25 聖女とは一体何者なのか
わなわなと怒り震えるユーフォルビア教皇に、レオナは問わずにはいられなかった。
聖女に関しては悪役令嬢の存在以上に秘匿とされ、教育係に任命されても聖女に関する情報は一切開示されることがなかった。
そのため今回の聖女であるセスティリアについて何も知らないレオナは、ほんの少しでも情報がほしいのが本音だ。
相手の出方、性質がわかれば色々と策を練ることができる。
今のままではレオナの構想通りに事を運ぶことができるかどうか、まだ確信できない。
できることなら聖女の性質すら利用して、万全を期したいところである。
「ユーフォルビア教皇、八十年前の聖女に関してずいぶんと因縁がおありのようですね。時期から察するに、教皇のお姉さまと相対する人物と思われますが」
フィクスから「ある一定の周期で聖女が現れる」こと、そして教皇の話から当時の……八十年前に現れたとされる聖女はコーデリアと呼ばれた人物でまず間違いないと断定した。
そうすると教皇の姉が悪役令嬢に仕立て上げられたのであれば、その時の聖女コーデリアと大地の精霊ノームに呪いをかけた聖女は同一人物ということになる。
四大精霊は元素を司る上位精霊だ。
生半可な人間、魔法使いでは彼らをどうにかすることなど容易ではない。
相当な力を持つ者でなければ、四大精霊に呪いをかけて暴走させることなどできるはずがなかった。
聖女という存在がどれほどの実力を持った者なのかレオナには計り知れないが、少なくとも四大精霊の一体であるノームを呪い、暴走させる実力を持ったコーデリアは驚異的な力を持っていたに違いない。
「姉は、まんまとコーデリアに踊らされた……。幼い私にでもわかる。あの女は悪魔だ。生まれ持った美貌、そしてあの妖艶さ。それで全ての男をたぶらかし、思うままに操ってきた……っ!」
『ユーフォルビア、あれについて語ってはダメよ。また飲まれてしまう』
労わるイフリートの言葉が、さっきからどうにも気にかかった。
教皇が聖女コーデリアに関して口に出した時も、イフリートは「忘れて」ではなく「考えてはいけない」というものだった。
今の言葉も、まるでコーデリアのことを語れば何か不幸にでも見舞われるような。
誰かに聞かれたら取り返しがつかなくなるような、そんな言い回しのように聞こえて仕方がない。
レオナは去りかけた足を止め、歩み寄る。
これは問い質さなくてはいけないことだ。
なぜかはわからないが、そんな気がする。
「イフリート、何か知っているのなら教えてほしい」
『……え?』
「私たちには情報が不足しています。対抗するには少しでもいい、どんなに些細なことでも聞いておきたいのです」
『……私が知ってることなんて』
言い澱むイフリートに詰め寄った。
膝をつき、懇願するように。
どんなことでもいい。
大切な者を救う手掛かりがひとつでも増えるならば。
「今もなお、悪役令嬢という役を強要されて苦しんでいる少女がいます。私は彼女を救いたい。イフリート、あなたが知っている情報で救える命があるかもしれないのです」
『……でも』
「四大精霊に呪いをかけられるほどの人物、聖女コーデリアとは一体どんな人物だったのですか」
もし聖女という役職を与えられることによって得られる力であるなら、セスティリアもまたアリエッタ以上の実力をすでに要しているのかもしれない。
そもそもコーデリアという人物は教皇が話すように、元々邪悪な性格をしていたのか。
それとも悪役令嬢のように、聖女に任命された時にその性質も強要されるのか。
聖女に関して少しでも何か情報を――!
『……やっぱり、他の四大からは何も聞けていないのね』
「どういう、ことでしょう?」
思っていた言葉と異なり、レオナは困惑した。
話す、話さないの二択だと思っていたところに、他の四大精霊の話題が出てきて余計に混乱してしまう。
『聖女のことはみんなも知ってるはず。だけど誰もそれについて話していない。ということは、みんなもうあの時の記憶がなくなっているとしか思えない』
「知っているはず? いえ、でもそれは私たちが彼らに訊ねなかったから……」
水の精霊ウンディーネに会った時は、特に何も……。
風の精霊シルフはそもそもフィクスに話したかどうかもわからない。
大地の精霊に至っては、もはやそれどころではなかった。
誰も、八十年前に現れた聖女に関してこれといった話はしていない。
ノームが呪われていることも、そこから聖女に関して話題が広がっていない。
全員、何年も繰り返された出来事をまるで当たり前の恒例行事のように捉えて、歴代聖女との契約をしてきている。
四大精霊ともあろう存在が?
そして八十年前の聖女に至っては、ノームを呪っているというのに。
今回聖女ではない全く無関係の人物が契約を果たしに現れても、呪われた精霊を、仲間をなんとかしてほしいと頼むことすら。
「待って。私たちが知る精霊たちは、八十年前の記憶を失っていると? わけがわからないわ。理解が追い付かない。私は聖女に関して聞いてるのに、なぜそんな話に?」
『無理もないわ。私は神聖黙示録の守護者としてここにいるから、免れただけだもの。他のみんなは聖女に会って契約をさせられている。きっと契約が切れる頃合いに記憶を失うことになっていたのね』
だからウンディーネも、シルフも、聖女コーデリアがどんな人物だったのか口にしなかった?
