5 はかない記憶
暑いけれど、コーヒーを沸かした。
何種類かある燃料のうちの一つを使って、お湯を沸かす。
不思議と暑い日でも、熱いコーヒーやお茶を飲みたくなることがある。
固いパンはとっくに食べきってしまった。最近はクラッカーと乾麺が活躍中だ。普段からヨットに積み込んでいる保存用食料。
床の上で足の裏を滑らせて、乾燥してざらついた床の感触を確かめる。そろそろ箒で掃いた方が良いかもしれない。
灯台の中では裸足で歩いている。涼しいからだ。サンダルは灯台の入り口に置きっぱなしだ。外へ出る時にしか履かない。
テーブルの上に熱いコーヒーが入ったカップを置く。クラッカー二枚も直接テーブルに置く。真っ白のノート。鉛筆と消しゴム。読んでいない本。どれも少しだけ埃をかぶっている。夏休みに放置された宿題のようだ。
灯台へ来てから何もしていない。
熱いコーヒーをひとくち飲み、クラッカーの箸を少しだけ囓って、またコーヒーを飲む。
そのまま、ぼんやりと窓の外、と言っても海と空しか見えないが……に目を漂わせる。一度だけ鳥が遠くを横切っていくのが見えた。それ以外は何一つ景色が変わらないまま時間が過ぎてゆく。
コーヒーがいつのまにかぬるくなっていた。じんわりと全身を覆っている汗。まるで周りの暑さに、コーヒーの熱さが溶け込んでしまったかのように感じる。
これからわたしは、どうなっていくのだろう。
目の前にはこんなにも美しい海と空の景色が、どこまでも広がっているというのに、この先の明るい未来を思い描くことができない。せめて楽しかった過去を思い出そうとしても、うまく思い出せない。あの時何か楽しいことがあったな、と友の笑みがぼんやりと一瞬浮かぶだけだ。
未来も過去も遠い景色を見ているような、遠い日々を思い出そうとしているような……ぼやけていて……わからない。
少なくとも楽しかった過去は確実に自分が体験したはずなのに、どこか夢の中のようにぼんやりとして他人事に感じる。
思い出したい時に、楽しいことを鮮明に思い出すことができたら、自分を励ませられるのに。
人の記憶とは、どれほど頼りなく、はかないものなのだろう。




