Act.8
<Act.8 4/20(火) 17:37>
【仄宮秋流】
扇子を持たない左手で扉を押し開ければ、軋む音と同時にからんころんと耳に心地よい鈴が鳴った。いらっしゃいませ、と数人の男女の声がすぐさま店内から飛ぶと同時、そのうちの一人、店員と思わしき狐目の青年がとことこと近付いてくる。
「一名様でよろしいでしょうかー」
「いや、客じゃねェ。バイトを募集してるって聞いてきたんだが」
どことなく関西訛りの青年が首を傾げる。その拍子に染めたらしい金髪の隙間からいくつかのピアスが見えたが、纏っている着物のせいか不思議とそこまで軽薄な印象は受けなかった。このテの身なりの連中にしては珍しいほうだ。
「ンー、バイトなんて募集してたっけかなあ……夏目ちゃーん」
客の数もまばらな店内で、実に手慣れた様子で動き回っていた少女が名を呼ばれ顔を上げる。多少慌てたようにこちらに来る顔ははて、どこかで会ったものだろうか、なんとなく見覚えがあった。
私がうろ覚えであるのと対照的に、彼女は私を見た瞬間「あっ」と目を見開いた。完全になんでここにいる的な視線である。……はて、本当に知り合いだっただろうか。少なくとも私の目つきの悪さにビビったという風情ではない。眼鏡かけてるし。
「ほ、仄宮さん」
「知り合いやったん? ほな俺はとりあえず店長呼んでくるから、そこで待っとって」
知らんと言う暇もなく青年は店の奥へと引っ込んでいってしまった。どことなく居心地の悪い空気が漂うが、ともかくこのまま入口の前に陣取るわけにはいくまい。適当に脇の壁に寄りかかり、店長とやらが出てくるのを待つことにした。
少女は黒髪のショートカット、着物がよく似合うタイプの顔立ちで、年の頃は私と同じといったところか。おそらくは同じ学校の人間だろう。不本意ながら明石において私はそこそこ名の知れた不良である、関わりこそなくとも顔と名字くらいは『要注意人物』として記憶されていても不思議ではない。
「仄宮さん、どうしてこのお店に……?」
とは思ったのだが、おそるおそる私の隣に寄りかかりその上話しかけてくるところからしてあながちそうでもないのかもしれない。まともに学生をやっている人間ならば好き好んで私のような奴と接点を持とうとはするまい。……正直、やりづらい。しかしかといって、話しかけられて無言のままでいるというのも具合が悪い。当たり障りのない返答を探す。
「……ここのオーナーと知り合いでな。バイト募集中って話だったから来てみたんだが」
「そっか……確かに、最近はちょっと人手不足だったから、仄宮さんが入ってくれるなら嬉しいかも」
『嬉しいかも』? 世辞だろうか。ぽろっとこぼれた笑みはどことなく気弱そうなもので、そういうタイプならば余計私との接点など持ちたがらないだろうと思っていたから意表を突かれた。
「……ところでお前、」
「茅野」
どこで知り合ったかと訊ねようとしたところ、見事に声に遮られてしまった。内心舌打ちしつつ少女が慌てて駆けていったほうを見れば、そこには。
「お会計いいかな、って」
「……仄宮か」
「……鈴熊……」
露骨にデート中といった風情の熊野静桐と鈴谷抹巴だった。紛うかたなき我が明石高校の教師であり、半ば公然のバカップルということで有名な二人である。そういえばこの二人、揃って火曜日に授業がないのだった。それにしても私も運が悪い。
「なになに仄宮、あんたもこの店よく来るの?」
「いや、私はバイトの話できただけで……アンタたちは」
「もちろんデート。あっ、みんなには秘密にしててよ?」
「……鈴熊ってあだ名がつくくらいにはもう遅いと思うんだが」
「まあ、そんなに必死に隠してるってわけじゃないしねぇ」
「……お前はあっけらかんとしすぎだ、静桐」
会計を済ませたらしい鈴谷にびしっと手刀をカマされながら苦笑を漏らすこの熊野という教師が、私は少し苦手だった。
私を知る者は皆が皆、教師であろうと一部の例外を除いて敬遠してくるというのに、この人は全くもって気にすることもなくこうして馴れ馴れしく話しかけてくる。他の生徒たちと私とで態度を変えることもなく、平等に接してくるそれはなるほど教師の鑑というべきなのだが、とうの私はといえば教師ということもありあまり露骨に邪険にできないのが苦手意識の発端だった。
という私の複雑な心境など知らない顔で、熊野は「じゃあ」と手を振った。
「また学校でね。バイト、頑張って」
「……っす」
笑顔を惜しげもなく振りまいて去る熊野の後ろに、静かに鈴谷がついていく。その背が店を出る間際、ほんの一瞬だけ振り返り一瞥をくれたのが不思議だった。あの男はあの男で、熊野以外への興味は相当薄いように見えたから。