忘れるようにプログラムされたから?
『聖女コーデリア、コーデリア……。ぼく、彼女に魅了されて……それで彼女の頼みを受け入れたけど、もう顔も思い出せない? あんなに好きだったのに?』
「ノーム……」
呪いをかけられた本人ですら、彼女の顔を覚えていないという。
これもまた契約によるプログラムのせいだろうか。
誰も彼もが、聖女コーデリアの存在を伏せるよう計画されているように思えてしまう。
「聖女に関する記述は少ない。教皇、そして枢機卿自らが次の世代に口伝しているものなのだよ。悪役令嬢に関しては、その時の趣向などが考慮されるために細かく記述されているが……。八十年前のことを覚えている人間など、私ですら怪しいものだ」
口惜し気にそう語る教皇に、レオナは聖女の存在が故意に隠されていると確信した。
一定の周期で仕組まれる悪役令嬢断罪計画。
人々の記憶が最も薄れている頃合いに実行される因習。
歴代聖女として歴史に残っておきながら、その存在があやふやになっている事実。
「なぜ聖女の存在を探ることが危うい行為になるのですか。ここには私たちしかいないのだから……」
今もなお、どこかで見ている?
それとも、聞かれているのだとしたら……?
『それ以上はいけないわ。あなたも障ってしまう。せっかく逃れているのに、飲まれてしまうわ』
「この話は終わりにしよう。話しすぎだ……」
「でも! まだ肝心なことが聞けていないっ!」
聖女に関して何かが掴めそうだというのに、これでは憶測でしか語れない。
イフリートや教皇の話を信じるのならばそれは……。
(国が勝手に始めたただの馬鹿げた因習というだけでは済まない話になってくるっ!)
四大精霊をも恐れさせる存在が、この国にはいるということになる。
だがこれもまだレオナの憶測でしかない。
「聖女とは一体何者なの!?」
そう叫んだ瞬間だった。
ぞくりと背筋が凍りつき、血の気が引いていく。
それはレオナだけではなくこの場にいた全員が感じ取っているらしい。
教皇の顔色は青ざめ震えている。イフリートやノームもまた、何か恐ろしいものと対峙しているように表情が固まっていた。
『早くここから逃げて!』
イフリートがそう叫んだと同時だった。
ノームは咄嗟にレオナに向かって地中に潜る時に覆った膜で包み込み、床の中へとダイブした。
レオナはまだこの場に留まりたかったが、これまでに感じたことのない恐ろしい気配のせいで体が思うように動かせなかった。
「待……っ!」
ノームの尻尾に巻かれた体は床の中へと引きずり込まれ、とぷんと地中深くに沈み込んでいく。
神聖黙示録とレオナを連れ、ノームは宝物庫を後にした。
地中を泳いでいく間、喋れないわけではないかもしれないが、口を開く気にはなれない。
レオナはノームにその身を預け、ヘデラ大聖堂……そして聖ネフィル教会の敷地から無事脱出することに成功した。
***
宝物庫で佇む教皇は覚悟を決めていた。
拳を静かに強く、爪が食い込むほどに握りしめ血が床に滴り落ちる。
『ユーフォルビア……』
「レオナは無事に脱出できたようだ。それが何よりの救いだよ、イフリート」
コツコツと階段を下りる足音が聞こえて来た。
ゆっくりと慌てることなく、一部にしか知られていないこの宝物庫へ向かってくる人物が……。
「イフリート、仲間に会えてよかったね」
『私は友達のユーフォルビアを失いたくないわ。あいつの洗脳に侵される教皇ばかりの中、あなただけが洗脳から逃れて私の話し相手になってくれたもの……』
「私もだよ、イフリート。こんな話、君にしかできなかったのだから。とても大切な話し相手、唯一の親友だ」
イフリートの瞳から一粒、二粒と涙が零れ落ちる。
教皇は優しく指で涙を拭ってやりながら、感謝の言葉を述べた。
「恐らく今回の悪役令嬢はこの国の救世となろう。その証拠に他の四大精霊たちはあいつの魔の手から逃れ、正しい契約を成している。イフリート、君もこんな場所に縛られずに済むことだろう」
『ユーフォルビア、五百年の時の中で今の時代が一番幸せだったわ……』
「もう戻りなさい。君までノームのように呪われたりしたら大変だ」
教皇の言葉の通り、イフリートは名残惜しむように躊躇いながらも奈落へと戻っていった。
イフリートが棲み処としている奈落の中央にある台座は、変わりなく光り輝いている。
魔性とはいえ、ほぼ完璧に模倣している証拠だ。
「契約主が優秀でなければ、ここまで完璧な模倣は敵わなかったろうな」
満足そうに微笑み、瞳を閉じる。
階段を下りてくる音は途絶え、扉が開かれる音がした。
背を向けたままでも教皇にはそれが誰なのかわかっていた。
「私の信仰心を試す時かね? いいだろう、元より操り人形になる覚悟はできている」
翌日、アンデシュダリア国で二つの報せがもたらされた。
それは教皇の訃報と、新しい教皇が即位したというものである。




