学院長ルシオン
(「ルシオン……お前のことだけは、絶対に許さない)
胸の奥で煮えくり返るような怒りを押し殺しながら、レヴィは心の中で悪態をつく。
魔法拡声器を通した呼び出しの声に、教室中の視線が突き刺さるように彼へ集中した。好奇、同情、あるいは蔑み。色とりどりの視線を背中に浴びながら立ち上がろうとしたその時、背後から無遠慮に肩を叩かれた。
振り返ると、そこには先ほど自己紹介を終えたばかりの少女が、怪訝そうに眉を寄せて立っていた。
「ちょっとアンタ、一体何をやらかしたのよ?」
転校初日から学院長に呼び出されるという異常事態に、少女の探究心は隠しきれないようだった。しかし、当のレヴィは重い腰を上げながら、ひどく億劫そうに視線を泳がせる。
「さぁ……? もしかしたら、白凪街の喫茶店で新作パフェでも発売されたのかもしれませんね。その試食係に選ばれたとか」
場違いにもほどがある回答に、少女の表情が引きつる。期待して損をしたと言わんばかりの、冷ややかな視線がレヴィを射抜いた。
「……パフェ? 何言ってるの、この状況で。アンタ、もしかして頭逝っちゃってるの?」
遠慮のない毒舌。だが、レヴィは不快感を示すどころか、小首をかしげて真面目くさった顔で問い返した。
「……? 私の認識が正しければ、頭が『逝って』しまえば、生物学的に思考を継続することは不可能かと思われますが。私は今、こうして会話ができていますよ」
天然なのか、あるいは底知れない図太さなのか。全く噛み合わない問答に、少女は返す言葉を失い、ただ呆然とレヴィの背中を見送るしかなかった。
〜〜〜
廊下を歩くレヴィの足取りは、呼び出しを受けた身とは思えないほど淡々としたものだった。上履きが床を叩く規則的な音に合わせて、彼は思考を巡らせる。
(ふむ……私の推測が正しければ、呼び出した主はルシオンだろうな。場所が学院長室というのも、いかにもあいつが好みそうな舞台立てだ)
なぜこのタイミングなのか。その理由を考えた時、真っ先に脳裏をよぎったのは先ほど口にした「新作パフェ」の可能性だった。だが、レヴィはすぐにそれを否定するように思考を修正する。
(いや、もしパフェの誘い程度であれば、思念伝達装置が組み込まれたこの学生帳で直接連絡してくれば済む話だ。わざわざ公式な呼び出しの手順を踏んだということは、それなりに重要な、あるいは……面倒な用件か。ま、考えていても始まらないか)
答えの出ない推論を打ち切り、無機質な廊下を突き当たった先。重厚な装飾が施された「学院長室」の扉が、威圧感を持ってレヴィの前に立ちはだかった。
(おや、もう着いたのか。案外、思考に耽る時間は短かったようだ)
覚悟を決めるというほどの大袈裟な動作もなく、レヴィはごく自然な動作でその扉に手をかけ、押し開ける。
しかし、視線の先に広がるはずの部屋の光景を確認するよりも早く、背後から軽薄な、それでいて聞き慣れた響きを持つ声が鼓膜を震わせた。
「やっ! レヴィクン」
振り返るまでもない。その独特のイントネーション、不敵な気配。誰がそこに立っているのかは、レヴィにとってあまりに明白だった。
「……久しぶりですね。ルシオン」
レヴィは感情の読めない瞳を背後に向け、静かに口にした。
ルシオンは悪びれる様子もなく、その場にふさわしくない軽薄な笑みを浮かべて肩をすくめた。
「いやぁ~、冷たいねぇレヴィクンは。再会を祝す感動の抱擁くらいあってもいいんじゃないかな?」
芝居がかったその態度に、レヴィは深い溜息を吐きながら顔に手を当てた。指の隙間から、温度の低い視線をルシオンへと向ける。
「……で? 何の用ですか? 私をわざわざ呼び出したからには、相応の理由があるのでしょうね」
単刀直入な問い。しかし、ルシオンはそれを柳に風と受け流し、どこか楽しげにレヴィの顔を覗き込んできた。
「そう言えばさ、前はもうちょっと崩した敬語を使ってなかったっけ? なんだか少し、距離を感じちゃうなぁ」
明らかに話を逸らしにかかるルシオンに対し、レヴィの眉間にわずかな皺が寄る。
