小話 悪因悪化
とある宿場町に住む、とある女の話である。
女には兄がいた。いわゆる、腹違いというやつだ。
面識は皆無。兄も妹がいるなどとは思ってもみなかった様子で、初めて会った時は驚いていた。
どうにも、父は女房子供を放ってよその女の家に入りびたり、子をもうけていたのだとか。その子供が自分だったと知ったのは、父の死がきっかけだった。兄はずっと父を探していたのだそうだ。そして父が死んだおり、互いの存在を知ることとなった。
しかしまあ、兄も律儀なもので異母妹が父親の不貞で出来た子と知っていても、何かと女の家を訪ねてくる。その都度、食い物に困ってないだの、金は足りるのかなど気にかける――要はお節介なやつだった。
――お人好しな馬鹿もいるもんだな。
と、女は特に感謝が芽生えるでもなく、次第に兄に金をせびるようになっていった。
そんなやりとりから何年かして、兄に子が生まれたと知った。知ったきっかけはいつも通り金をせびりに行ったからだ。
元々、兄は荒屋に住んでいた。どうにも、父は元々武家の生まれで、何やらお城で失態をやらかし、お家は取り潰されてしまったのだとか。兄の品行方正と言われる性分は、その血とやらが原因なのかもしれない。
まあそれは良いとして、兄の家である荒屋にはもう誰も住んでいなかった。聞くと、兄はとある旅籠に住み込みで働くことになったのだとか。
――そりゃぁ、大層な話で。
女は兄の仕事には興味はなかったが、今まで以上に金は貰えるかもしれない。そんな腹づもりで会いにいけば、女の予想通り、兄はあっさりと金を払った。
そこで初めて姪っ子なるものと対面したわけだが、興味は持てなかった。
しかし兄は、仕事は見つかりそうか、何か困っていることはないかと相変わらずのお人好しである。
娘を見せびらかすように嬉しそうに抱いて、抱っこしてやらないかとまで言う。その姿は、兄が妹を実の兄妹とでも思っていそうだった。
異母とはいえ、血のつながった兄であることは確かだ。少しばかりその手を取りたくもなったが、周りからの陰鬱な目にそれも憚られた。金をせびりに来た浮浪者でも見るように、周りの目はじいっとこちらを見ているのだ。
上等な着物を羽織った兄と比べると、確かにと女は思った。自分は継ぎが目立つ薄汚れた小袖。酷くみすぼらしかった。
兄は元々、正当な武家の子。父の失態がなければ、自分は生まれてすらいなかったのだ。よそよそしさは消えないどころか、以前よりも大きくなる。
女はそれからも兄と壁を作りながら――金をせびり続けた。
しばらくして女はとある男と一緒に暮らすようになった。なんとなく一緒になった、気の合うろくでなしだ。そこそこ働いて、そのほとんどを博打に使うような男。元々、女のもとへと入り浸ったのも、女の金目当てだ。
まあ、自分にはこんな男がお似合いだろう。手は上げないし、金貸しに借りてまでは博打をしない。父よりはマシと思えば、自然と男を受け入れていた。
そうやってまた何年か過ぎた頃、兄が死んだとの報せが入った。どうにも、夫婦共々病だったのだとか。
なんとなく虚しさはあったが、ほんの僅かだ。それよりも気にかかることがあったからかもしれない。生き残った姪っ子のことだ。五年ほど前に、兄は旅籠の先代の養子になっていたと聞いていた。そして、姪っ子が盲目であることも。兄の妻も身寄りがないと、何かの話の拍子で言っていたような。だから、魔が差したのかもしれない。そのいくつかの要素が頭に巡ると、ぽんと考えが浮かんだ。それはほんの些細な出来心――わずかな悪意だった。
「……兄さんの娘……親族はあたしだけなのよね」
と、男の前で言ってしまった。女は男の反応が知りたくて、男ははっとした様子で――自然と互いに四十を跨ごうとした年齢の顔を突き合わせていた。
そこからは、ただ欲望のままに生きたと言って良い。
姪御の後見人を名乗り、欲望のままに生きて、そして全てが終わった。
姪御を売り払ったあたりから、金儲けのためにやっていた飯盛女のことで、この街を拠点とする石馬一家から脅されるようになったのだ。その頃には夫の博打も際限のないものになっていて……気づいた頃には後の祭り。
そして現在、女は昔の長屋よりもさらに寂れた家で夫と二人で細々と暮らしている。
売れるものは全て売ってしまったから、継ぎだらけの小袖に逆戻り。
旅籠で最低限の仕事を覚えた夫は、金勘定が多少できるからと、一家の末端の仕事にありつけた。いつ切られてもおかしくない立場だが、贅沢は言えない。極道者に頼って、なんとか食っていける。それが現状だったのだ。
そんな、ある日の真夜中ことだった。
カサカサと屋根裏から物音がした。古い家だし、そこら中に隙間もある。鼠だろう、気にも留めなかった。
しかし、それから一刻も経たないころ、またも鼠らしき物音で目が覚めた。先ほどよりも近づいたような。
まだ、外は暗い。鼠のことを考えたから、夢を見たのだろうか、ともう一度眠りにつこうとする――が、またカサカサと音がした。更に近くで、だ。
女は不気味に思って、起き上がる。どうにも不安に苛まれて、隣で寝ていた夫に声をかけた。すると、夫は跳ねるように飛び起きたではないか。
「なあ、さっきから妙な音がしないか?」
と、怯えたように恐々言った。どうにも同じ音がするらしい。
それから何度も寝ようと試みても鼠が這う音は続いた。それも、うつらうつらするたびに音が耳元で鳴る。
カサカサ――と這う音から、カリカリ――と、何かを齧る音。それも一匹でないのか至る所で鳴り始める。
次第に音は大きくなっていく。不安はますばかりで、早く朝日よ来いと願ってすらいた。しかしまだ朝は遠い。
そんな真っ暗闇の中、何かが指先に触れた気がした。慌てて手を振り払うも、何もない。
すると今度は、足先から。女は慌てて布団を蹴った。もちろん、それらしき姿はない。
気のせい、気のせいと夫婦二人で布団に潜る。しかし奇妙な感覚は続いて、爪先から指先、足先、膝頭に背中に頸、耳や鼻まで。更には耳の中にまで鼠がいるような気がしてならなかった。
女は夫と共に布団に潜ったまま怯え続けた。何故こんな目に遭うのか、なんて考える余裕もないほどの恐怖を抱えたまま、ようやく朝を迎えた。
二人は胸を撫で下ろすも、不可思議な現象はそこで終わらなかった。女と夫はそれからというもの、常に鼠の音が鳴り続けた。カリカリ、カサカサと、何処からともなく音がする。
女は必死になって夫と共に鼠を探したが、鼠の姿など最後まで見ることはなかった。鼠の祟りなのだろうかと、二人は近くの神社や寺を頼ったが、解決することはなく、生涯、不可思議な音に苛まれ続けたのだとか。




