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5.No demon,no life.(Because,he gives you death.)⑤

人生をかけて論文の執筆を始めた主人公。

誰かに精査してもらう必要があった。



 相変わらずあの記憶と鳥の羽への衝動は、定期的に僕をおそいました。その度に強烈に不快である一方、それが過ぎると、急に頭がすっきりして、世界のすべての秘密が僕の眼前に開けているように思えるのです。論文を書いていて、自分が何を言っているのかわからなくなったときや、自信がなくなったときなどは、羽の塊を目にしなければ、もう何もできなくなっていました。

 僕がむせて過呼吸になっていると、レミエルが後ろにきて、そっと背中をさすってくれました。僕は「ありがとう」と言って彼の頭に手を置きましたが、後ろめたさでいっぱいでした。天使の加護を受けながら、悪魔を崇拝しているような、そういう後ろめたさです。だから僕は、鳥の羽をレミエルに見られないように隠していたのでしょう。

 


 僕は大学を卒業し、院に進みました。その頃には、兄が立て直した会社は、軌道に乗り始めていました。それもあって兄は、気前よく学費と僕の生活費を用立ててくれました。

 三年経過した頃です。その頃、再び我が家をおびやかす事件が起こりました。

 兄が引き継いだ会社の養鶏場から出荷した卵に、鶏ではない鳥の卵、しかもよりによって毒性のある卵が混入していたというのです。それを機に、会社へ抗議が殺到してしまい、あっという間に倒産してしまいました。

 これにより、学費を兄に頼ることが難しくなってしまいました。

 しかも最悪なことに、その告発を行ったのは僕が通っている大学だったのです。何でも同大学で教鞭をとる動物学者が玉子焼きを作るために割った兄の会社の有精卵に、孵化しかけのものが混じっていた。透明な粘液に溶ける口ばしと目とおぼろげな体毛を見たその学者は、その鳥がヒヨコでない事に気付づいた。そして、それが人間にとって有害な菌を体内に有する別の鳥だという事を突き止めたらしいのです。この事件は大きく新聞に報道され、兄の会社はあることないこと、面白く書かれました。

 我が兄弟の会社を強く糾弾し、正義を誇示することによって、一躍話題になった我が母校。身元が知れ渡っている僕も、「人を騙したお金で勉強している」というソシリを受け、通学しづらくなってしまいました。


 ある時、校舎から出たところで頭に雫が当たったのを感じました。空を見ると厚い雲。傘を広げると、明らかに故意に空けられた大きな穴がありました。遠くからこちらを見て低く笑っている二人組の学生。

 迎えに来ていたレミエルは、それを見ると、どこからともなく取り出した西洋風のWの形をした、光る不思議な弓を、両手で横に構えて前方にかざしました。

「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはめくか うおえ に さりへて のますあせゑほ れーけー」

 天使が、祝詞を唱え終わると同時に、二人組が急に飛び上がりました。

「あいつらに、雨が自分の身体に当たったと同時に熱湯になるという祝福を与えてやったぞ」

 指を差して笑う天使と、一見すると喜びのあまり踊っているかのような学生達。この光景を見ているうちに、細々とした陰湿な嫌がらせに耐えることが急に馬鹿馬鹿しくなって、僕は次の日には退学届を提出していました。

 


 気落ちしている僕を、レミエルは容赦なく睨みつけました。

「おまえは、こんな事ぐらいで私との約束を忘れるつもりではないだろうな」

 そこで思いついたのが、懸賞論文に応募して別の大学で復学する費用を稼ぐ事でした。

 状況は最悪でしたが、この論文を書いている間は、僕の短い人生の中で最も充実している時間でした。

 レミエルは、相変わらず僕の文章を読めないままでしたが、自分の身支度は、自分でするようになりました。そして服のたたみ方や、髪の整え方など分からないことがあると、僕に聞かずに服や櫛を持ったままどこかへ出かけるようになりました。おそらく例の友達にやり方を聞きに行ったのでしょう。

「いつもいつも行ってたら、友達も大変でしょう。これ、二人で食べな」

 僕は、ボサボサの頭に櫛が刺さったまま飛び出そうとしたレミエルに、キャラメルの袋を渡しました。

 僕の何か役に立ちたいと思ったのでしょう。ある時など、レミエルがおにぎりを握ってくれました。乗っている皿はご飯粒だらけで、形も大小もまちまちのそれを受け取った時は、ちょっとした感動でした。

 それにしても正しいことを語るとは、不思議な作業です。正しいことは、僕がいなくても正しいことでなければなりません。つまり、僕の外にあるものでなければなりません。それを僕の意見として語るということ。正しく語るとは、僕の内と外の完全な一致が前提となっている。ではその一致を確認するのは誰? もちろん僕以外の誰かです。僕なしでもそれが成立していることを確認できるのは、僕以外の誰かしかいないからです。正しいことは、誰かと一緒でなければ語ることができません。僕は一体誰と正しいことを語るんだ? 目の前にあるものが何だか、僕に教えてくれるのは、一体誰なんだ。



