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帝國ロストヰデア  作者: 聖木霞
Ⅰ 花残月編
9/76

Act.7


<Act.7 4/19(月) 20:13>


【仄宮秋流】


「いただきます」「……いただきます」

 久しく言ってこなかった言葉をぎこちなく口に出し、食卓。部屋着に着替えた私とベルンハルト(いつの間にか遥の家から荷物を持ち込んできていた。棲みつく気満々といった風である)は、彼の手製の夕食を前に向かい合っていた。メニューはシンプルにカレーとサラダ。スプーンで一口よそい、ぱくりと口に含む。

「……ん」

「どうだ?」

 存外美味かった。最早食べ飽きるほど食べた単調な味のレトルトのカレーとは違い、貧しい我が家の台所で一体どのように工夫を凝らしたものかそこそこ変わった味をしていた。だが素直に美味いと評すのは何処か癪に触ったので、

「次はもう少し辛めがいい。……悪くはない」

 自信ありげに「そうだろう」と頷く奴をスルーしてふと部屋を見回せば、朝とはうってかわって綺麗になっているのに気付いた。そこら中にとっちらかっていたゴミは可燃・不燃にきっちり分けられて部屋の隅にまとめられているし、乱雑に散らばるばかりだった雑誌の類も綺麗に整頓されてリビングのガラステーブルの上に置いてあった。彼が鬼姑の如く指で拭き取った埃も今となっては一切なく、全ての家具はぴかぴかに磨き上げられていた。

 正直、自分の部屋がこんなに広いと知らなかった。そもそも適当にレトルトかコンビニ製品で食事をし、扇子や着物、簪といった蒐集品を保管・鑑賞して眠るというためだけにあるような家だった。快適な環境下で寛ごうという意識が無い以上綺麗にするのも面倒で、掃除やゴミ出しをぎりぎりまでサボっていたところあんな状態になっていたのだった。それがどうだ、たった一日足らずで見違えたもので、惨状の面影といったらそのゴミ袋くらいなものである。正直奴がここまでできるとは思っていなかった。

「本当に大変だったんだぞ、ここまでするの。まあまだ完璧とまではいっていないんだが」

「だから今日色々買ったんだろ。払った金の分はきちんと成果を出すのが筋ってモンだ。ちゃきちゃき働け」

「聞いて驚け、俺の目標は家事を終え嫁が帰ってくるまで煎餅をかじりながら昼ドラを見ては昼寝する生活だ」

「コイツぁ驚いた。驚きすぎてうっかり冷蔵庫の中身食い荒らしちまうかもしんねェ」

「ごめんお願いだからそれだけはっておいやめろ蹴るな」

 食卓の下で奴のその無駄に長い足を蹴りたくる。「行儀が悪いぞ」と私を窘めつつ奴は、

「……制約その4共有者が守護者を傷つけると云々っていうアレは一体どうなったんだ」

「あー、アレじゃねェの」

 どこか悲しげに呟かれたそれを受け、馬鹿を虐げるのをやめつつ適当に考える。

「別に殺そうと思ってるわけじゃないとか、加えようとしてる攻撃が致死未満とか、そんなトコじゃねェの。“聖杯”のご判断は」

「……お前自身としては」

「考える前に手も足も出てるから知らねェ」

「なんてアグレッシブ、恋人としては心が痛いよハニー」

「テメェドイツ人だろっつーかハニー言うな手を握るんじゃねェきしょいッ」

「ノーブレスで言い切られるとより心があだだだだ」

 握ってきた手を爪で捻り上げて追っ払う。サラダを口に含んだところで、はて我が家にドレッシングなどという気の利いた調味料などあっただろうかと内心首を傾げる。それが表情に出ていたのか、ベルンハルトは「無いようだったからそれも買ったぞ」と手をさすりつつ告げた。

「あまり口に合わなかったか? 無難なものを買ってきたつもりだったが」

「いや、別にそういうわけじゃねェ。……お前、相当色んなもの買い込んだよな、これだと……おいちょっと財布貸してみろ」

 買い物中私はほとんどぼーっと彼の後ろについていただけだったから、何をいくら買っただのと細かいことはほとんど覚えていない。奴が大人しく差し出した財布をおそるおそる開いてみれば、案の定その中身は今朝方確認した時よりも格段に減っていた。おい今月これで本当に生きていけるのか。

