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人を模した君へ 〜未登録の十七歳〜  作者: ユノ・サカリス


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最終話《人を模した君へ》

海は、静かで、広くて、誰のものでもなかった。


そこに、優希がいる。


波打ち際まで駆けていく。

水しぶきに驚き、思わず笑う。

その声は、ニュースの中にも、研究データの中にも存在しない音だった。


潮風が髪を揺らす。

足元の砂が、沈む。


「不安定な地面」


そう言いながら、もう一歩踏み出す。

後ろで、美悠が小さく笑う。


「転ぶなよ」


「転倒確率、上昇中」


「だから分析すんな」


蓮が肩をすくめる。


空は高く、青く、果てがない。

あの日、灰色のニュース画面に閉じ込められていた世界とは違う。


BHCのニュースは、もう過去の話題になりつつある。

世論は移ろう。

議論も、炎上も、やがて別の対象を探す。


けれど。

ここにいる三人の時間は、誰にも奪えない。


優希が空に片手を伸ばす。

手のひら越しに、太陽を透かして見る。


波が足元に寄せてきて、くるぶしを掠めた。

 

「足に水分付着。これ、しょっぱい?」


「それ海水だから!」


笑い声が、風に溶ける。


少し離れた場所で、美悠と蓮が並んで立っている。

守るでもなく、守られるでもなく、ただそばにいる。

それだけでいい距離だった。


美悠がぽつりと言う。


「さ、どうする? これから」


優希は振り返り、ほんの少し考えて言う。


「未定。けど、選択可能」


蓮が息を吐く。


「前より、人間っぽいな」


優希は首を傾げる。


「前も、人間だった」


その言葉に、美悠の胸が高鳴る。


優希が波の方へと戻る。

砂だらけの足で、また笑う。


その姿を見ていると、ふと、美悠の胸に温かい風が通りすぎた気がした。


視界の端に、もう一人の優希がいる。

九年前の、あの日のままの優希。

制服姿で、少し照れくさそうに美悠を見ている。

海ではしゃぐ今の優希の隣で、同じように笑っている。

そして、ゆっくりと美悠に向き直る。


そして――また微笑んだ。


許された気がした。

もしかしたら、最初から責められてなどいなかったのかもしれない。


気づけば、そこにいるのは、いま走っている優希だけだった。

美悠の胸の奥に、長く絡みついていた何かが、ほどける。


守れなかったという後悔。

止まったままの時間。

それが、波にさらわれるように静かに引いていく。


美悠は、小さく息を吐いた。


「……ありがとう、優希」


声は風に溶ける。


「今、目の前にいるあんたは、必ず守る」


美悠は涙が止まらなかった。

 

「美悠……どうした?」


蓮が心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫。なんでもない」


涙を拭う。


「……生きてるんだね、私たち」


蓮を見る。

海ではしゃぐ優希を見る。


「私も、蓮も、優希も」


小さく、でも確かに言う。


「これからも、生きるよ」


その言葉は、過去への誓いではない。

未来への選択だった。


人を模した君へ。


君は法律の条文じゃない。

研究資料の番号でもない。

炎上の象徴でも、成功例でもない。


あの日、拘束された部屋で震えていた君も、今、海に向かって走る君も、――同じ君だ。


人権は、与えられるものじゃない。

倫理は、誰かが定義して完成するものでもない。


隣で「生きている」と認めた瞬間、それはもう始まっているのだと、私たちは知った。


優希が、砂浜に座り込む。

指で砂をすくい、こぼす。


「形、崩壊」


「それ普通だから」


「けど、また作れる!」


両手で、小さな山を作る。

すぐに波が来て、さらう。


優希はそれを見つめる。


「消える」


美悠が隣に座る。


「でも、また作れるでしょ」


優希は頷く。


「再構築、可能!」


その言い方は、もう機械的ではなかった。


――優希。


君は人を模していたんじゃない。

君はただ、生きていた。


優希が振り返り、大空に両手を広げる。


「……温かい!」


それは廃熱じゃない。


太陽の熱。

風の温度。

隣にいる二人の気配。


あの夜、廃熱を逃がせないほど感情を振るわせた君は、いま、波と戯れて笑っている。


確かに、生きている。

それは不具合なんかじゃない。


優希は小さく息を吸い、言った。


「ここにいる」


それは報告ではなかった。

宣言でもなかった。

ただの事実だった。


その声を聞いたとき、思った。


それは、きっと――生きると決めた、この世界に恋をしたんだ。


優希。


君は、確かに生きている。

そして、これからも。

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