動き出す歯車
ムーンヴェイルの企みがわかってから数日が経った。
ゼナが痕跡を追い続けていたが、難航していた。
「今回は難しいよ」とゼナが言った。
「足跡がない。移動していないか、完全に隠蔽されてるか」
「ムーンヴェイルが病で教会に来ていないみたいです」とアリアが言った。
「でも、教会の中でも、本当に病気かどうかを確認した人間がいないようで」
「つまり姿を消した」
「そうなります」
「動き出したんですね」と僕は言った。
レインが「急ぎますか」と言った。
「急ぎましょう。でも手がかりが――」
全員が地図を見た。
手がかりがなかった。
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――古びた地下室
古い石造りの建物の地下だった。
外から見ればただの廃屋である。
しかし中には、精巧な設備が並んでいた。
一人の男が設計図を広げていた。
白髪交じりの、痩せた男だった。
眼光が鋭く、虚ろな雰囲気を纏っている。
長年の研究と焦りが、体の線を削ぎ落としてきたような印象だった。
「ルカの頭脳で、ここの問題が解決した」
設計図の一点を指した。
「ここさえ突破できれば、あとは時間の問題だ」
「よかった」とムーンヴェイルが言った。
「急ぎましょう、ガイウス殿。時間はあまりない」
「わかっている」
白髪交じりの痩せた男――ガイウスと呼ばれた男が資料を見た。
長い手がゆっくりと図面の上を動いた。
「……レインは気づいているだろうか」
「気づいているかもしれませんね。ただ、証拠はない」
「そうか」
「後悔していますか」とムーンヴェイルが聞いた。
ガイウスが「後悔などしない」と返した。
眼光が鋭くなった。
「エリオットは間に合わなかった」
レインの父の名だった。
「あいつは生涯をかけて、正しいやり方で変えようとした。真面目で、誠実で、誰より正しかった。でも間に合わなかった」
ガイウスが唇を噛む。
「……だから」
「だから、わたしがやる。エリオットなら出来たはずのことを」
ムーンヴェイルが「そうですね」と笑顔で返した。
いつもの、何も読めない笑顔だった。
「友のためですか」
「友のため、などとは言わない」
「では」
「……弔いだ」
ガイウスが設計図に目を戻した。
それ以上、何も言わなかった。
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――王宮
夜の謁見室だった。
窓の外に、王都の夜景が広がっていた。
王が椅子に座っていた。
五十代後半の、恰幅のいい男だった。
かつては威厳のある顔立ちだったのだろう。
今もその片鱗はある。
しかし長年、教会に抑圧されてきた疲れが、目の奥に沈んでいた。
その対面にムーンヴェイルが静かに立っている。
「神の力を、陛下の思うままに扱える時はついに来るのです」
静かに言った。
「……本当か」と王が目を見開き、言った。
「本当です。教会が長年独占してきた力を、陛下が直接お使いになれる。その準備が、ようやく整いつつあります」
王が少し動いた。
「以前にも、そういう話があった」
「存じています」
「神の雷、と呼ばれるものだ。余がそれを知った時、使いたいと思った。しかしソル大司祭に諌められた。神聖なるものを王権のために使うことは許されぬ、と」
「理不尽でしたね」
「……理不尽だ」
王の声に、長年抑えてきたものが滲んだ。
「この国を治めているのはわたしだ。教会ではない。なのに、何か大きなことをしようとするたびに、教会が前に出てくる。民が跪くのは神に対してであり、余に対してではない」
「そうですね」とムーンヴェイルが言った。
「陛下は長年、神輿にされてきた」
王が「……そういうことだ」と忌々しげに言った。
「ですが」とムーンヴェイルが続けた。
「今は違います。教会の中でも、変化が起きています。推進派が力を持ちつつある。そして、その流れを利用すれば、陛下が真に国を治める時代が来ます」
「どうすればよい」
「神の雷、いえ、神の力を。陛下が直接お持ちになればいい。教会を通さずに」
「……それは」
「近隣諸国に示すのです。この国には、神の力がある、と。誰も逆らえない力を持つ国として。それは教会の力ではなく、陛下の力として」
「余の力、か」
「そうです。わたしは裏方です。すべては陛下のお力として世に知れ渡る」
王がしばらく黙った。
長い沈黙だった。
「……わかった」
ムーンヴェイルが頭を下げた。
笑顔のままだった。
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――ロゴスの隠れ家
夜、レインから連絡が来た。
「王が動き始めています」
「どういう動きですか」
「近隣諸国への使節を送り始めています。内容はまだわかりませんが、教会を通さない直接の外交です」
「ムーンヴェイルが糸を引いてるということですか」
「おそらく」
「タイミングが悪いですね」と僕は言った。
「なぜですか」
「ムーンヴェイルが王を動かし始めたということは、何かの準備が整いつつあるということです。その準備が整う前に、こちらが動けるかどうか」
「間に合いますか」
少し考えた。
「なんとかします」
「根拠は」
「まだないですが、考えます」
レインが「珍しいですね」と言った。
「何がですか」
「根拠が後回しになるのは」
「根拠を待っていては手遅れになります」
「そうですね。では一緒に考えましょう」
「ゼナさん、王の動きを追えますか。使節がどこに向かっているか、何を伝えているか」
「難しいけど、やってみる。特別手当は」
「出ます」
「二倍で」
「……考えます」
「三倍なら頑張る」
「…2.5倍で」
「値切るね~」
「懐事情もありますから」
「じゃあ、成果が出たら、褒めてくれる?」
「は?」
「ソータが褒めて、頭撫でてくれるんなら、やる」
「そんなことでいいんですか?」
「そんなことがいいの」
ゼナの顔がほんのり赤くなっていた。
そんなことでいいなら、安いものだ。
ゼナが「言質取ったからね!」と言いながら動き始めた。
一方、ルカは作業室に籠もりっきりだった。
食事だけはちゃんと食べていたが、それ以外はほぼ部屋から出なかった。
ソフィアが「デュフフ、何を研究しているんですか」と聞いた。
「ルカの研究なのだ。邪魔するな」
「でも心配で」
「邪魔するなのだ」
◯◯するな、なのだは、するなのだの省略形が定着していた。
効率重視なのだろう、多分。
「……わかりました。でも食事はちゃんと食べてくださいね」
「わかってるのだ」
「デュフフ」
「笑うなのだ」
「笑ってないですよ」
「笑ってるのだ」
ソフィアが出ていった後、ルカは一人になった。
資料を見た。
自分が手を貸した部分。
ガイウスが何年も突破できなかった問題を、ルカが解決してしまった部分。
「……早くしないといけないのだ」
小さく言った。
何をしているのかは、まだ誰にも言えなかった。
夜、ソータが一人で考えていた。
王が動き始めた。
ムーンヴェイルが見えないところで動いている。
「止めます」
小さく言った。
核が使われる前に。
間に合わせる。
今日も、なんとかなったことだし――
明日も、なんとかできるはずだ。
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