55 美女子大生の泥酔
お昼を過ぎる頃には体調が回復した。二日酔いと言っても、丸々二日も頭痛に苛むことにはならない。水を飲んで寝たら大体治るものさ。あと気合いだ。気合いでどうにかなる、これが若さかなっ。
……でもそれ以上に効果があったのは金束さんの介抱だろう。昨夜からずっと傍にいてくれた彼女には感謝しかない。
「すー……すー……」
その金束さんは今、僕のベッドで寝ている。
安らかな寝息を立てて眠る姿はさながら天使のようだ。言いすぎ? いやたぶん的確な表現だと思う。
「日凪君のことを何も知らない馬鹿だと言ったけど、あいつの言い分を完全には否定出来ないよな」
サラサラとして毛先はふわりとウェーブし波打っているベージュ色の綺麗な長髪。息飲んでしまう程に整った美しい寝顔。
美少女だ。ここまで綺麗な人は滅多にいない。学園祭でミスコンがあれば、実行委員の推薦や票操作をものともせずに文句なしで優勝するだろう。日凪君が躍起になってワンチャン狙うのも頷ける。
こんな美女子大生と一緒にいていいのか。陰キャでボッチな僕が悩むものも当然と言えよう。申し訳なさを感じた。
……ボッチではないな。元ボッチだ。
僕はこの人と一緒にいてもいい。僕は金束さんの友達で、金束さんもそう思ってくれている。
「僕も寝ようかな」
天使の寝顔にドキドキしながら僕は床に寝そべって目を閉じた。
「起きなさい」
「くかー……」
「起きなさいよ!」
「ぐふっ!?」
目が覚めた。その前に腹部が悲鳴をあげたような。けどお腹に痛みはない。あぁ、金束さんが殴ったのか。納得。納得しちゃったよ。
「おはよう」
「ふん」
僕は床から起き上がると外を見る。太陽は燦々と輝いているが時刻は午後五時だ。
「一日中寝ていたなぁ。これぞ大学生の夏休み!」
「大声を出さないで」
「す、すみません」
「もう大丈夫そうね」
「ありがとう金束さん、完全に復活しました」
「髪ボサボサね。シャワー浴びてきなさい」
「あ、あはは。今から浴びる。金束さんはもう帰っていいよ」
「一度帰ったわ」
「帰った?」
よく見てみると、金束さんの服装が変わっていたことに気づく。
「一度帰ってシャワー浴びて着替えてきたわ」
「僕が寝ている間に?」
「そうよ」
「えーと、そのまま帰ったら良かったのでは? どうして戻ってきたの」
「飲む為よ」
金束さんは「こっち来て」と言って冷蔵庫の前に立つ。うおっ?
「ぎっしり入っているね……」
冷蔵庫の中には缶ビールと缶チューハイが大量に詰め込まれていた。野菜室にも押し込まれている。不知火に貰ったネギが潰されているのが見えた……。
「買ってきたわ」
「随分と多いね」
「重くて運ぶのが大変だったわ。汗かいたからもう一回帰ってシャワー浴びてきた」
「二回も帰ったの? いやだからそれならそのまま帰れば良か」
「飲むの!」
「そ、そうですか。あ、お金払うよ」
「いいわよ。いつも水瀬にビール買ってもらっているから」
「せめて半分」
「いいのっ。いいから飲むの!」
どうやら金束さんは意地でも今から宅飲みがしたいらしい。
いくら体調が完全回復したとはいえ二日続けて飲むのは……いや待て、僕は一人で毎日飲んでるじゃん。二日連続で飲むくらい訳がなかった。我ながらキモイ。
「飲むわよ」
「分かったよ。ピザでも頼もうか」
確かポストにピザ屋の割引券が入っていたはず。これだけお酒があることだし、たまには豪勢にピザ食べよう!
「にしても本当に大量だね。……運ぶの本当に大変だっただろうに」
「ふん」
ツンとした態度を取っているけど金束さんは力が弱いことで有名だ。僕の中で。
これだけの量、この暑い中、金束さんが買ってきた。
「ありがとう」
「お礼なんていらないわ」
「でも嬉しいから言わせてよ」
「……ふ、ふん」
かくして宅飲みが始まった。
ピザを食べながらビールを飲む。二日酔い明けのビールは最高だねっ。
「水瀬、お代わり」
「はい」
そういえば金束さんと普通に宅飲みをするのは初めてだなと思う。美味しいシチュエーションだと前置きしての飲みばかりで、一般的な宅飲みはしたことがなかった。
良シチュも大切だが、たまにはのんびりと何も考えず飲むのも最高だ。最高しか言えないのか僕はーっ。そうだーっ。ビールを飲むとテンション上がる系男子ですみません。昨晩のチャラ男と飲んだ酒が不味かったから今日はより美味しく感じるよ。
金束さんはどうだろう? 美味しい?
