2 魔法大国グランディス
「わぁあ! 魔道具がこんなにもたくさん……! まるで違う世界に来たみたい!」
「アリエッタお嬢様、危ないですよ」
アリエッタは生まれて初めて見る様々な魔道具を目の前にし、車窓から顔を出しそうな勢いでグランディスの街並みを眺めていた。
出発する際はクリサンセマム家が所有する馬車を使い、アンデシュダリア国とグランディス国との中継地点である検問所に立ち寄り、そこでレオナは乗り物を乗り換えていた。
中継地点に辿り着くまでにも、すでに二日を要している。
魔道具を嫌うアンデシュダリアの風習に従う義理はないので、レオナは馬車よりずっと速度が出る魔道具の乗り物を借りることにしたというわけだ。
残りの距離を同じ馬車で向かうとなれば、さらに三日はかかったことだろう。
しかし魔道具、この国では車と呼称された乗り物に乗り換えてから、たった一日で到着することができた。
こうしてレオナたちは無事、隣国グランディスの首都パーシヴァルへと足を踏み入れる。
「今さらだけど私たちが他国へ行くこと……、よく教会側が許可してくれたわね」
「お嬢様の才能はアンデシュダリアに多大な利益をもたらします。それに……」
「それに?」
国の生贄となる悪役令嬢を国から出すことを、教会側が当然許可するはずがない。
万が一にでも国の後ろ暗い部分が他国に知られでもすれば、それを理由に侵略戦争にまで発展するかもしれない恐れがある。
それを可能としたのは他でもない、レオナの説得と――聖騎士団長ベリルによる進言があったからに他ならなかった。
忠実に、過去類を見ないほど有能にして万能。
誰よりも華やかな人生でありながら、誰よりも傲慢で悪辣な極悪令嬢に仕上げてきているのだ。
アリエッタが隠し持つ美しい心など、教会側の人間に見抜けるはずもない。
悪役令嬢としての演技はそれほどまでに完璧なのだから。
教会側のシナリオ通り、覇道の道を突き進む悪役令嬢の実績を疑う余地はなかった。
そうなるまで育て上げたレオナの功績は多大なもので、さらに聖騎士団長の口添えもあったとなれば教会側が拒否する理由すらない。
唯一、覇道の道の先は破滅しかないと理解している悪役令嬢への信頼は、真に揺るぎないものであるか、という保証。もしかしたらこのまま姿を眩ますのではないか。
その一点にのみ論争が巻き起こったが、それもレオナやベリルの言葉巧みな誘導によって納得させることに成功した。
(あとは面倒な手続きだけだったけど、これは全部ベリルがやってくれたからラクなものだったわ。……帰ったら少しくらい柔らかめに接してやってもいいかもね)
ふっと薄ら笑いを浮かべるレオナに、アリエッタは首を傾げながら黙って返事を待っていた。レオナは脳内からベリルの顔を追い出し、愛しいアリエッタへ向けて自分史上最大の笑顔で答える。
「細かいことは、お嬢様は気にしなくていいんですよ」
「え~? 意地悪! 教えてくれたっていいじゃない!」
「ふふ……。さぁ、お嬢様。そろそろ悪役令嬢の仮面をお被りください。私が言わなくとも、アリエッタお嬢様ならば人格を瞬時に切り替えることなど造作もないことと思いますが」
「……わかったわ、レオナ。任せてちょうだい」
***
グランディス国王フィクスからの手紙に従い、レオナは車を指定の場所まで運転していった。案内されるままに車を停め、駆けつけた守衛らしき人物に国璽が押印された書類を見せる。
話はすでに通っているのか、マニュアル通りの歓迎の挨拶を軽くしてから国王が待っている城へ案内された。
魔道具の車専用の駐車場から城まで、大通りを徒歩で移動するレオナたち。
その間も街中には様々な魔道具が活用されていて、アリエッタはそれを見かける度に心を弾ませるような雰囲気を出していた。
今は悪役令嬢の顔をしなければいけない。
それはアリエッタもきちんと自覚していたようなので、魔道具に飛びついたりはしないがそわそわしている様子がレオナにも伝わって来る。
大通りを歩いてほんの数分、物珍し気な街中の風景に気を取られていたせいだろう。
恐らくはレオナたちが車を降りた時から、すでに始まっていたのかもしれない。
レオナの表情が引き締まる。
それはアリエッタもさすがに感じ取っていたのか、顔が引きつりそうなのを必死に堪えながらレオナに囁きかけた。
「ねぇ、レオナ……。なんだか、おかしくない?」
「お嬢様もお気づきになりましたか。えぇ、道行く人々の視線が先ほどからアリエッタお嬢様に注がれているように感じられます」
「私たち、別にスパイとかそういう悪いことをしに来たわけじゃないのに?」
まず最初に気付いたのは、魔術師風の衣装を纏った男がアリエッタを見るなり目を丸くしたことだ。
まるでこの世のものとは思えない何かを見たような、奇異な目つきで。
それが発端となり、大通りを往来する人々の表情や目線を注視していれば……なんとほとんど全員がアリエッタを目にしては一瞬驚きの顔を見せるのだ。
アリエッタの外見はごく一般的だと言えよう。レオナの黒髪の方が珍しいくらいだ。
レオナはひとつの仮説を立てた。
(もしかしてこの国では、アリエッタお嬢様の可愛らしさは破壊級……?)
