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幽冥婚姻譚〜契約夫婦の怪異録〜  作者:
第五話 春が来たりて

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 宴会のような夕食も終わり、椿と朧はそれぞれ宿の部屋へと案内された。ただの旅の道連れと朧が言ってしまったからなのだが、椿は久しぶりに一人きりになってしまったのだ。

 もう日は沈み、家々は眠りについている頃だ。ほんの先ほどまでの騒がしさが嘘のように、町は丸ごとしじまの中。

 二階の窓の外は浮かぶ灯りもない夜の景色。椿は窓辺にしなだれるようにもたれ掛かって、眠れぬ(まなこ)で呆然と眺めるばかりだった。 

 朧とは野宿をしたこともあれば、()()()()()()民家に泊めてもらったこともある。だから、隣り合わせで眠ることが当然だった。刀根田村からここまで、常に朧が一緒だったからか、椿は一人の時間に違和感を感じていた。


「……わたし、帰ってきたのよね……?」


 自問自答をぶつけるように、夜闇に向かって問いかける。しかし、これには返事はなかった。応えるまでもなかったから、かもしれない。そうとは理解していても、()()に、何かを答えて欲しかった。

 部屋へと案内される前、佐吉と店主が並んで、椿へと話があると真剣な眼をして言ったことがある。「これからどうするつもりだ」、と。

 椿に帰る家はない。しかし、もう目は見えるのだから、仕事には困らないだろう。何事も経験あるのみ。佐吉はそう言って椿がやる気であれば仕事を紹介すると言った。しかし、店主の意見は少し違った。二番目の息子の嫁に来てはどうか、と。

 木の下屋の他に、次男に任せようと考えている仕事があるようで、そちらを一緒にやってみてはとの誘いだった。丁度、嫁探しをしようかと考えていた矢先でもあったそうだ。

 椿が、その息子自身の意見は聞かなくて良いのかと問えば、椿を一目見て気に入ったのだと返事があったそうだ。どうにも、宿へと引き止めたのは、それが目当てだったらしい。店主は商売人だ。思い立ったが吉日……行動は早いに越したことはないのだろう。

 嫁入りの件を受け入れなかったとしても、仕事や住む場所の紹介するとのことで、店主からも佐吉からも、数日は考えなさいと言われた。


 ――佐吉さんは何事も経験と言ったけれど……嫁入りが一番安泰なのかしら……鈴も近々、結婚するみたいだし……。


 鈴は、椿がお嫁に行くようにと言った通り、相手を見つけていた。佐吉の紹介で、小間物屋をやっている男らしい。そうなれば、今度は本当の友人として、鈴と会うことも出来るだろう。

 何もかもが好転して、椿が欲しかった真っ当な人生が収まろうとしている。なのに、椿はしっくりこない。それどころか、よそごとばかり考えてしまっている。といっても、気になることは一つだけ。


 ――朧は、これからどうするのかしら。


 朧は先行きを決めるのは椿を送り届けてから、と言っていた。


 ――もう、何か決めてしまったのかしら。


 宴席で話をする間はなく、何も知らない状態だ。


 ――佐吉さんとは、何を話していたのかしら。


 本当は、椿が今悩むべきは自分の今後だ。しかし、それが大事なことだというのに今ひとつ。それよりも、朧のことが気になるのだ。約束を終えたからもう関係もなくなるはずなのに、どうしてこんなにも胸が騒つくのか。


 ――……私、どうしたいの?


 過去に諦めた人生が、動こうとしている。なのに、()()が足りないのだ。


 ――私、どう生きたいの……?


 椿はこれからのこと、というよりもどう生きたいか、何をしたいかを考えた時に浮かぶのは、朧と一緒に見た景色だ。

 ここまで、椿は朧とと、ささやかな旅をした。

 刀根田村を後にして朧の瞳の色が落ち着いた頃、二人は山を降りた。その間、朧が知っている限りのことを教えてもらいながら。あの、縁側の木は椿()なのだとようやく知れた時でもあった。

 どうして椿を知っているのかと問うと、実は不味いが油が取れるのだとか。朧らしい知識だと椿は思った。

 他にも、梅や菜花、南天に山茶花、木の実に山菜やきのこ。他にも遠目に見た動物や鳥、川の魚まで。

 朧が知っていたり、匂いで判断できたり、すれ違った旅人に尋ねてみたり。寄り道をしながらゆったりと歩いていたら、三月(みつき)もかかってしまったというわけだ。

 町に辿り着く手前、「もう直に桜も咲く」と薄紅に染まった蕾を差し示しながら朧は言った。


 ――桜は一緒には見れないのかしら……。

 

 そうしてそんなことを思うかなど、わからない。ただ、胸を熱くするような思い出ばかりが浮かんで、これからの現実など霞んでしまう。

 椿は「はぁ」とため息が出て、窓枠に頭を伏せてしまった――その直後、囁くような小さな声が聞こえた。


「椿――」


 朧の声だった。椿は声に直ぐさまに反応して顔を上げる。窓の向こうの階下――下は大通り。椿は何故だか嬉しくなって、身を乗り出す勢いだった。

 もう寝静まる頃とあって、大通りに人気はなく提灯の明かりも殆ど消えて薄暗い。だが、椿にはこちら見上げている朧が見えた。


「朧、あの――」


 椿は咄嗟に声を上げたが、朧が手を前に出して静止を示していた。

 

「あまり大きな声は出すな。そっちに行くから待ってろ」


 そう言った朧の気配が揺らいだ。そして――ほんの一度の瞬きの間に朧の姿は闇に溶けるように消える。

 時折見せる、朧の人でない部分。椿が目を凝らしたところで、追えはしない。そして、突然――背中に気配が生まれた。

 薄闇の中、微かに生まれる気配。覆い被さるように、背中がひしとくっつく。窓際に置いていた手にも、朧の武骨な手が重なって、あたたかい。


「椿」


 耳元で囁く、しっとりとした朧の低い声。椿の胸の内は花が咲き乱れたように熱くなった。

 蔵の中で、互いの姿を確かめ合ったようだと椿は思う。違いがあるとすれば、その時以上に距離が近いことだ。

 椿は緊張一色だった――のだが、背中と手に感じていた温もりはあっさりと消えた。


「……なんてな」


 朧の軽い調子の声と共に距離ができて、振り返った椿に何もしないと言わんばかりに両手をあげている。

 

「何もしない。俺に話があったんだろ?」


 椿は肩透かしを食らったような気分だった。朧の言う何かは、椿にはも想像できないが、何かが起こってもおかしくはないような気がしたのだ。しかし、朧は距離を作ったまま、窓を伝う壁を背に胡座をかいて座り込む。


「……えっと、」

 

 椿はしどろもどろしながら、窓際から離れることもできず、力が抜けるようにすとんと座った。


 ――何を訊こうと思っていたんだっけ……。


 ほんの畳一枚分の距離。たったそれだけの距離が、椿は遠く感じた。椿はそろりと朧へと眼を向ければ、赤く戻った朧の瞳が椿を見つめる。


「……朧は……これからどうするか決めたの?」


 椿は自身の戸惑いを胸に、朧へと尋ねた。対して、朧の答えは素っ気なかった。


「明日には、この町を出て行こうと思ってる」

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