「お代わり」
「は、はいはい」
「お代わり」
「……飲みすぎじゃないかな?」
「まだ平気よ」
あなたとは幾度とお酒を交わしてきた。故にペース配分がどんなものか知りつつある。
金束さんの本来のペースはもっと緩やかだ。それにビールが苦手だしカクテル類は好まない人のはず。
「お代わり」
今は缶チューハイをガブガブと飲んでいる。たまにビールを挟むけどやはり苦いらしく、すぐにチューハイを流し込む。ガブガブと。明らかにハイペースだ。
「このグラス」
「へ?」
「このグラス、良いわね」
「そう? 選んだ甲斐があったよ」
「ふーん」
金束さんは何を飲むにしてもグラスに注いで飲んでいる。飲んで、空にして、そしてグラスを眺める。手元で覗き込んだり、掲げて電灯の光に当てたり、グラスを離そうとしない。
「お代わり」
「チューハイはもうないよ。あとはビールと日本酒」
「日本酒ちょーだい」
「今日は随分と飲むね。普段なら日本酒は飲まないのに」
「別に。いいでしょ」
「は、はあ」
空いたグラスに日本酒を注げば、金束さんはすぐに呷る。おっさんが見たら「嬢ちゃんイケるクチだね~!」と喜びそうな勢いだ。ど、どうしたんだ今日は。
「……私、嘘言った」
ふと、金束さんは飲む手を休めてポツリと呟いた。上体が微かに揺れる。
瞳にいつもの覇気と睨みはない、代わりに浮かぶ、とろけた瑞々しい潤み。
「別に、じゃない。ちゃんと理由がある」
「へ、へぇ」
「水瀬と久しぶりに飲めるから嬉しい」
「へぇー……へ?」
「お代わり」
「は、い……へひ?」
どうした僕。さすがに「へひ?」は酷いよ。人が一生のうちに言うことがない奇声をあげてどうした。そしてそれ以上に金束さんはどうしたのだろう。
喧嘩していた僕らがこうして二人で飲むことは久しぶり。だから……ってこと?
飲み始めてからの金束さんは穏やかだ。言葉にいつものトゲトゲしさがなくておとなしい。それでいて飲むペースは速い。
「んぐ……ぷは。水瀬、お代わり」
僕の名前をハッキリと呼ぶし……やはりどこかおかしい。
違和感に動揺するも、僕は問うことはせず黙って酌をする。金束さんはチューハイから日本酒に切り替えてもペースを落とさずガブガブと飲む。
日本酒をガブガブ……ん?
……今ふと、嫌な予感がした。所謂ところの直感ってやつが働いた。
さすがに日本酒をガブガブ飲むと酔いが回……酔い……?
「水瀬ぇ……」
気づけば上体の揺れは大きくなって振り子の如く。潤みがおとなしい瞳は水面に映る太陽のようにキラキラ且つとろとろ。頬は紅に近い赤色。
「あ、あのー……もしかして金束さん、酔っ」
「酔ってないんらかね!」
いや酔ってるよ? かなりベタに酔っていますよ!?
普段あまり飲まない人が明らかにハイなペースで飲み続けたら酔うに決まっている。
「こっち来なさい」
「へ?」
「反応遅い。いいもん、私から行く!」
戸惑う間すら与えず、金束さんが僕に迫ってくる。密着する位置にまで急接近してきた。
肩と肩が触れ合い、それはすぐに終わる。さらに近づく。
金束さんが全身で僕に抱きついてきた。
……えええぇぇえ!?
「こ、こ、金束さん何を……!?」
「水瀬痩せすぎ。もっと食れなさいよ」
「ちょ!?」
「れもいいや。抱きつきやしゅい」
金束さんが全身で抱きつく。文字通り意味通り、全身で。両腕を僕の背中にまで回してぎゅー!と掴み、顔を僕の首元にうずめる。
あ、あ……あぁああ!?
「ま、待って、ひえぇ!?」
「うるしゃい。ん……水瀬の匂い」
僕は良い匂いがしていますわよ!? 金束さんの匂いが、形容出来ない女子特有の素敵な香りがしている。
な、なんだこれ、意識がとろんとしてきた。
しかし神経はハッキリとする。とある一箇所に集中する。それは……胸元。
「むぎゅむぎゅうぅ……」
むぎゅむぎゅう!? 金束さんそんな可愛い声出せたの!?
というツッコミも喉元で引っ込む。それくらい胸元に意識と全神経が集中しているっ!