「論点をずらすのは辞めてもらっていいですか。……その質問にわざわざ答えるなら、私は基本的に気分屋なのでね。相手や状況、その時の気分で話し方は変えるのですよ。一人称にしても、同様です」
淡々と、しかし拒絶の色を隠そうともせずにレヴィが言い放つと、ルシオンは「へぇ~?」と興味深そうに目を細めた。
「そりゃ面白い。ま、いっか。僕としても君の質問に今すぐ答えたいところなんだけど……」
そこでルシオンは言葉を切り、無人の廊下をキョロキョロと見渡した。まるで、この場の壁に耳があることを警戒しているかのような、あるいは単に演出を楽しんでいるかのような仕草。
「立ち話もなんだし、とりあえず中で話そうか」
言うが早いか、ルシオンはレヴィの腕を強引に掴んだ。抵抗する間も与えず、彼はレヴィを引きずるようにして、重厚な学院長室の扉の向こう側へと連れ込んだ。
――学院長室――
学院長室の重厚な扉が閉まると、外の喧騒は嘘のように消え去り、代わりに静謐で格式高い空気が二人を包み込んだ。しかし、ルシオンはその重苦しい雰囲気を全く意に介さない。
「さあさあ、座って座って。遠慮はいらないよ」
ルシオンは部屋の中央に鎮座する高級な革張りソファにどっかと腰を下ろした。そして、楽しげに隣のスペースを叩きながらレヴィに手招きをする。
だが、レヴィはその誘いに乗るつもりは毛頭なかった。扉の近くで足を止め、彫像のように動かぬまま冷ややかな視線を送る。
「いえ、ここで立ちますから別にいいです。長く居座るつもりもありませんし」
頑なな態度のレヴィに、ルシオンは少しだけ呆れたように肩をすくめ、背もたれに深く体重を預けた。
「固いねぇ……。座った方が楽だよ? これ、最高級の魔獣の皮を使ってるんだ。沈み込み具合が絶妙でさ」
言葉巧みにリラックスを促すルシオン。しかし、レヴィはそんな甘い誘惑など聞こえていないかのように、鋭い言葉で会話の主導権を引き戻す。
「……いいから、早く本題に入ってくれませんか。私の忍耐は、それほど強くはないので」
隠しきれない苛立ちを込めて催促すると、ルシオンはそれ以上おどけるのをやめ、唇の端を吊り上げた。
「おっけー。話が早いのは助かるよ。……実はね、今度の『特別技能試験』と『特別実戦試験』で、君には最高の結果を出してほしいんだよね」
ルシオンが事も無げに放った言葉に、レヴィは心底不可解そうに首を傾げた。
「はい? 私がそんな面倒なことに協力するとでも?」
「まーま! そんなこと言わずにさ。こっちの手違いで君をFクラスに放り込んじゃったのは悪いと思ってるんだけどさぁ……」
ルシオンはソファに深く背を預け、芝居がかった仕草で肩をすくめる。
「僕の娘がAクラスにいる以上、君にもやはりAクラスにいてほしいんだよ」
「……とは言ってもですね。目立つ真似は私の平穏な学院生活の妨げになります。お断りだと言っているでしょう」
淡々と、しかし断固とした拒絶。だが、ルシオンはそれを見越していたかのように、唇の端を吊り上げて「切り札」を口にした。
「え〜、残念だなぁ。せっかくレヴィ君のために、学院が誇る最高級パフェ専門店――『パルフェトリー・リデアル』の入店許可証と、特製パフェのお得なクーポン30枚セットをあげようと思ってたのになぁ」
その瞬間、レヴィの動きが止まった。見開かれた瞳が、ルシオンの手元にある(であろう)幻のクーポンを幻視する。
「し、仕方ないですね……。そこまで言うなら、Aクラスになってあげてもいいですが……って! 私をパフェで釣ろうとしないでください!」
反射的に食いつき、すぐさま我に返って声を荒らげるレヴィ。しかし、一度揺らいだ決意を立て直すのは難しかった。彼は一つ、大きな溜息を吐き出す。
「……まぁ、Aクラスを目指すのは本気で嫌です。ですが、その代わりにお嬢様の護衛に関しては、もう少し気合を入れてやってあげます。それで手を打ってください」
渋々の妥協案。だが、ルシオンはその答えを待っていたかのように、満足げな微笑みを浮かべた。
「ありがとう。じゃ、任せるよ。期待してるからね、レヴィ君」




