築との遭遇
さっそく読んでくださった方、ありがとうございます! 人に読んでいただけていると思うと、嬉しくなりますね。誤字、脱字等ありましたら、ご指摘いただけますとありがたいです。
(……どうして、こうなった)
雛姫はうっそりと眉間に皺を寄せそうになってしまうのを堪えて、なんとか平静を保とうと試みる。
傍から見たならば、現在の自分はさぞ引き攣った顔をしているのだろう、という自覚は少々。
四海堂を見送った後、秘書から聞いた住所へ向けて早速出発した雛姫だったのだが……。
こぢんまりとした、小さく可愛らしい印象のある家の玄関チャイムを鳴らしたところまでは良かった。
問題はその後だ。
(四海堂からの依頼だし。
確かにロクでもないことになりそうだな、とは思ってたけど……。
まさか……、まさかこんなにも――…歓迎されないとは)
ちろり、と視線を持ち上げる。
「…………」
目の前では、ものすごく不機嫌そうな男が顰め面で雛姫の届けた書状を睨み
付けるようにして目を通している。
どう見ても、不機嫌だ。
不機嫌以外の何物でもない。
(あ、なんかおなかが痛くなってきたよーな気がする)
緊張によるものか、それともただの気のせいか。
しくしくと痛み始めたような気がする胃から、意識をそらそうと試みる。
ますます表情が引き攣ってしまいそうだ。
(これ絶対まずい。間違いなく何か問題が起きてる。
……っていうか、相手からしてまずい)
こっそり、目の前の人物にバレないように相手へと視線を流す。
(一応、男前、ではあるんだよな)
ただ、少し人相に問題があるだけで。
眉間に寄せられた皺、視線だけで雛姫の届けた書状を焼き尽くす気が、とも思えるような鋭すぎる眼光。
けれど、その男は決して醜い男ではなかった。
むしろ、その顔立ちはよく整っている。
(もう少し愛想を良くしたら……、だいぶ雰囲気も緩和されるとは思うんだけど)
眉間に深い皺を寄せている顔は、まるで近づいてはいけない『その道の人』のようである。
野生の肉食動物めいた警戒と威圧が、その眼光にはありありとこめられている。
この男。
名を、築 有志郎という。
その名前はいろんな意味で有名で、雛姫にとっても知らぬ名前ではない。
(だから……、届け先が住所だけだったんだな)
おかしいとは思ったのだ。
四海堂から託された、真っ白な封筒。
大事なものだと言うわりに、宛名すら書かれていなかった。
もし最初から届け先が築有志郎だとわかっていたならば、雛姫は四海堂の正気を疑っていたことだろう。
よりにもよって、何故築有志郎なのか。
「……なんの冗談なんだ、コレは」
「……!」
唸るような声音に、びくりと雛姫の背が撥ねた。
泳ぎそうになる視線を、なんとか相手へと向ける。
目があっただけで、逃げたくなった。
(声はイイのにな)
低く、少し掠れた低音。
耳元で囁かれたら、ゾクゾクきそうな声音だ。
が、その内容ときたらちっとも甘くない。
むしろ恫喝に限りなく近い。
油断していたこともあって、雛姫は「ひ」と息を呑みそうになってしまった。
それを誤魔化すように、ことさらゆっくりと深呼吸をして時間を稼ぐ。
この男。
築有志郎という男は、凄腕の薬師だ。
それも、
『どんな病気も立ちどころに治す』
『死人をも生き返らせる』
そんな眉唾ものの噂が平気で巷で流れてしまうほどに腕の良い、一流の。
その一方で、
『築は悪魔と契約している』
『死体の肝からでも薬を調合する』
などなどの恐ろしい噂の持ち主でもある。
だが、そんな噂はまだ可愛いものだ。
一番の問題は……、
(――…この人、薬師協会に属していないんだよな)
そう。
花夜国において、薬師というのは花形職業だ。
他国に対して薬品を輸出したり、さらには技術提供ということで人材そのものを輸出することもある。
そのどれもが高いレートで取引される中、腕のよろしくない『自称薬師』が
蔓延するのは花夜国にとっては嬉しくない事態である。
それを防ぐために活躍しているのが、薬師協会だ。
薬師同士の横のつながりを強化し、お互いに支え合う協会という意味合い以上に、花夜国の中で薬師協会の持つ意味は大きい。
現在では、薬師協会の認可を得た薬師しか、『薬師』として名乗れないように法で整備されている。
そうすることによって、花夜国内の薬師の腕はある一定以上の基準が保障されるようになっているのだ。
それに対して技術の隠匿、独占だという非難の声もある。
だが、薬師という職業が例えどんなものであっても人の健康に携わる以上、そして花夜国の外交上の切り札でもある以上、薬師の質は保たれなければいけない。
そして、今雛姫の目の前にいるこの築有志郎という男は……、表だって協会を非難するわけではないが、協会に属していないハグレ薬師なのだ。
(ハグレでありながら、腕は超一流。
そのせいで四海堂も手を出しかねているって言ってたっけ)
協会の長である四海堂の傍にいれば、自然とそういった話も耳に入ってくる。