だ、だって金束さんは思いきり抱きついている。体の全てを僕に乗せているんた。つまり、む、む、胸も。
僕の胸部には金束さんの胸部が存分に押しつけられている。むぎゅむぎゅう、では表しきれない、とろけるなんて比にもならない、そんな柔らかいモノが当たっているんだ。
「待っ、て……これはヤバイって……!」
「みなしぇ……ん~」
ヤバイ、本当にヤバイ。
二つのふにゅっふにゅが押しつけられている。二つあると分かる程に大きいんだ。豊満なんだ。柔らかいんだぁああぁ……!
キャンプに行った時も背中に押しつけられたことはあった。しかしあの時とは密着の密が違う。真正面から思いきりなんだ。想像と妄想を超える柔からさが……っ。
「みなしぇお酒ちょーだい」
「これ以上飲んだら駄目だよ!」
「何よ、なんでよ……」
「こ、金束さ……?」
「なんでそんなこと言うのよ馬鹿ぁ……!」
金束さんは泣いていた。めちゃくちゃ泣いていた。
ポロポロと、いや、ボロボロと涙が零れる。雫が連なって線となり金束さんの頬を流れていく。
「ぐすっ、えぐっ、なんでよぉ……」
ここ最近、金束さんが泣く姿をよく見る。昨日も見たばかり。
けど違うんだ。今、目の前で泣いている金束さんは様子がおかしい。僕に抱きついて顔は赤く、子供のように泣きじゃくっている。
…………これ……泣き上戸というやつなのでは……?
「仲直り出来たのに……ひっく」
「や、待っ、これホントに待って、話を聞いて。一旦落ち着」
「むぎゅむぎゅうしちゃ駄目なの!? どうして意地悪なこと言うのよ!」
「話を聞いて! ね? ね!?」
「うるしゃい水瀬! 泣くわよ!」
「もう泣いていますけど!?」
号泣ですけど!?
「えぐぅ……!」
な、なんてことだ。金束さんは酔うと泣き上戸になるのか……!
「お酒もっと」
「だ、駄目」
「なんでぇ? ぐすっ、馬鹿ぁ、どうして怒るの、っ……?」
「お、怒っていないよ」
「怒ってるもん! みなしぇ怒ってる……やだぁ……」
金束さんは泣きながらも僕から離れようとしない。そしてさらに泣く。泣きまくって僕を見つめる瞳は涙で潤みまくる。瞳も表情も言葉も全てがとろけてふにゃふにゃ、胸はふにょふにょ。む、胸はどうでもいいだろ僕。しつこいよ。いつまでドキドキしているんだ。
……胸ふにょっふにょ……。
「みなしぇ怖かった。出会うべきでなかったって言って私のこと鬱陶しいとかウザイって言った……ひぐ、ひぐっ、やだぁ……!」
いやだから僕! いつまでも柔らかさを満喫している場合じゃないだろ! いつまで胸のこと考えているんだ。陰キャかよ!? そうだよ!
……そうじゃないって。金束さんがすごいことになっている。泣きまくっているぞ。涙は金束さんの顔どころか僕の服をも濡らす。雨に降られたってくらい濡れている。
「金束さんのことを鬱陶しいとかウザイとか微塵も思っていないよ」
「だ、だってぇ……」
「な、泣きやんで。お願い。ね? いつものようにツンとしてよ」
「ひぐ……お酒飲むぅ……」
「……駄目です」
「みなしぇ怒ってる……」
「怒っていないって! え、ちょ、これ無限ループ!?」
そこからも僕は必死に金束さんを宥めようとした。尽力した。
しかし結局、金束さんは延々と泣き続けた。
「水瀬……うぅ……すー……」
「……」
寝息を立てて眠る姿はさながら天使のようだ。言いすぎ? いやたぶん的確な表現だと思う。これ昼にも言った。そして今は深夜。
金束さんが泣きやんだ頃には日付が変わっていた。おまけに金束さんは僕の膝を枕にして寝てしまい、手は僕の服を掴んで離そうとしない。
「えぐ、ぐすっ、すー……」
「え、朝までずっとこの体勢?」
昨夜の日凪君との飲みバトル以上に大変なんですけど。二日酔い以上にキツイんですけど……!?
僕は思った。金束さんを飲ませすぎてはいけない。
「水瀬……」
「……まあ、めちゃくちゃ可愛いけど」
僕は思った。金束さんは飲ませすぎると泣き上戸になって大変なことになると。
そして、泣き上戸の金束さんも可愛くて、彼女の新たな一面を見られて良かったとも思った。
「僕も寝ようかな」
天使の寝顔にドキドキしながら僕は座った体勢のまま目を閉じた。




