47 「見知らぬ世界へ」
――異質、その感覚しかなかった。
光景は先ほどまでいた場所と、何も変わりはしない。
大広場も、建物が建ち並ぶ光景も、アンデシュダリア城も、ネフィル教会の尖塔も目にできた。何もかもがそっくりそのまま……。
異なる点といえば、大勢いた国民の姿が見えないこと。そして風の音も鳥のさえずりさえも、今は何も聞こえてこない。
静寂に包まれた大広場に、たった数人が立ち尽くすのみであった。
だからこそ、より不気味さが強調される。
自分たちがいた場所から大勢が消失したわけじゃないのだと、徐々に理解が追いついていく。
すぐそばでは悪役令嬢断罪計画の首謀者たちが騒いでいた。
動揺が抑えられず教皇に詰め寄る国王に、未だ呆然としている聖女セスティリアに縋りつき助けを求める王太子ランドルフ。
ランドルフなどはともかくとして、国王や教皇の様子を見るからに現状が異常事態であることが窺えた。
「……神の供物となる者だけが、現世で命を落とそうとした瞬間に、神の元へ送られる……。そのはずだった……」
レオナがぽつりとつぶやく。
その顔には焦燥が滲み出ていた。
瞬時に事態の重さを認識したレオナはほとんど本能的に、意識をアリエッタへと向けていた。
すかさず護る態勢を取るように体が動いていたが、すんでのところで思い留まる。
悲しくも、レオナはアリエッタに寄り添う行動を取れない立場であることを思い出した。
歯痒い思いに駆られながら、駆け寄りたい相手と目が合いながらもレオナは即座に逸らせる。
やりきれない思い、衝動的とも言える護衛本能を理性で抑えながら、そのもどかしい感情の矛先をフィクスの方へと向けるレオナ。
なぜこんなことになってしまったのか。
ここは一体どこなのか。
その答えを彼なら知っていると言わんばかりに、レオナはフィクスに詰め寄った。
「どういうこと? あなた言ったわよね? 神聖黙示録にそう書かれていたって! それじゃあどうして私だけでなくアリエ……っ、あなたたちまでこんな場所に!? まさかこの私を謀ったわけじゃないでしょうね!?」
冷静さを取り戻したようでいて、レオナの言葉は明らかに動揺していた。
彼女の顔には怒りというよりむしろ、今にも泣き出しそうな――まるで小さな子供が親に縋り付いて泣きじゃくるような表情をしていた。
常に冷静沈着で、何事にも動揺ひとつ見せず、淡々と問題を処理していくようなレオナが、この時ばかりは激しい感情を露わにしていた。
これほどまでに声を荒らげるレオナを見たことがなかったアリエッタもまた、動揺を隠せない。
胸の前で手を握りしめながら、何かを知っているであろうフィクスから放たれる言葉を待つ。
フィクスはレオナを落ち着かせるように、肩をしっかりと摑まえた。
そうしなければ今にもフィクスに向かって殴りかかりそうなほどの勢いだった。
「落ち着け、君が大切にしているアリエッタ嬢までが不安になるだろう」
アリエッタの名を出され、レオナは自分が取り乱していることを自覚した。
ハッと息を飲み、それからアリエッタを一瞥する。
不安げにこちらを見つめるアリエッタの姿を確認し、すぐさまフィクスに向き直って落ち着きを取り戻した。
フィクスは目線だけでマリクに合図を送り、アリエッタの元へと行かせる。
「神聖黙示録に記載されていた『悪役令嬢の章』、そこには確かに『悪役令嬢の命を刈り取る寸前、女神の元へ送られる』とあった。通例通りにいかなかったということは、今回がイレギュラーな展開になったせいだろう。そう、例えば『すんでのところで悪役令嬢の役割が交代する』といった場合とか、な」
長年行われてきた儀式が、そんな単純な出来事ひとつでイレギュラー扱いするものなのか。
それこそ何百年も続いた中で一度や二度くらい、同じ展開がなかったとは言えないはずだ。
簡単に覆る儀式の展開。
あまりに雑な変更の仕方はまるで、思考の浅い人間がやりそうな稚拙さを感じてしまう。
本当にこれが、主神と呼ばれるほどの神が綿密に築き上げてきたものなのか?
わずかに、少しずつ。
悪役令嬢断罪計画そのものが壮大な儀式のようでいて、誰かがその場に応じて即興で考えたような、そんな粗末なもののようにさえ感じてくる。
続けてフィクスがこの場所がどういう所か説明しようとした時、目と鼻の先で問答している声が会話を遮った。
相変わらず国王は教皇に説明を求めている様子だ。
そしてまるでその光景を鏡合わせするかのように、王太子が聖女に助けを求めている様子が目に入る。
恐らく現状を最も把握しているのはこの場においてフィクスだけだろうと、レオナが彼らを無視して続きを促そうとした矢先だった。
「なぁ、セス! なんでずっと黙ったきりなんだ!? なんとか言ってくれよ!」
王太子ランドルフのなんとも情けない声が響いた直後、終始うつむき加減だった聖女セスティリアの視線が自分の足下で縋るランドルフへと向けられる。
その目が冷たく射抜くような、これまで全く見たことがないほど……セスティリアの瞳は冷徹さを帯びていた。
聖女の凍り付いた瞳に、ランドルフは恐怖を感じて完全に腰を抜かしてしまう。
怯え、距離を取るように尻餅をついたまま後ずさるランドルフを眺めながら、セスティリアは首を左右に振った。
そしてうんざりするような口調で、聖女の美しくも愛らしかった笑顔は微塵もない。
歪んだ微笑みがさらにランドルフを怯えさせていた。
「あーあー、ほんっとうざい。よくもまぁ我慢できたものよねぇ……」
「セ、セス……?」
「気安く話しかけないでよ。この私を誰だと思ってるわけ?」
「……へ? だ、誰って……? 何を言って……」
「顔だけは及第点だけど、頭の悪い男は嫌いなの。性格が悪い男も嫌い。気遣いできない男も嫌いだし、空気が読めない男も嫌い。嫌い、嫌い、嫌い。最初っからあんたのこと、大っ嫌いだったのよ! 察しなさいよ!」
見下し、指を差し、罵倒するセスティリアにランドルフは何も言い返せなかった。
清純で、美しく、常に優しかったはずの彼女から発せられた言葉で、彼は完全に心を折られている様子だ。
そんな異常な光景に気付いた周囲の連中が、諍いを止めて注視する。
「お前、誰だ……? セスじゃない……っ! 優しいセスはそんなひどいこと、絶対に口にしない!」
「そう! 口にしなかっただけで、ず~っと思っていたわよ。あんたが王太子という立場でなければ相手にすらしてなかったわ! よかったわね、生まれにだけは恵まれてて! あーっはっはっはっはっ!」
お腹を抱えながら下品に嗤う姿に、誰も注目しないはずがなかった。
自分たちの目の前にいる少女が。
聖女という選ばれた存在であった彼女が。
これまで自分たちが知っているはずの「セスティリア・ルドベック」とはまるで別人のような振る舞いであることに、驚かないはずがない。
「今回の断罪計画の関係者各位、光栄に思いなさい。お前たちは今、アンデシュダリア国の主神ネフィルが最も愛する女神、ネヴィルを前にしているということを!」