なんでも、今築を取り締まれば、協会による管理に対する反対派を刺激しすぎることになってしまうらしい。
無認可の薬師を取り締まる名目としては品質が怪しいから、であるわけなのだが、築にはすでにたくさんの実績がある。
一番良いのは実力と実績のある築が、おとなしく薬師協会に名を連ねることなのだが……。
どうやら本人にその気はないようだ。
(なんで自分がそんな相手のところに……)
お気軽に、 「頼みたいことがあるんだけどいいかな」なんて言っていた四海堂を張り倒したい。
(と、いうか逃げたい)
今すぐ全力疾走で逃げ出して、家に戻って、四海堂を殴り倒すのだ。
現実逃避である。
それ以外の何物でもない。
目の前には、不機嫌極まりないといった顔で唸る獰猛な獣じみた男。
彼についての様々な噂を知らなかったとしても、普通に逃げたいと感じただろうと思わせる迫力だ。
(……噂をこの身で確かめることになるなんて、なあ)
おどろおどろしい噂を数多く持つ築有志郎だが、それ以外にも醜聞は多い。
依頼人とすら滅多に顔を合わせようとしないほどの厭人癖を持ち合わせながら、どこそこの令嬢をこッ酷く弄んだだとか、夜の世界の女を食い物にしただとか、そういう噂にも事欠かないのだ。
きっと、それは真実なのだろう、と雛姫は思った。
「…………」
ちょろ、と視線を持ち上げ、 苦虫を噛み潰したような顔で雛姫を睥睨する
この男は、そういったことが出来そうなだけの魅力を持ち合わせており――。
それと同時にそういった非道をしれりとやってのけそうな冷えた眸をしていた。
他人への興味に、ぬくもりが見えない。
雛姫を睨めつける視線に温度がない。
この男の「興味」は、きっと子供が玩具を見るのと変わらない。
「モノ」に向けるのと、同じものだ。
そんな、気がした。
「……おい」
「……なんでしょう」
先ほどの独り言じみた恫喝とは異なり、今度は完全に雛姫への呼びかけだった。
内心怯みつつも、雛姫は背筋を伸ばして築へと応じる。
(自分はただのメッセンジャーだし。
手紙を届けに来ただけで、その内容も知らないわけだし……)
いくら極悪非道と名高い築有志郎だからといって、ただの手紙の配達人に何かするということはないだろう。
(ない……、よ、な?)
ないと信じたい。
「……はあ」
築はため息を一度吐き出して、背をゆっくりと高そうな椅子の背へと
預けた。
いかにも疲れたという顔だ。
そして。
「俺はメイドを募集したはずなのに、どうして貴様のような野郎がのこのこ
顔を出したんだ?」
「――……」
ぴしり、と。
なんとか平静を保とうと努力していたはずの雛姫の顔に、ヒビが入る音が聞こえたような気がした。
頭の中が真っ白になる。
フリーズ。
(……え? ……えええ? メイド?どういうこと?)
別段小難しいことを言われたわけではないはずなのに、築の言った言葉を呑みこむまでに時間がかかる。
(自分はただ、四海堂に手紙を届ければいいって……。
後は、手紙を届けた相手の指示に従えって……。
――…え?)
それは、もしかして。
いや、もしかしなくても。
(築の言うことを聞け、すなわち築のところでメイドもとい使用人をしてこいってことだった?)
四海堂の思惑を理解するにつれ、顔から血の気が引く。
そんな呆然とした雛姫の様子に、多少溜飲が下がったのか築は口角を持ち上げ意地悪く笑いながら、手元に広げていた手紙を見せる。
そこには確かに、「紹介状」なんて言葉が書かれていたわけで。
「うわァ」
思わず声が出た。
「――…ハ、お前も騙されてここに寄越されたってわけか?
たかだかヒトケタのメイドを潰したぐらいで人材派遣協会もふざけたことをしやがるな」
「…………」
(メイドを潰すってどういうことですか)
つい脳内ツッコミが敬語になった。
いろいろ詳しく問いただしたいが、聞いてしまうのも恐ろしい。
(……そっとしておこう)
まあ、そっとしておいた結果、後でもっと怖いことになりそうな気もひしひしとしているのだが。
(ええと、とりあえず状況を整理しないと。
このままじゃとんでもないことになってしまう)
今でも十分とんでもないこと、になってしまっているという事実にはこの際目を閉じる。
(築有志郎は人材派遣協会泣かせのメイドクラッシャーで?
そこに新しく派遣されてきたのが……、自分?)
「…………」
頭まで痛みだした。
視線がふーっと遠のいてしまいそうになる。
(……やられた)
コレは確実に――…、四海堂にハメられた)
雛姫がただの手紙だと思っていたアレは、きっと、本当に「紹介状」なのだろう。
(胃が痛い……)
四海堂は、薬師協会の長だ。
そして、築有志郎は薬師協会に属さないアンダーグラウンドの一匹狼。
対立するこの二人の間で、普通に考えて人材の共有などあり得るはずがない。
すなわち。
雛姫は四海堂によって、意図的に築の元に送り込まれたのだ。
おそらくは――…、スパイとして。