53 仲直りの乾杯
激しい痛みが頭の内側から響く。
「うっ……」
自分が仰向けで寝ていることを把握し、すると今にも胃から逆流しそうになる吐き気にえづいて目に涙が溜まる。
所謂、二日酔いだ。それも重度の二日酔い。気分の悪さは過去ぶっちぎり。最低最悪の目覚めだ。
そう思うよりも先に、僕は僕を覗き込むその人の顔に釘づけになった。
「大丈夫?」
鋭くキツく、けれど心配そうに見つめる瞳。いつも不機嫌な彼女らしからぬ表情。
ベッドに寝る僕を、しゃがみ込んだ金束さんが見つめていた。金束さんが僕を見て、僕も見つめ返す。
「大丈夫じゃないけど大丈夫」
「何よそれ」
「あ、あはは」
痛みと吐き気が込み上げる最悪の状態で、心の底が温まる。心の底から安堵する。
「どうして金束さんがここに? 僕は一体…………ああ、そうか」
呟いた疑問は記憶が蘇るのと同時に自己解決する。
チャラ男と勝負をし、自分が忌み嫌う無茶な飲み方で気絶寸前まで飲んで、そして勝った。
そして何より、僕は自分の気持ちに真正面から向き合った。向き合えた。
一人に逃げた過去を、誰かと一緒にいる楽しさと負い目を、ただの協力関係ではなく友達になりたいと、自分の中で葛藤する全てを受け入れた。
僕がそれを望んだから。
「もしかして金束さんが僕をベッドまで運んでくれた?」
「アンタが一人で倒れ込んだのよ」
「そ、そうだっけ」
「二時間くらい寝ていたわ」
「そっか。……帰って良かったよ?」
「そうね。明日も集中講義があるから」
「じゃあ早く帰らないと」
「いい。……ここにいる」
「そ、そう?」
「……」
視線を同じ高さに合わせて、目を合わせて、ぎこちない会話。気まずい沈黙。
なのに安堵する。そう思えるのは、一人でいることより誰かと一緒にいることの方が僕にとっての当たり前になっているから。金束さんがいることが、日常だと思えるようになっていたんだ。
「アンタでも酔い潰れることってあるのね」
「そもそも僕は酒豪ではないよ。無茶すればこうなる」
「……無茶するまで飲んだのはどうしてよ」
金束さんの顔が鮮明に目に映る。なのに意識は覚束ない。思考はまだまもとに機能していない。アルコールのせいで判断が遅れてしまう。
しまった、と思ったのは金束さんの心配そうな表情を見て数秒後だった。
「べ、別に無茶したわけじゃ……」
「日凪と飲んできたんでしょ」
「あ、いや、その」
「誤魔化そうとしなくていいわ。日凪と会う算段をつけてほしいとアンタに頼まれたことを考えたら大体察しはつくから」
「あはは……」
「……無茶した」
「そんなことは」
「私の為に無茶したんでしょ……?」
「……」
金束さんと一緒にいる資格がない。所詮は陰険なボッチ。金束さんに相応しくない。ましてや友達になれるわけないと思った。
だったら協力関係も終わらせてしまおう。ボッチに戻ればいいだけのこと。その方が金束さんの為になるし、僕も一人の方が楽しいはず。
それが嘘だと気づいた。金束さんの涙と言葉で気づかされた。
僕は恐れていただけなんだ。同じ意識を持つ仲間ができることを。友達を作ることを。友達になりかけていたからこそ怖かった。僕と金束さんは仲が良いことを認めたくなかった。
でも本当はそれこそが一番嫌だった。
相応しくなくても、誰かと一緒にいていい存在ではないと思いつつも、それでも僕は金束さんと友達になりかった。
「その……金束さん」
「何よ」
「この前はごめん。酷いことを言ってしまった」
「……」
「出会うべきでなかったとか、住む世界が違うとか、思ってもいないことを言ってしまった。逃げてしまった。全部、嘘だ。本当はそんなこと思っていない」
酔っているからなのか。口が動く。
いや、酔いに任せて言うのは違う。本心を、向き合えた自分の気持ちをさらけ出すんだ。
「日凪君に言われようが他の誰に言われようが関係ない」
金束さんは見る。僕を見て、僕も金束さんを見て、言うんだ。
やっと、やっと言える。言うんだ。
「僕は金束さんと一緒にいて楽しい。金束さんと一緒にビールを飲みたいんだ」
「……」
「都合良い発言に聞こえるかもしれない。あれだけ酷いことを言ったのに、今更本当のことを言って許してもらえるとは思わない。でも、これだけは伝えたい。金束さんが僕を頼ってくれたことに応えたい、金束さんに美味しいビールを教えたい……僕は金束さんの友達だから」
「うるさい」
何度も聞いてきたその一声。有無を言わせない、金束さんの剣幕と凄み。僕は悲鳴を漏らす。
そんな「うるさい」が、今は心地良かった。温かくて優しい一言だった。
「もういいわ。私も悪かった」
「金束さ……うぐっ?」
「もういいって言ってるでしょ! もういいの」
「また水瀬と一緒にいられる。それだけで十分なの」
ベッドが軋む音。身を乗り出した金束さんと僕は顔を見合わせる。直接には触れ合っていないけど彼女の体温が伝わってきた。
それくらいに近い距離。彼女の瞳から一筋の涙が流れ落ちる。落ちて、僕の頬を濡らす。その涙も温かった。
「水瀬、これからも一緒にいてくれる……?」
「うん」
「も、もう怒っていない?」
「怒っていないよ」
「良かった。……っ」
「金束さん?」
「もう怒鳴ったり怖い顔しないでね……」
「え、えぇー……?」
それ金束さんが言う? いつも怒鳴って怖いのはあなたでしょうに。
……そうだったね。うん、知っているよ。
気丈に振る舞って怖くて怒鳴っていても本当は普通の女の子なんだよね。怖がりで涙脆くて純粋な人なんだ。僕は知っている。僕は君の友達だから。
「水瀬ボロボロじゃない……。大丈夫……?」
「大丈夫だって。僕より金束さんの方が大丈夫? 涙が」
「な、泣いていないわ!」
涙が僕の頬に落ちまくっていますけど。目薬失敗しちゃったの量を遥かに超えるよ?
