第7話:『迫り来る覇者』
東の古代遺跡を目指し、旧道を歩み進める三人の前に、突如として地鳴りのような馬蹄の音が響き渡った。
山あいの狭小な街道の前後を、黒塗りの重装騎兵たちが瞬く間に塞ぎ立てる。その数、五十を下らない。かつて粗末な皮鎧を纏っていた傭兵たちの面影はなく、揃いの紋章が刻まれた精鋼の甲冑と長槍で武装された、洗練された軍勢だった。
「……随分と大層な出迎えだな」
ガルドは大剣の柄に手をかけ、少年とシーラを背後に庇うように一歩前へ出た。
騎兵の列が左右に割れ、一頭の巨大な漆黒の軍馬が歩み出てくる。
跨っていたのは、豪華な金糸の刺繍が施された外套を羽織った男だった。かつてガルドの陰に隠れていた薄汚れた副団長——バレスだった。
「ひさしぶりだな、ガルド。いや、元団長と言うべきか?」
バレスの口元には、薄っすらと歪んだ笑みが浮かんでいた。その瞳には、かつての小さな傭兵団の副団長としての面影はなく、何千もの兵を束ね、一国の歴史に名を刻もうとする「覇者」としてのギラギラとした野心が漲っていた。
「バレス……。噂には聞いていたが、ずいぶんとデカい面をするようになったじゃねえか」
「クク、お前が投げ捨てた泥舟を磨き上げたのさ。いまや我が『黒蛇騎士団』は、近隣の領主どもすら目を見張る私設軍隊だ。……すべては、俺の野望を叶えるためにな」
シーラが冷ややかな視線を向け、杖を強く握りしめた。
「落ちこぼれの荒くれどもを集めて王様ごっこ? 相変わらず趣味が悪いわね、バレス」
「相変わらず口の減らない女だ、シーラ。だがな、今日の俺は昔馴染みと昔話をしに来たわけじゃない」
バレスの視線が、ガルドの背後で息を殺している少年へと移った。その鋭い眼光に捉えられ、少年は思わず身をすくませた。
「おい、小僧」
バレスの声は低く、しかし恐ろしいほどの強烈な磁力を帯びて少年の耳朶を打った。
「お前は、自分が何者なのか、まだ分かっていないようだな。……あんな小さな村をひとつ灰に変えた程度で、自分が『悪魔』だとでも思い込んでいるのか?」
「バレス、余計な口を叩くなと言ったはずだ」
ガルドが殺気を放つが、バレスはそれを悠然と手で制した。
「黙っていろガルド! お前の甘さが、この小僧の才能を死に体させているんだ!」
バレスは馬から降りると、ゆっくりと少年の元へ歩み寄った。ガルドが大剣を抜こうとしたが、バレスは武器を持たぬ両手を広げてみせた。
「小僧。お前が持つ力……あの日、空を切り裂き、村を一瞬で焦土に変えたあの異形の力。ありゃあ呪いなんかじゃない。絶望の産物でもない。……この歪んだ世界を平定し、新たな秩序を打ち立てるための『王の力』だ」
「王の……力……?」
少年はかすれた声で呟いた。
「そうだ」
バレスは少年の目線に合わせるように腰を落とした。その瞳の奥には、濁った黒い情熱が揺らめいている。
「お前はあの夜、祖母を失い、村を失い、多くの命を奪った。その罪悪感で、毎夜胸をかきむしられているんだろう? 自分が生きているだけで誰かを不幸にすると、自分を責め続けているんだろう?」
「っ……」
胸の奥の、一番深く柔らかい傷口を、鋭い刃でえぐられたような痛みが走った。少年は唇を噛み締め、涙をこらえた。
「だがな、小僧。失われた命は二度と戻らん。……なら、お前が奪ってしまった命に報いる方法はひとつしかない。その絶対的な力を使って、争いのない完璧な世界……お前と、お前の大切な者が穏やかに暮らせる『新しい国』を創ることだ」
バレスの言葉は、まるで甘い毒薬のように少年の心に染み込んでいく。
「俺の手をとれ、小僧。我が軍の象徴となれ。お前の具現化する異界の兵器があれば、城門も、領主の正規軍も、一瞬でひれ伏す。お前が死なせてしまった者たちも、お前が創り上げた平和な国の礎となれば、報われるはずだ。……お前の力は、誰かを殺すための悪魔の力じゃない。世界を救うための『神の力』なんだよ」
(ぼくの力で……新しい国を……? 奪ってしまった人たちに……報いる……?)
少年の心が、激しく揺らいだ。
罪悪感という深い暗闇の中で、バレスの差し伸べた手は、一見すると「救い」のように見えた。自分が王の力となり、争いのない国を作れるのなら。自分が背負った果てしない罪の重さを、少しでも意味のあるものに変えられるのなら——。
少年がゆっくりと、バレスの手に向かって小さな手を伸ばしかけた、その時だった。
「——くだらん」
地底から響くようなガルドの低い声が、街道の張り詰めた空気を切り裂いた。
ガルドは少年の肩を力強く掴み、己の背後へと引き戻した。
「バレス。お前が口にする『平和な国』ってのは、要するに『お前が絶対的な力で他人を踏みにじり、怯えさせる国』のことだろうが」
「……何だと、ガルド?」
バレスの目が冷たく細められた。
「小僧の罪悪感を横取りして、自分の野望の道具にしようって腹だ。どこまでも浅ましい男だぜ。……小僧、騙されるな。こいつの言う通りに力を振るっても、そこに生まれるのは平和じゃねえ。お前が村で見たのと同じ、恐怖と血の地獄だけだ」
「ガルドさん……」
ガルドの分厚く大きな手が、少年の頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。
「お前が奪っちまった命の重みは、どんな綺麗な言葉を使っても消えやしねえ。だがな、その罪を払うために『もっとデカい暴力』に頼るなんてのは、逃げだ。俺たちが探しているのは、誰かを踏みつぶして奪い取る居場所じゃねえ。泥を這いずり回ってでも、自分たちの足で立つ場所なんだよ」
「……どこまでも不器用で、反吐が出るほど青くさい男だな、ガルド」
バレスは吐き捨てるように言うと、ゆっくりと後ろへ下がり、己の軍馬へと飛び乗った。その顔から優しげな仮面が剥がれ落ち、冷酷な指揮官の顔が覗く。
「説得は終わりだ。……力づくで連れて行く。壊さぬ程度に痛めつけろ!」
バレスの掲げた手が振り下ろされると同時に、黒塗りの重装騎兵たちが一斉に槍を構え、襲いかかってきた。
「シーラ! 小僧を頼む!」
ガルドが大剣を構え、地を蹴った。
泥臭く、しかし決して折れない男の覚悟が、冷酷な覇者の軍勢と激突する。少年の胸の中で、バレスの悪魔的な魅惑と、ガルドの不器用な温もりが、激しくぶつかり合っていた。