天啓を得たようにそう結論付けようとしたレオナの思考を読み取ったようなタイミングで、道案内をしていた守衛が笑いながら話しかけて来た。
「すみませんね、みんなの視線が痛いでしょう? クリサンセマム様の魔力量に、みんな度肝を抜かれてるんですわ」
「え……、私の魔力量に?」
魔法大国グランディスと呼ばれるこの国では、国民のほとんどが魔法の才能にあふれている。それ故、魔力値といった才能も恐らくアンデシュダリアとは比較にならないはずだ。
国外旅行をしたことがないとはいえ、知識を得るためにアリエッタは公開されている他国に関する勉強は一通りしてきている。
グランディスに関することも、もちろん知識として知ってはいた。
だからこそアリエッタは不思議に思う。
「グランディスの方々は皆、魔法の才に優れていらっしゃるのよね? それならば私程度の魔力量なんて、たかが知れているのでは?」
(さすがです、お嬢様! それとなく嫌味っぽい! 悪役令嬢としてのお手本です!)
レオナが感涙で咽び泣いていても、それは当然顔に出してはいないので何も気付かずに説明を続ける守衛。衛兵の格好をしているが、彼もまた魔力量はそれなりに高い。
「何をおっしゃいます! 私から見ても、クリサンセマム様の魔力量は世界で三本の指に入るほど高い方ですよ? 言うなれば、地上に女神が現れたような感覚になっているんで、みんなクリサンセマム様の存在につい振り返って見入ってしまうんです」
鼻息荒く高速で首を縦に振るレオナをよそに、人々からの熱すぎる視線の理由がわかったアリエッタ。
嫌悪を含んだ視線、陰口を叩かれている時に浴びせられる視線、アリエッタを見るなりそそくさと立ち去ろうとする人々からの一瞬の視線には慣れていたアリエッタだったが……。
好奇の視線は城に到着してからも熱心に注がれ続ける羽目になり、アリエッタは国王と面会する前からすでに疲労が蓄積していた。
その度にレオナはアリエッタの体調を窺いながら、守衛に休める場所をあらかじめ確認しておくことを忘れない。
(なんだろう、嫌な感じの視線なら平気で無視できてたのに……。興味津々で見られるのって、こんなにも気恥ずかしいものなの? あ、だめ……表情が緩んじゃうっ! もっとしゃきっとしなくちゃ! 高慢ちきな顔を作っておかなくちゃ!)
普段以上に気を張りすぎていたせいかもしれない。
アリエッタは初めて受けた視線を浴びせられ続け、ついに疲労が限界に達してしまった様子だ。
足元がふらついた瞬間、レオナはすかさずアリエッタを支えて守衛に声をかける。
「申し訳ありません、先ほど聞いた休憩所へ行きたいのですがよろしいでしょうか」
「だ、大丈夫ですかっ!? 今すぐご案内を……」
「その心配はいりませんよ」
慌てた守衛の言葉を遮るように、凛とした青年の声がしてレオナは振り返る。
金髪碧眼の見目麗しい青年が駆けつけ、挨拶を後回しにしてアリエッタの介抱に当たった。
「環境が変わったせいでしょうか、ほんの少しだけ魔力酔いを起こしているみたいですね」
「マ……、いえあの……そう、なのですか? すみません、魔力に関してあまり知識が明るくないもので」
「心配しないでください。これは魔力量の高い人に起こりやすい現象なんです。ほら、こうやって少しばかり魔力を放出してあげれば……」
そう言いながら青年は背負っていた奇妙な魔道具を下ろして、蛇腹のようになっている管を伸ばすと、アリエッタの胸元に先端を軽く押し当てた。
「これはですね、魔力酔いを改善させる携帯型アブソーバーという魔道具です」
ほんの数秒の出来事だった。
青年の処置が正しかったのか、アリエッタは何事もなかったように顔色が良くなり、きょろきょろと周囲を見渡す。
「よかった、気分はどうですか? まだ気持ち悪かったりは」
「いいえ、すっかり気分が良くなりましたわ……。えっと、あの……あなたは」
回復したアリエッタがレオナの支えで立ち上がり青年に訊ねると、守衛が別の意味での慌て方をして畏まったように敬礼した。
「こ、これは……マリク王弟殿下っ! 適切な処置、感謝いたしますっ!」
「え……っ? 王弟、殿下……!?」
「……」
にっこりと柔和な笑みを浮かべ、改めて自己紹介をする。
「初めまして、マリク・グランディスです。よろしくどうぞ」
マリクは二人に対して公平に挨拶をした。
どちらも今が初対面だという声で、王弟マリクは完全にレオナのことを初めて会った見知らぬ女性だという態度を貫き通していた。
以前レオナが話した通り、マリクは知っている。
目の前にいる少女こそ、今回救うべき憐れな悪役令嬢……アリエッタだということを。