 毎月生活費を引き出すのは一日と自分で決めているだけで別に足りなくなればいつだろうと引き出して構わないのだが、同居人が増え、必要額がガンと増えるであろう今後を考えるとなるべくそれはしたくない。悩んだ末、

「やっぱバイトするしかねェか……」

 どうあがいてもその結論にしか至らないのだった。明日の放課後にでも遥の店にでも寄ろうと思いつつ、そういえば伊達眼鏡もまだだったと予定を付け加える。

「おいベルンハルト」

「何だ?」

「お前内職とかする気は」

「あるわけないだろう?」

 無言で箸を投げた。


 *


「お前箸はないだろう箸は。せめてスプーンにしろ受け止められないから」

「スプーンならいいってどんな論理だ……」

「運ぶ手間が省ける。俺が台所に立っている時は随時投げてくれ。おっと顔面はやめろよ」

「よォしそのツラに油塗れの皿死ぬほど投げつけてやるから楽しみにしてろ」

 会話をこなしながらなんとなしに見ていたテレビからふと目を上げれば、ぎょっとした。私の隣に座った風呂上りの奴は、なんと腰にタオルを巻いただけの姿だった。ほぼ全裸。猥褻物陳列罪で逮捕決定。間違っても家族以外の人間の前に出てきて良い姿ではない。

「なんでお前そんなカッコで出てきてんだよ……猥褻物並べてんじゃねェ通報するぞ」

「フッ、安心しろ秋流、俺のカラダはいつだって芸術品だ。ゆえに罪には当たらん。……ともかく、単に服をこちらに忘れてきてしまっただけさ。他意も意図もない」

 私の永久凍土ドンびきの視線から逃れるように、奴はソファに腰掛ける私の足下のボストンバックをごそごそし始めた。奴の私物らしく、そこに着替え一式が入っているとのこと。他にもベルンハルトが祖国から持ってきたものがいくつかちらほらと周辺に置かれている。……コイツ、早くも完全に寝床として環境作り済ませてやがる。

「その環境適応能力、どっから出てくるんだか……」

「うん? もしかして照れてるのか?」

「ンなわけねェだろ怖気の立つ勘違いカマしてんじゃねェ馬鹿野郎」

「ふ、なかなか可愛いところもあるじゃないか」

「ッ、てめッ……」

 とん、と肩を押され、ソファに沈み込んだと思った時には既に遅かった。風呂上りで完全に気を抜いていた。その行動が何を意図したものか察するまでもなく押し倒され、気付けば私の真上にはほぼ素っ裸の変態が乗りかかっていた。ご丁寧にも私が面食らったその隙に両腕は封じ込められていて満足な抵抗もできない。

「……、どけよ変態。おいテメェ、今のこの状態他人が見たらどう形容するか知ってるか?」

「マジでヤっちゃう五秒前」

「レイプっつーんだこの常春頭が。言っとくが、お前に自分から股を開く気はさらさらねェぞ」

「そうつれないことを言わないでくれよ秋流」

 いつかと同じように頭上で私の腕をひとまとめにしたベルンハルトは、空いたほうの手をジャージの裾に静かに忍ばせてきた。肌に触れるか触れないかのところで右の脇腹をやんわりと撫で上げられ、思わず反応してしまいそうになるのを屈辱でねじ伏せながら体をよじる。

「こ、の、いきなり何す……っておいッ!」

 ささやかな抵抗もぐいっと勢いよくジャージをたくしあげられることであっさりと意味のないものにされてしまった。下着もつけていない無防備な腹が剥き出しになり、夜気がひやりとその上を撫でた。身を硬くし「何のつもりだ」と低く問えば、「見たかったから見ただけさ」とあっさりと答えられる。そんな論理が通じてたまるか。

