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第5話:『吟遊詩人の謳』

傭兵団を去ってから数週間が過ぎていた。


かつて大剣一筋で荒くれ者たちを束ねていたガルド、高名な傭兵団の専属魔導士だったシーラ、そして己の中に眠る恐ろしい力を恐れる少年。かつての肩書きを捨てた三人は、身分を隠すために街のギルドで「駆け出しの冒険者」として小さな依頼をこなし、日銭を稼ぎながら旅を続けていた。


「はい、今日の分の報酬だよ。薬草採取に害獣駆除……地味だけど、追っ手に目をつけられないためにはこれが一番ね」


街道沿いの活気ある交易都市の小さな酒場。シーラが木製のテーブルの上に数枚の銅貨をチャリンと置いた。


ガルドは無言で黒ビールの大杯をあおり、ヒゲについた泡を豪快に腕で拭った。その横では、少年が湯気の立つシチューを小さく匙ですくい、静かに口へと運んでいる。村の惨劇以来、少年が自分から口を開くことは滅多になかったが、肌の血色は以前よりほんの少しだけ戻りつつあった。


「おいシーラ。冒険者ギルドの掲示板で見たが、次の街へ向かう街道沿いに古い遺跡があるらしいな。少し遠回りになるが、そこを通るルートに切り替えるぞ」


「あら、ゴリラにしては察しがいいじゃない。追っ手を撒くにはちょうどいい道草ね。……それに、あの子のカードの秘密に関わる何かが見つかるかもしれないわ」


シーラはチラリと少年の胸元に視線を落とした。少年の服の裏には、あの無地のカードたちが大切に仕舞われている。あれ以来、カードが暴走することはなかったが、その存在は常に三人の旅の真ん中にあった。


その時だった。


隣のテーブルで旅支度を整えていた老旅人が立ち上がり、すれ違いざまに少年の頭にひょいと手を置いた。


「おや、可愛らしい坊やだ。険しい旅路のようだが、足元には気をつけなさいよ。……『翁の導きがあらんことを』」


老人は穏やかに微笑むと、木戸を押して酒場を出て行った。


「……翁?」


シーラが眉をひそめた。


「この地方の古い方言かしら。旅の無事を祈る神様の類? でも、この国の国教で祀られている『七神』の中に、そんな呼び名の神様はいないはずだけど……」


「ただの田舎の信心だろう。気にすることはない」


ガルドがそう呟いた瞬間だった。


酒場の片隅、煙草の煙が立ち込める薄暗い一角から、ポロンと悲しげな弦の音が響いた。


使い古されたリュートを抱え、安酒の瓶を転がしている男がいた。擦り切れた羽織を纏った、見るからに落ちぶれた様子の吟遊詩人だった。男は濁った目で天井を見上げると、酒焼けしたしゃがれ声で、しかし酒場中の騒音を静まり返らせるほどの不思議な通りで歌い始めた。


* * *


〜幾億の星々が 虚空に揺れるとき

〜老いたる者は ただひとり 時の波間を漂えり〜


〜手にすくいしは 無数の芽生え〜

〜気まぐれに手繰り 無造作に投げ入れる〜

〜その手の中に何があったか 翁自身も知りはせぬ〜


〜投げ入れられしは 『接続』のことわり

〜芽吹きし命に刻まれしは 果てなき『対立』の呪い〜


〜星と星とが 見えぬ糸で繋がれる時〜

〜異界の影が 理を食らいつくす〜


* * *


詩人の歌声が切れると、酒場全体に奇妙な静寂が広がった。酔客たちは一瞬だけ言葉を失い、やがて「けっ、し気のない歌を歌うな」「もっと陽気な酒の歌を歌え!」とヤジを飛ばし、再び元の騒がしさへと戻っていった。


だが、テーブルの上の三人は違っていた。


ガルドは杯を持つ手を止め、険しい目つきで詩人の背中を睨みつけていた。

シーラは持っていた羊皮紙のメモを落とし、目を見開いている。


「ねえ、ガルドさん……今の歌詞……」


「……ああ」


『接続』。

『対立』。

そして、無造作に可能性を投げ入れたという『時の翁』。


単なるおとぎ話の叙事詩にしては、あまりにも不可解で、そしてどこか冷徹な現実を突いているように思えた。


「ちょっと、そこの詩人さん」


シーラが立ち上がり、詩人のテーブルへと歩み寄った。銀貨を一枚、テーブルの上に滑らせる。


「今の歌……どこで覚えたの? 『時の翁』だなんて、教会の聖書にも載っていないわ」


詩人はテーブルの銀貨を素早く懐に仕舞い込むと、ニヤリと汚い歯を見せて笑った。


「やあやあ、美しい奥様。お気に召しましたかい? ありゃあ、この大陸の東の果て、滅びた古代図書館の破片に残されていたっていう『創世の異聞』さ。誰も信じちゃいないがね」


詩人は安酒を一口煽り、声をひそめた。


「この世界を作った神様はね、愛なんて持ち合わせちゃいないのさ。幾億もある『可能性の種』から、テキトーに摘み取ってこの星にポイと放り投げただけ。自分が何を投げ込んだのかさえ忘れて、いまも広い宇宙をブラブラ散歩してるって話だ」


「投げ込まれた種の中に……『魔法』や『具現化』があったとでも?」


シーラの問いに、詩人は大袈裟に肩をすくめた。


「さあね! だが歌にある通りさ。『接続』と『対立』の種が蒔かれた。だからこの星の生き物は、種族が違っても、同じ種族同士でも、血を流して争い続ける……。そして時折、星の壁を突き破って、どこか遠い異界の力が『接続』されて引っ張り出されるのさ」


少年の胸が、ドクンと激しく脈打った。


言葉の意味のすべてを理解できたわけではない。

しかし、あの暴走の夜、空の亀裂から溢れ出した「異質の気配」。この世界のどんな魔法とも違う、不気味で無機質な金属の音、そしてあの異形の戦士。


自分の力は、単なる「呪われた悪魔の力」などではないのかもしれない。


かつて神と呼ばれる存在がこの世界に無造作に投げ入れた、《接続》という世界の根源的な仕組み——星と星とを繋ぐ見えない扉を開く鍵なのだとしたら。


「……星と星とが、繋がる……」


少年が小さく呟いた。


「どうしたの、坊や?」


シーラが優しく覗き込むと、少年は決意を秘めた目で二人を見つめ返した。


「ぼく……もっと知りたい。このカードが何なのか……ぼくが何を引き寄せてしまったのか……」


ずっと自分の力から逃げ、罪悪感に押し潰されていた少年の瞳に、初めて「知りたい」という主体的な光が宿っていた。


ガルドは力強く少年の頭を撫で回すと、グッと口元をほころばせた。


「決まりだな。次の目的地は、その古代の文献が眠るという東の遺跡だ。追っ手を撒きながら、この世界の『からくり』ってやつを暴いてやろうじゃねえか」


ただ己の運命から逃げるだけだった宛てのない旅が、世界そのものの真実を解き明かすための「冒険」へと、確かな意味を変えた瞬間だった。


夜の帳が下りる街を背に、三人は広大な世界の謎へと一歩を踏み出した。

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