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帰り道

「いっしゃい いらっしゃい 新鮮だよー」

 片言の日本語が通り道に響く。

 通勤帰りに立ち寄った商店街はなかなかの賑わいを見せており、人々の喧騒に紛れて素朴な佇まいの八百屋に彼はいた。

 白いTシャツにジーンズ、「八百屋 遠藤」と胸に書かれたエプロンをつけて店頭に立っている。目を引くほどの美形外国人が大根を掲げて声を挙げており、その周りを快活そうな奥様達が囲んでいた。

「そう。今日大根安い。お買い得」

 爽やかな笑顔を向けて大根を売っている。

 意外と楽しそうだ。少し微笑ましく思いつつ、人が捌けるのを待って話しかけようかと思っていたのだけど…

(全然人が…というか奥様達の輪がはけないな…)

 熱心に話しかけたり、彼の肩をバシバシと叩いたりと奥様達は楽しそうだ。

 どうしよう、と右往左往していると彼がこちらに気づいたようで「咲!」と声をかけてきた。

 さっと奥様達の視線がこちらに集まる。

 それにちょっと萎縮しながらも、いそいそと彼の側まで歩み寄った。

「盛況みたいだね。仕事はどう?慣れた?」

「あぁまだ7日目だが、やっていけると思う。店主がいい人だ。それに食物を扱うのは街の活気を知るにもいい」

 朗らかに笑う彼に微笑み返すと、後ろから肩を叩かれた。

「あなたゼノちゃんの彼女?いいわねぇー!かっこいい彼氏じゃなぁい」

 彼を囲んでいた奥様達がいつの間にか私まで囲んでいた。

 不思議なことにここでも言語の謎が発生する。

 私は日本語で彼に話しかけて、彼も日本語で返事をしたのだがーーー私には日本語に聞こえるーーーこの時の会話は私達以外には、どうもラスキア語で会話しているように聞こえるようだった。

 私がどう見られているのかわからないが、珍しい言語を流暢に話しているように見えるのかもしれない。

 にこにこと私達を交互に見る奥様たちに、慌てて『彼女』の部分に否定を入れようとすると更に姦しい声が上がった。

 いいねー初々しいじゃない

 羨ましいわぁ

 まぁあたしは旦那くらいが丁度いいのかもしれないけどさぁ

 からかうような笑いがこだまする。

 頰が熱くなるのを冷ますように「ち、違うんです、あの!」と声を挙げるが奥様達のパワーにかき消されている。

 結局の所彼は近所の商店街の八百屋さんで力仕事を手伝うと言ってバイトをさせてもらうことになった。

 家族で営む八百屋で小ぢんまりしている。店主の遠藤さんはお父さんと仲がいいらしくーーー破天荒な父だが交友関係は広いようで商店街の人は皆お友達だったーーー二つ返事で彼を雇ってくれた。

「ぜひ日本の伝統ある八百屋って職を学んで、故郷でうちを宣伝してほしいね!」

 大きなお腹を一つ叩いて、私よりも少しばかり背が小さいが、声は人一倍大きな遠藤さんが快諾してくれたのだった。

 力仕事だけかと思っていたら、ちゃっかり販売業まで任されていて、人がいいんだか人使いが荒いんだか。

 でも何だかんだでこなしてしまっているゼノヴァルトゥールの素質を見抜いたのかもしれない。

 それか客引きなのか…

 何にしても気やすい人で彼も私も助かっている。

 お父さんはいつもロクでもないことばっかりだけど、交友関係だけは尊敬できるかな。

 父の人脈の助けというのも、何だか複雑ではあったが、彼の働き口がすぐに見つかったのはよかった。

 薪割りでもなんでも。と言っていた彼に「薪割りの仕事は多分ない」と告げた時に落胆されたのもいい思い出である。

 今日はもう上がっていいよ、と言われたゼノヴァルトゥールが来るのを待って、陽が落ちかけた夏の空を見上げた。

 もうすぐ秋がくる。まだまだ残暑はうだるような暑さを残していたが、随分と陽が落ちるのが早くなった気がする。足元で影法師が長く伸びをしていた。

 小走りで店の裏口から出てきた彼と合流する。

 前から思ってたけど、彼に駆け寄られると大型犬に出迎えられたみたいで何だか、心が暖かくなる。

 思わず微笑みを返して、じゃあ帰ろっか。と告げた。

「うん」と彼が一言返した。

 何だか子供みたいな返事だ。多分日本語で話したんだろう。片言なのもあるけど、彼が日本語で話している時は普段よりも幼さが増す気がした。

「今日の夕飯はハンバーグにするよー」

「ハンバーグ?」

「そう。ゼノ食べたことないでしょ?」

「ない。おいしい?」

 最近になって彼のことをゼノと呼ぶようになった。彼がゼノでいいと言ったのもあるし、お店では皆からゼノちゃんなんて呼ばれているし。

 それに乗っかって私も呼ぶようになったのだ。

 また、一緒になる帰り道では会話を日本語にする、と決めていた。

 彼の練習であるので、きっと今は片言の日本語である。

 片言だからなのか、言葉遣いが拙かった。子供と会話するお母さんのような気分でついつい応えてしまう。

「おいしいよー私のお母さん直伝だからね!小学生の時からずっと作ってるから、これだけは自信作!」

 腕を曲げて力こぶを作る仕草をする。腕にかけていたスーパーの袋が中の重みでガサガサと揺れた。夕飯の材料が入っている。

 それを彼が軽々と取り上げた。

「重い。俺、持つ」

 ありがとう。と微笑みかける。すると彼もやんわりと目を細めた。

 こう言う気遣いって嬉しいな。私の弟がゼノくらいの歳になってたら、こんなことしてくれたかな。

 なんだかくすぐったい気分でいると彼が言葉を継いだ。

「咲の母親どこ?」

「お母さんはねー今はいないんだ。事故で亡くなったの」

 ぴたりと彼の足が止まったので、数歩追い越してしまった。後ろを振りかえると、所在無げに棒立ちになったゼノが、眉根を下げてすまない。と流暢な日本語でーー恐らくラスキア語で発したのだろうーーー呟いた。

「ううん。気にしないで。ずっと前のことだし、それに私が話したんだよ?ゼノは悪くないでしょ?」

 それでも継ぐ言葉が見つからないのかゼノが黙っているので、同じ距離まで近づいた。

「…ねえ、私たちもう3週間も一緒に過ごしてたけど、お互いのことって全然知らないんだね。私もゼノの両親とかきょうだいのこととか、何にも知らないもの」

 そうだな。と静かに応えが返ってきた。

「ねぇこれからはさ、帰り道に日本語の練習もそうだけど、お互いのことも話そっか」

 いや?と聞くと彼は首を左右にゆっくりと振った。

 なんだか心が温かくなる。この感情はなんだろう。自然と口元が緩む。私今だらしない顔してるかな?きっと大丈夫だよね?

 だってゼノも私と同じように、柔らかく笑ってるもの。

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