あの黒瞳は、一体何を伝えたかったのだろうか。
「ああ、秋流ちゃん秋流ちゃん」
既に立ち去った視線のほうを気にしていると、それを引き戻す声がした。数日前に聞いたばかりのその声は、案の定七木遥のもの。
「や。眼鏡、買ったんだぬぇ。話は奥でしよう、ここだと邪魔になるからぬぇ」
「……ああ」
なおもこちらを興味津々で注視していた先ほどの青年と少女を「ほら散った散った」と追っ払い先導する彼女は、地味な藍染めの着物に一枚羽織っただけという姿だった。一切の違和感もなく着こなすあたり、鵺と自身を称していたのは純粋なハッタリではなかったのだろう。
店とは区切られた和室へと通され、机を挟んで正座で向かい合う。淹れてくれた緑茶を一口口に含み、一言「バイトのことだ」と切り出す。
「ウチの事情は知ってンだろ。流石にタダ飯喰らいがいて働かず生きていけるほど財政事情は芳しくない。雇ってくれ」
「また君も取り繕うとか取り入るとかそういうことをしない子だぬぇ……まあいいんだけどさ。いいよ、すぐにでも雇おう。私と君は遠縁の親戚、それくらいの嘘なら協力してあげるけど、ハルト君とかのことについては自分でどうにかするんだよ」
「わかってる。そこまで手間はかけさせねェよ、雇用主。……それで、お前はここでどう振る舞っているんだ?」
一拍。意図を酌んだ黒瞳が、電灯の光を返して緩く微笑んだ。
「“ただの人間”だよ、秋流ちゃん。ちょっと年齢が分かりづらいだけの……妖だ魔術だ吸血鬼だ、そんな世界見たことも聞いたこともない、そんな、ぬぇ。だから秋流ちゃん。そういう“人畜無害な普通の人間”を装うことを、それも完璧にやり続けることを、君への労働機会の提供の条件として提示しよう。でなければ、この話は白紙だ」
なんてことのないように紡ぎだされた言葉。それが意味することは至極明瞭だった。
端的に言えば「この店に面倒事を持ち込むな」ということだろう。七木遥が鵺として馳せ参じなければ収まらない時。及び、仄宮秋流が請負人として動かなければならない時。どうとでも言い換えられるそれらが、決してあってはならない、とこの妖怪は言っている。
暫し瞑目する。扇子を右手で開き口元に当て、やがて目を開く。
「……この店の外で、お前個人を巻き込むのはその約定に反するか?」
対する答えは、微笑と共に告げられる。
「否、と答えようかぬぇ。既に君たちには半分くらい巻き込まれているようなものだし、ここでそっぽ向くのも忍びない。私自身の正義に違わない限り、協力は約束しよう。困ったら、頼っておいで」
その微笑は、あの夜見た時のものと同様、僅かな自信が覗いていた。正直言って、全幅の信頼を置くことはできない。彼女のこの自信が仮にハッタリだったとして、しっぺ返しを食らうのは私、そしてベルンハルトだ。過信が禁物なのはいつも変わらない。私が頷くと、彼女はさてと立ち上がり「ちょっと出てくるから待ってて」と部屋を出て行った。
開いた扇子を静かに閉じ、眼鏡のズレを直して再び瞑目する。店の方の慌ただしさも遠く、静とした和室の中で黙考する。
信用といえば――――ベルンハルト。ロクでもない事情に私を巻き込みながら転がり込んできたあの男。奴もまた、全幅の信頼に値すると見るのは早計に過ぎる。そう断じるには不明瞭な箇所が奴の背後にもいくつかある。彼の性質、それも一つだ。
悪役ぶった物言いをしておきながら、昨夜は私を犯すどころかその一歩手前で自ら退いた。まさか土壇場になって怖気づいたというようなタマではないことはたった数日だけの付き合いでも十分わかる。私の話を聞いて同情して、ということもあるまい。あの状態ならいくらでも、それこそ何発でも孕むまで犯せたはずなのに、あえてそれをしなかった理由が、私にはわからなかった。
「(アイツは私を『手に入れる』と言った。『進んで抱かれる日が必ず来る』とも。昨夜はそれを仕込む絶好の機会だったはずなのに……普通あんな、露骨な前戯みたいなキスで終わらせるか?)」
無論、奴があの時上手く私を犯し尽して今時流行りの快楽堕ちとかいう状態にせしめたとしても、私の全てが彼のモノになるはずもない。だがあれほどの征服欲を示した男が、それこそ先日の所有印らしい行為の一つもせずみすみすチャンスをフイにするものだろうか。
私の利用価値など実際のところ囮や当て馬以上のものでは決してない。それ以上の何を求めるのかと、考えれば考えるほど泥沼に陥っていく。
思考が煮詰まり、目を開いて嘆息を一つ。
「……ワケわかんねェ」
「何がわかんないんや?」
「ッ、!」