 結局、僕は鳥の羽を吐かなければなりません。例え、天使の親友がそばにいてくれても、これだけはやめられません。世界と同じように弱くはかない僕の理性は、何かあるとすぐに迷路に入り込み口籠ってしまいます。こいつの行く道を照らすのは相変わらず、生きる目的を与えてくれる黒髪の天使ではなく、僕から生を奪うことによって、逆に僕が奪うことができる何かを持っていることを教えてくれる銀髪の悪魔でした。しかしこれはもはや、論文を書くための必須の行為です。罪悪感は、使命感によって打ち消されました。レミエルとの約束を守るためなら、悪魔だって呪いだって利用してやる。味気なかった世界はいつの間にか消え、たった一つの意味によって満たされているように思われたのです。



 論文が半ば出来上がった頃、誰かに精査してもらう必要がありました。ほかにあてが無かった僕は、仕方なく学生時代の恩師の研究室を訪れました。

「君は、この大学における自分の評判を知っているな」

「はい」

「ということは、君によくした者を、この大学の上層部がどう評価するかという事も知っているな」

「はい」

「さらにその結果、その親切心を出した者は、大学のどうでもいい政治的問題に巻き込まれ、研究の時間を取られる、ということも分かっているな」

「……はい」

 教授は腕を組み、少し間をおきました。

「だが、一方で、君には君の事情がある」

「その通りです……」

「ところで研究者にとって一番大事なものは何だ」

「研究ですか」

「いや違う。『自分の』研究だ。研究者は、自分の研究の妨げになりそうなものは何だって排除しなければならない。お前にしても、私にしても、な」

 先生は、僕に背を向けて資料を読み始め、二度とこちらを振り向きませんでした。

 肩を落として大学の門を出ると、レミエルが待っていたので、僕は彼に向かって首を振りました。唯一の僕の味方は、意外にもあまりがっかりしませんでした。

「……そうか……私も少し考えたんだが……私の例の知り合いに原稿を読んでもらう……というのはどうだろうか」

「……その子、そんなに頭がいいの」

「……知識だけはある。だいたいの人間よりはな……だが……」

 レミエルが珍しく口ごもりました。

「問題は……そいつは、悪魔なんだ。いや……心配いらない。天使がついているおまえの敵ではないし、そいつは見た目も怖くない。私のような子供だ。銀髪だがな」




 レミエルの希望で、僕たちは詳しい話をしに喫茶店へ行きました。そこで彼はホットケーキが食べたかったようです。

 悪魔の目がレミエルと同じ黄色と青色なこと。華奢な身体でまつ毛が長いこと。日本刀を持っていること。そして何よりツグミの悪魔であること。

 僕は平静を装って、彼の知り合いについての説明を受けていましたが、確信が深まるにつれ、動悸はひどくなるばかりでした。

 天使は自分が頼んだホットケーキが運ばれると、黙ってこちらに差し出しました。切り分けろということです。僕は、震える手でナイフとフォークを動かしながら、のどの奥に例のものが詰まってくるのを何度も飲み込んで堪えました。

「……しばらく一緒に過ごして分かったことだが、あいつは無能ではあるが、悪いやつではない。この大天使レミエルの友達の末席に加えてやる、ということも検討してやってもよい。調子に乗るといけないから、本人には絶対内緒だがな」

 彼は、切り終わったホットケーキを前にすると、一度にシロップを全部かけました。

「無害だから、お前も直接会ってみろ。あいつにも、それまでに論文をちゃんと読むように命じておく」

 そしてナイフに二切れ一度に突き刺して口に運びましたが、僕はいつもどおり危ないと言って、止めることを忘れてしまいました。



 その日から僕は眠れない日々を送りました。何しろ、僕から生まれた家と家族を奪い、なおかつ、僕の世界に明確な輪郭を与えてくれた相手に会わなくてはいけないのですから。彼は僕が、ある意味ではこの世で最も忌嫌う相手であり、もう一方の意味では最も恋い焦がれている相手です。彼に会えば、場合によっては、もう一度きちんと僕に死を与えて欲しいと、土下座して頼んでしまうかもしれません。

 僕の横でいびきをかいている相棒に布団をかけ直してやりつつ思いました。どうして僕は天使と一緒に夢を見ているだけではだめなんだ。どうして悪魔と一緒に目覚めたいと思ってしまうんだ。カイムという名の悪魔に会った時、自分がどういう行動に出るのか、全く予想ができませんでした。



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