29 聖ネフィル神
プラチナ学園高等部は三学年あり、マリクによる魔道具関連の講義は各学年ごとに分かれ、大ホールで行われるらしい。
マリクに案内を頼まれたアリエッタ。
ひとまず職員室へ案内すればいいのかと思ったが、ふと気付く。
むしろ手を引かれているのは私の方では?
これでは案内するというより、連れて行かれていることになるんじゃないかしら?
頭の中に「?」が浮かび続け、それでもマリクに対して抵抗や反論をしないアリエッタ。
案内することは特に問題ない。
非難するばかりの集団から遠ざかることができて、むしろ感謝しているくらいだ。
婚約者であるランドルフを始め、周囲の者たちに不快感を与えることもできている。
だとすればアリエッタは今どこへ向かわされているのだろう。
「あ、あの?」
ようやく声を出したアリエッタに、マリクは足を止めて振り返る。
満面の笑み。それも太陽のようにきらきらとまぶしい。
こんなに爽やかな微笑みを浮かぶ男性に、アリエッタは今まで出会ったことがなかった。
アリエッタの知る笑顔は、どこか含みのある歪んだ微笑みだ。
こちらの機嫌を損ねないための作り笑い。
媚びへつらうような愛想笑い。
人を馬鹿にし、見下すような冷笑。
マリクの笑顔はそのどれとも違う。
包み込むような、そんな優しさに満ちた温かさが感じられた。
思わず視線を逸らしてしまう。
気恥ずかしさを隠すために逸らしたのだが、マリクは変に勘繰ったりなどはしなかった。
むしろアリエッタを気遣う言葉を選んでくれる。
そこには遠慮や罪悪感などがない。
まるで対等の立場であるかのように、フラットな態度と言葉であった。
「アリエッタ嬢の立場は理解していたつもりでしたが、僕の方が耐えられなかった」
「私にとってはもうすっかり日常ですわ。むしろマリク様を不快にさせてしまって申し訳ないくらいです」
あんなことを日常などと思って欲しくはなかった。
マリクは表情にこそ出しはしなかったが、心が深く抉られるような気分になる。
精神的に強くあるのは必要だが、アリエッタのこれはまた別種のものだとマリクは強く思う。
こんな形での心の強さなんて、養う必要などないとさえ思ってしまう。
アリエッタのこの強さは、とても悲しい強さだ。
彼女の本質を知れば知るほど、境遇や状況を知れば知るほど。
アリエッタの気丈さを、健気さを、見れば見るほどなぜか自分が辛くなってしまう。
(本当に辛いのは彼女の方なのに。僕なんかが心を痛めている場合じゃないだろう)
アリエッタは聡い少女だと、レオナから聞いている。
悪役令嬢を演じる上で培った「他人の顔色を窺う」能力を侮ってはいけない。
マリクは内心で抱いている同情心を表に出してしまわないよう、できる限り自然な笑顔になるよう徹した。
それはアリエッタの知る「機嫌を損なわないための作り笑い」でも「媚びへつらうための愛想笑い」でもない。
心から彼女を想う、優しさのみで構成された笑顔だ。
どうにかアリエッタの気分を変えてあげたいと思ったマリクは、ひとつ提案をした。
それはずっと考えてきたことでもあり、兄であるフィクスからそれとなく探って来るように頼まれていた件でもある。
ぱっと明るい表情でマリクがお願いをした。
幸い講義までまだ時間がある。
問題はアリエッタの都合の方だが。
「アリエッタ嬢、ご迷惑でなければ聖ネフィル神に関して色々と知りたいことがあるのですが」
「主神ネフィル様について、ですか? マリク様、ネフィル様にご興味が?」
「仮にも親善大使として招かれていますので、アンデシュダリア国が崇拝しているという神について知識を少しでも深めた方が良いかと。ここプラチナ学園は教会の管理下にあるミッション系の学園だと聞きました」
貴族、あるいは敬虔な信者、優秀な者しか入学が許されない特別な学校としてプラチナ学園は設立された。
聖ネフィル教会が運営しているといっても過言ではないこの学園では、聖ネフィル教典に沿った教育理念を掲げている。
「入信するわけではありませんが、アンデシュダリア国は信仰心が強く伝統を重んじる面があります。それらを理解した上で、魔道具への関心を深めていただきたいと考えているのです。僕自身も、この国の方針をきちんと把握しておきたいと思いまして」
「そういうことでしたら……。でも私でよろしいんでしょうか? もっと他に適任がいらっしゃるかと思うのですが」
遠慮気味になるアリエッタの背中を、マリクは得意の笑顔で押し切る。
「アリエッタ嬢だからいいんです」
***
マリクの押しに負けてしまったアリエッタは、まず職員室へ行き午後の授業の免除を申請しに行った。
悪役令嬢だから授業をさぼるのは当たり前、ではない。
アリエッタのやり方はあくまで「優等生という皮を被った悪役令嬢」だ。
周囲の評判が如何に悪くとも、学園生活や成績に置いては他に類を見ない優秀さを持つことで、より一層周囲からの妬みや僻みの対象となることが目的といってもいい。
正式な許可を得た上で、アリエッタは改めてマリクとプラチナ学園内にある主神ネフィルにゆかりのある場所へと案内した。
まず向かった先は、宗教絵画が飾られているギャラリーフロア。
そこには創生時代の絵画、主神ネフィルがメインの絵画などが複数展示されている。
創生時代のものは、どの国も同じようなテーマで描かれたものが多い。
だがここに飾られている絵画は、やはり信仰対象であるネフィルがメインに描かれているものがほとんどだった。
「創生時代は誰もが神話や伝承などでご存知かと思いますので省略しますが、アンデシュダリア国ではネフィル様が聖魔戦争においてご健闘されたと伝えられています」
