54 二日酔い
目が覚めると同時に体が絶不調であることを思い知らされた。
「っ!? ヤバ、吐き気が止まらな……こひゅー、こひゅー……!」
頭蓋の内側から鈍器で叩かれているかのような痛み。こみ上げてくる吐き気を抑えようと惨めな音立てて呼吸をし、全身を巡るのが血流だけではなくアルコールのような感覚に気持ち悪さが増幅する。
「ぜぇ、ぜぇ……っ、完全に二日酔いだ……」
耐え難い痛みに苦しむ脳で昨夜の記憶が曖昧にリプレイされる。
日凪君との飲み勝負。意識が飛ぶ寸前、死ぬ寸前までお酒を飲んだ。飲んで日凪君を倒した。完膚なきまでに勝ったよ。
その代償がこの現状だ。ベッドの上で体を動かせないでいる。正確には、もし動こうものならよりキツイ苦しみが襲いかかることを知っている故に指一本たりとも動かしたくないのだ。ひたすら呼吸をして意識を保つ。
「こひゅー……こひゅ~……」
なんと情けない呼吸音だろうか。けれどこうして発声しながら息を吐いた方が楽なのだ。二日酔いとはそういうものである。
なんて情けなくて、そして、なんてことをしたんだ。
チャラ男とサシ飲み。イッキしてはさらにイッキ、美味しいシチュエーションなぞ皆無。不味いビールを飲んでしまった。
自分が嫌う飲み方だ。もうしないと決めたのに。吐かないという誓いは破らなかったものの、僕は自分自身で決めたポリシーを曲げた。
それは……あの人の為に。
「……金束さん、笑っていたよね」
蘇る記憶の最後。どれくらい飲んだのか、どうやって帰ってきたのか、覚えていなくとも最後に見た金束さんの顔は思い出せた。金束さんは笑っていた。僕らは仲直り出来た。
僕も嬉しかった。柄にもないことをしたけれど満足している。これで良かったんだ。
「と思いつつ……これは冗談抜きでヤバイこひゅーこひゅーっぅう!」
駄目だ。いくら呼吸しても回復の兆しが見えない。
早急に手を打たなくては。水を大量に飲んで体内のアルコールを薄め、味噌汁を飲んで体内環境を整えるべきだ。とにかく水と味噌汁だ!
だけど……体が動かせない。動きたくない。あぁだけどこの苦しみを時間経過の微々たる回復のみでどうにかしようとするのはもう無理だ。何時間も苦痛に耐えられるわけがない。
ヤバイ……誰か助けて……。
「起きたのね」
「……へ?」
玄関のドアが開く音。ドサッ、とスーパーの袋がテーブルに置かれる。
微かに動かした視線の先に立っていたのは金束さんだった。
「ど、どうして」
「水瀬が苦しそうにしているのに帰れるわけがないでしょ」
金束さんは呆れたように小さく溜め息をつき、そっぽ向く動作で髪の毛を宙に舞わせる。朝の日差しを受けて輝く髪が神々しく見えた。
「確か金束さんは集中講義が……」
「サボったわ」
「だ、駄目だよ」
「もう遅いわよ。いいからこれでも飲んで体を休めなさい」
金束さんは僕の傍にしゃがみ込み、今しがた買ってきたペットボトルを取り出している。
……僕のせいで講義をサボったのか。しかも集中講義。一日でもサボったらおしまいだ。
「まだ午前中……今からでも間に合うから急いで」
「うるさい」
「だ、だって」
「っ、水瀬の方が大事なのよ!」
「ひぃ?」
「集中講義は必須科目じゃないから問題ないし来年受け直せばいいわ。今期はフル単だし進級には影響ない。文句ある!?」
ひいぃ!? 大声出さないで脳に響く!
や、そうじゃなくて。いくら影響が少ないからといってもサボるのは……。
「単位を落とすのは駄目だ。授業料も安くはない。僕のせいで金束さんの成績が落ちるのは……っ、う?」
動かせない体が揺れた。
金束さんが僕の胸ぐらを掴んで自身の方へと引き寄せた。その瞳は怒ってるようにも見えたし、どこか心配そうな愁いを帯びた潤みが満ちていた。
「昨日あんなことされて放っておくなんて出来ないわ。私の為に無理したアンタを置いて授業を受けることは出来ないわよこの馬鹿!」
「ゆ、揺らさにゃいで」
「私は助けてもらってばかり……わ、私だって水瀬の為に何かしてあげたい。そう思うのは悪いことなの!?」
「ごめん僕が悪かった。だから揺らさないで胃がシェイクされて吐き気がぁ!」
「いいからおとなしく寝てなさい!」
「寝かせてください安静にさせてくださぃぃ」
揺すられた上体がポンプの働きをするかのようにして胃が「よっしゃ吐く準備オッケー!」とゴーサインを出す。
必死にBボタンを押してキャンセルする僕は、ようやく解放されてベッドに沈み込んだ。ギリセーフ。あと数秒遅かったらリバースしていたかも。
「ふんっ」
「えぇー……?」
「アンタのせいよ! 馬鹿! ……心配したんだからね」
「ご、ごめん」
「飲みなさい」
わ、分かったから。飲むからペットボトルを口元に押しつけないで。胸元にビチャビチャと零れているから!
……金束さんは昨晩から今まで僕の部屋に居てくれたのだろう。自分の家に帰らず、講義をサボって、つきっきりで看てくれていた。
吐き気が止まり、頭の痛みも収まる。代わりに、目から涙が出そうになった。
「金束さん」
「何よ」
「ごめんね。それと、嬉しい」
「……ふん」
目を合わせず、ツンと唇を尖らせて、そっぽ向く金束さんの横顔を見つつ僕は苦笑混じりに笑う。
苦しかった二日酔いが軽くなった。調子は依然として絶不調でも心はすごく安らいだ。大量の水を飲むよりも体内は澄み渡り、味噌汁を飲むよりも全身が温まった。
ありがとう。
きっと口に出して言っても金束さんは鼻息一つで無視するだろう。そんな姿も見たいなと思いながらも、僕は落ち着く心の中でもう一度お礼を述べて静かに水を口元に運んだ。
「……ちゃんと飲んでる?」
「飲んでいるよ。気になるなら見ればいいのに」
「うるさい。こっち見ないで」
「はいはいごめんね」
「他にいるものあったら言いなさいよね」
「大丈夫だよ」
「本当? 食べたいものとかない?」
「平気だって。それより午後から出席すれば単位もらえるかもしれないから行」
「行かない。水瀬を看てる」
「……見てないけど」
「う、うるさい! 水飲みなさい!」
「いやそこ鼻! お、押しつけないで、鼻の機能は水分補給には適していな、げぼげぼぉ!?」




