30 聖騎士団長の元へ
アリエッタがプラチナ学園にいる間、侍従や侍女などは付き添うことができない。
その時間を利用し、レオナはこれまで通り上司へ定期報告を行なっていた。
レオナの上司は現在の雇い主であるアリエッタの父、ベルドラド・クリサンセマムではない。
彼女の上司は今も昔も、聖騎士団長ベリルただ一人だ。
レオナは悪役令嬢断罪計画の進行具合を、毎月定期的に報告していた。
アリエッタの現状、周囲の評判、振る舞いなどをまとめてベリルに報告することを義務付けられていた。
それは悪役令嬢を演じている本人であるアリエッタも了承していることだ。
レオナは必要である限りアリエッタに隠し事はしない。
自分が悪役令嬢の教育係としてクリサンセマム家に来たこと、そして悪役令嬢の役割を全うするまではアリエッタの忠実な下僕だと。
これが彼女たちにとっての共通認識として、互いに理解していることだ。
定例通りであるなら、報告は毎回聖騎士団長の執務室であったが、今回だけは場所を変更せざるを得なかった。
普段と違った行動を取れば怪しまれる。
それは重々承知しているが、屋内でするわけにはどうしてもいかなかった。
ベリルは弁の立つ男なので今回も適当な理由を付けて、怪しまれないようにしたらしい。
聖ネフィル教会の裏手にある広大な果樹園。
そこには教会の信者たちが木に成った果実を収穫したり、手入れをしたりなど作業をしていた。
教会の教えは自然と共に生きること、つまり最も理想的な生活スタイルは自給自足であることを説いている。
特に敬虔な信者の中には、その教えに従って自ら農民になることを希望したり、教会の果樹園の世話を進んで行なったりするものだ。
人目はあるが、彼らの中に教会や暗部の手先が紛れている可能性は非常に低い。
そう判断したベリルがこの場所を指定したのだ。
「こうして見ると、とてものどかな風景にしか映らないだろう」
「なんでこの場所を指定したのか、その意味がよくわからないけどね」
珍しく目尻を下げながら作業に勤しむ信者たちを見つめるベリルに対し、レオナはこの場所で定期報告を行なう理由がわからないといった不満を堂々と漏らした。
確かに人気のない場所で密会しようものなら、それこそ怪しさ全開であるが。
だからといって屋外で、しかも果樹園で行なうことに不審を抱きかねない。
「俺がお前のことを必要以上に目をかけていると上は思っている。そこに特別な感情があっても不思議じゃない、といった匂わせだ」
「気持ち悪いからやめてくれるかしら」
「お願いを聞いたらなんでもするって言ったのはお前のほうだろう」
グランディス国での一件を不意に出され、レオナは言葉を飲み込んだ。
確かにそう言いはしたが、それは行動で示すつもりで言った言葉だ。
決して周囲から不本意な噂が流れてしまうことを良しとしたわけではない。
間違ってもアリエッタの耳には入れたくない情報だ。
(私はアリエッタお嬢様一筋なのだから! 他に男がいるだなんて、そんな不純な侍女だと思われたくない!)
明らかに不平不満が口から飛び出してきそうなところで、ベリルは懐かしむような眼差しで作業に勤しむ信者たちを見つめながらつぶやいた。
「……妻も、農家として暮らしていてな。ここに来るとなんとなく、家族の存在を思い出す」
「結婚、していたの? そんな話、全く聞いてなかったけど」
「任務に必要ない情報だからな。意外だったか」
「そうね、奥さんがいるのに部下と噂が立っても笑っていられるような無神経な男なんだと思ったくらいかしら」
微苦笑するベリルに、どこか柔らかさを感じた。
気のせいといえば気のせいかもしれない、それくらいのわずかな違い。
レオナが報告のために顔を合わせる時などは常に疲労が溜まったような顔色で、笑みの一つも見せることはなかったというのに。
家族を思い出すだけで、この男でも心が緩むことがあるのだとレオナは初めて知った。
「安心しろというのもおかしな話だが。妻とは別居中だ。それこそもう何年も顔を合わせていない。ほとんど他人も同然だから気にするな」
聖騎士団長の妻になったならば、それなりの地位を得られているはずだが、聖ネフィルの教えは自然主義。
自然に触れ、自然と共に慎ましやかに生きることを良しとするのが聖ネフィル教信者としての生き方となる。
ベリルの妻が敬虔な信者であるならば、地位や財産などより教えに従って生きることに意義を感じたのだろう。
ベリルは妻を懐かしむため、この場所を選んだのだろうか?