頬に落ちた金束さんの涙を手で拭おうにも金束さんが僕の上に乗っているので手が動かせない。
どうしたものか。視線を泳がせて、テーブルの上に置いた袋が視界に入った。
「金束さん」
「ぐすっ、しつこいわね。もう何も言わなくていいのっ」
「そうじゃなくて。……そこの袋を取って」
「袋……?」
両手で必死に目をこすっていた金束さんもテーブルを見る。
テーブルの上、大きなリボンがつけられた袋。金束さんはそれを手に取る。
「あけていいの?」
「いいよ。金束さんの為に買ったやつだから」
「私の為……」
「一緒にバイトしたでしょ? そのバイト代で買ったんだ」
金束さんは袋を開ける。中から出てきたのは瓶ビールと日本酒。
「僕オススメのビールと日本酒だよ。……それともう一つ」
「……あ」
ビールと日本酒を取り出し、金束さんが最後に取り出したのは透明のグラス。
「……私に?」
「いつも紙コップで飲んでいたからさ。そろそろ金束さん用のグラスがないとね」
「……」
「あっ、そ、その、ほら! 紙コップや缶から直飲みするよりもグラスで飲んだ方がビールを美味しく感じるかもしれないから! だから買っ…………ううん」
誤魔化すな。正直に言え。
僕がそのグラスを買ったのはその為だけじゃないだろ。
「そのグラスでビールを飲みたいと思ったんだ。金束さんと一緒に」
「っ……」
「これからも僕と一緒に飲んでほしい。一緒に美味しいビールを見つけよう」
「……ん」
「金束さん?」
「うん……うんっ……嬉しい……!」
金束さんは泣いていた。いつまで経っても涙は溢れ続ける。抱きしめるように両手でグラスを持って、涙を流しながら頬を緩める。嬉しそうに笑ってくれた。
涙で顔はぐちゃぐちゃ。泣きながら笑っている。そんな金束さんを見て、僕も嬉しくなった。
そうだね……もう何も言わなくていい。
喜んでもらえた。仲直り出来た。これからも一緒にいられる。それだけで十分だ。
「また美味しいシチュエーションを考えておくから今度飲もうね」
「今飲む」
「え?」
「今飲むの! ビールどこ? 冷蔵庫に入ってる?」
「え゛、いや、今は飲むと僕たぶん死……」
「飲むの!」
「え゛ぇ゛ー……!?」
「嬉しいから飲みたい。今すぐ水瀬と飲みたい。……駄目?」
う、上目遣いで泣かないでよ。そんなのされたら断れないよ。
いや……そもそも断る理由がないね。
「いいよ。飲もうか」
「っ! う、うんっ」
二日酔いがどうした。チャラ男と飲んだ酒を言い訳に飲まないとかありえない。これからも一緒に飲もうと自分で言っただろ。今飲まないでいつ飲むんだ。
僕は金束さんにビールが美味しいシチュエーションを教えると約束した。その美味しいシチュエーションは今この瞬間じゃないか。
「準備するよ」
「水瀬はベッドに座ってなさい! 私が準備する」
「お、おぉ、ありがとう」
「友達だから当然でしょ」
「っ、うん」
誰かと一緒にいることが怖かった。金束さんのことを知り始めたからこそ何も知らない日凪君が許せなかった。情けない自分と素直になれない自分が憎らしかった。金束さんに謝りたかった。
「私もそこ座るから詰めなさいよ」
「金束さんもベッドの上に座る必要はないのに」
「……」
「え? な、泣かないでよ。今の言い方怖かった? というか今日は一段と涙脆い気が……」
「う、うるさい。勝手に出てくるから仕方ないじゃない! 詰めて!」
「は、はいはい」
言いたいこと、いっぱいある。それはきっと金束さんもだろう。
でも金束さんはもう何も言わなくていいと言った。僕らは何も言わなくていい。今はただ、お互いにグラスを持てばいい。
いや、あと一つだけ言わせてほしい。
「金束さん」
「水瀬」
今、初めてだ。やっと、なんだ。
僕と金束さん。美味しいビールを見つける為の協力関係ではない。ただの協力関係ではない。
僕らは友達としてこの言葉を言う。ビールが注がれたグラスをぶつけ合い、目を合わせて、同じ言葉を重ね合わせよう。
「「乾杯」」
友達として言う初めての乾杯。
大学生なら当たり前。今もどこかで他愛もなく交わされているであろう挨拶程度の簡素な言葉。お決まりの合図。
でも僕らにはこの「乾杯」がすごく大切な一言だった。だってこんなにも響いて、こんなにも素直に受け入れられてそして嬉しかった。
「んぐ……うげぇ、気持ち悪い」
「二日酔いのくせに飲むなんて馬鹿よね」
「全くだよ。ちなみに金束さんはどう?」
「不味いわ」
「いつも通りだね」
「そうね。……でも」
「うん。そうだね」
多くは語らない。言わなくていい。
きっと金束さんはいつもと同じでビールを美味しく感じないだろう。僕は二日酔いでビールを飲みたくも見たくもない。僕も不味いと感じる。
だけどこの味は忘れない。
金束さんと飲むビールは最高の味だった。




