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第8話:『5世代前の影』

「シーラ、小僧を連れて奥へ走れ!」


ガルドの怒号が大気を揺らした。振り下ろされた敵騎兵の長槍を大剣の腹で受け止め、力任せに弾き返す。金属同士が激突する甲高い衝撃音が狭小な街道に響き渡り、火花が夜の闇を散らした。


「ガルドさん、無理は禁物よ!」


シーラが短く呪文を唱えると、彼女の木製の上質な杖の先から猛烈な旋風が巻き起こった。風の壁が追撃する黒重装騎兵たちの視界を奪い、馬たちを狂乱させる。その隙にシーラは少年の腕を強く引き、山肌に口を開ぐ古びた石造りの洞門へと駆け込んだ。


ガルドもまた、迫り来る数頭の軍馬を大剣の一閃で牽制すると、泥を蹴って二人の後を追った。


「くそっ、逃がすな! 遺跡を囲め!」


背後からバレスの冷酷な指示が聞こえる。三人が飛び込んだのは、山腹に埋もれた古代の巨大な遺構——かつて「カード狩り」が行われたと語り継がれる古代遺跡の地下深くであった。


シーラが杖の光で追撃を塞ぐ封印陣を扉に刻み込むと、外からの激しい打撃音が重々しい石門越しに遠のいた。当面の間、追っ手の立ち入りは防げるはずだった。


* * *


暗く静まり返った遺跡の内部は、外の喧騒が嘘のように冷ややかな空気に満ちていた。


足元には風化した石畳が広がり、壁面には幾重にも重なる謎めいた幾何学模様と、何かが激しく激突し削り取られたような無数の傷跡が刻まれている。時折、闇の奥から水滴の落ちる音が静かに響いていた。


「……ここは、ただの遺跡じゃないわ」


シーラはモノクルを覗き込み、壁面の装飾を指でなぞった。その表情はいつになく硬い。


「5世代前……この大陸で大規模な『カード狩り』が行われたという記録が残る、歴史の表舞台から消された殺戮の現場よ。……見て、この壁の変質を」


シーラが示す壁面には、まるで超高熱の熱線で溶かされたかのような滑らかな空洞や、この世界のどんな鋭利な刃物でもつき得ない、不自然なまでに精密な切削痕が残されていた。


「これらは魔法によるものじゃないわ。……坊やのカードが引き寄せるような、異世界の『兵器』が撒き散らした破壊の跡よ」


少年は息をのんだ。胸元に抱えたカードが、遺跡の空気に反応するようにかすかに青銀色の光を明滅させている。


その時だった。


少年の懐から滑り出た一枚の無地のカードが、宙へと浮かび上がった。カードから放たれた青い光が遺跡の中央に位置する巨大な円形の魔導石盤へと注ぎ込まれ、不意に幾光もの残像が空間に結像し始めた。


「これは……記録レコードの投影……?」


シーラが呟く。


投影されたのは、100年以上前のこの場所の光景だった。光の粒子で描かれた過去の幻影が、三人の目の前で鮮明に再生されていく。


そこには、いまの自分たちと同じように追いつめられた人々の姿があった。しかし、中心に立つ一人の男の姿を目にした瞬間、少年は息を止めた。


その男は、少年の記憶の奥底に眠る「何か」と、あまりにも似通っていたのだ。


男の周囲には、無数のカードから具現化された異星の怪異や巨大な鋼鉄の兵器群が立ち並んでいた。高熱のレーザーが炸裂し、翼を持つ異形の戦士たちが空を切り裂く。対峙していた異種族の軍勢——かつてこの大陸に繁栄していたとされる、美しく気高きエルフやドワーフ、獣人の猛者たちが、その圧倒的な「異界の暴力」の前に、抗う術もなく薙ぎ払われていく。


「な……んだ……これ……」


少年は震える声で呟いた。


投影される過去の映像は、凄惨を極めていた。男はカードの力を独占し、己の掲げる過激な正義と覇権のために、他種族を徹底的に粛清していった。城塞は一瞬で溶融し、豊かな森は灰となり、ひとつの種族の歴史が、わずか数ヶ月の間に完膚なきまでに根絶やしにされていく。