「へぇ? グランディス国ではあまり信心深い者がいないせいでしょうか。その話は初耳です」
少なくとも聖魔戦争で活躍した神々の一人として数えられている程度で、大活躍したという話は一切聞かない。
豊穣の神として人々の恩恵を集めていた、という話なら聞いたことがある。
だが、それだけだ。
信仰対象となれば、その辺りでより深く創作されるのだろうか、などと考えてしまう。
「聖ネフィル教典には、彼が授けた実りによって人々を導き、それが大いなる戦力として功績を残したとされています。ですからネフィル様は豊穣の神として、今もアンデシュダリア国で強く支持されていると聞いています」
大きな油絵の絵画を遠目に眺めながら、アリエッタは思い耽るように説明する。
全て教典に書かれていたことをそのまま口にしているだけのような、そんな薄っぺらさを感じたマリクは彼女の顔を覗き込んだ。
「聞いている? アリエッタ嬢はネフィル神の偉大さに、それほど関心がおありでない?」
「……」
言葉尻を捕らえるような、そんな意地悪な質問をしてしまっただろうかと思った。
しかしアリエッタは強く否定するでもなく、むしろ自分の心を探るような虚無に近い表情で考え込んでいる様子だ。
「……どう、なんでしょう。アンデシュダリア国に生まれた者ならば、皆ネフィル様を崇めるよう教育を受けるんです。義務教育の中に聖ネフィル教典が必須科目になるくらいですから、素直な心を持つ人ならばそのままどっぷりと信仰することになるんでしょうね」
まるで他人事のような口ぶりだった。
自分はそうではない、と明らかにそう言っている。
そういえば似たようなことが前にもあった。
悪役令嬢アリエッタとして振る舞っていた彼女が、いざ本来の自分として振る舞おうとした時に、どうしたらいいのかわからないと。
今もどちらが自分の本心なのか、迷っているということなのだろうか?
マリクはアリエッタの様子から目を離さないよう、話を続けた。
「僕は無宗教者なので、その感覚はよくわかりませんが……。あ、創生時代の神々が全て創作物だと言っているわけではないんですよ。あくまで信仰心の話です!」
創生時代にまつわる遺跡、神々による痕跡はいくつか発見されている。
それらが全て現実に起きた出来事なのかどうかは、今も学者の間で研究が進められていることだ。
それでも一般的に「創生時代、聖魔戦争時代に神々はこの地に存在していた」という説は、人々の間で強く信じられている。
宗教的な話だけではなく、歴史的な事実として、それは証明されているようなものだ。
それでも「神様」というワードで捉えるならば、伝説上の存在として受け止めてしまう感覚になってしまうのはマリクだけではないのもまた事実である。
精霊、妖精、それらもまた実際に存在している以上、神の存在だけ架空のものだと断じることはこの世界では暴論とされてしまう。
それほど神に関する話題は、特に信仰心の強い国においては非常にデリケートなものなのだ。
マリクはそれを懸念して、慌てて取り繕った……というわけである。
しかしアリエッタは特に気にすることなく、軽く受け流すだけだった。
「そんなに慌てなくても大丈夫ですわ。アンデシュダリアが特に信心深いということは、私も承知しておりますので」
そう言って、アリエッタはネフィルが人々の上に立ち、神々しい光を放っている絵画を見つめる。
両手を広げる神に対し、人々は跪き、その恩恵を受ける姿。
周囲には作物や植物が豊かに育っているが、ネフィルの光が届かない場所には枯れ果てた大地が広がっている。
「豊穣を司る神……。自然と共に生きることを第一としている教えには、文明の利器はタブーとされています。今でこそほんのわずか、それを受け入れている場面は見られますが。それでも大掛かりな魔道具になればなるほど、この国の人間はそれを自然の摂理に反する道具として、反発心を抱くことでしょうね」
「やはり……、魔道具参入はかなり厳しいことになるでしょうか」
「あくまで私の見解ですが、王家や教会側がマリク様を親善大使に任命するレベルで魔道具を受け入れたこと自体、とても信じがたいことかと……。特に教会側は魔道具を毛嫌いしている節がありますので」
故に不安を拭えない。
アリエッタもそう感じているに違いないと、マリクは思った。
悪役令嬢断罪計画を指揮しているのは、どちらかといえば教会側だ。
その教会が魔道具を受け入れたということは、何か裏があるに違いないと考えるのは不自然なことではないだろう。
「良からぬことが、起きるかもしれません……」
「アリエッタ嬢?」
不安とも怯えともつかない表情で、アリエッタは一心に絵画を見つめる。
その瞳の先には、聖ネフィル伸。
美しい姿で描かれた男の神が、人々の頂点に立つ姿。
「マリク様も、どうかお気を付けください」
信仰心の欠片もない、とまでは言わないが。
グランディス国は発展国ということもあり、アンデシュダリア国とは真逆の思想を持っている。
神を信仰するくらいならば魔道具の生産に力を注ぐ国だ。
時折姿を見せる精霊の存在は信じていても、全く姿を現すことのない神の存在を信じるようには思えない。
少なくともグランディス国王フィクスを一目見た時には、直感的にそう思った。
「魔道具をこの国に引き入れることで、何か……」
レオナなら、そのことについて何か知っているのだろうか。
迷ったり悩んだりした時、アリエッタの脳裏に浮かぶ人物はやはり侍女の姿だけだった。