背後、いつの間にやら開いていた襖の隙間から先ほどの狐目の金髪が覗いていた。思考に没頭していたとはいえ一般人に背後を取られて気づけないなど、そろそろ私も魔術師殺しを引退すべきかもしれない。
内心で自嘲したところで、反射的に振り返った私の視線の先で彼はにっこりと微笑み部屋に入ってきた。ぞろぞろと続いた遥と例の黒髪の少女と三人揃って私の前に座り込み、遥が口火を切る。
「夏目ちゃん、凛太くん、この子が今度からバイトで入ることになる子ぬぇ。秋流ちゃん、自己紹介」
「……明石高校二年、仄宮秋流。……よろしく」
つい、と私を捉えた遥の視線に、渋々ながら短く返す。彼女はそれに一つ頷き、「まあ無愛想だけど悪い子じゃないから」と適当に添えた。
「四方凛太や。よろしゅうなぁ、秋流ちゃん」
「茅野夏目、です……えっと、仄宮さん、C組だよね……?」
「……そうだが」
青年と少女が続けて名乗る。少女改め茅野が意を決した風にそう問うてきたので、何のことかと内心首を傾げつつ答える。
「私も、C組なの。だから、えっと、……ここでも、よろしくね」
見覚えというのはそういうことだったのかと腑に落ちた。それならば彼女が私を知るのも道理だし、私が彼女を見かけるのも道理である。……全く覚えてはいなかったが。
普段友人らしい友人もおらず一人でいる私だ、級友が己のことを認識すらしていなかったというのにも納得するところがあるのだろう。茅野が気弱な苦笑を浮かべたところで、遥が「でぬぇ」と言葉を継ぐ。
「二人には、特に夏目ちゃんにはこの子のサポートと指導をお願いしたくてぬぇ。私がやってもいいんだけど、裏方のあれやこれやがあるからつきっきりにはなれないしぬぇ。頼めるかい?」
同級生とはいってもかたや気弱な優等生、かたや敬遠されまくっている不良である。仲が良いどころか接点すらロクにないのは自明であるのに、それをわかっていて頼んでいるのか本当にわかっていないのか。それは判断しきれなかったが、二人は意外にも「俺でえぇなら喜んで」「はいっ」とはっきりと反応を示した。それに遥はにこりと微笑んで、
「ありがとうぬぇ。んじゃ、私はまだ彼女と話があるから、二人は仕事に戻っておくれ」
二人が退出していくのを見届けると同時、私は一つ溜息を吐いて目の前で飄々と笑う女を睨み上げる。
「……どういうつもりだ。別に茅野でなくともよかっただろうが」
「それは自分の感情からかい? それとも彼女の心境を慮ってのことかい? 後者だとしたら殊勝なことだぬぇ、だが君が気にすることではないよ。新人に指導役を付けるのは当然のことだし、それにこれは『私が頼んで、彼女が引き受けた』ただそれだけのことなんだから」
くつくつと、悪意はないように見せつつも実際のところは決して悟らせないのらりくらりとした口ぶりに「お前も私の意見を聞かねェんだな」と諦観を込めて呟くと、彼女はまた一つにこりと笑みを零した。
「君がどうやって生きてきたのかは知らない。けど、これからはより多くの人間たちとの関わりができるんだ。一人でツンケンされてちゃ業務に差し障りがでかねない、少しくらいは愛想ってものを覚えてもらわないとぬぇ」
こんな風に、とにこにこ顔のままで私に頷く遥に対し、私自身は渋面を更に険しくしていくだけだった。そんな私に、彼女は笑みに仄かな苦みを混ぜながら「素直な子だぬぇ」と漏らし、
「これからを生きるなら、それくらい覚えといたほうがいいことくらいはわかるだろう? 笑顔っていうのは面倒事を避けるのに役立つものさ。一般人の皮を被るついでだ、どうでなら処世術の一つくらいは覚えておいで」
愛想笑い。本心を隠す仮面をつけることを覚えろと、この女は言っているのだ。そしてそれは、同時に煩わしい思いを減らすことにもつながる、と。
だがそれならば、この女は。
「そう言うなら、遥。――――お前の笑顔は、一体どっちだ?」
切り込むような質問にも関わらず、彼女の唇が描いた弧が崩れることはなかった。微動だにしないということは仮面か――――結論を下す前に、彼女は私の髪をぐしゃぐしゃとかきまぜた。
「ちょ、やめッ、何すンだッ」
「接客中にそんな怖い顔してたら減給だからぬぇ、肝に銘じておくんだよ。で、はいこれ書類。もろもろ書いて適当に頂戴、そしたらシフトを決めようぬぇ」
彼女の手を振り払った私のそれに落ちてきたのは茶封筒。なるほど書類が入っていると思わしきそれを鞄に乱暴に突っ込み、「分かったよ」と呟く。
「それじゃ、気を付けてお帰り。これからよろしくぬぇ、秋流ちゃん」
「……ふん」
にこやかな遥の言葉を背後に、私は店を後にした。