「ここへは息抜きがてら、よく来ているんだ。彼らも、またいつものように俺が来ただけと思っている。不自然な光景ではないはずだ」
地面のある密会場所としてはうってつけだと、ベリルは暗にそう告げていた。
ただレオナは「よく来ている」という言葉に引っかかっていた。
昔ほどとっつきやすい印象がなくなり、仕事に没頭するような朴念仁に思えたベリルが息抜きにここを訪れる。
農作業をしている風景を見ては、遠き妻のことでも思い出していたのだろうか。
そんな他愛のないことを思考するが、すぐにレオナは気を取り直す。
ベリルの過去や心情を知るためにここを訪れたわけではない。
それは相手も同じだった。
交わす言葉が途切れた途端、二人の目に鋭さがよみがえる。
ベリルが地面に向かって、わずかに視線を動かした。
それを見たレオナが小さくこくりと頷く。
その動作だけで、今回の目的は達成したことになる。
あとは言うべきことを言って、聞くべきことを聞いて、帰るだけだ。
「その前に、まずはユーフォルビア前教皇様の突然のご訃報、心よりお悔やみ申し上げますわ」
「あの手紙が役に立ったようで何よりだ」
「……人目が」
「気にする必要はない。彼らは一般の信者だよ。これだけ距離があって小声を聞き取ることが可能なのは、特殊な訓練を受けた者だけだ。お前みたいな、な」
一応、教会側の神官戦士や暗部の人事に聖騎士団長も携わっている。
枢機卿……、現教皇の私兵が紛れ込んでいない限りは。
「数日前、親友のイフリートから聞いたんだそうだ。先代聖女に穢されたノームの呪いが解けたとな。それが今回の悪役令嬢の活躍であることを察した前教皇が、なぜかあの手紙を残された。悪役令嬢の侍女、お前を教育した俺の元へ教皇の側近が届けに来たんだ」
「よく受け取れたわね」
教皇が何を考えていたのか、今となってはわからない。
だが教皇が残した手紙の件を知っていたのは、本当にその側近だけだったのか。
最も忠実で、教皇が最も気に入っていた人物が裏切らないと信じて託したのだろうが。
妨害などはなかったのか。
思うことは多々あるが、恐らく以前から用意されていた手紙だったのだろうと推察はできる。
「気取られる前に手紙を託して、自分の死後に届けるよう命令していた……といったところかしら」
「タイミングがタイミングだからな。恐らくそうだろう。実に悲痛な表情をしながら俺に直接手渡してきたよ。ユーフォルビア教皇様からの最期の手紙を、どうか役立ててくださいと懇願してきたんだからな」
心は痛まない。
だが、心から大切に思っていたであろう人物の喪失は想像を絶することだと、それだけは共感ができる。
レオナは神妙な面持ちになりながらも、前教皇へのお悔やみの言葉も程々に切り上げ、再度確認をした。
「じゃあ後は任せたわよ。間違っても独り占めしようだなんて考えないことね」
「何のことやら」
足元が震えるように揺れる。
地の下で、虫などよりずっと大きなものが移動するような振動を両足で感じた。
それを合図に、二人は互いに背を向け歩き出す。
これで今月の定期報告は終了したと、静かに背中で語りながら。
***
朝から新しく導入される簡易的な魔道具の見学、チェックといった作業が突然増えていつも以上に疲弊しながら帰路へと向かうベリル。
彼は教会内で宿泊していない。
自身の愛馬にまたがり、教会からさほど離れていない貴族街へと向かう。
ベリルは大きな屋敷で一人暮らしをしている。
一人暮らしと言っても他に家族が住んでいないというだけで、使用人たちはベリルの屋敷に部屋を持って寝泊まりしているので、屋敷にたった一人で住んでいるというわけではない。
まだ日暮れには程遠い時間帯、庭の手入れをしている使用人にまず挨拶し、女中にお茶を用意するよう言づける。
