日常の深夜
夜更かしと夜酒は美容の敵だと言ったのはメイド長だった。
それでも、勤務後のお酒はやめられないよねぇ、と雪子はひとりごちる。
目の前に並んだつまみをひととおり口に入れつつ、町で手に入れた酒瓶を傾ける。
チーズ、干物、クラッカーにスパイシージャーキー。好物の並ぶ作業台に雪子の顔が自然とにやける。
「雪んこって、酒が好きっていうよりつまみが好きなんじゃないッスか」
ドライフルーツを差し出す料理長に、雪子はひとかけらだけもらって、残りを返す。
翌日の仕込みも終わり、本来なら誰もいないはずの夜の調理場。
しかし毎晩遅くまで灯る明りに、人々は料理長が試作品を作っているのだと噂する。
だが、実際は。
「そうかも。夜のおやつ会だけはこっち来てすぐからずっとしてるしね」
でも、一度お酒を飲んでみると、なんかこれはこれでありなんだよね、水でも紅茶でも果汁でもないこのカラい感じが。
グラスを空ける雪子に料理長は笑って、「竜の血とかどうッスか。カラいっていうか辛いッスけど、つーか燃えますけど旨いッスよ」と白身魚のリエットを差し出す。燃えるのは無理だなーと言いつつ、これ好き、とクラッカーにリエットを山盛りにする姿に料理長は満足げだ。
「雪んこが食べる姿って見てて気持ちいいんスよねー。魔王様は甘けりゃ何でも良いみたいな感じで作り甲斐ないんスよ」
「でも料理長の料理、みんなに好評だよ? 毎食どれも美味しいじゃん」
「そりゃあ、ふつーの料理人の30倍のスピードで昇進した俺の腕にかかれば余裕ッス。ここに勤める生きとし生けるものすべての味覚を把握しオススメを提案する、それが俺クオリティ!」
目を輝かせて力こぶを作る料理長。
そういえば、食堂の日替わりメニューはいつも10種類近くあるのに、そのうちの一つしか読めるものがない。注文受け係に注文を伝えられないせいで他のメニューを食べられていなかったけれど、それってもしかして、オススメを提案されていたということなのだろうか。
「料理長、もしかしてあのメニュー表って、オススメのつもりで読めなくしてある?」
そう聞く雪子に料理長は少し考えて、「そうッス! 毎日オススメ食べてほしいッス!」と元気よく答えた。
何か裏がありそうな……いや、ないな。料理長に限ってそれはない。あのアイドルみたいな顔をしていじってくる魔王様ならともかく。
「さー、そろそろ閉店ッス」
時計を見れば良い時間だった。余ったお酒は瓶ごと料理長に預け、おつまみは瞬殺で平らげて、一部を手に持って雪子は調理場を出る。
そんな雪子をにこやかに見送った料理長は、足音が完全に聞こえなくなってから流しに立った。余ったドライフルーツを噛みながら胸ポケットに入れているメモにあれこれと書きつける。
「わざわざ魔法で読めなくしてるの、気づいてないッスねぇ……」
料理長の呟きを聞く者はなく、魔界の夜は更けていった。