17 グランディス国滞在三日目~取り戻した日常~
全て、レオナの思惑通りに事が運んだ。
例外があるとすれば……。
***
グランディス城の一室にて、アリエッタ・クリサンセマムは仕事を終え最後の挨拶を交わしていた。
「マリク様、今回の視察はとても有意義でした。アンデシュダリア国へ持ち込む案件も数を絞れましたし、あとはこれを強引にでも市場で出回るよう動くだけですわ」
「そう、ですか。こちらとしても今後も良い取引相手としてお付き合いいただければ幸甚です」
調子が狂ってしまうのはマリクだけではない。
記憶の忘却の一端を担っているレオナもまた、忘却の魔性がどれくらいの効果を発揮するのかよくわかっていない以上、まだまだ油断はできないといった様子だった。
聖騎士団長ベリルの持つ魔性、忘却の魔性ゲデヒトニス。
この魔性は対象者の脳に侵入して特定の記憶をピンポイントで忘れさせることができる。
ベリルの話によれば、その記憶が新しければ新しいほど効果を発揮させるらしい。
巨木の下で交わされた約束。
ベリルはある頼み事と引き換えに、快く引き受けた。
交渉が成立した直後、アリエッタの元へベリルを連れて行く。
アリエッタがいる場所はグランディス城内にある一室、もちろん国王であるフィクスとベリルはこの時初めて対面していた。
殺伐とした空気になったことに気付いていないのはレオナだけ。
フィクスとベリルは一目見た瞬間から、互いに相容れない者同士だと察した様子で、二人とも社交辞令として名乗るだけで、他に会話らしい会話はゼロだった。
アリエッタのことしか考えられないレオナは別として、側に控えていたマリクはその異様な空気をいち早く感知し、笑顔が引きつっていたほどだ。
目覚めたアリエッタはいつも通りの、普段のアリエッタそのものだった。
アリエッタの記憶を抹消させることに成功した。
それを確認した後、ベリルはまるで一秒でもここに居たくないといった様子ですぐさま退室してしまう。
アンデシュダリア国を抜け出したこと。
聖騎士団長がグランディス国にいること。
長くいれば色々と都合が悪くなるため、ベリルはすぐさまアンデシュダリア国へと戻ったというわけだが、マリクが見たところそれだけではないことは一目瞭然であった。
***
そんなことがあり、二人は今日グランディス国を無事に出ることとなる。
未だ煮え切らないのはレオナだけではないだろう。
マリクもまた、いたいけな少女を危険に晒し傷つけてしまったことを悔いている。
これまで以上にアリエッタに優しく、しかし必要以上に近付かないようにしているのはマリクの心遣いか、はたまた後ろめたさか。
二人が最後の別れを交わしている間、フィクスはレオナを呼び止め大地の精霊ノームに関する話を切り出す。
アリエッタの一件があってから、ノームは約束を違うことなく誠実に西門前でずっと待っていたという。
ひとまず精霊契約に必要な聖遺物となる「雲泥の大槌」にその身を一時的に宿している状態だ。
こうして今、フィクスの手元にある雲泥の大槌を前にしたレオナの脳内では様々な思考が繰り広げられていた。
魔性と精霊は相性が悪い。
忘却の魔性を施した今のアリエッタが、精霊と契約を交わしても安全かどうかの保証がどこにもない。
だからといってこれほどの苦労をしたというのに、最大の目的としていたノームとの契約をみすみす逃すことになってもいいのか。
(どのみち風の精霊シルフはフィクスと契約済み……)
本来の目的としては、四大精霊の全てをアリエッタに託すことだった。
しかしフィクスによってそれがすでに崩されてしまっている。
密約を交わしているからこそ、それを今はあえて良しとしているが大地の精霊ノームまで彼の手に渡ってしまうのは……。
レオナはアリエッタを見つめた。
何事もなく、落ち着いた微笑みを浮かべながらマリクと談笑する姿にほんのわずかに安堵する。
魔性と精霊との相性が悪いとはいえ、ウンディーネとすでに契約を交わしている。
アリエッタを見守るため、剣舞の魔性ソードダンサーをほんの少し分け与える際ウンディーネの了解を得ていたため、アリエッタの心身に影響を与えることはなかった。
それもあって、いざという時にウンディーネが即座に顕現できなかったという事態に陥ってしまっていたのだが。
そして今回も契約主のためと、ゲデヒトニスを施す際にウンディーネ自らが魔性と反発してしまわないよう配慮していた。
そんな中で精霊二体となれば、やはり不安は残る。
精霊、しかも強力な元素の精霊と魔性との共存はどれほど契約主に負担が強いられるのか。レオナではそれを判断することができない。
あまりに事例がないため魔法技術関連に詳しいフィクスに聞いたところによれば、推測としては契約主となる人物の才能にもよるらしいが、やはり不確定要素となる部分に当たるため極力避けた方がいいという。
時間さえ置けばあるいは……。アリエッタの素養が類稀なものということが大きいので共存可能、という予想はしているとのことだ。
レオナは目的の再確認をする。
とにかく聖女から四大精霊を奪取できれば、それでいい。
水の精霊ウンディーネも強力であることに変わりはないのだから。
いざとなればフィクスにアリエッタを保護させれば問題ない。
元々、初めからそういう約束だ。
この間わずか数十秒。
レオナは思考を整理し終え、淡々とした口調でそれを告げる。
「ノームは一旦、そちらに預けておくわ」
密約がある以上、そう簡単に離れられる関係ではなくなった。
このままフィクスが持ち逃げする可能性はゼロだと踏む。
それだけではない。今となっては、レオナはフィクスに弱みを握られたようなものだという自覚がある。
「この国にとって、私は今や殺人犯……。本来なら奴ら同様、捕まっていてもおかしくない。国を治める立場の人間にここまで配慮させてしまっているんですもの」
「それに関してはこちらにも非がある。あいつらは俺の国に魔物を持ち込んだのだ。アリエッタ嬢は工場の労働者たちと同じようにその被害に遭い、君は事態を収拾させるために戦った」
「そういう体で、ということでしょ? 過剰防衛にもほどがあると思うけれど?」
フィクスなりに理由をこじつけ、レオナに罪が問われないようにしているのだろうが、彼女にはわかっていた。
法に則りレオナを捕まえてしまえば、密約を成すことは不可能となる。
そしてもうひとつ……。
「大地の精霊ノームの暴走について……。本人の口から聞いておきたいことがたくさんあるんでしょ」
「俺は君を自由にさせるため動いたつもりだが?」
「そう言って何人もの女性を誑かしてきたんでしょうけど、私には意味ないから」
「相変わらず手強いな」
表情を崩さず、むしろ呆れたという感じであしらうレオナに対し、フィクスは微苦笑を浮かべながら少しばかり楽しそうにしている様子だった。
もちろんそれに気付いたところで、レオナはなんとも思わない。
彼はアリエッタの未来を約束する一国の王でしかないのだから。
「とにかく、こちらはアリエッタお嬢様の様子を窺いながらこれまでの日常に戻るから」
「わかった。例のプロムナードが始まるまでに、俺は俺の為すべきことを進めておこう」
プロムナード、その言葉を聞いた瞬間にレオナの胸が痛みを帯びた。
悪役令嬢断罪計画の要となる夜、これまで築き上げて来た数々の苦労が全て晒される。
断罪計画の締めくくりにかかる最初の難関といったところだろうか。
その後は王家や教会側の働きによって、アリエッタが特に何をするでもなく終わりの日を迎えるのだが。
最終局面へ向かおうとしている。
レオナはそれを強く実感したような気がした。