いそいそと命令に従い屋敷へ走っていく庭師を見送り、ベリルは他に誰もいないかと周囲を見渡し確認した。
「もういいぞ」
ベリルの小さな一声に、地面が膨れ上がった。
地面をかけ分けるように出てきた小さなドラゴンが、ベリルを見上げる。
『あなたがレオナさんの言っていたベリルさんですね』
「そうだ。彼女から例の物を預かっているそうだが」
『はい、こちらになります。大きいから気を付けてください』
地面の中からひょいと出した白い布袋。
不思議と土で汚れていないその代物に、ベリルは一瞬だけ目を丸くした。
『僕の魔法で汚れも土の匂いもついてないです』
「そ、そうか……。では読み終わったらまたここで」
『わかりましたです。この国の土はとても良い匂いなので、居眠りしながら待たせてもらいますね!』
軽い口調でそう言ったノームは、短い腕を左右に振るとそのまま再び地面の中へと消えていった。
地面を掘り返した跡は残ってしまったが、脚でならしてしまえばどうということはない。
ひとまずノームから受け取るものを受け取ったベリルは、この手にあるのが国宝である神聖黙示録だと思うと、さらに重みを感じられた。
***
何事もなかったかのように屋敷の玄関口へ戻ると、帰宅した主人を出迎える使用人たち。
挨拶を軽く済ませる程度で、ベリルは庭師に頼んでおいたお茶を受け取ると、書類仕事があるからと書斎への出入りを禁じた。
ドアの鍵を閉め、カーテンも閉め切り、大きな代物を書斎机に置いてからようやく椅子に座り込む。
一気に疲れが襲ってくるようだったが、目の前にある布袋の口を片手で開けると中から新鮮な空気が漏れ出るような風が吹きつける。
濃度の高いマナ、清浄なマナが周囲を満たし、溜まっていた疲れが一気になくなるような、そんな感覚がした。
清浄すぎるマナは肉体に影響を及ぼす。
そんな風に思いながら、このまま疲労でうたた寝するかもしれないと思っていたベリルであったが、そんなことすら忘れるほどに本へと向き合う。
布袋から取り出し、ページをめくった。
めくる度にさわやかな風が吹きつけるようだ。
全てを熟読する余裕も時間もない。
ベリルは目当てのページを探した。
聖ネフィル神について。
アンデシュダリア建国史。
アンデシュダリアとネフィルとの関係。
聖女誕生。
悪役令嬢の役割。
これらはベリルが暗部に属した頃から教えられていたことと、ほぼ同様の内容だった。
全てが一致しているわけではなく、やはりそこかしこで国や教会にとって都合よく解釈が捻じ曲げられている部分も否めない。
だが教典なんてそんなものだとでも言うように、ベリルは特に気にすることなく読み進めた。
手を止めたのは、聖女が誕生した辺り。
ネフィル神の加護を一身に受ける神の代行者、特別な力を与えられる存在として書かれている聖女の文面から、ベリルの表情は真剣そのものになっていた。
食い入るように文字を追う。
(聖女の選定は女神自ら行なうものとし、その者は一切の穢れのない生娘に限る。神の代行者、神の代弁者、そして女神の依り代となりて国を安寧に導く者なり。四大精霊を従わせ、その力を以て女神の欲するものを与えること。さすれば主神より次代までの豊穣と発展が約束されるであろう……?)
文面に誤字があるものだと、最初は思った。
だが何度読み返しても、その文章に現れる神は――二人いる。
「女神……? どういう、ことだ。主神ネフィルは男神だったはずだ……?」
聖ネフィル教典にも、主神ネフィルは「男神」とはっきり書かれていた。
そう教えられてきた。
歴史をなぞる絵画も、壁画も、石造も、全て美しい容姿をした男神で表現されている。
ではここに書かれている女神とは、一体誰のことを指しているのか。




