしかない。
僕がこうやって、どんなに思い悩もうと、この戦争は僕の手の届かないところで動いているからだ。
あまりにも遠く、大きすぎて、僕にはどうすることもできない。
だが、少なくとも、今やるべきことは分かっている。
僕らに与えられた任務を遂行し、そして、王国の人々に、安心して眠ることができる夜を取り戻すことだ。
世の中に、僕より優れた人間など、いくらでもいるだろう。
それでも、これは、僕に与えられた使命だ。
僕以外の誰でもない。僕自身が、やらなければならないことだ。
アリシアと約束を交わした日の夜、僕らは迎撃作戦を確実に実行できるよう、予定通り夜間攻撃の訓練を行った。
普段なら緊張してプレッシャーを感じる様な場面だったが、不思議と、僕は冷静でいることができた。
これは、僕自身が、何としてでもやらなければならないことだ。
それが、分かっていたからかもしれない。
操縦桿が、よく手に馴染む。
機体が今、どんな状態にあるか、僕が次にある操作をすると機体がどんな動きをするのかが、考えるまでも無くイメージできる。
僕の意識した通りに、飛ぶことができる。
相変わらず、202Bのグランドシタデルに装備された機上レーダーは便利だった。
夜間の視界がきかない状態でもベイカー大尉たちは、正確に目標となっている敵役の友軍機の編隊を捕捉し続け、無線によって僕ら301Aを丁寧に誘導してくれた。
ベイカー大尉が照明弾の投下を開始した時、僕らは、レイチェル中尉が意図した通りの攻撃位置にいた。
敵編隊の直上だ。
僕らは取り決め通りに散開し、それぞれの機体で攻撃目標を決定し、降下角度60度で急降下して、照明弾によって照らし出された敵役の友軍機に向かって突撃を実施した。
1機1機がそれぞれで攻撃目標を選択して攻撃するのは、普段、2機1組のロッテで戦闘を実施する僕らからすれば珍しいやり方だった。
こうするのは、夜間で視界が悪く、僚機との連携が取れず、いつも通りに編隊を組んだままで攻撃を実施すると、僚機同士で空中衝突してしまう危険があるためだ。
1機ずつで別々の機体を攻撃することになるから、敵機を撃墜できる可能性は減ってしまうかもしれない。
だが、ベルランD型の大火力を最大限に生かせるように工夫すれば、十分な効果を発揮できるはずだ。
敵役はよく見知った王国の双発爆撃機のウルスで、連邦のグランドシタデルよりもかなり小さく、少し攻撃時の感覚が違う。
僕はグランドシタデルを相手にする時の感覚をつかむために、目標機に十分に距離を詰めてから「バンバンバン! 」と射撃を宣言した。
そしてそのまま友軍機の翼をかすめる様に飛びぬけ、敵機の反撃からできるだけ素早く逃げることを意識し、降下によって稼いだ速度を利用して離脱した。
僕は十分に回避できる距離までしか接近しなかったつもりなのだが、友軍機からは「接近のし過ぎだ! 」と抗議をもらってしまった。
確かに、相手から見ると、僕は近寄り過ぎだったかもしれない。
だが、グランドシタデルを相手にすることを考えれば、友軍機はあまりにも小さく、グランドシタデルを攻撃する時の見え方に近づけるためには、衝突寸前まで接近する必要があった。
僕はグランドシタデルの巨体に幻惑されて有効な射撃距離に入る前に攻撃を行ってしまわない様に、敵機に肉薄する感覚を身体に覚えこませておきたかったのだ。
攻撃のチャンスは、たった1度しかないからだ。
「ミスしたのか? 」と確認して来たレイチェル中尉に、「いえ、グランドシタデルを攻撃する時の距離感に近づけようと思って、回避できるぎりぎりまで接近しました」と答えると、中尉はさらに「ちゃんと制御できていたということか? 」とたずねて来た。
僕が「はい」と答えると、中尉は「そうか」と言って、それ以上は何も言わなかった。
僕らが教官と候補生という関係であった頃なら、無線越しに散々怒鳴られた上に、地上に戻ってからも「特別教育」と称した罰を受ける様なところだっただろう。
どうやら、中尉は僕の技量を少しは信用してくれる様になっているらしい。
ちょっとした騒動はあったものの、訓練は成功だった。
202Bは正確に目標の編隊上空への侵入を行い、照明弾を投下して、夜間でも目標の姿を視認できる様に照らし出すことができた。
僕ら301Aも、202Bの誘導もあって思い描いていた通りの攻撃を実施することができた。
後は、実戦で同じことを成功させるだけだ。
実戦は、訓練とは違う。
敵機は持てる火力の全てを投入して反撃して来るし、回避運動をするかもしれない。その上グランドシタデルは、訓練の標的になってくれた友軍機のウルスよりもずっと速い機体だ。
それでも、必ず、攻撃を成功させなければならない。
きっと、うまくやって見せる。