魔王様は不機嫌がいっぱい(1)
「おはようございます、魔王様」
魔王様の寝室を二回ノック。返事はない。いつも通りだ。
「おはようございます、朝ごはんです」
「おいといて」
「おいといてどうするんですか」
「後で食べる」
いつも通りのやりとりを五分続けて、ドア越しに低血圧な魔王様を起こす。
「起きてください!」
部屋に入って朝ごはんのカートを壁際にセット。
かけ布団を引っぺがして魔王様の腕を掴もうとして、その瞬間、電気が走るような痛い痺れが走る。思わず飛びのくと、魔王様は眉根を寄せた目で私を見た。
「触らないで。朝ごはんはそこに置いといてくれればいいから」
今日の魔王様、かなりご機嫌斜めみたいだ。
クラヴィスさんとの夜遊びから帰ってきた時も不機嫌だったし、まだ不機嫌が続いているんだろうか。でもあれから丸二日もたっているし、さすがに機嫌が直っても良い頃だと思うんだけど。
「ちゃんと食べてくださいね」
返事はない。
これは早急にメイド長かシェムさんに相談する必要がありそうだ。
と、いうわけで。
突撃、メイド長!!!
「雪子、廊下は走らない」
「でもでも、緊急事態なんですよ。魔王様が」
「不機嫌なんでしょう。ここ二日の継続案件だから緊急事態ではないわね」
なんのこともないような様子ではたきを動かすメイド長。
「そうなんですか」
「そうよ。嫉妬に狂った男って見苦しいわよね」
「嫉妬ですか。魔王様が?」
「それ以外に誰がいるって言うの。ほら、早く仕事に戻りなさい。料理長からおつかいを頼まれていたでしょう」
エプロンのポケットを指差されてポケットに手を入れる。朝ごはんの時に渡されたその紙には「魔王様へ朝食を届けた後に買出しをお願いします」と書かれていた。いけない、危うく忘れるところだった。
おつかいへ行くなら吊り革が必要だ。自分の部屋に戻らないと。
きびすを返す私の後ろでメイド長の「廊下は走らないって言ったでしょう!」が飛んでくる。慌てて早歩きに切り替えて、でももどかしくて走る一歩手前みたいになりながら部屋へ戻る。
さて、城下町のどこへ飛べばいいのかなっと。
料理長のメモの二枚目を見る。
「雪んこへ
目新しいお菓子 5個以上
愛の告白 できるだけわかりやすく丁寧に
よろしくッス。
追伸 手に入らない場合は速やかに帰城のこと」
……ん? 愛の告白……? 誰への……?
思い出してみれば、これを渡してきた時の料理長は気もそぞろと言うか、とにかく様子が変だった。とりあえず愛の告白は無視して戻ってから意図を聞いてみよう。
だからスタートは。
「魔界百貨店城下町店前!」
これで絶対間違いない。
魔界百貨店で新商品だというケーキを三つ手に入れて、クラヴィスさんから教えてもらったシュークリームのお店へ向かう。
営業中ならいいんだけど。
「雪子ちゃん、雪子ちゃん」
大股で早歩きをするのに必死で声に気づくのに時間がかかった。
私をそんな風に呼ぶのは一人しかいない。
「おはようございます。偶然ですね」
私の挨拶にクラヴィスさんは少し困ったように笑った。
「雪子ちゃんは今の魔王から何も聞いてないの?」
どういうことだろう。何か聞くべきことがあったのだろうか。
「いいえ、何も。それどころかろくに話もできていないです。今日なんか、起こそうとしたら触るなって魔法ではじかれたんですよ」
そうだ、クラヴィスさんと魔王様がどういう関係かとか、気になることはいっぱいあったんだ。この機会だし聞いてしまおう。
「クラヴィスさんと魔王様ってどういうお知り合いなんですか? 凄く仲良さそうでしたけど」
「そうだね……ちょっと待ってね」
クラヴィスさんが右手を握ったり開いたりして、やがて私たちを囲むように白い光が現れる。
「音を遮断する結界を張ったから、これで何でも話せるよ。それで、今の魔王との関係だったよね?」
「はい」
「俺は、前魔王なんだよ」
前、魔王? って魔王様の前の魔王様ってこと? それって、メイド長が守りに行った人で、転職するって言って魔王辞めちゃった人? それがクラヴィスさん?
「新しい魔王を選んでからしばらく引継ぎで一緒にいたから、ベルちゃんとは仲が良いと思うよ。彼の方はどう思ってるかわからないけどね」
「ぜ、前魔王って偉くて強いんじゃないですか? 私、え、どうしよう! ってかそれならデボラ先生と知り合いなのも納得ですね!」
クラヴィスさんが楽しげに笑う。
「ベルちゃんが魔王を辞めたら、俺もベルちゃんも元魔王だよね。地位としては同じだし、俺なら雪子ちゃんをクビになんかしないって約束する。捨てられる恐怖を抱えたまま今の雇い主について行く必要なんてない」
クラヴィスさんの茶色の瞳がふいに切なげに揺れた。太陽の光を反射して金色に光る。そして彼の口から紡ぎだされたのは少しかすれた甘い声。
「だからさ、雪子ちゃん。俺にしておきなよ」
どくり。
心臓が鳴った。
大きな決断を迫られた時特有の、頭の中が空っぽになるような感覚。
息を吐きながら目を閉じる。
クビにしないって言われるのはちょっと……いや、だいぶ魅力的だ。
でも、それを理由にクラヴィスさんを選ぶのは何か間違っている。
私はクラヴィスさんから要らないって言われそうになったとしても、悲しくはなるけれど逃げ出したいとまでは思わない。
でも、魔王様に要らないって言われるのは、逃げ出したいほどつらい。
それは魔王様が好きだからで、それに気づいてしまった以上、私の答えは決まってる。
「私は魔王様が好きなんです。だから、たとえ魔王様がこの先私を不要に思う可能性があるとしても、それでも私は魔王様についていきたいと思っています」
もっとも、朝の様子を見る限り、このままだとついていくこと自体断られるかもしれないけど。
クラヴィスさんの目をまっすぐ見る。茶色の瞳が私を映す。
「そう。残念だな、俺は雪子ちゃんのことを買ってたんだよ。俺のもとで仕事をしてほしいと思っていたのも、嘘じゃない」
クラヴィスさんが私の顔に手を伸ばす。そして両手で私の顔を包み込むようにして、耳の後ろに指を当てた。耳たぶの後ろの付け根の部分が急に熱くなって、何かが消えるような感覚がする。
「黙っててごめん。君に追跡の魔法をかけていたんだ。この広い城下町で、偶然にしては遭遇率が高すぎると思わなかった?」
追跡の魔法、って……GPS? え、なにそれストーカーじゃん! クラヴィスさんそれ犯罪ですよ!
「もう解除したから。ごめんね」
クラヴィスさんが悲しそうに言って、私は首を横に振る。
「私、クラヴィスさんと食べ歩きできて楽しかったです。その……追跡魔法はちょっと勘弁願いたかったですが」
「うん、でもそうでもしないと会えなかったから」
私たちを囲んでいた白い光が薄らぐ。周囲の町の様子が見えるようになってきたとき、クラヴィスさんは目を細めて笑った。
「幸せに、なるんだよ」
クラヴィスさんの体が白く光る。でもそれも一瞬で、まばたきの間にクラヴィスさんの姿は消えていた。
がやがやとした賑わいの中、私はぽつんと一人で立っていて、まるで取り残されたようだった。