「……存外着太りするほうだったんだな」

「言外に貧乳っつーくらいなら正直に言えよクソ野郎が。いいからとっとと放せ」

「せっかく捲り上げたんだ、もっと視姦せねばもったいないだろうが」

「もうお前いい加減に殺していいか? 温厚な私も流石にそろそろ限界なんだが」

「温厚ってお前」

 はあと一つ嘆息すると、彼はくつろげた私の首元に顔を埋めた。溜息をつきたいのはこっちだと思いつつも、触れる僅かな吐息に息を詰まらせるので精一杯だった。

「何故ここまで容易に近付かせる。あまりにも無警戒すぎないか」

 問い。脳に直接響くかのような低い声が私の理性を揺らす。どうせ暴れても開放してはもらえない、するだけ無駄だと悟り息と共にゆっくりと体の力を抜けば、それを追うように「抵抗らしい抵抗もない」という言葉が続く。

「……警戒とか抵抗ッてのは、普通自分の身を守るためにするモンだよな。自分の価値を守るために。だが私は、それを見出せない人間だ。どころか生きることそのものに対して価値を感じない人間だ。だから明日この身が燃えようと凍ろうと、例えどうなろうと大して構やしねェのさ」

「今俺がお前を無理やり犯したとしても?」

「したきゃしろよ。力で敵わないのは学習済みだ、無駄な体力は使いたくねェ」

 痛いのは嫌いだけどな。あっさりと呟いた言葉にそう付け足せば、彼はゆっくりと顔をあげて、先ほどとは違い笑みをすっかりひそめた。

「……お前、処女はどうした」

 「なんでお前に私の処女について語らなきゃいけない」と反射的に返そうとして、その碧眼が言い逃れやごまかしを許す気はないのを感じ私はまた一つ嘆息を零した。どうしてこうも鋭いのか。戸惑いと諦めを半々に、視線から逃れるようにぽつぽつと語りだす。

 正直言って、どうでも良い記憶だ。だがそれをこの男に語るのは少しだけ気が進まなかったが、努めて押し隠す。

「……いつだったかは覚えてねェ。頭の軽い馬鹿男共に囲まれて、ふと興味が湧いたんだよ。どいつもこいつも夢中になってるセックスッてのはどんなモンか、ってな。抵抗するのも面倒だったしそのまま犯されたわけだが……まァ当然だよな。めちゃくちゃに輪姦マワされたんだ、痛いわ気色悪いわで散々だった。その後は全員(バラ)して終了。別に面白くもなんとも、」

 誤魔化し代わりにへら、と笑って終わりにしようと思った瞬間だった。口の端を持ち上げようとする前にベルンハルトに唇を奪われ、しかもそれだけに留まらず深く深く口付けられる。半開きだった隙間から熱を孕んだ彼の舌が割って入り込み、私のそれを絡め取って擦り合わせてきた。蜜のように混ざり合った唾液を飲み下すことができず、溢れた分がソファを汚す。唐突なことだったのと、彼の口付けが予想を超えて巧みだった、というのもある。だが私が反射的に彼の舌を噛み千切ろうとしなかったのは、激しい口付けでありながらも、私の顎を掬い取ったその手つきが妙に優しかったからかもしれない。

「……ッは、ぁ……ゃめ、ッ」

 あの高圧的な態度など面影もない、脳髄まで痺れそうな甘さが完全に私の全身に回りかけた頃、不意に彼が唇を放した。始まる時と同じく唐突過ぎる解放に脳が酸素を慌てて取り込み正気に立ち返らせる。付けっ放しになっていたテレビの音すら聞こえないほど彼に意識を奪われていたと今更ながらに気付いて、僅かな悔しさのようなものがせりあがってきたが、それが明確な言葉になる前に彼は私のジャージを静かに引き下げた。認めたくないが上気しているであろう私の肌には、指一本触れることなく。