『我らを選ばざる愚者どもに、異世界の鉄鎚を——』


投影された男の冷徹な声が、遺跡の中に響き渡った。


男が掲げた右手の指輪。そして、胸元に刻まれた一族の紋章。


それは——少年が故郷の村で祖母エルナから手渡された、あの古い木箱に刻まれていた紋章と、寸分違わず同じものだった。


「おばあちゃんの……ひいひいおじいちゃん……」


少年の頭の中で、すべての点と線が繋がった。


5世代前、この世界に壊滅的な破壊と殺戮をもたらし、いくつもの種族を絶滅へと追いやった元凶。「世界の破壊者」と呼ばれ、歴史からその名を抹消された絶対的な能力者。


それは、自分に流れる「血」の先祖その人だったのだ。


「ぼくの……ぼくのご先祖様が……こんな……」


過去の映像が光の粒子となって弾け飛び、再び静寂が訪れた。


少年は膝から崩れ落ち、石畳の上に両手をついた。


自分の中に眠っていた力。祖母を死に追いやり、村を焦土に変え、多くの命を奪ったあの異形の力。それは単なる運命の悪戯などではなかった。


かつて世界を地獄に変え、歴史を血で塗り替えた「殺戮者の血」が、5世代の時を経て、己の体内に脈々と受け継がれていたのだ。


「……ぼくは……」


血の味がするほど唇を強く噛み締めた。ボタボタと涙が石畳にこぼれ落ち、青白い光を反射する。


「ぼくの血が……あくまなんだ……。ぼくが生まれてきたから……おばあちゃんも、村のみんなも……! バレスの言う通りだ……ぼくが存在するだけで、この世界に争いと恐怖しか生まれないんだ……!」


深い、底のない絶望の暗闇が少年の心を塗りつぶしていく。

自分の存在そのものが「呪い」であり「罪」であるという現実。いくら前を向こうとしても、身体を流れる血そのものが世界を壊す邪悪な存在なのだとしたら、自分は一体どうやって生きていけばいいというのか。


少年は己の頭を抱きしめ、声を押し殺して震えていた。


その時だった。


ガシッ、と重く分厚い手が少年の頭の上に置かれた。


「小僧」


ガルドの低い声だった。ガルドは少年の前にドサリと腰を下ろすと、泥と返り血に汚れた大きな顔で、少年の目をまっすぐに見つめ返した。


「先祖が何をしたか知らんが……それがお前と何の関係がある」


「ガルドさん……? でも、ぼくの血には……こんな恐ろしい歴史が……!」


「血筋が何だ」


ガルドは鼻で短く笑い飛ばした。


「俺は傭兵だ。これまで腐るほどの人間を見てきた。高貴な騎士の血を引いていながら泥棒以下の狂気に走る奴もいれば、野盗の落とし子でありながら命を賭して他人を助ける奴もいた。血の中に刻まれているのは歴史の記憶であって、お前という人間の心じゃねえ」


「ガルドさんの言う通りよ、坊や」


シーラも少年の隣に優しく腰を下ろし、膝の上に手を重ねた。


「5世代前の先祖が過ちを犯したからといって、あなたがその罪を背負って絶望する必要なんてどこにもないわ。カードはただの『窓』であり『力』。それを使って世界を滅ぼすか、誰かの温もりを守るかを選ぶのは……先祖の血じゃない。いま、ここにいる『あなた』の意志よ」


シーラは少年の目から溢れる涙を、細い指先でそっと拭った。


「あの日、渓谷でガルドさんを助けたいと願ったあなたの心に、偽りなんてなかったでしょう? あの時あなたを動かしたのは、先祖の破壊衝動なんかじゃない。大切な人を失いたくないという、優しく強いあなたの心だったはずよ」


「……ぼくの……心……」


少年の胸の奥で、冷たく固まりかけていた暗闇に、小さな灯火がともる。


「お前が己の血を恐れて逃げ出すなら、それもいい」


ガルドは大剣の柄を固く握り締め、力強い眼差しで少年を見つめた。


「だがな、お前がその重い運命と向き合い、自分だけの足で立ち上がりたいと願うなら……俺とシーラは、どこまでも付き合ってやる。お前が先祖と同じ怪物にならねえよう、この大剣で引き戻してやる。……だから、自分を悪魔なんて呼ぶな」


「ガルドさん……シーラさん……」


少年の瞳から、再び温かい涙が溢れ出した。だが、それは先ほどまでの絶望の涙ではなかった。


どんなに過酷な過去の影が自分を呑み込もうとしようとも、決して自分を捨てず、人間として隣に立ち続けてくれる二人の存在。その揺るぎない絆が、少年の凍えきった魂を確かに温めていた。


少年は、袖で乱暴に涙を拭うと、ぎゅっと小さな拳を握りしめた。


「……ぼく……逃げない。この血のことも……カードのことも……全部背負って、知りたい。……ぼくの力で、二人のことを……誰かのことを守れるようになるまで……!」


「いい顔になったじゃない」


シーラが嬉しそうに目を細め、少年の頭を優しく撫でた。


その時、重い石門の向こうから、激しい破壊音とともにバレスの冷徹な声が響き渡った。


「そこまでだ、ガルド! 古代の遺構ごと、その忌々しいガキを炙り出してやる!」


石門に亀裂が走り、岩くずがパラパラと崩れ落ちる。追撃の手が、すぐそこまで迫っていた。


ガルドはゆっくりと立ち上がり、大剣を豪快に担ぎ上げた。


「よし、決まりだな。過去の影なんぞに怯えている暇はねえ。……行くぞ、俺たちの道を開くために!」


絶望の淵を乗り越え、自らの足で立つ覚悟を決めた少年と、それを支える二人の旅人は、いま再び、襲い来る試練の嵐へと向かって力強く歩み出した。

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