「俺はお前にとっての唯一の『男』でなくば許さん、と言ったな。そこにもう一つ加えよう。俺を含めた全ての男に、必ず抵抗しろ。でなければ許さん」

 抵抗しろ――――それはまさしく、こういった局面においての話だろう。今にも犯されそうになった時、どうでもいいと投げ出し流されるのではなく、抗え、と。

「俺が信じるお前の、ただ一人の『女』の価値。守るのはお前だ。それが契約だ。それを穢す者も、穢されるのを許すお前も、どちらも俺は認めん」

「……なら、お前が犯せばイイんじゃねェの?」

 思えばこれ以上なく格好のタイミングだろう。癪ながら私は完全に組み敷かれる形になっている上、アッチはほぼ全裸。脱ぐ手間も省けてちょうど良いはずだ。

 そんな冗談めかした思考を私の真顔のうちからも読み取ったのか、彼はふと自信ありげに口の端を釣り上げた。その端正な白貌によく似合う、傲岸で不遜な笑み。

「この俺がこんな偶然でしかない状況下でお前を犯す? 笑わせるな。俺がお前を“抱く”のは、唯一お前が自分から身を委ねてきた時だけと決めている」

「はあ? お前こそ笑わせんじゃねェ、あると思ってんのかそんなシチュエーション」

「ああ思っている、思っているともさ。俺といればお前は、遅かれ早かれ必ず『抱いてくれ』と頼む日が来る。だから焦って犯す必要などないんだ」

 何処からそんな確信が来るのか。自信過剰にもほどがある表情でそう言い切ったあと、彼はあっさりと私の上から退いて脇のボストンバックを漁り始めた。その様子といったら先ほどまで艶っぽい状況にいたとは思えぬほどいつも通りで、勝手にペースを狂わされている私のほうが阿呆らしくなる始末だった。それを悟られたくは、なかった。奴の着替えからまたテレビへと視線を移し、あからさまなくらいに話題を変える。

「なあ。そういやあの、……闇渡りってヤツ」

「ああ、昼間は詳しい説明を省いたな。そういえば」

 話題の新人俳優二宮灰の初主演ドラマ、とかいう平和極まるニュースを右から左へ流しつつそう問えば、彼は「吸血鬼の基本能力とは話したな」と継ぐ。

「暗い影の中ならば俺たちは何処へでも好きなように移動できる。影と影を、闇と闇を、距離という概念を吹っ飛ばして繋ぐんだ。あの時はお前の足元の影を使った」

 そう告げると、彼は自分の足元の影を素足で軽く叩き、それに沈み込むように姿を消した。影が波打つように揺らめき、主がいなくなったことにより消滅すると同時、今度は台所の冷蔵庫の前から金髪が生えてきた。金髪は既に慣れた手つきで冷蔵庫の扉を開け放ち、水を一口含んで「こんな風に」と視線を寄越す。

「便利なモンだな。……生えてくる最中に影を消されたらどうなるんだ」

「上と下で体がオサラバだろうな。未だかつてそんな阿呆な死に方をした同族など見たことも聞いたこともないが」

「……そうか」

「……、何故ライトスタンドを構えているのか訊いてもいいか?」

「本当かどうか試してみようと思って」

「やめろ実験感覚でそんなリスキーなことするんじゃないやめろ」

「チッ」

 最大光量にしたライトスタンドを振る間もなく、影を伝って現れたベルンハルトにそれをぶんどられる。舌打ちしたところで、彼は私の手から奪い取った凶器の電気をぱちりと消し、「明日の予定は」と問うた。

「眼鏡屋と遥の店」

「目、悪いのか」

「世の中テメェみてェな奴ばっかじゃねェってこった。目つきが悪すぎて、大概の奴はビビってばっかで話になんねェんだよ。それが鬱陶しいッつーのもあるし、請負人の客からはトレードマーク扱いされてるから、仕方なくかけてるってわけだ」

 奴はじろじろと私の素顔を眺めて一拍、

「……そんなに悪いか? 目つきというよりもその態度の悪さが一役買っているように思えるんだぐふッ」

 鳩尾にキマった。悶える奴をよそに嘆息し、「もう寝る」と告げ脇を通り抜けようとしたところ、腕を捕まれてたたらを踏んだ。今度は何だと振り返れば、端正な顔立ちが一瞬視界を埋める。

 本日二度目の口付け。触れるだけのキスを経て、

お休み(Gute Nacht)。秋流、良い夢を」

「……ふん」

 吸血鬼の満面の笑みを置き去りに、背後で襖が静かに閉まるのだった。

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